扶桑社「新しい歴史教科書」143 ページ。
《関孝和は方程式の解法や円周率を独自に発見して,
和算とよばれる日本式の数学を確立した
》。
「方程式の解法」を「発見」は問題のない言い方だが、
「円周率」を「発見」はどうだろうか。
これだと、円周率の存在、
すなわち円周の長さと直径の長さの比が円の大きさによらないこと、
を発見したように読むほうが素直である。
私は数学を教えているが、 数学史はしろうとに近いので、 上の文章の内容についてはなんともいえない。
2001-07-04 (3) 02:49:10 +0900
扶桑社「新しい歴史教科書」316 ページ。 これはふりがなとしか思えない。
2001-07-04 (3) 02:43:05 +0900
扶桑社「新しい歴史教科書」127 ページの「人物コラム」は 「信長・秀吉・家康 --- 天下統一の人間像」。
織田信長,豊臣秀吉,徳川家康の三人の武将が同じ題材をよんだとさ れる俳句がある。 信長は「鳴かぬなら殺してしまえほととぎす」 秀吉は「鳴かぬなら鳴かせてみせようほととぎす」 家康は「鳴かぬなら鳴くまで待とうほととぎす」 とよんだというのである。これらが,本当に彼らがよんだ句かどうか は分からないが,(以下略)
「とよんだというのである」の行の字下げは必要ないのではないか。 俳句を含む三行には薄いアミがけがしてあるがそれも関係あるまい。
2001-07-04 (3) 02:35:50 +0900
扶桑社「新しい歴史教科書」65 ページに万葉集の 2 番の歌 「大和には郡山あれど……」の歌が載っている。 添えられた大意では「とりよそふ」を 「草木でよそおわれた」としているが、 岩波古語辞典、広辞苑第五版によるとこの語は未詳だそうだ。
2001-07-04 (3) 02:08:42 +0900
扶桑社「新しい歴史教科書」65 ページに古事記の 「倭は国のまほろば……」の歌が載っているが、 最後が「倭しうるわし」となっている。 もうひとつ載せられている万葉集の歌には 「とりよろふ」と古いかなづかいが使われているにもかかわらず、 である。 岩波古語辞典、広辞苑第五版によると、 平安時代初期にすでに「うるわし」と書かれたそうだが、 歴史的かなづかいは「うるはし」であるらしい。 岩波文庫によれば原文は「宇流波斯」なので「は」である。
2001-07-04 (3) 02:00:59 +0900
奥村さんのページに、音を左右に振り分ける方法が書いてあった。 きのう打ち込んだ第 1 変奏を、両パートを極端に左右に広げて聴いてみると、 二つのパートがよく聴きわけられておもしろい。
そうなると、次にやりたいのは第 29 変奏である。 私の感じでは、この曲は真ん中にバスがおり、 左右に三人ずつからなるコーラスがいる。 バスがオクターブ降下すると左右のコーラスが合いの手を入れる --- というふうに始まる曲である。 鍵盤楽器で演奏するとすべての音がほぼ同じ方向から聞こえてくるし、 編曲物でも私が聴いた限りでは左右の掛け合いの形にしているものはない。
パートは A から G の 7 つ。 D をバスにあて、A, B, C が左の第一コーラス、 E, F, G が右の第二コーラスとした。 音色はすべてピアノである。
やってみると、むずかしい。 楽譜の上では D, E, F, G が一段になっているから、 E, F, G の休むべき長さが楽譜の上に明示的には書いてないのである。 また“コーラス”は和音で鳴るので、 オクターブ間違えている場合のデバッグが(少なくとも私には)むずかしい。 そこで、 一小節終えるごとのデバッグのための最後のおまけを、 きのうとは変えた。 正しく打ち込めていたら、A, B, C ... の順で、等しい間隔をおいて、 同じ音が鳴るようにしたのである。 ついでに、音の方向も、 (打ち込みを終えるまでは)この順で左から右にほぼ等間隔で並ぶようにした。 鳴る音の高さは、実際には、 打ち込んだ部分の最後の音の高さによってオクターブの上下がある。 これを聴き取るのである。 たとえば 「まず A が鳴って、B はオクターブ下、C も同じ高さ、 D はさらにオクターブ下、E は A と同じ、F は……」 と言ったぐあいである。 これを楽譜とつき合わせればかなりデバッグの助けになる。
少し進んで、悩んだのが三連符の書き方だ。 八分音符を三つに割ったのだったら 24 と書けばよいのだった。
前半の後半、単音になるところの初めまで打ち込んだ。 ここをどのパートに演奏させるか、 すなわちどう左右に振るかを決めなければ。 (この部分も三連符であることに初めて気がついた。)
2001-07-04 (3) 01:30:25 +0900
2001-07-04 (3) 01:03:38 +0900
MML では、音の長さは数字で記入する。 八分音符は 8, 十六分音符は 16 のように。 いちおう、楽譜は読めるつもりだが、 音符一つずつを見て「棒が何本あるからこれは何分音符だ」 とさっと頭が働かないのに気づいた。 それでもふだんはあまり困らない。
2001-07-04 (3) 00:59:10 +0900
きのう打ち込んだゴルトベルク変奏曲の第一変奏で考えてみよう。 一小節中の音符の数は最大で 12 である。 一つの音符につき、音の高さと長さを入力することになるが、 平均して 4 ストロークを要するとしよう。 私のタイピングスピードは毎秒約 6 ストロークなので 8 秒で一小節が打ち込めることになる。 実際にはよほどやさしい部分でないとこのスピードを出すのはむずかしいだろう。 また、画面を見ないで打ち込むことになるので、 二拍目三拍目の頭などは画面上では揃わない。
全 32 小節の打ち込みは約 4 分、 パートが二つあるのでその倍の約 8 分。 実際には考え込む時間があるのでもっとかかるが。
2001-07-04 (3) 00:46:35 +0900
扶桑社「新しい歴史教科書」26 ページに
《その中の一人である孔子は,
仁愛(思いやりの心)を説き,
道徳と礼(礼儀[れいぎ]に基づく掟[おきて])で人を導けば,
天空のすべての星が北極星を取りまきながら整然と動いているように,
政治は万事うまくいくと述べた
》とある。
これは「論語」の「為政第二」冒頭の
《子曰、為政以徳、
譬如北辰居其所、而衆星共之
》
を指すのではないかと思われるが、
「北辰」を北極星と言ってよいかは問題である。
今の北極星は当時は別の位置にあったからである。
ちょっと前にも書いたのだが、 今回はきちんと引用して書いた。
2001-07-03 (2) 23:27:04 +0900
扶桑社「新しい歴史教科書」30-31 ページ
「日本語の起源と神話の発生」に
《起源は謎だが,
基礎的な単語の音や用法が日本語に類似している例として,
学者たちは(中略)をあげており,
インド南部のタミル語との近似性を指摘する学者もいる
》
とある。
2001-07-03 (2) 22:59:04 +0900
扶桑社「新しい歴史教科書」 8 ページ「日本歴史の流れ 歴史モノサシ」。
上のモノサシを見てみよう。 これは歴史をモノサシにしてあらわしたものである。 1世紀,つまり100年がちょうど1cmになっている。
その「モノサシ」は、こんな風になっている。 最小の目盛りは1ミリメートルである。
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たった一年だから、 実はそこはほかと違うのだけれど見分けがつかないだけ? そうは思えない。 このモノサシの最小目盛りは十年に当たる。 一年はその十分の一。 理科実験の時間には、 「計器は最小目盛りの十分の一まで読め」と言われる。 一見、同じ間隔に見える最小目盛りに、 十分の一だけ間隔の違うところがあれば、すぐに気がつくはずだ。 下の二つのサンプル --- わざとフォントサイズを変えてある --- で試してみていただきたい。
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しかし、これだけでこのモノサシを誤りと決めつけることはできない。 「1」「2」「3」……は西暦 101 年、201 年、301 年……を表わし、 「0」は西暦 1 年を、「-1」は紀元前 100 年を表わすのだ、 と言えばいいのである。 これらの年はちょうど百年ずつ離れている。 あるいは一年ずつ前の年だとしてもよい。
【人類の誕生は450m左に】 まず, モノサシの左の端を見てみると, ギザギザがある。 これは, はるか遠い過去へ向かって無限大に時間が伸びていることをあらわす。
高校数学を学んだものであれば、何かおかしいと感じると思う。
まず、「無限大に時間が伸びている」の「無限大に」はおかしい。 数学用語の「無限大に」は、副詞として使うことはない、 と言ってよいと思う。 「無限大に発散する」はこれでひとかたまりの表現である。 (あるいは「無限大」というもの「に」向かって「発散する」、ととらえる。)
時間を実数として把握する場合、 未来が(正の)無限大、 過去が負の無限大と考えるのが普通なので、 この部分を、 過去へ進むと未来へ到るという円環的な時間観が (意識的にせよ無意識にせよ)現れている、 と読むのは深読みのしすぎであろう。
それから、その前の 「はるか遠い過去へ向かって」との関連がわからない。 どんなに遠い過去の時点であっても、 そこに到るために“無限に” (この著者の言い方では“無限大に”) 時間を伸ばす必要はないからだ。 過去のどんな時点よりも過去にある時点の存在を仮定しているわけでもあるまい。 (時間のモデルとして実数体ではなく超実数体を選んだ、 と考えるのも深読みのしすぎだろう。)
この部分全体の代案: 「過去に向かって無限に時間が伸びている」。 (この場合の「過去」は「過去の一時点」ではなく「過去の方向」の意味である。)
なお、普通は、 ギザギザはその先を省略していることを示すだけで、 無限に伸びているかどうかはあらわさないと思うが、 それはおいておこう。
おまけ:
《みなさんは聖徳太子の名前を知っているだろう。
5cm9mm で登場する。
そのころヨーロッパは,まだ存在しない。
フランスやドイツやイタリアがはっきり姿をあらわすのは12〜13cmで,
日本でいえば鎌倉時代である
》
という記述はここにあったのか。
「まだ存在しない」を「海の底にあったから」、
「姿をあらわす」を「地形の変化で海中から」、
と誤解する中学生がいないことを祈る。
2001-07-03 (2) 22:08:09 +0900
234-235 ページ「人物コラム / 津田梅子と与謝野晶子 --- 女性が輝いた明治」 の 235 ページ下、 鉄幹の死を晶子が詠んだ歌。 原文のふりがなをカッコに入れて引用する。
平(たい)らかに今(いま)三(み)とせほど
十(とう)とせほど二十年(はたとせ)ほども
いまさましかば
「十」の歴史的かなづかいは「とを」、 現代かなづかいは「とお」である。
《あゝをとうとよ君を泣く
》
の「をとうと」というかなづかいも少々気になる。
普通は歴史的かなづかいでも「おとうと」のようだ。
2001-07-03 (2) 20:21:35 +0900
元ネタはもちろんウルトラセブン第12話「遊星より愛をこめて」。
2001-07-03 (2) 19:39:35 +0900
インターネットに(クラシック音楽の)楽譜データを置き、 必要に応じて MIDI に変換したり楽譜にしたりできたら便利だろうなと思う反面、 そうなると音楽教室の生徒が 「楽譜は買わずにどこそこからダウンロードしてこのソフトで印刷すればいい」 と言うようになり、 楽譜出版業が成り立たなくなりそうだ。
いま、古典文学の校訂テキストを公開する場合、 昔ながらの書籍にする方法とインターネット公開の方法とがある。 こんな風に住み分ければ両立も可能か。
2001-07-03 (2) 02:11:31 +0900
「前後から判断してト長調なのにこの F にシャープがついていない」 などとウォーニングを出してくれたら、 うれしいようなこわいような。 そんなむずかしくないはず。 Cis が出てきたらそこからはニ長調と考える、ってくらいの判断なら。
2001-07-03 (2) 01:59:12 +0900
Koasa Shumputei だったような気がする。ずっと前。
2001-07-03 (2) 01:38:52 +0900
Hideki Yukawa のように名-姓の順で書く場合、 Kiyomori Tairano となるのだろうか。 Kiyomori no Taira はヘン。
2001-07-03 (2) 01:37:37 +0900
「たいらのとももり」のように「の」のはいる名前だ。 漢字では「平知盛」と届けておき、ふりがなには「の」を入れると、 それは姓にも名にも属さないことになってしまう。
2001-07-03 (2) 01:35:42 +0900
高校生でも20歳を越えていれば喫煙して構わない。 高校生であることと年齢とは関係ない。 「高校生は喫煙してはならない」という条例がある場合は別だが。
2001-07-03 (2) 01:29:48 +0900
答えは、名前に「の」にあたるものが含まれていること。 「たいらのきよもり」の「の」、 「René Descartes」の Des の部分、 「Ludwig van Beethoven」の van がそうである。
2001-07-03 (2) 01:24:28 +0900
《「* *」は姓・名一文字ずつの名前か、「**」という“芸名”か (2001-07-01 (0) 02:37:00 +0900)》の最後に
欧文では分かち書きをし、 姓名の最初は大文字で始めるので、まずこういうことはないだろう。 絶対に?
と書いたのに対し、メールをくださった方があった。 確かに、 McDonald のような名前があるから、大文字小文字の別は役に立たないのだった。 逆に Ludwig van Beethoven のように一部を小文字で始める名前もある。 ただ、これらの名前が決められたスペースに無理に伸ばして書かれても、
M c D o n a l d
L u d w i g v a n B e e t h o v e nのようになり、 スペースに広い部分と狭い部分がある名前はもともとは広い部分でのみ切れており、 そうでなければもともとは一語、と判定できる。
私が気にしていたのは、Ô のように一文字からなる名前である。
Ô Ôは「ÔÔ」という一語からなる名前かもしれないし、 「Ô Ô」という二語からなる名前かもしれない。 でも、こんな名前はないだろう。 それ以前に、 異なった名前を決められたスペースに無理にいれることをしないのではあるまいか、 横文字では。
2001-07-03 (2) 01:16:15 +0900
上のリンクはいまはった。それまでは a href タグをおいていなかった。
2006-05-11 (4) 00:12:10 +0900
奥村晴彦氏の6月の 「いろいろ」 に、MML2MID のことが書いてあった。そこからリンクの張ってある、 奥村さんの 「MIDI」 のページを(MIDI 対応の)ブラウザに読み込むと、 「きらきら星」のメロディーがスピーカから流れてくる。
説明を読んでみると、単なるテキストファイルに書き込んでコンパイルするだけだ。 簡単そう。私も試してみたくなった。
最初はドミソド(最後のドはオクターブ上)などの分散和音を少々。 うまくゆくとわかったので、次にグレゴリオ聖歌「怒りの日」。 これもできたので、 楽譜を見ながらバッハ「ゴルトベルク変奏曲」の第一変奏曲に挑戦してみた。 最初の1小節を打ち込んで鳴らしてみる。おお。 次の小節も打ち込んで鳴らしてみる。おおお。 少しずつ打ち込むうちにだんだんおもしろくなってきてしまった。
しかし、数小節すすんだところで、 いちいち最初から聞いて“デバッグ”するのがめんどうになった。 そこで「一応 OK」となった部分を別ファイルに移動してみる。 これは失敗。 MML では音高を相対的に指定するので、 途中から鳴らすとオクターブの整数倍だけ上下にずれてしまうことがあるのだ。
また、どこか一か所で音の長さを間違えると、以後の音がすべてずれてしまう。 これを防ぐため、 両パート(この曲は2パートからなっている)の最後に “おかしな”音を書いておく。 そして、必ず両パートを同じところ --- 例えば同一の小節線 --- まで打ち込んでデバッグし、 そのおかしな音が両パートで同時に鳴れば、 ずれは生じていない、と判断できる。 “おかしな”音としては Ais を選んだ。 この音は出てこないからだ。 (そのうち、一つではもの足りないのでユニゾンで 作曲者名にちなんだメロディー B-A-C-H が鳴るようにした。)
前半 16 小節の両パートの最後の音は同じ高さである。 よって、ここまでを別ファイルに移し、 後半だけを作成し、最後に両者を合わせてもおかしなことはおこらないはずだ。 後半は割とすぐにできた。慣れのせいだろうか。 最後に前半後半を合わせてみると、 なんだかつながりがおかしい。 ちょっと考えて、 前半最後の音は四分音符なのを間違って八分音符にしていたことがわかった。
打ち込んでみて、音楽の上では次のようなことを感じた。
コンピュータに関しては次のようなことを。
ファイルのタイムスタンプを見返してみたら、 2時間弱で打ち込めたことになるようだ。
「できあがったものはここに置きますので御自由にコピーしてご利用ください。 ただし『週刊**のコマーシャルに使われていた曲』と書き添えることを禁じます」 としたかったが、 私が見た楽譜の校訂者の権利、 出版社の権利の問題があるかもしれないのでさしあたっては公開しない。
MML 言語そのものに関しては、少し気になる点もあった。 たとえば、三度の中で「レドシド」と動く場合、 MML では「シ」の前に「オクターブ下がる」と書き、 後に「オクターブ上がる」と書かねばならない。 これをなんとかできないか。 MML は単なるテキストファイルだから、 それに変換するプリプロセッサを書くのもそれほどむずかしくなかろう。 各自で工夫したらおもしろいのではないか。 人によって、経験した楽器によって、 どのような打ち込みかたが一番楽かは違うだろうから。
いまMML2MID のページを見たら、 コマンド早見表などを発見。 奥村さんのページ以外何も見ずに打ち込んだので、 テンポも音量も最初の音の絶対的な高さも指定しなかった。 それなのにそれなりのものができたのは選曲がラッキーだった、 ということか? (あ、 オクターブ上げの > と下げの < の入れ替えもできるんだ! 「b>c」 と書いてあとの c のほうが高いのは私の直感に反していた……。)
付)この打ち込み作業は、 ちょっと前にやったキーボードの絵を描く作業と似ていた。 少し打ち込んではチェックする。 すると、そのたびに頭の中にあるものが現実となってゆく。 私はこういう作業が好きらしい。
2001-07-03 (2) 00:58:03 +0900
ちょっと前、奥村さんの 「ゲストブック」に
[2001-06-25 19:22:59 202.225.228.82 すのもの] 例の教科書立ち読みしてきました。 “漢文の訓読み”「たうれる」、 その通りでした。 本当にあれで検定を通ったんでしょうか。 あと、孔子が北極星の回りをうんぬんと言ったとあったんですが、 当時北極星ってありましたっけ。カエサルのときはなかったとか聞いたようなと書いたら、 ROM男さんが関連するページを紹介してくださったりしたことがあった。
当時、別の星が“北極星”だったのか、 それとも“北極星”はなかったのか、 私にはまだ断言できない。 でも、 「今の北極星が当時も北の空にあって一晩中動かなかった」 のではないことだけは確かである。 理科系の者として、 変な誤解が中学生の間に生まれなければいいな、 と思う。
2001-07-03 (2) 00:36:42 +0900
たとえばゴルトベルク変奏曲の第一変奏曲を論じていた直後に 「この変奏曲は」と書いた場合。 欧米の言葉では「変奏曲」が単数か複数かなどでわかるだろうが、 日本語ではどうするか。
2001-07-03 (2) 00:34:48 +0900
新聞などで、 「野茂」を「飲もう」の短縮形「飲も」とひっかけた見出しを見かける。 「飲もう」の反対は「吐こう」で、それを短縮すれば「吐こ」。 それと同音の名前、ということで山崎ハコ。
部屋の整理をしていたら出てきたメモによる。
2001-07-02 (1) 22:28:35 +0900
「話の調子を強める」の意味で 「オクターブを上げる」と言うのが一昔前に流行した。 「オクターブ」は強さではなく音程を言うものであり、 しかもそれそのものではなくそれをはかる際の単位である、 という意味で二重の“誤用”である。 一方、「メートルが上がる」という言い方があるが、 これもそれをはかる単位をそれそのものに流用しているのではあるまいか。 それとも、単位のメートルとは別の、メーターのようなもの?
部屋の整理をしていたら出てきたメモによる。
2001-07-02 (1) 22:21:46 +0900
本文ナシ
2001-07-02 (1) 22:13:48 +0900
検索エンジンにひっかからないよう、 わざとやっている人もいるような感じだ。
2001-07-02 (1) 22:12:21 +0900
google で「新世界訳 使徒」を検索し、 それなりに一生懸命さがしたけどわからず。
2001-07-02 (1) 02:01:09 +0900
本文ナシ
2001-07-02 (1) 00:14:43 +0900
1日づけ朝日新聞大阪本社版「どっとデジタル」面
「http://www.asahi.com から」「ニュースTOP10(6月20日〜26日)」
の第一位は「髪切られた“女子高生”本当は44歳」。
紙面では見た記憶がない。
「女子高生であること」と「44歳であること」とは両立しないわけではないので、
何のことだろうと asahi.com を見てしまった。
「女子高生姿の44歳、
髪切られる」
である。
《事情聴取に「高校1年の16歳」と説明していた
》
ってのはまずいですね。
「それは娘のことでした」って言いわけはどうかな。
時事通信社は
「女子高生姿の44歳、髪切られる」
と書いているが、
実際にこの女性が女子高生だったのかどうかは書いてない。
《調べによると、
被害者の女性は若い服装をするのが好きで、
高校の制服を着てルーズソックスをはいていた
》
を素直に読めば、
実際に女子高生で、着たかったから着る必要のないところでも制服を着ていた、
とも読める……。
「生涯学習」とか言われる時代に、これでは困る。
2001-07-01 (0) 19:58:00 +0900
「やるぞ」と決めてやらないとできそうにないので。
2001-07-01 (0) 19:50:00 +0900
教科書では「ピタゴラスの定理」を「三平方の定理」と呼ぶし、 一つもないのではないか、と前に書いたが、 de Moivre の公式があった。 でもほんとに高校でもこう呼んでいる?
2001-07-01 (0) 19:46:00 +0900
6月29日づけ朝日新聞大阪本社版政治面に、 参院選比例区立候補予定者が表になっており、 氏名には一人当たり五文字分のスペースがあてられている。 「** **」「** *」「* ***」のタイプは、 空白文字の前が姓で後が名である。 「*****」は切れ目がわからないので自分で判断するしかない。 問題は「* *」型だ。 姓も名も一文字からなる氏名はある。 しかし、「**」のような、 姓とも名ともつかない、一かたまりの“芸名”もあるからだ。 (芸名以外でも一かたまりの名前もあろう。)
欧文では分かち書きをし、 姓名の最初は大文字で始めるので、まずこういうことはないだろう。 絶対に?
2001-07-01 (0) 02:37:00 +0900
その後、RPGで出会ったトロルはあんな風にかわいくはなかった。 作者が亡くなったが、 朝日新聞には「トロール」あるいは「トロル」 という言葉が書かれていないようだったので思い出した。
上では「ムーミン」と「トロール」の間に「・」を入れたが、 正式な表記は覚えていない。 「トロール」か「トロル」かもあやしい。 いま、google で「ムーミン トロル」を検索したら約 97 件。 「ムーミン トロール」約 301 件。
2001-07-01 (0) 02:22:00 +0900
新明解第五版は単に pension と書いているので英語からと言っていることになるが、 「ペンション」の意味の pension はフランス語からの借用で「パンション」 と発音するようだ。 ちなみに英語で pension を「ペンション」と発音すればそれは年金の意味だ。
2001-06-30 (6) 22:24:00 +0900
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小 指 |
薬 指 |
中 指 |
人 差 し 指 |
人 差 し 指 |
中 指 |
薬 指 |
小 指 |
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左手 | 右手 |
さっき書いた「キーの色が外ににじみ出して見える」ことだが、 くわしく言うと次のようになる。 外側の <TABLE> によって、マスに色がつく。 そこに内側の <TABLE> が書き込まれ、 キーが立体的に見えるのだが、 それがマスいっぱいにまで広がらないのだ。 というか、マスのほうが広すぎる。
スペースバーをつけようとブラウザや文字の大きさを変えて実験してみているうちに、 何か複雑な事情があるな、 と思えてきた。 想定されていない使い方をしているのだからしかたがないが。
2001-06-30 (6) 19:00:27 +0900
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中 指 |
人 差 し 指 |
人 差 し 指 |
中 指 |
薬 指 |
小 指 |
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左手 | 右手 |
各キーが一つの TABLE になっているので、 たいていのブラウザではキーが立体的に見えるだろう。 少々気になるのはブラウザや文字の大きさによっては 「P」などのキーの色が外ににじみ出して見えることだが、 その原因はわからない。
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中 指 |
人 差 し 指 |
人 差 し 指 |
中 指 |
薬 指 |
小 指 |
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左手 | 右手 |
こんなふうに特定のキーを強調してみせることもできるだろう。
2001-06-30 (6) 18:18:00 +0900
JISには実在しない“幽霊漢字”がいくつか含まれているが、
たいていは「実はこの字の誤りでした」と判明している。
「JIS漢字字典」(横書き部分の)306 ページに
《唯一、全く同定できない文字である
》
とされるのが「彁」である。
へんは「弓」、つくりの「哥」は「うた」の意味らしい。
そう考えていて、旧約聖書「サムエル記下」1.18 に「弓の歌」
というのがあるのを思い出した。
ダビデがサウルとその子ヨナタンの死を悼んで作ったとされる歌である。
最後の部分に
《わが兄弟ヨナタンよ、(中略)あなたの愛は私にとって、
女の愛にもまさって、すばらしかった
》(岩波版、訳者は池田裕氏)
という句が見られる。
同字典(横書き部分の)326 ページには
《最終的な漢字選定作業は、資料2からカードを作成し、
そのカードを元に林(はやし)大(おおき)委員が行い、
このカードには林委員の書き込みもあったが、カード自体は、
かなり前に破棄されているとのことであった
》とある。
この文字のカードには何が書かれていたのであろうかと想像すると、 “トンデモ本”が書けるかも知れない。
2001-06-30 (6) 16:52:00 +0900
昨夜、部屋の整理をしていたら、
山田研からもらったTコードの表のコピーが出てきた。
そこには、
君純副盟標
あこ6学月
。◆0・2
けイす電地
のように、文字を微妙にずらして印刷してあった。
最上段と上段、中段と下段はそれぞれ文字の半分だけずれているが、
上段と中段はずれていないのだ。
これらの文字はキーボードのキーに対応する。 キーの段ごとのずれは同じではないということだろうか。 そう思ってキーボードをよく見ると、 確かにずれは段ごとに微妙に違う。 最上段と上段、中段と下段はキーの幅のおよそ半分だけずれており、 上段と中段のずれはそれよりも小さい。 キーの幅のおよそ四分の一ぐらいであろうか。
そこで、キーボードの絵を改訂することにした。 (基にしたのは奥村さんの手がはいったバージョンである。)
|
各キーの幅が基本単位の三つ分から四つ分になったので、 元のままだと全体が大きくなりすぎる。 そこで、前は で基本単位分の幅をとっていたのを、 地と同じ色のピリオドに変えた。 それでも各キーが縦につぶれたように見えるので、 左手担当のキーと右手担当のキーの境目のマスに height="28" を書き加えてある。
実用上は特に改良はなされていない。 自己満足というところだろうか。
2001-06-30 (6) 15:22:00 +0900
今回、 キーボードの絵を奥村さんとやりとりしながら書いてゆく過程で、 奥村さんの HTML のソースファイルをじっくり見る機会があったわけだが、 奥村さんはタグを <th> のように小文字で書いている。 私は最初に大文字で書くくせをつけてしまったせいか、 どうも大文字で書かないと調子が出ない。 シフトキーを押す分だけ余計な仕事をしているから損なのだが。
自分の書く文章は、C言語のソースも含めて、 小文字中心だ。 だからタグは大文字で書くほうが地の文から浮き上がって見やすい、 などと言ったらこじつけであろうか。
なお、私は、<TH colspan=2> のように、 タグそのもの(?)だけを大文字で書き、 残りのパラメータ(?)は小文字で書く。 ただし例外があって、 <A HREF=...> の HREF だけは大文字で書くくせがついている。 ごく初期に覚えたので、 これ全体で決まり文句として理解したためだと思う。
2001-06-30 (6) 14:53:00 +0900
google で検索した結果、 「ヘジャブ」の意味で「へジャブ」(「へ」がひらがな)と書いているものが 23 件、 正しい「ヘジャブ」は 51 件。 ただし、これから「誤りが三分の一近い」と結論づけることはできない。 正しく「ヘジャブ」と 99 回書いてあるページに 1 回だけ間違えて「へジャブ」と書いてあった場合、 どちらにも 1 件と数えられているからだ。 見つかったページを片っぱしからブラウザに読み込んでページ内を検索するのはやめにした。
ちなみに、 私のページはすでにこの話題をとりあげているので両方に出ていたが、 それは数にいれていない。
2001-06-30 (6) 04:02:47 +0900
google で調べてみて、そう感じた。
「ホームページ」と呼ぶのも、それを HP と略すのも、 本来の英語ではないのだが、それをさらにこう置き換えると、 元はなんだったか、ほとんどわからなくなってくる。
2001-06-30 (6) 03:56:08 +0900
TABLE のネストが深すぎて、 正しく表示されなかったりハングしたりするブラウザもあったようです。
どうもすみませんでした。
2001-06-30 (6) 03:53:15 +0900
同じく部屋の整理中に、 1993 年 2 月発行の「YOU-ゆう」が出てきた。 「ヤング★マガジン」というとてつもないサブタイトルのついた、 郵便局の……じゃなかった、 郵便貯金振興会のPR誌だ。 もちろんお目当ては表紙の牧瀬里穂である。 (あれ、一発で変換したぞ。)
中身はいらないから表紙だけとっておこう、と思って真ん中の止め具をはずす。
折り目で半分に切って裏表紙は捨てようかな、
と思って裏表紙を見たら、
そこには「わたしのロケーション図鑑」というのが出ていて、
筆者は「雅子」。よみかたは「まさこ」、
《1966 年東京生まれ。雑誌やCFでモデルをするかたわら、
映画「フィガロストーリー」で主演するなど、
女優としても活躍中
》
とのことだ。
ところで、当時は「雅子」と書けば 「これは芸名だな」とすぐわかった。 姓なしの、名前だけだからだ。 しかし、その後、事情は変わった。 いまもこの芸名でやっているのかなと思い、 google で「雅子 フィガロストーリー」を検索してみると 2 件。 どちらも 「ああ、この人のことを言っているんだな」 ぐらいしかわからなかった。 「堂本雅子」という表記もあり。 これで検索すると 3 件。
ちなみに、同姓(?)同名の人が誕生(?)したのは 1993 年 6 月のようだ。
2001-06-30 (6) 03:11:15 +0900
2022-08-24 (3) 00:40:21 +0900
部屋の整理をしていたら、キリスト教系(?)のチラシが出てきた。 タブロイド判、4ページ。 ずいぶん前にポストにはいっていたもののように記憶している。 (日本語)聖書の句(と思われるもの) の抜粋がたくさん書かれているがどの翻訳かわからないので、 あとで調べようと思って保存しておいたのだった。 このチラシに書いてある「聖書配布協力会」を google で検索したら 17 件みつかった。 全て見てみたが、どこも興味の中心は 「あれはどういう団体か?」のようで、翻訳については何もふれていない。 しかし、 「死後さばきにあう 聖書」 というような看板をとりつけて回っている団体と同一であることがわかった。 (そういえばこのチラシにも書いてある。)
抜粋の中で、「ローマ書」という書名が目についた。 私の手元の聖書ではこう呼んでいないからだ。 ここからわかるかと思って検索してみたが、 これは何百とあってすぐにはわかりそうにない。 (一つ一つ回ればそのうちどの聖書を使っているか書いてあるサイトもあると思うが。)
「歴代志」ではなく「歴代誌」と書いているのにも注目し、 「ローマ書 歴代誌」を検索すると 19 件。 そのうちの一つは一年を通じて聖書を読もう、というページだったが、 「使徒行伝」でなく「使徒業伝」となっているのが興味深かった。 「使徒業伝」は google で 7 件。
もとのチラシにもどると、 イザヤ書 24.4(の一部)を「天はしなびた」と訳している。 これを google で検索すると 3 件。 結局、今夜は何もわからず、といったところだ。
2001-06-30 (6) 02:12:45 +0900
28日づけ朝日新聞大阪本社版オピニオン面「特定郵便局 五話」に 「おり」とふりがなをふって「澱」という文字が使われているのを見て。
2001-06-29 (5) 02:22:00 +0900
28日づけ朝日新聞大阪本社版「どくしゃとつくる」面、
《スポーツでの「暗黙の了解」って?》。
《(前略)大量リードした終盤にも手を抜かずにプレーしたため、
巨人ベンチから痛烈なヤジを浴びて涙した「事件」(後略)
》。
大量リードされた側のチームが“負けた”と思ったのなら、 投了したらどうだろうか。 そう思っていないのなら、相手も当然がんばるだろう。
また、このような局面で手を抜くことは、
公認野球規則 4.15 (b)
「試合を長引かせ、または短かくするために、明らかに策を用いた場合
」
に該当しないか。
もし該当すれば
「フォーフィッテッドゲームとして相手チームに勝が与えられる
」。
また、本当に大量差のゲームがつまらないと思うなら、 「何点以上差がついたらリードしているチームの攻撃は保留して、 リードされているチームが続けて攻撃する」 というようなルールを設ければ、 試合時間の短縮にもなって一石二鳥ではないか。
2001-06-29 (5) 02:09:00 +0900