《ハノイの塔>n ステップ後の各円盤の位置を n によらない計算量で計算する (2002-05-07 (2) 23:57:03 +0900)》の続きである。
逆に、円盤の配置からいま何ステップ目かを計算したい。
円盤の枚数を N としていたが、 最上位ビット(第 N-1 ビット)の前には 0 であるビットが (可算)無限個並んでいるとみなす。 また、時刻 0 には円盤 N-1 の下にさらに大きな円盤 N, 円盤 N+1, 円盤 N+2, ... があるとし、 それらはずっと棒 0 にささっていると考えることにすると、 全部で円盤が何枚あるのかを気にせずに済む(のでそうする)。
前の表から、次の命題が予想される。
命題. 第 i ビット (0 <= i <= N-1) は
証明. N が小さいときは、前の表から、成り立つことがわかる。
N まで成り立つとし、N+1 のときも成り立つことを証明する。 前に証明した命題により、 第 0 ビットを除けば正しいことがわかる。 また、円盤 1 と円盤 0 を合わせたものは周期 12 で動くことが言えていた。 よって、前の表から、 時刻 t に円盤 1 と円盤 0 が同じ棒にささっている必要十分条件は t が 4 で割り切れるか 4 で割って 3 余ること、とわかる。 このとき、またこのときに限り、第 1 ビットと第 0 ビットは一致する。 よって、第 0 ビットについても正しいことがわかり、 N+1 のときも命題は成立する。
よって、数学的帰納法により、 すべての自然数 N に対し命題が成立する。
[証明了]
前のプログラムに手をくわえて m ステップ後の各円盤の位置を計算する関数 hanoi() として独立させ、 上のアイディアに基づいてその“逆関数”ionah() を書いてみた。 main() では hanoi() に続いて ionah() を呼び、 元に戻ることをチェックしている。 unix なら /dev/null, DOS なら nul に出力リダイレクトして動かし、 何も画面に出なければ成功である。
付:ionah() という名前は超・手抜き。
#include <stdio.h> #define N 17 /* 円盤の枚数。1 以上 long のビット数未満 */ void hanoi(char *a, unsigned long m); unsigned long ionah(char *a); main() { char s[N+1]; unsigned long m, mask, tmp; int i; for (m = 0; m < 1ul << N; m++) { printf("%*lu ", 3*N/10+1, m); /* log(2) はおよそ 0.3 */ for (mask = 1ul << N-1; mask; mask >>= 1) { /* m を二進で表示 */ putchar(m & mask ? '1' : '0'); } hanoi(s, m); /* 「ハノイの塔」に変換して…… */ for (i = N-1; i >= 0; i--) { /* それを表示 */ printf(" %d", (int)s[i]); } tmp = ionah(s); /* 逆変換して…… */ printf(" %*lu\n", 3*N/10+1, tmp); /* それを表示 */ if (m != tmp) { /* 元に戻らなければエラー表示 */ fprintf(stderr, "%lu != %lu\n", m, tmp); } } return 0; } /* m ステップ後に円盤 i のささっている棒の番号を a[i] に格納。a[N] は 0 */ void hanoi(char *a, unsigned long m) { int i; for (i = 0; i < N; i++) { a[i] = (int) ((((m >> i) + 1) >> 1) % 3); if (a[i] && i & 1) { a[i] ^= 3; /* 1 は 2 に、2 は 1 になる */ } } a[i] = 0; /* 最上位 a[N] は 0 */ } /* 円盤の位置から m を復元。a[N] には 0 がはいっている必要あり */ unsigned long ionah(char *a) { unsigned long m; int i; m = 0ul; for (i=N; i>0; i--) { if (a[i-1] == a[i]) { m |= (m & 1ul << i) >> 1; } else { m |= ((m ^ ~0) & 1ul << i) >> 1; } } return m; }
2002-05-14 (2) 00:21:31 +0900
「unix なら /dev/null, DOS なら nul に出力リダイレクトして動かし、 何も標準出力に出なければ成功である」とあったのだが、 これは間違いなので、「標準出力」を「画面」と訂正した。 画面に出るのは標準エラー出力への出力である。
2004-04-22 (4) 22:07:44 +0900
上のリンクはいまはった。それまでは a href タグをおいていなかった。
2006-05-12 (5) 00:31:47 +0900
1月24日づけ大阪本社版オピニオン面「アメリカアメリカ 番外(中)」に
《時代々々に様々な
》とある。
2002-05-10 (5) 01:49:56 +0900
1月24日づけ大阪本社版文化面の音楽評 「遊び心きかせ一幕劇のよう / アンサンブル・ノマド演奏会」に。 著者は白石美雪氏。
2002-05-10 (5) 01:45:33 +0900
5日づけ大阪本社版「どくしゃとつくる」面
「言葉あれこれ」は「交ぜ書き」。
《「戦後のやみ市でけん銃を持った男たちがほう起した」
――以前は漢語の一部が仮名書きの「交ぜ書き」が紙面に多く見られましたが、
4月から「闇市、拳銃、蜂起」は、
どれも漢字で書けるようになりました
》。
ということは、
“4月からは以前よりも多くの漢字を知らないと朝日新聞は読めなくなりました”
ということではないか。
2002-05-10 (5) 01:38:19 +0900
読者が既に知っているキャラクタに新しいキャラクタを加えて描いたところの。
2002-05-10 (5) 01:30:17 +0900
本文ナシ
2002-05-10 (5) 01:20:28 +0900
源氏物語を読んでいると、 登場人物がどんな顔をしていると想像したらいいのかわからなくなる。 源氏物語絵巻などで見るあの顔だとどうも人間らしく思えない。 そこで勝手にいろいろな顔をあてはめて読むのだが、「玉鬘」 の大夫監はスター・ウォーズのジャバ・ザ・ハットのような姿に思えてならない。 最初にそう思ってしまったからにすぎないが……。
2002-05-10 (5) 01:16:16 +0900
先日、「朧月夜に似るものぞなき」だったか 「朧月夜にしくものぞなき」 だったかわからなくなって両方唱えているうちにお腹が空いてきて思いついた光景。
おぼろ月夜の晩、煮物をしようとするが煮るものがない。 なんとか見つかって煮物は完成、 外で宴会をしようとしたが今度は敷くものがない。
火から降ろしたがなべ敷きがない、という設定でもいいか。
千里の歌が「しくものぞなき」で、 源氏物語「花宴」で朧月夜が口ずさみながらやってくるのが「似るものぞなき」 である。
2002-05-10 (5) 01:03:51 +0900
ジーニアス英和辞典第二版による。
手帳の四月 1 日のところにメモしてあったのであとで調べたもの。
2002-05-10 (5) 00:50:51 +0900
先日、バスを待っていたら、道の向こう側を、 反対向きのバス停に向かって家族連れらしき人たちが走ってゆくのが見えた。 バスがくるのが見えたのだ。 ところがそのバスは回送車だった。 そこで一家はスピードをゆるめたが、 そのすぐ後ろに回送でないバスがきていたのだった。
かかること世の中に多かり。
手帳の四月 1 日のところに書きつけてあった。
2002-05-10 (5) 00:44:36 +0900
風葉和歌集 72 「桜花散るてふことは今年より忘れてにほへ千世のためしに」 は古今和歌集 49 「ことしより春知りそむる桜花 ちるといふ事はならはざらなん」 (つらゆき) を踏まえているのではないだろうか。
「桜花散るてふことは」「今年より」の 17 文字が順序は違うものの (ほぼ)共通だ。
岩波文庫「王朝物語秀歌選(上)」はこの歌に関しては本歌を示していないが、 何か意味があるのだろうか。
2002-05-10 (5) 00:37:03 +0900
門馬という姓の人が殺され、 直前に「門馬め!」と怒鳴っていた人が疑われるが、 実は mon ma mes とフランス語の所有形容詞の練習をしていたのだった、 という推理小説を考えた。
2002-05-10 (5) 00:13:59 +0900
きのう、NHKラジオ名人寄席の解説で、 “「二八そば」の由来は値段が十六文だったところかららしい” と言っていた。
きょう、職場の食堂で食べたかけそばが 180 円だった。
2002-05-09 (4) 03:02:50 +0900
本文ナシ
2002-05-08 (3) 23:31:01 +0900
確認のため、久しぶりに九九を全部唱えてみた。:-)
2002-05-08 (3) 23:28:00 +0900
「ハノイの塔」がどのようなゲームであって、 最小手数の手順がどのようなものであるかについては既知とする。
円盤に、 小さいほうから順に 0, 1, 2, ..., N-1 と番号をつける。 円盤をさす棒は 0, 1, 2 と呼ぶ。 開始前の状態では棒 0 に全ての円盤がささっている。 最初の移動では、円盤 0 を棒 1 に動かすことにする。 こう決めると、終了後に全ての円盤がささっているのは
4 枚の円盤を動かすハノイの塔を考えよう。 横に円盤の番号を、縦に時刻をとって、 各時刻に各円盤がどの棒にささっているかを表にすると次のようになる。 (時刻には二進表記も添えておいた。)
3 | 2 | 1 | 0 | ||
---|---|---|---|---|---|
0 | 0000 | 0 | 0 | 0 | 0 |
1 | 0001 | 0 | 0 | 0 | 1 |
2 | 0010 | 0 | 0 | 2 | 1 |
3 | 0011 | 0 | 0 | 2 | 2 |
4 | 0100 | 0 | 1 | 2 | 2 |
5 | 0101 | 0 | 1 | 2 | 0 |
6 | 0110 | 0 | 1 | 1 | 0 |
7 | 0111 | 0 | 1 | 1 | 1 |
8 | 1000 | 2 | 1 | 1 | 1 |
9 | 1001 | 2 | 1 | 1 | 2 |
10 | 1010 | 2 | 1 | 0 | 2 |
11 | 1011 | 2 | 1 | 0 | 0 |
12 | 1100 | 2 | 2 | 0 | 0 |
13 | 1101 | 2 | 2 | 0 | 1 |
14 | 1110 | 2 | 2 | 2 | 1 |
15 | 1111 | 2 | 2 | 2 | 2 |
円盤 3 は見ないことにして時刻 0 から 7 までだけを考えれば円盤が 3 枚の場合の最小手数の手順、 円盤 2, 3 は見ないことにして時刻 0 から 3 までだけを考えれば円盤が 2 枚の場合の最小手数の手順、 などになっていることに注意しよう。
一般の枚数のハノイの塔に戻る。
補題. 円盤 0 は、 次のように動く。
注意. ひとつにまとめれば 「0->|:1->1->2->2->0->0->:| と動く」となる。
証明. N が小さいときは、上の表から正しいことがわかる。
N まで正しいと仮定し、N+1 の場合を示す。
数学的帰納法により、全ての自然数 N について補題は証明された。
[証明了]
次に、最小手数の手順における、円盤 i (0 < i < n) の動きを調べたい。
円盤 0 から円盤 i-1 までは忘れ、 円盤 i から円盤 N-1 までだけからなるハノイの塔を考えよう。 最小手数の手順の手数は 2N-i-1 である。 ここでは円盤 i は最小の円盤であるから、上の補題により、その動きはわかっている。
この手順に、円盤 0 から円盤 i-1 までを加えて得られる、 N 枚の場合の手順を考えよう。 具体的には次のように行なう。
これにより、元の一ステップが 2i ステップになるから、 全部で (2N-i-1) * 2i ステップになるように思えるが、 最後は自分が動いたあとで自分の上に円盤 0 から円盤 i-1 を乗せなければならないから、 2i-1 ステップを加えて全部で (2N-i-1) * 2i + (2i - 1) = 2N - 1 ステップである。 これは最小手数の手順の手数である。 最小手数の手順は unique だったから、これがその手順である。
あとほんの少しだけ考えると、次が証明されたことになる。
命題. 円盤 i は、 時刻が 2i の倍数になるとき以外は動かない。 2i ステップをひとまとめにすれば、円盤 i は
以上の考察から、時刻 m に円盤 i がささっている棒 pos は
pos = (((m >> i) + 1) >> 1) % 3; if (pos && i & 1) { pos = 3 - pos; }として計算できることがわかる。
以下は、これを利用して書いた、実行可能なプログラムである。
#include <stdio.h> #define N 16 /* 円盤の枚数、1 以上 long のビット数未満 */ main() { unsigned long m, mask; int i, pos; for (m = 0; m < 1ul << N; m++) { printf("%*lu ", 3*N/10+1, m); /* log(2) はおよそ 0.3 */ for (mask = 1ul << N-1; mask; mask >>= 1) { /* m を二進で表示 */ putchar(m & mask ? '1' : '0'); } for (i = N-1; i >= 0; i--) { /* 各円盤の位置を計算して…… */ pos = (int) ((((m >> i) + 1) >> 1) % 3); if (pos && i & 1) { pos = 3 - pos; } printf("%2d", pos); /* 表示する */ } putchar('\n'); } return 0; }
付) unix の慣習により、 関数 time() は 1970-01-01 00:00:00 からの経過時間を秒単位で返すことが多い。 この返り値の型が 32 ビットだとすると 231-1 秒後には unix は“終わる”。 これを、31 枚の円盤のハノイの塔に見立てた“時計”は作れないだろうか。 私はグラフィックスに不慣れなので、次のようなキャラクタのみのものしかつくれなかった。
#include <stdio.h> #include <time.h> main() { time_t now; int i, pos; time(&now); for (i = 31-1; i >= 0; i--) { /* 各円盤の位置を計算して…… */ pos = (int) ((((now >> i) + 1) >> 1) % 3); if (pos && i & 1) { pos = 3 - pos; } if (pos == 0) { /* 表示する */ printf(" \033[32m0\033[m"); /* 緑色 */ } else if (pos == 1) { printf(" \033[33m1\033[m"); /* 黄色 */ } else { printf(" \033[36m2\033[m"); /* 水色 */ } } putchar('\n'); return 0; }ここではエスケープシーケンスで色がつけてみた。 最初のプログラムも、このように色をつけるとそれなりにきれいである。
2002-05-07 (2) 23:57:03 +0900
プログラムを改めた。 奥村晴彦氏から冗長な部分を指摘されたのと、 ミスがみつかったためである。
付: N が 100 ぐらいまでは桁数を 3*N/10+1 としてよいことは、 別にプログラムを書いて試した。
2002-05-09 (4) 02:10:05 +0900
矢印「->」の「>」をエスケープし忘れていたので、した。
2006-05-12 (5) 00:39:51 +0900
小学校で 「クイクヮイマニマニマニマニマニ……」 という歌を習ったので、関係あるのかなと。
2002-05-07 (2) 02:30:04 +0900
確か 5 日 20 時の NHK ラジオ第一放送のニュースだったと思うが、 二人の乗ったヘリコプターが消息を断ったというニュースの続きとして、 「二人の遺体を発見しました」というような言い方をしていた。 最近、例えば “一人の高校生がこういう事件に巻き込まれた” というニュースのあとのほうでは 「高校生は……」とだけ言って「その高校生は……」 を意味することが多い。 これもそれかと思ったらそうではなく、 そのあとにこれらの遺体がその二人のものか確認している、 あるいは確認したと言っていた。
2002-05-07 (2) 02:18:54 +0900
それなら「Uターン禁止」にすればいいのに思ったが、 「Uターンラッシュの車で渋滞」の意味だった。
2002-05-07 (2) 02:04:36 +0900
小中高の先生がお互いのことを「〜先生」と呼ぶのはおかしいのではないか、 という意見を読んだことがあるが、 家族間での「おじいちゃん」 などの呼び方が最も幼い子からみたものである場合が多いのと関連しているのではないか。
もしもその子の父親が自分の父親を「とうさん」と呼ぶと、 幼い子はそれが相対的な呼び方であると知らないので、 自分もその祖父を「とうさん」と呼んでしまうことがある。 それを避けるため、 家族全員がその子からみた言い方をするようになるのである。
先生どうしが「〜さん」と呼ぶと児童・生徒もまねをする。 それはよくないと考えているので「〜先生」と呼ぶ、という推理だが……。
2002-05-06 (1) 15:37:10 +0900
いまは下火になったようだが、 「動物占い」が流行したころ、人間をいろいろなものに見立てた、 いろいろな「**占い」が出てきたものだ。
「調性占い」というのはあっただろうか? 生年月日などから 「あなたはハ長調です」などとするのである。 ハ長調の性格は基本的には「明朗」だろうが、 悪い面が出れば「鈍重」ともなる。 (マーラーの「交響曲第九番」第二楽章など。)
異名同音は同じとみなしても 24 種類あるから、 じゅうぶん細かく分類できる。 それに、それらの間には 「属調」「下属調」「平行調」「同名調」 などの関係があるので、さまざまな人間関係を表現できよう。 ハ長調と嬰ヘ長調(あるいは変ホ短調)のように、“正反対”もある。
シャープもフラットもつかないハ長調・イ短調の人、 シャープ系の人、フラット系の人、 嬰ヘ長調=変ト長調、嬰ニ短調=変ホ短調のようにどちらともいえる調の人、 などの分類も考えられる。
問題は、クラシック音楽のファン以外にはピンとこないことか……。
2002-05-06 (1) 15:17:11 +0900
二カ所、「嬰ヘ長調」が「嬰へ長調」となっていたのを訂正した。 「へ」がひらがなだった。
2002-05-24 (5) 00:16:55 +0900
植物が根を巻きつけるように相手の肩を抱いて前もって話をつけておくからかと思った。
ウルトラQの見すぎか。
2002-05-06 (1) 14:51:01 +0900
職場の建物は土曜日と休日にはカギがないとはいれない。 出るときは内側から錠をはずせば出られて、 その錠は数十秒たつとまたかかってしまう。
ところが、ある入り口は自動ドアに変わった。 出るときには錠をはずす必要はなく、 手前に立つだけでドアがあいて出ることができる。 そして、その自動ドアと床の間には少しすきまがある。 ということは、 空気でふくらませるビニール製の人形をそのすきまから入れることで、 カギなしで外からドアが開けられるのではないか? 入れておいて、 ドアの手前からホースで空気を吹き込んでふくらますのである。
2002-05-06 (1) 13:53:05 +0900
確かジャッキー・チェンの映画だったと思うが、 敵に囲まれた主人公が敵の中の主要と思われる人物を人質にして銃を突きつけ、 ほかの敵に向かって「道をあけないとこいつを撃つぞ」と脅すが敵は 「撃つなら撃て」と言うのみ。 しかたなく銃を捨てて投降するシーンがあった。
「あれ、なんで撃たないんだ?」 と思ったが、相手がその人質を無視する以上、 人形か何かをつかんでいるのと全く変わりがない。 撃てば自分も撃たれて終わりである。
私はこういうとき頭がよく回らない。 実際に銃をとったり突きつけられたりしたことがないからだろうか。 そういう経験はないほうがいいに決まっているけど。
2002-05-06 (1) 13:39:59 +0900
「撃てば自分も撃たれて終わりである」と書いたが、 それで撃たれるならいますぐ撃たれそうだ。 そうじゃなく、「撃っても意味がない」とすべきだったか。 やはりよくわかっていない。
2004-04-22 (4) 22:00:44 +0900
声帯を動かさないで --- と言って正確なのだろうか、 ささやき声で話す話し方がある。 あれでも授業中に学生にやられると気になってしかたないのだがそれはさておき、 あれで話ができるような携帯電話はできないだろうか? あれなら、 声の大きさという点では、町中でなら問題あるまい。
2002-05-06 (1) 02:15:58 +0900
先日、トンカツ屋にはいったとき、 隣の席から話し声が聞こえてきた。 しばらくして、何気なくそっちを見たら、 客は一人で、携帯電話で話していた。 携帯と気づかなかったのは、そのご婦人が一方的に話しているからだった。
このことから考えたのだが、 店の中で携帯で話すのがいやがられるのは、うるさいからではなく、 相手の声が聞こえないからではないだろうか。 客どうしがしゃべっているのは(たいていの場合)問題ないのだから。
相手の声が、着メロとかを鳴らすスピーカーから、 普通に話しているのと同じ音量で出るような携帯電話を作ったらどうだろう?
2002-05-06 (1) 02:11:48 +0900
補い) 相手の声が聞こえないと、 回りの人間には目の前で携帯電話を使っている人間の「ああ」「そうかな」 などの意味がわからず、イライラする。 相手の声が外に聞こえれば、目の前で二人の人間が会話しているのと同じだから、 それほどイライラすることはあるまい、という考えである。
2008-12-28 (0) 21:50:52 +0900
「昔はよかった」 「どうしてです」 「未来があったからさ。 『未来がくる』ってのを楽しみにしていた」 「その未来ってのはいまはどうなったんです」 「いまが、その未来さ」 「じゃそれが来たってことですか」 「そうだな」 「それでうれしくないんですか」 「ないな」 「でも、『もうじき出前のそばがくる』ってのを楽しみにしていて、 そのそばが来たらうれしいでしょう? それと同じじゃありませんか」
2002-05-06 (1) 02:04:50 +0900
「きてみたらのびてたんだよ」
2002-07-26 (5) 22:08:26 +0900
土曜日 15:45-16:00, ラジオ第二放送。
2002-05-06 (1) 01:59:25 +0900
「ビニールハウス」を「ハウス」、 「スーパーマーケット」を「スーパー」と省略するのはおかしい、 元の意味がわかっていないからこういう略しかたをするんだ、という人があるが、 omnibus -> bus は語尾だけを残したんだからすごい。
2002-05-06 (1) 01:56:54 +0900
矢印「->」の「>」をエスケープし忘れていたので、した。
2006-05-12 (5) 00:43:17 +0900
「マイタケ」→「まえたけ」→「前武」→「巨泉前武……」 と頭の中が暴走するらしい。
2002-05-06 (1) 01:50:40 +0900
特定の業界だけで通じる数の呼び方などがあるそうだが、 大学関係者の間にあるだろうか? 学生の試験の点数を本人のいる前で本人にはわからないように話す、 などのシチュエーションは考えられるが、聞いたことがない……。
2002-05-06 (1) 01:47:07 +0900
中学1年か2年のときだ。 うちに聖書があったので、 楽曲の解説か何かを見て「マタイによる福音書」 の関連する章だけを読んだら短いのであっけにとられたのが、 聖書そのものを読んだ最初のように思い出されてきた。
(その前に、小学生のときに児童向けの伝記でイエスの生涯はざっと知っていたが。)
2002-05-06 (1) 01:37:07 +0900
岩波文庫「王朝物語秀歌選」(全2冊)を読んでいるのだが、 散逸物語の内容がここから想像されるかと思うと楽しい。
では、架空の散逸物語からの歌、というスタイルで和歌をいくつか創作し、 その物語の内容が想像されるようにしたらどうだろう。 もちろん、詞書などもそれらしく創作する。
いや、 この文庫本にはいっている歌にそのようなものがないと誰が言いきれよう?
2002-05-06 (1) 01:29:44 +0900
補:
きのうは風葉和歌集「仮名序」の途中までしか読んでいなかったのだが、
その先のほうに(204 ページ)に
「この物語、(中略)名のみを聞きて求め得ぬも多く
」
とあった。
これは『散逸してしまい名前だけが伝わる物語がある』ということであろうが、
『その中の歌だけが伝わっていて、物語は見ていないが、
この和歌集に入れてしまった』
というようなことがあったのかどうかはわからない。
入れたかどうかは別として、歌だけが伝わっている、 ということはあったであろう。 また、 『物語は作れないがその中の和歌だけなら』ということで、 そういう形で自作の和歌を発表した人もいたのではあるまいか。 これは推測だが。
2002-05-06 (1) 13:59:21 +0900
上巻の風葉和歌集仮名序に下巻所収の歌を参照させる注があり、 下巻にこの歌は(上巻の)何番に既出という注があるので、 どちらかだけを持って電車に乗って読む、というようなことがむずかしくなっている。
しかも上が出てから下が出るまで 15 カ月経っている。 私はそのあいだは積ん読だったから問題なかったが。
2002-05-06 (1) 01:22:50 +0900
補:
「下巻所収の歌を参照させる注」とは、
202 ページ
「千年(ちとせ)の鶴、二葉(ふたば)の松に君を祝ひ
」
が下巻所収の 703, 716 の歌の歌意によっている、
というような注を指す。
歌そのものを見なくても、注の
「賀の歌を次に掲げたと説く
」
の部分だけで意味は理解できる。
2002-05-06 (1) 14:10:55 +0900
医師に病状を話して、 「いままでにこういうことはありましたか?」 と聞き返されたら「はい」と答え、 「いつごろですか」と聞かれたら「いまです」と答える。 これではこの医師は怒るに違いない。 しかし、「〜から」や「〜まで」は「〜」を含むのが普通である。 ということは「いままで」という言葉が特別なのだろう。
岩波文庫「王朝物語秀歌選(上)」267 ページで、 風葉和歌集の 148 番の歌の上の句 《今までもよそにやは見んもろは草》 を 「二葉葵を現在に至るまでも無関係なものと見ましょうか」 と訳してあるのを見て気がついた。 この「今までも」は現代語の「今までも」とは違うのだ。
現代語の「今までも」のアクセントは「低高高低低」だが、 こちらは「高低低低低」と発音したくなる。
現代語の「今までに」には「過去に」の意味もある、ということだろう。
プログレッシブ和英中辞典第2版の「いままで」も見たが、おもしろかった。
2002-05-06 (1) 01:03:10 +0900
赤ちゃんで、名前がロシア語。
2002-05-06 (1) 00:07:55 +0900
家族(夫婦と子)は同姓であるほうがよい、 という理由だけから夫婦同姓を主張する人にとっては 「結婚したら夫の元の姓とも妻の元の姓とも異なる第三の姓を名乗る」 というやり方でもいいはずで、 これで 「(事実上)女性だけが改姓を強要される」 という不満は解消するのではないか。
その際、二人の協議で勝手な姓を名乗れるようにすると “かっこいい”姓や人気のある姓が増えてしまうおそれがある。 それを防ぐには、 どこかの省庁で前もって 「この姓の男性とこの姓の女性が結婚したら結婚後の姓はこれ」 という表を作っておけばよい。
この表は公開してもいいが、秘密にしておいて 「この姓を名乗るにはこの姓とこの姓をかけ合わせればいいんだぜ」 などと口コミで広まるのも面白いのではないか (というのは冗談です)。
注: これでは 「結婚して姓が変わるのは不便だ」 という不満は解消しない。 「それはしかたがない、それよりも家族は同姓であるべきだ」 という人にだけ説得力のある案である。
注: 改姓する人の数が現行の(ほぼ)2倍になるが、 Ο(n) = Ο(2n) だからオーダーは変わらない。
補: 書いているうちに、 福沢諭吉がこれと似た案を書いていることをむかし新聞で読んだような気がしてきた。 ただ、その案は二人の姓から一字ずつとって新しい姓を作る、 というようなものだったように記憶している。 私の案は、「山田」と「鈴木」で「橋本」のように、 全く関係ない姓を強制的に名乗らせるものである。 現状では、結婚改姓する側は(配偶者の姓であるというだけで) 全く関係ない姓に変更しなければならない。 それが問題ないならこの案でもいいでしょう、 というわけである。
2002-05-05 (0) 12:45:15 +0900
本文ナシ
2017-12-08 (5) 20:22:45 +0900
それが欠点と言えば欠点。
2018-04-09 (1) 21:55:45 +0900
こないだ買った携帯電話にはマス目状のメニューがあるが、 上端にカーソルがあるときに上のボタンを押すと下端に移る。 その際、 その列の一番下にくるのであればトーラス状ということだがそうではなく、 一つ左の列の一番下にくるようにできている。 左右でも似たことが起こる。
そのつながり方を表にしてみた。 中央の3行4列の部分が実際のメニューであり、 その回りの背景が灰色の部分は、 そこにカーソルがゆくと、 実際には中央の12個のうちの同じ番号のところにカーソルが現れる。
34 | 31 | 32 | 33 | ||
34 | 11 | 12 | 13 | 14 | 21 |
14 | 21 | 22 | 23 | 24 | 31 |
24 | 31 | 32 | 33 | 34 | 11 |
12 | 13 | 14 | 11 |
こうやって長方形の周囲を貼り合わせて得られる図形は何になるだろうか。 まず、下の図のマゼンタ色の部分どうしを貼り合わせよう。
+--+--+--+--+ |11|12|13|14| +--+--+--+--+ |21|22|23|24| +--+--+--+--+ |31|32|33|34| +--+--+--+--+できたものはトポロジカルには円筒である。 次に、シアン色の部分どうしを貼り合わせると、 円筒の両端の一部を (全体が向きづけ可能になるように) 貼り合わせたことになるから、 穴のあいたトーラスが得られる。
+ 34| +--+ +--+ |11 +これが、穴の境界である。 34 の左下の点は 11 の左下の点と、 34 の右上の点は 11 の右上の点とすでに貼り合わさっている。
よって、トポロジカルには
+--+ | | +--+のような穴があいており、 これから対辺どうしを (全体が向きづけ可能になるように) 貼り合わせることになる。 よって全体は2個のトーラスの連結和、 すなわち種数2の向きづけ可能な曲面となる。
付:
______ ______ / \ / \ / \__/ \ | __ __ | | \/ \/ \/ \/ | | \__/ __ \__/ | \ / \ / \ / \ / \____/ \____/こういう、二人乗りの浮き輪(の表面)みたいな図形です。
2002-05-05 (0) 01:20:36 +0900
知らなかった。
2002-05-04 (6) 22:49:46 +0900
要するに「アベック」は古いことばということか。
2002-05-04 (6) 19:33:44 +0900
売春防止法は 1956 年だから、 日本国憲法のもとでも売春が合法とされていた時代が十年ほどあったことになる。
売春の禁止は日本国憲法からの当然の帰結なのだろうか。 もしもそうなら、違憲状態が十年ほど続いていたことになる。 もしもそうでないなら、 売春防止法に賛同しかつ憲法改正をめざす人からは 「売春の禁止を憲法に盛り込む必要がある」 との主張があってもおかしくないのではあるまいか。
関連項目:《「ネットアクセス権」を憲法に盛り込むという孫正義氏の提案 (2001-03-10 (6) 17:27:49 +0900)》
2002-05-03 (5) 22:49:02 +0900
上のリンクはいまはった。それまでは a href タグをおいていなかった。
2006-05-12 (5) 00:46:11 +0900
ビオラはバイオリンやチェロと比べて地味であり、オリジナルの独奏曲が少ない。 バッハは無伴奏バイオリンのためには3曲ずつのソナタとパルティータを、 無伴奏チェロのためには6曲の組曲を書いたが、 ビオラの無伴奏曲は書いていない。
というわけで、 アマチュアオーケストラでこれから楽器を始める初心者を募るにはビオラは不利だが、 「バッハの無伴奏バイオリンと無伴奏チェロの両方が編曲されているのはビオラだけ」 というのはアピールになるのではないだろうか。
無伴奏チェロ組曲はバイオリンでも弾けるはずだが、 編曲があることは聞いたことがない。 バイオリンはほかに弾く曲がいくらでもあるので、 わざわざ編曲して弾くことはないのかもしれない。 でも、私が知らないだけで、あるのかもしれない。
2002-05-03 (5) 22:37:26 +0900
本文ナシ
2002-05-03 (5) 21:21:14 +0900
「サクラ散り前線」とか。
2002-05-03 (5) 21:17:52 +0900
本文ナシ
2002-05-03 (5) 21:15:47 +0900
本文ナシ
2002-05-03 (5) 21:13:28 +0900
…はいないだろうか? (本は大切にしなければいけません。)
2002-05-03 (5) 21:10:41 +0900
…いないだろうか? 昔の黒電話は無理かもしれないが、 いまの携帯ならできそうだ。 (でもやってはいけません。)
2002-05-03 (5) 21:09:15 +0900
中島みゆき
「サヨナラを伝えて」(「おかえりなさい」所収)の
《まさかあなたが恋の身代わりを あたしに紹介してくれるために
》
は最初いくら考えても意味がわからなかった。
それは、「身代わり」という語は
“いやなこと”を代わりに引き受ける場合にのみ使われると思い込んでいたからだ。
どうやら、この「恋の身代わり」は、
いままで「あたし」の恋の相手だった「あなた」が
「あたし」を去ってゆくにあたり代わりにと紹介してくれた人、
ということらしい。
広辞苑第五版、岩波国語辞典第三版、新明解国語辞典第五版を見たが、 特に説明はない。
が、別のことで見つけた 「物語要素事典」で 「身代わり」を見るとほとんどが“いやなこと”のケースである。
おなじく中島みゆきの「3分後に捨ててもいい」(「夜を往(ゆ)け」所収)の
《身代わりなんかじゃないけどさ 似てる人を知ってるわ
》
も同様。(「往」のふりがな「ゆ」は元々あるもの。)
2002-05-03 (5) 02:21:39 +0900
ふとそう思ったので、 google で「銀 ミゼラブル ヨセフ」を検索したところ、 http://www.aichi-gakuin.ac.jp/~kamiyama/nu.htm の一件のみ。 いろいろな物語に現れる濡れ衣の分析のページのようだ。 「逆に」として両者を一緒に紹介しているが、偶然なのか、 それとも念頭に置いて書かれたものかには触れられていなかった。
なお、 トップページによるとこれは「物語要素事典」である。 おもしろい。読み出すと止まらない。
2002-05-03 (5) 01:36:14 +0900
英語では wristwatch または wrist watch だし。
2002-05-02 (4) 00:04:31 +0900
……な気がする。 デスクトップ型や昔のノートパソコンではキーボードの手前には何もないので、 手首は宙に浮いていて何の問題もなかったが。
……という口実で懐中時計(または鉄道時計)を買おうとしている私。
2002-05-02 (4) 00:03:55 +0900
先発して5回を投げ終え、 その時点で味方がリードしているとこう言われたりするが、 普通の意味の「権利」とは明らかに違う。 権利なら自ら放棄しない限り行使できそうなものだが、そうではない。
言い替えとしては「資格を得た」「可能性が出てきた」などが考えられるが、 もしもプロ野球中継でこう言ったらおかしく聞こえるだろう。
2002-05-01 (3) 22:24:41 +0900
「ふかひれ」という語があるので何となく関連しているような気がしなくもない。
2002-05-01 (3) 22:20:13 +0900
いう句を含む貼り紙が貼ってあった。 きちんと引用すれば 「郵政事業庁では、 平成14年度の国民の祝日 (国民の祝日に関する法律に規定する休日をいう。)における……」 である。
6日は「国民の祝日に関する法律」により「休日」となるが「祝日」ではない。 しかし、「祝日」と同等に扱うのが現実的だろう。 というわけでこのような表現になったのではあるまいか。
2002-05-01 (3) 22:17:25 +0900
「日曜日・休日」とか単に「休日」で、 カレンダー上で赤く表示されている日を表わす例もあるが、 「休日」だとその会社とかお店が休みの日、 とも解釈されるおそれがある。 それでこの語を使ったのではあるまいか?
2002-05-01 (3) 22:15:13 +0900
「この方法でのみ、会社の電話の私用を認める」としておいたりして。
2002-04-28 (0) 02:44:01 +0900
最初、携帯電話に固有の問題のように聞いたのでなぜだろうと不思議に思ったが、 かけた側の電話番号が無料で受けた側に伝わるシステムと、 誰だかわからなくてもかけ直すユーザの“習性”が問題であって、 携帯電話であることは関係ないことがわかってきた。
自分の電話番号を相手に知らせる場合は、 相手が出ようが出まいが何円かかかる、 としたらどうなるだろう。 相手が出たらその分は通話料から引かれる、としてもよいかも。
2002-04-28 (0) 02:41:02 +0900
3月31日づけ日曜版(大阪本社版)第3面の一番下、 写真を撮った記者の名前のところ。 名前の読みは自由なので、例えば「『子押し』という語からきてるんです」 と言い張ることは可能だ。 あるいは、「功」と書いて「いさお」と読むところからの連想か?
2002-04-28 (0) 02:25:04 +0900
3月31日づけ大阪本社版「声」。
《根室では6月には午前3時台には明るくなり始め、
12月には午後3時台には日が落ちます。
与那国島では6月には夜8時過ぎまで薄明るく、
1月には朝7時半ごろようやく日が昇ります
》
とあるのだが、
「明るくなり始め」と「日が昇り」、
「日が落ち」と「まで薄明るく」をさりげなく使い分けているところが、
かなり“書き慣れて”いると思った。
理科年表によると、 東京では「夜明」から「日の出」までの時間も「日の入」から「日暮」までの時間も、 約 35 分はある。 そのことは日本じゅう同じだとしたら、 根室の12月でも午後3時台に暗くなってしまうことはない。 与那国島の「日の出」「日の入」の時刻は載っていなかったが、 緯度経度から計算する式が出ていたのでそれによると最も遅い「日の出」が7時半。 よって「夜明」は6時台である。
なお、 理科年表に出ている根室の最も早い「日の出」は3時37分なので、 「午前3時には明るくなり始め」と書いてもウソではないかも知れない。
……それ以前に、根室の6月の日の出と与那国島の1月の日の出、 根室の12月の日の入りと与那国島の6月の日の入りを比べて何が言えるんだ、 という気もしてきた。
2002-04-28 (0) 02:20:24 +0900
3月27日づけ大阪本社版政治面「辻元氏の会見要旨」にそうある。
社会面では「二転、三転し
」だ。
いずれも縦書き。
2002-04-28 (0) 01:44:39 +0900
2月22日づけ朝日新聞大阪本社版総合面
「年代別 教養教育の勧め / 中教審答申」
に
《高校では、さまざまな体験を重視し、
「死や挫折を学ぶ機会充実」といった項目もある
》
とある。
挫折は多くの若者が自ら体験して学ぶことになろうが、
死は簡単に体験されては困る。
こうやって死と挫折を並べられると、 「若いうちに死を体験しておくのも大切だ」 と言われて戦場に駆り出されるような気がしたり、 「挫折を学ぶ」 といっても単に身の回りの人が挫折するのを見るだけのような気がしたり。
2002-04-28 (0) 01:38:45 +0900
2月22日づけ朝日新聞五輪面。 「オオノ」という日本名に由来するのではないかと想像しているが、 確かめてはいない。
《朝日新聞>「キョーコ・イナ」でなく「キョウコ・イナ」と表記 (2002-04-28 (0) 01:24:59 +0900)》に関連して。
2002-04-28 (0) 01:32:28 +0900
上のリンクはいまはった。それまでは a href タグをおいていなかった。
2006-05-12 (5) 00:48:29 +0900
2月21日づけ大阪本社版文化面 《混然とした果敢な冒険 / ブゾーニ作「ファウスト博士」》に。
2002-04-28 (0) 01:29:09 +0900
2月13日づけ大阪本社版社会面「冬の星 ソルトレーク」は
《「恭子」会心スマイル / 「日本人」のフィギュア米代表》。
「5位に入賞した米国代表は日本人でもある。キョウコ・イナ(29)
」
とある。
2002-04-28 (0) 01:24:59 +0900
2月17日づけ大阪本社版社会面「1歳児衰弱死 母を逮捕」に
「体重は約5.5キロだった
」
とある。
あとに
「昨年1月、体重が軽すぎるため市内の病院に入院
」
とあるので、
《5.5キロしか体重がなかった》
ということで衰弱の程度を読者に伝えるつもりなのだろうが、
1歳児といっても1歳になったばかりと2歳まぢかでは平均体重はかなり違うだろう。
……と思ったが、 手元の家庭医学書を見たら生後12カ月で平均9キロぐらいだそうだ。 ということは、とにかくこの体重では少なすぎる。 でも、幼児の体重を知らない読者もいるだろうから、 平均体重を書き添えるぐらいのことをしてもよかったのでは。
付:原文通り写せば「5・5」だが、 この「・」は小数点の代わりなので上のようにした。 また、「キロ」は二字を一字分につめ込んだフォントである。
2002-04-28 (0) 01:14:31 +0900
2月23日づけ大阪本社版一面「列車同士追突 数十人けが」。 追突の場合、追突したほうとされたほうがあって対称ではないので、 「同士」はなんだか変な気がする。
2002-04-28 (0) 00:56:32 +0900
21日づけ大阪本社版社会面「キングギドラCD/歌詞不適切で回収」 に
|
何だろうと思ってインターネットで調べたところ、 「F.B.B」をそのまま縦書きにしたものらしい、とわかった。
従来なら
F ・ F ・ Bとしていたところかも。
2002-04-28 (0) 00:52:37 +0900
19日づけ大阪本社版社会面「なぞ不思議ミステリー」は
『「ルーズ」と「ガングロ」/ おしゃれ度で明暗』。
そこに
「クルー、ハイ、ルーズの生産割合が4:3:3だ
」
とあるが縦書きなので
4 : 3 : 3となっている。 最初、何かと思った。私なら
4 対 3 対 3とするか。
2002-04-28 (0) 00:39:01 +0900
携帯電話を手にして、 通話の相手にではなく、 携帯電話そのものに話しかけている人がいたら、 かなり不気味ではないか。 例えば携帯電話だから「携子ちゃん」と名前をつけ、 「あ、携子ちゃん、いまバスが来たから乗るよ、切るね」 と言ってから電源を切るとか。
2002-04-27 (6) 20:23:38 +0900
ダイヤは
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆だがほかのは
● ● ● ● ● ● ● ●である。
2002-04-27 (6) 20:19:33 +0900
mule を起動すると《『かんな』を初期化しています....》というメッセージが出るが、 仕事に取りかかる前にこう唱えながらかんなのチェックをする大工さんがいたりして。
「ところでお名前は?」「牟礼と言います」
2002-04-27 (6) 20:06:57 +0900
雪印「粉チーズ パルメザン」の容器に 「ご使用のたびに、フタをしっかり閉めてください」 と書いてあるが、 《「フタをしっかり閉めて」しまったら「ご使用」できないではないか》 と突っ込まれるかも知れない。
「ご使用のあとはフタをしっかり閉めてください」とすればいいかと思ったが、 最後の「ご使用」のあとはフタを閉める必要がない。 でも、 「残りをすべてご使用になった場合を除き、 ご使用のあとはフタをしっかり閉めてください」 では長すぎる。
言い方を変えて 「フタをしっかり閉めないと残りが湿気ることがあります」 とするか。 今度は、 残りがない場合、 《何もないものが湿気ることがあるのか》 と突っ込まれるか……。
2002-04-27 (6) 20:01:31 +0900
「ユーザ」などはよく見るが。
「おうな」と同音になるから? 《若くてもオーナ》なーんちゃって……。
2002-04-25 (4) 02:08:48 +0900
「当社の前の製品と比べると」の意味だと思っていたが、 「当社が比べたところでは」かも知れない。
2002-04-25 (4) 02:05:11 +0900
NHK ラジオの「英会話」は三月で終わってしまったが、 その最終回、30 日(土)の分を聞いていたら、 講師のマーシャ・クラッカワー先生が 「Bev and Hector agree on the nature of the St. Patrick's Day parade」 という文を 「Bev と Hector は St. Patrick's Day parade の現在の姿、あり方に同感である」 と説明していた。 agree on は「同意見である」というような意味なので「同感である」 はちょっと違うと思う。
「同感である」は「同じ感じ・感覚を持っている」とは違う。 それは「同値」が「同じ値」でないのと(やや)似ている。
2002-04-25 (4) 02:01:27 +0900
ちょっと前の手帳に書きつけてあった。
セミナーで発表中、 つっかえると先生が助け舟を出してくれることがある。 しかし、 先生が舟をこいでいてくれるとその間にそっと先へ進んでしまうことができるので、 これこそが真の助け舟である、 というようなつもりで書きつけたらしい。
2002-04-25 (4) 01:35:24 +0900
三つのパートからなり、32 小節あるが、一つも臨時記号がない。 ちょっと珍しいのではないか。
ところで、音楽之友社のスコアは小節数のつけ方がへん。 メヌエットと第1トリオが通し番号、 ポラッカと第2トリオが別の通し番号、となっている。
2002-04-25 (4) 01:24:35 +0900
本文ナシ
2002-04-25 (4) 01:19:19 +0900
本文ナシ
2002-04-06 (6) 14:43:56 +0900
備後大学を卒業するための条件は少し変わっている。 まず、入学直後の履修ガイダンスで
○ | ||||
○ | ||||
● | ||||
○ | ||||
○ |
○ | ||||
○ | ||||
● | ||||
○ | ||||
○ |
注)いうまでもなく、 「備後(びんご)大学」は「ビンゴ大学」にひっかけた、架空の大学の名前である。
さて、この大学で、 「卒業見込み証明書」を出すための条件として 「卒業に必要な単位を3単位以上取得していること」 なる条件を設けたとしよう。 (言い忘れていたが、1科目は1単位とする。 また、「卒業に必要な」とわざわざ断っているのは、 上の5×5の表に載っていない、卒業とは無関係な科目もあるからである。)
この「卒業に必要な」という言葉の意味、および 「卒業に必要な単位を3単位以上取得していること」 という条件の意味は、十分に明確だろうか?
5×5の表に載っている科目は、どれも「卒業に“使える”」科目であるという意味で 「卒業に必要な」と言えるかもしれない。 だから、一つの解釈は、 上の5×5の表に出ている科目の単位が「卒業に必要な」単位であり、 それらを三つ以上取得していれば条件を満たす、とするものである。
しかし、下のように単位を“つまみ食い”してしまった学生がいたとしよう。
○ | ||||
○ | ||||
● | ||||
○ | ||||
○ |
結論:「卒業に必要な単位」という概念および 「卒業に必要な単位を*単位以上取得していること」という言い方は、 卒業のための条件がどうなっているかによっては意味が明確でない。
注: 「卒業に必要な単位を取得している」 「この科目の単位は卒業に必要な単位に含まれない」 の意味は常に明確である。 前者はより正確には「単位を卒業に必要なだけ(以上に)取得している」 とでも言うべきものであろう。
2002-04-06 (6) 14:39:40 +0900
「いとこです」 --- 漢字で書くと 「従兄弟です」「従姉妹です」「従兄妹です」「従姉弟です」 かもしれない --- は変ではないが。
2002-04-04 (4) 00:48:58 +0900
…言っていたので一瞬ぎょっとしたが、 急に雨が降って寒くなったので鉄板の上に手をかざして暖をとっていたのだった。
2002-04-03 (3) 22:28:56 +0900
あれから打ち込んだもの:
2002-04-03 (3) 22:26:25 +0900
2002-04-01 (1) 20:13:05 +0900 と 2002-03-25 (1) 02:01:36 +0900 の間。 カット&ペーストの際のミス。
2002-04-03 (3) 22:08:25 +0900
この四月から始まった 「英語リスニング入門」は 「月・火 水・木 金・土は同じ放送内容です」 となっているが、
|
2002-04-03 (3) 02:45:47 +0900
本文ナシ
2002-04-03 (3) 02:36:26 +0900
国際面のテロ関連の記事は触れていたが。
2002-04-03 (3) 02:34:06 +0900
文化面などに、エイプリルフールについて論じたものが載るが、 それ自身の中にウソが混じっていても気づきにくい。
「夕刊なし」ではなく、 「夕刊は次の朝刊と一緒にお届けします」としたらどうだろう。 そうすれば四月1日づけ夕刊だから。
2002-04-03 (3) 02:30:40 +0900
数学の研究には“落書き”が必要だ。 雑多な計算や図などを書くのである。 いままではミスコピーや余ったプリントの裏を使っていた。 しかし、B5 サイズで 30 枚程度のものが 80 円で買えることがわかった。 仮に一日で全部使ってしまっても惜しくない値段である。 (実際にそれだけ書くことがあれば幸せである。)
どうもこれがいいようだ。 表紙が硬いので、ページを開き、 開いたページを裏に折り返すと電車の中でも案外うまく書ける。
2002-04-02 (2) 01:51:59 +0900
昔はカメラが写らないようにするのがむずかしかったろう。 いまなら小さくなったから。
2002-04-02 (2) 01:44:00 +0900
少し前に、漱石の全小説を一冊に収めた、などという本が出ていたが、 聖書は旧新約あわせて一冊なのが当たり前のようになっている。 しかし、著者も時代もばらばらなのに一冊になっているということは、 漱石の全小説が一冊になっているよりもすごいことではあるまいか。
いったいいつごろそうなったのだろうか。
2002-04-02 (2) 01:42:22 +0900
保管しておくノートは別として、 コンピュータに打ち込んだら廃棄するつもりのメモはどんなものに書くのがいいか、 少し前からいろいろ試していた。
その結果が上に書いたもの。
2002-04-02 (2) 01:37:55 +0900