ゴージャス

毒 書 収監
by フレデリック・G・高岡

結局、毒のない著作というのは影響力を持たない作品のことである。
この本が日本の教育を悪くした。
この本が日本の教育を救うかもしれない。
いずれの場合も、それは毒だ。





池上 正樹【文】 加藤 順子【文・写真】
あのとき、大川小学校で何が起きたのか
青志社 2012)

 東日本大震災では地震の発生が学校の終業前だったため、ほとんどの児童生徒が学校管理下にあり、教師の適切な指導のもとで大部分が助けられた。その様子は前回紹介した「学校を災害が襲うとき〜教師たちの3・11」に詳しい。ただし一校だけ例外があった。
 石巻市立大川小学校である。この小学校ひとつで死者行方不明84名(児童74名、教職員10名)、児童の69%、教職員の実に77%が失われたことになる。二番目に死者行方不明児童の多い渡波小学校ですら25名(全校児童数450名あまり)、5%ほどだからいかに大川小学校が突出し、「東日本大震災、学校避難唯一の失敗例」と言われ手も仕方のないことが分かる。
 本書はその大川小学校の悲劇、そしてその後1年数か月に渡る学校・市教委と遺族の対立に取材し、その構図を描いたルポルタージュである。

 学校・市教委と遺族はなぜ対立しているのか、それについては次のような遺族の言葉がある。
《(写真が趣味だという校長が)幾千枚もの写真撮影している時間があったなら、本来の避難マニュアルでも作ることさえしてくれていれば……。父兄に、津波の避難訓練の案内さえ渡してくれていれば……。津波警報が発令された時に、どうすれば良いのか事前に家族が知らされてさえいれば・…‥。本当に、本当に、悔やみきれません。
 素直に遺族に『申し訳ありませんでした……』と、謝ってさえくれれば……。嘘でもいいから、泣きながら子どもたちの遺体の捜索を一緒にしてくれていれば……。
 学校も教育委員会も、子どもが亡くなった遺族の気持ちを逆なですることしかしませんでした。自分はずっと、『なぜ自分の子どもを亡くして、家族を亡くして、こんな仕打ちを受けなきやならないのか』と思い、頑張って来ました。『絶対に間違っている……』。それを正そうと頑張って来ました。
 このままじゃ、生き残った息子に対しても、亡くなった、妻、娘、親父に対しても申し訳ないから、頑張っています》


 当日、私用で年休を取っていたために助かった校長の事後の不誠実、そして現場にいながら教職員としてはただ一人助かったA教務主任の報告の不誠実、事故を小さく小さく見せようとする市教委の不誠実、三社の不誠実が遺族の不信感を増大させ、対立は硬直したまま今日に至る。

 中でも校長の不誠実は際立っていた。
 取りあえず被災した学校に行こうとした様子が見られない。学校へ行っても保護者とともに行方不明者の捜索をした様子も見られない。学校の代表者として外部に救援を求めたり、捜索活動を支援したりした様子も見られない。
 
 大川小の当時の相葉照幸校長が初めて学校を見に行ったのは、3月17日だった。しかも、当時、遺体捜索していた保護者たちによると、校長はマスコミと一緒に来て、校舎の写真を撮ると帰っていったという。ある遺族は、ビッグバン(石巻市河北総合センター)で校長から「いまから捜索に行かれるんですか?」と声をかけられた。「はい」と言うと、「行ってらっしゃい」と見送られたそうだ。
 おかしいと思い始めた遺族が、ホワイトボードの大川小のコーナーに「校長先生も一度学校にいらしてください」と書いたら、すぐに消されていて、その翌日、学校に来たという。
 元校長がいたという河北総合支所から、水没した大川小のある釜谷地区まで、震災翌日の朝には舟で行き来できたというのに、どれだけ初動が遅かったのかがわかる。

 11日以来市教委はてんてこ舞いだった。当時教育長は空席のままでたった主事は6人しかいなかった。そのわずかな人数で幼稚園から小中高学校の被災状況を調査し、対策を打とうとしていたのだ。大川小学校についても大きな被害の出ている様子はうかがえたが、実際に見に行くだけの余裕はまったくなかった。そこに柏葉校長がひょっこり現われる

 震災から6日目の3月16日。市教委に、大川小の相葉照幸校長(当時)が初めて報告に来た。
 「こんなに子どもが亡くなっているよ、どうなっているんだ……」
 報告を受けて、市教委席にいた指導主事たちの間に衝撃が走った。亡くなった子どものことよりも、生存している子どもの確認をするような状況だった。学校の被害の規模が明らかになっていったのは、それからだった。


 「こんなに子どもが亡くなっているよ」

 主事たちの恐怖を物語るに十分な言葉だ。そししてまさに、
学校の被害の規模が明らかになっていったのは、それからだったのである。
 しかしその後も長く主事たちが気付かずにいたことがある。それは柏葉校長がまだ一度も被災した大川小学校を訪れていないという事実だ。
 
 柏葉校長は、3月16日以降、市教委にほとんど毎日来るようになった。だが、そのときはまさか、校長が行方不明の子どもたちの捜索の様子を一度も見に行ってもいないとは、加藤元指導主事も思わなかったという。
 その事実を知ったのは、およそ1か月後の4月9日の第1回保護者向け説明会で、遺族から「なんで校長(学校に)こねぇんだ!」という非難を耳にしてからだった。
 市教委では、市内の学校の被災状況の把握で精一杯だったため、柏葉校長の動きまでは把握できていなかった。当然、学校で情報収集してから報告しに来ているものだと思っていたという。


 それはそうだろう。
誰が校長であっても自分の学校が被災したとなれば何を置いても駆けつける。どんな方法をとっても1mmでも現場に近づこうとするものだ。それが当たり前である。
 さらに自校の児童生徒に行方不明者がいるとなれば、素手で地を掘っても探そうとする。普通の教員、いや、普通の人間だったらそのくらいは当然する。
 よしやそんなことも思いつかない最も非人間的な校長だったとしても、今度は別の理由によって現場に行って捜索の陣頭に立つ。“普通の人間ならきっとそうするであろうこと”をしなければ、どう非難され、どう責任を追及されるか明らかであるからだ。たとえ単なるパフォーマンスであってもそうしなければならない。そのことは先に引用した保護者の言葉からもわかる。
 嘘でもいいから、泣きながら子どもたちの遺体の捜索を一緒にしてくれていれば……。
 そうだ、“嘘でもいいから”そうしなければならなかった。それがなぜできなかったのか。
 
 A教務主任の不誠実は別のものである。
 彼は3月25日に柏葉校長に連れられて市教委に報告に行き、4月9日の保護者説明会に出席して災害のあらましを語った。また6月3日には長文のファックスを市教委に送ったが、4月9日以後、関係者で彼に会った者はいない。非常なショックを受けているということで長期の休職に入り、主治医は一切の面会を許可していないからだ。
 重要な点はいちいち「記憶がない」ことになっており、津波の中から這い上がったはずなのに“A教諭の衣服は濡れていなかった”といった証言があるなど、確認しなければならないことは山ほどあるのに、最も重要な関係者の証言の検証は不能なままなのである。正確に言えば、彼が不誠実なのかどうかも分からない、そうした現状が続いている。
 
 ただし 市教委の不誠実については多少の同情の余地はあると思う。
 例えば生き残った児童に対する聞き取りの記録について、

 開示された調査記録の文書には、不思議なことに、調査方法がどこにも記載されていない。子どもたちと、どんな空間で、何人で、どれくらいの時間向き合い、どのように調査をしたのかが、記録文書からではわからないのだ。
 現在の指導主事に開いたところでは、1件当たりにかけた聞き取り時間は30分前後で、市教委と学校の教諭が2、3日にわたって手分けをしたという。質問用に簡単な項目が用意されているが、記述のトーンもボリュームも記録者によってばらばらで、調査の方向性に沿った手法がきちんと共有されていない印象だ。
 なかには、低学年の子どもと、遊びながらそれとなく聞き取っただけのものもあり、聞き取りの担当者の記憶を頼りに、後からメモに書きつけたということだった。
 このようなずさんな調査は、当然ながら、真実を検証するにあたって、混乱を招く結果となった。実際に、矛盾点や不備を遺族側からいくつも指摘され、市教委は対応を二転三転させる事態に陥っている。


 また、調査の際に作成した証言メモは主事がワープロで整理したあと捨ててしまった。そのことが後々問題となる。
 事故からもっとも早い段階の貴重な情報であり、厳正に管理されるべき証言メモを、日常の慣習の延長で廃棄してしまう感覚や、遺族たちの疑問や抗議を受けても、「私の性格だから……」と語る、そんな元指導主事の言葉からは、受け止めた重みが伝わってこない。
 こうしたところからくる責任感の欠如が、真相解明を長引かせている気がしてならない。


 確かに言われてみればその通りである。しかし
そうした証拠保全は普通の人間が当然持っているべきものなのだろうか。
 私もこれを読むまで、「聞き取り調査というもものはすべての対象に同じ条件で行うべきもの。映像または音声資料としても残し、取材メモも破棄してはならない」ということを初めて知った。
 主事たちは極限的な状況で証言を集め整理した。しかしそうした調査の方法に精通していなかったことを持って不誠実と断じるのは、それはそれで気の毒な気もする。

 また、「山へ逃げよう」と言った子どもの発言が無視されたという“事実”が調査報告から漏れ落ちたことについて激しく追及された(元)主事が、
加藤:その、すいません。話しているお子さんって、だ、だ、だれっていうか……。
と質問し返した瞬間、近くにいた課長が口に手を当てて「喋るな」とも見える合図を送ったことも問題とされる。

 (山田課長、口に手を当てて合図を送るが、加藤元指導主事気づかず)
 (山田課長、遺族席の方をチラリと見てから、再度、加藤元指導主事に合図。お互いに目配せ後、山田課長は下を向いて、もう一度口に指を当てる)


 後日この本の著者が取材すると、
 「私もびっくりしたんですね。逆にね。(加藤元指導主事が) 『それ(“山に逃げようと証言した”と話をしているお子さん)は誰ですか?』っていう質問に、『それは聞いちゃダメだよ!』という感じで、焦っちゃったんですよね。『なんで聞くの?』 という感じです」
 つまり、「公の場で個人を特定できる質問をしたことに関して、個人情報保護の観点から“不適切”と判断をして、(元)指導主事に質問を控えるように促した合図」だったという。


 これはいかがだろう。私が山田課長の立場でも思わず口に指を当てると思う。なぜなら「誰がそれを言ったんだ」
 は生徒指導の場でしょっちゅう出てくるからである。
「誰がチクッたんだよ」
「誰が言ったかはどうでもいい」
 もちろんこの場合、保護者は「誰が言ったか」を明らかにしていい気持ちでいた(事実、直後に保護者は自分の名を名乗っている)。しかし教員というものは瞬間的にニュースソースの秘匿に反応してしまうのである。
 けれどこの時の山田課長のしぐさは、現場にいたすべての人々に誤解を与える。
すでにだれも白紙のままで事実を見られなくなっているのである。

 遺族たちは誰も教師を糾弾しようとしているのではない。
現場で亡くなった10名の教職員たちが、それなりに真剣に子どもたちを救おうとしたことを夢にも疑っていない。しかし広い被災地でただひとつ、大川小学校だけが甚大な人的被害を被ったことを、受け入れられないのである。

 それを引き受けるためには、大川小学校が一から十まで、爪先から頭の天辺まで、あるいはAからZまで、子どものことを考えてやまなかったという確証が必要なのだ。事実を明らかにできない以上、「大川小学校は信頼できる。だからウチの子の死も避けようのない天災だった」、そういうところに落ち着くしか道はないはずだった。
 しかしボタンは掛け違った。
甚だしく無能な校長の、一片の誠意もない言動によって、「子どもは学校によって殺されたのかもしれない」という疑心暗鬼が、残された人々間を跋扈している。

 市教委は、建前ばかり説明していた。遺族側からすれば、学校で多くの児童、生徒が犠牲になったことを、本当に重く受け止めているのかと、疑わざるを得ない回答ばかりだった。
 知りたいのは、大川小ではなぜ、機転を利かせてすぐに逃げなかったのか、だ。責任ある回答ができずに、事態を重くさせている市教委の対応は、初動ミスから、最悪の事態を迎えてしまったあの日の大川小に重なってみえた。

 
 軽く考えているわけではないだろう。市教委も何もわかっていないのだ。それを何とか説明しようとするから答えが建前のようになる。そこを突っ込まれると対応が場当たり的になり、さらに墓穴を掘る。
 誠実に当ろうとすることで、いたって不誠実な対応となっていく。
 
 大川小ではなぜ、機転を利かせてすぐに逃げなかったのか、
 この本を読み終えても最後までそれは分からない。空白の51分間は空白のままだ。
 教頭はラジオを持って情報を得ていたという。そのラジオは津波の高さを3m、6m、10mと次第に上げて行った。標高2mの大川小学校の敷地を後にするに十分な津波の高さである。なのに教頭は決断しなかった。
 A教務主任も児童の一部も“山に逃げる“ことを提案したのに、それも拒否される。広報車は2回に渡って高台に逃げるようアナウンスしたがそれにも従わなかった。
 一方、教頭が「山に上がらせてくれ」と言ったにもかかわらず釜谷区長が「ここまで来るはずがないから三角地帯へ移行」と主張して喧嘩のようになっていたという情報もある。
 その区長も教頭もともに命を失い、何があったかを語ることができない。
 区長が亡くなったように、「どんなに言っても釜谷地区の住人は避難しなかった」という情報があり、事実、当日釜谷地区にいた住民の9割以上が亡くなっている。地区内に限って見れば、大川小学校だけが特別だったわけではない。
 しかしそれでもなお疑問が残る。
 なぜ、教頭は自主的に正しい判断をすることができなかったのか。もしかしたら震災のずっと以前から、大川小学校では教職員の独自の判断を許さない状況ができあがっていたのかもしれない。

 大川小も、相葉校長が就任して以来、ガラリと変わってしまったと、隆洋さんは嘆く。
 「何をやるにも縛りをかけられて、自由がなかった。子どもたちはみんな、わかってたんだね。学年PTAでも、これまで行われていた餅つき大会やキャンプ、肝試しなどが、火を使って危ないからと中止された。PTAバレーの学校対抗戦や反省会、育成会主催のスキー教室にも、先生方が参加しなくなった。余計なことは一切するなという態度。校長は、カメラを持って写真を撮るだけで、廊下で写真の即売会まで開いていた。それでも、この子たちは、先生や大人たちを信じて、そのまま死んでいった。こんなつらいこと、ないじゃない。子どもたちは、死ぬってわかってて死んでいったような感じだよね」


 A教務主任の証言が得られない以上、今調べられることは災害以前の大川小学校の状況くらいしかないのではないか。





田端 健人  著
学校を災害が襲うとき〜教師たちの3・11
文芸春秋 2012)

  2011年3月11日とそれに続く日々を、宮城県内の教員たちがどう生き、何を感じたかというルポルタージュ。小中高の10人の匿名の教師と2名の実名教師(講演会等での発表者であるため2名のみ実名)のインタビューを中心に構成されている。

 私はこの本から三つことを学んだ。
 
その第一は大規模災害に対しておそらく、私たちは自分が思う以上にうまくことを運ぶだろうということである。その証拠はこの本の中にある。
 
 ここに描かれているのは、学校の教師なら普通はこうするだろう、当然こうなるだろうといったことが粛々と行われ、それがより多くの幸運を呼び込んで災厄を最小限に食い止め、子どもや地域を支えて行く姿である。

例えば、
『避難行動を含め、今回の緊急時には、日頃培われた教師たちの専門的な力量が発揮された。その一つ は、阿畔の呼吸のチームワークである。校長や教頭が教師たちに事細かに指示しなくても、教師たちは自分の判断と行動で、その時と場に応じて、チームワーク を発揮できたようである。奥井教頭の語りである。

 先生がたは、機械的にっていうか、「先読みして」動いていく。例えば、移動するにし ても、子どもたちはただ移動してるんですけども、意外と、先生がた、役割分担やってるんですよ。先について、誘導するにしても、子どもにつく先生、それか ら、先行って待ってる先生、それからもっと先行ってる先生。そういうのっていうのは、「自然とできる」というか、常々、学校行事なんかにあるんですよ。い ろいろな行事の中で「阿吽の呼吸で」できるようになってるんです。それは、日々のやっぱり「子どもをいかに動かすかすか」っていう……。(中略)

 子どもたちを体育館にいれるという行動一つとっても、体育館の安全を確認する教師、体育館の中で準備を整える教師、どの入口からいれるかを判断しそこを 開ける教師、先頭を誘導する教師、最後尾で残された子どもがいないかを確認する教師など、様々な役割分担によって成り立っている。さらに「先読み」「先回 り」して、子どもたち全員が体育館に入ったあとの準備を整えていた教師もいたかもしれない。こうした役割分担が、いちいち指示されなくても、教師たちには 自然とできる。これは、「常々」「いろいろな行事」のなかで鍛えられた教師の専門的力量である』


 私の学校の避難訓練マニュアルも校庭に避難するところまでは書いてあるが、それ以上はない。しかし例えば冬季の地震や火災となれば、当然体育館への二次避難を考えなければならない。そしてそうなればきっと、宮城の学校と同じことが私の学校にも起こる。なぜならそれが私たちの習い性となっているからだ。

 学校のようなマトリクス社会では、長い時間をかけて教職員全員の共通認識を作り上げる。したがって事態が動くとき、その全容をすべての職員が理解している。そうした全体理解にしたがって、私たちはそれぞれの役割を自然と探す。

 極限状況での教職員の落ち着いた行動は、子どもの安全確保に決定的な役割を果たすだろう。恐ろしかったり不安だったり、あるいはパニック直前の状況にいたりする子どもの周囲に、安定した大人の膜を張るからだ。その膜が子どもたちを守る。その枠の中にいれば安全でいられる、少なくともそう感じられる。それだけでも安全の半ばは保障されたようなものだ。


 第二に、これは前々から言ってきたことだが、「いざというとき、災害対策の重要なパートを学校が受け待つだろう」ということである。東日本大震災の現場では実際にその通りになった
 その重要なパートとは、避難所の運営である。
 
 私の学校も避難所に指定されているが、その運営は市役所の職員がやることになっている。学校は校舎を提供するだけでいいのだが、実際そんなことは可能なのだろうか。
 災害の規模にもよるが、市内全域に避難所が広がるような状況では市職員だけではとても手が回らない。それほどの大規模災害だと他にもやらなければならないことが山ほどあるからだ。それにもともと、バラバラな存在を組織して運営するというのは教師向きの仕事であり、物資の仕分けといった段取りを必要とする仕事も圧倒的に教師に向いている。
 「学校を災害が襲うとき」にも、こんな部分がある。

 教師たちの「段取り力」。教師たちは指示にも従うが、単なる「指示待ち存在」ではない。教師は 日々の仕事で、子どもが、個人や学級や学校全体で様々な活動を行えるようにと段取りゃ調整を行い、ときに創造的に仕事を展開している。教育現場の日常で培 われた専門性が、非常事態でも活かされた。

 さらに避難が一時的であればいいが、東日本大震災のように避難民に帰る家がないと避難生活が長引き、遠からず「学校を再開したいのに、避難所のまま」という状況に追い込まれる。そうした場合も、避難所の運営者が学校であれば調整も早い。中途半端に任せられるより、丸投げされた方が楽なのだ。

(これについて、10年前に私が勤務していたA市では、大規模災害避難所運営計画みたいなものの作成が義務付けられていて、学校の防災計画の救護係がその まま避難所の救護係に、給食室のメンバーが自動的に炊き出し係に、消火係は警備係、搬出係は物資係、本部は渉外係と、そのまま移行できるような仕組みがあった。
 3年間A市を離れて元に戻ったら“計画”自体がなくなっていたから、何かが変わったのだろう。しかしたとえ紙面上だけのことにしても、あれは良かった。一応かたちがあれば、あとは現場で肉付けをすればいいだけだ)


「学校を災害が襲うとき」から学んだ
第三の点は、子どものことの多くは学校が引き取らなければならない、ということだ。

 子どもの躾けやマナーが問題になるとき、あるいは万引きをした生徒を学校が引き取りに行ったというような話が出たとき、しばしば「それは家庭の問題だろう」とか「学校がやることではない」といった議論が起こる。「学校は勉強を教えるところであって、育児の場ではない」といった言い方もある。いちいち御もっともであって筋論としてはその通りだが、それにしたがって学校が躾けやマナー、非行問題や不登校の問題を手放したら、家庭は丸ごとそれを引き取ってくれるだろうか。

おそらく多くの家庭はそれを引き取ってくれるだろう。
「学校は勉強をきちんと教えてくれればいい、他のことは私どもの責任です」
そう言って実際に対応してくれる家庭は少なくない。しかしそれをやらない家庭、できない家庭も少なからずあり、 “できない家庭”は徹底的にできない。
 そうである以上、子どもに関するすべての事柄について、(本当は家庭のやるべきことだと思っていても)、私たちは何らかの形で関わって行かねばならない。

「学校を災害が襲うとき―教師たちの3・11」の中にも、教師たちが親代わりに働く場面が何回も出てくる。
 3月11日の夜をひとつの毛布に包まって、教師の膝の上で夜を明かした子がいる。翌朝、一人ひとりの子を保護者に引き取ってもらったあと、それでも残った子はいつまでも教師のもとにいた。
 確認する人がいないので、教員が乞われて子どもの遺体確認をした話も出てくりし、幼い姉妹に付き添って、保護者の遺体確認にいった教師もいる。
 高校では進路の問題がいきなり目の前に突き出される。一切合財を失った家庭のために、奨学金を探して走り回る教師がいれば、進学を断念させようとする保護者をかき口説く教師もいる。いずれの場合も教師が親の一部分となって、子どもを支えようとしているのだ。

 学校が再開されるまでの間、子どもの一人ひとりを訪ねて、教師が被災地を回る。ところが一部の子どもは親とともに転々と居場所を移すので、その足跡を教師がまた訪ね歩く。そんなことが毎日続く。
 そうしたエネルギーはどこから生まれるのか。

 ここまでやってこれたなって思うのは、やはり生徒がいたから、頑張ってこれたと思います。子どもたちが元気になれば、なんか、この子たちが希望だなって。家族にとっても、この子たちの進路を明らかにしてあげるってことは、やっぱり私ができる、家族に元気をあげることだし、地域にも、なんか、希望になる。子どもたちが。その1点でなんか頑張れるって‥‥‥。
(「学校を災害が襲うとき―教師たちの3・11」に出てくる高校の先生の話)

 教員はどこまで行っても教員だし、どこにいても教員なのだ。宮城にはこんなに素晴らしい教員が山ほどいるが、日本中、どこに行ったって教員は皆同だ。同じように子どもを頼りに、いくらでもがんばれる人たちばかりがいる。



しーた  著
アスペルガー症候群だっていいじゃない
〜私の凸凹生活研究レポート

学習研究社 2010)

 この本の存在は早くから知っていたが、4コマ漫画もついており軽い読み物として真面目に接していなかった。ところがネット上を歩きまわっているうちに著者の「しーた」のブログ(私はアスペルガー症候群でしーた♪〜4コマ漫画で綴る自閉症・発達障害の世界〜がんばれ あすぺさん)にたどりつき、記事を読むうちに気にいって著書を買い求めるにいたった。
 私が気にいったのは、著書の中にもある
 「当事者が読んで元気になれる情報を発信しようー」
 そう思い立って、“フログを始めることにしました。

 というブログ全体に流れるまじめで前向きな態度による。

 また、著書の方に
 発達障害のある人は、「ちょっと取り扱いが難しいけど、使いこなすとすごく役に立つ」そういう人材なのです。
 とあるように、
著者はアスペルガー症候群を障害であると同時に才能であると強く信じて疑わない、そういった雰囲気が一貫して漂っていることも私の気持ちに馴染む。
 もちろん「しーた」だけが特殊な才能を持つ、「使いこなすとすごく役に立つ」タイプのアスペルガーである可能性もあるが、私たちが今まで会ってきた“難しい子”たちも、どこかでボタンをかけ違わなければ「使いこなすとすごく役に立つ」タイプだったのかもしれないと、新しい視点から見直す必要は強く感じさせる。
 
 さらに、
 私は、社会の多くの人に『理解』ではなく、"正確な"情報を『知って』ほしいと思うのです。
 これも正しい態度だろう。共感的な意味での『理解』ではなく正確な『情報の理解』を優先するというのは、この障害とどう向き合っていくかを決める上で絶対必要なことなのだ。
 
 さて、「アスペルガー症候群だっていいじゃない」は全160ページほどの短いもので、中に4コマ漫画やコラムがちりばめられ、さらに北海道大学田中康雄教授の解説が入るなど、非常に読みやすく分かりやすいものとなっている。しかし内容は深く重く、たくさんの示唆に富んでいる。
 
 例えば
 過去に、苦手だったことが、急にできるようになることがありました。それは、自分の中で「単純明快なルール」ができた場合に、できるようになっていたように思います。
 たしかに言われればそうで、活動が定式化するとこの人たちはよく動く(“この人”というのは私の場合児童生徒だが)。しかしルールを作るとそれに縛られる傾向があるから、
 ルールを決めるときに、「よくあることを場合分けして、パターンを作る」というのは当然ですが、もっと大切なのは、「迷ったとき、決めたルールから外れたときは、こうする」という、予想外の事態へのオールマイティな対応を決めておくことです。
 たしかにその通りだと思う。

 また、著者は自分をカメにたとえ、池の向こうの目標に、ウサギとともに走らされる話をする。
 池をまっすぐ泳いで渡ることができれば、とても早く、簡単にゴールに着くことができます。カメにとっては、地上の道を進むよりも、得意な泳ぎを生かしたほうが、ラクで安全で早いに決まっています。カメはそのことに気が付いて、そうしようとします。しかし…泳ぎが苦手で嫌いなウサギから見ると、「泳ぐ?!溺れたらどうするの?何をバカなことを言っているんだ! そんな面倒な方法がいいわけないだろう!」と、反対するでしょう。
(中略)
カメは池を泳いで行く。ウサギは陸地を跳ねて行く。それぞれの得意な能力を生かして同じゴールにたどり着くのが、一番よい方法なのです。

 私はアスペルガー症候群など広汎性発達障害を“才能”としてみることに慣れていない。
 それは見てきた子たちの大半が学齢期以上の子たちであって、何らかの「集団生活の中で困難がある」というところから初めて気づかれた子たちばかりだったからかもしれない。
“その子の困難”が出発点だからだ。
 しかし
“その子の特質”を出発点とすれば、全く違った対応もあったはずである。
 
 大切なのは、自分が幸せになるために何を克服して、何を伸ばすのか適切に取捨選択することなのだと思います。
 決して、「できないことを、できるようにする」ことだけが目的になってしまってはいけないのです。自分の幸せに繋がることに的を絞らなければ、すべてを人並みにこなすには、アスベルガー症候群の人はあまりにも不器用すぎるのです。


 最後に、この本の中で最も美しい言葉を紹介したい。

 
もし、将来、医療技術が発達して、アスベルガー症候群を治せる時代になって定型発達になれるとしても、視覚的な思考能力″も“論理的な思考能力”も“並外れた集中力”も失ってしまうのであればどうだろう?
 私は、迷わず、「アスベルガー症候群であること」を選びます。私にとって「アスベルガー 症候群」は、「障害」ではなく、何ものにも替え難い大切な「才能」だから。


 そんなふうに子どもを伸ばしていきたいものである。

しーた  著
発達障害 工夫しだい支援しだい
〜私の凸凹生活研究レポート2

学習研究社 2011)








小栗正幸  著
発達障害児の思春期と
二次障害予防のシナリオ

ぎょうせい 2010)

 世の中に教育評論家、教育学教授といった人が多くいて教育についてさまざまに語るが、時折、現実の学校、生身の小中学生が本当に分かっているのかと首を傾げることがある。
 
 端的な例が10年ほど前まで流行っていた
「不登校児童生徒には一切の登校刺激を控えること、学校の『が』の字も出してはいけない」という極端な不干渉主義である。

 それまで夜討ち朝駆け、手紙攻勢、友だち攻勢、家庭訪問攻勢で疲れ切っていた教師にとって、また子どもを学校に行かせるために日々の抗争に明け暮れていた保護者にとって、それは一面で福音として働いたために、この方法は燎原の火のように広がった。しかしそれにも関わらず不登校は減るどころか笛に増え続けた。

 この「不登校生に登校刺激を与えてはいけない」という考え方を揺り戻すのにはかなり時間がかかった。しかし揺り戻しが起こったとき「専門家」たちが口にした言葉は次のようなものだったのだ。
 「不登校の入り口では、登校刺激を与えたほうがよい場合もたくさんあるのですよ。そこを先生たちは勘違いして、何が何でも登校刺激はいけないということになった。そこでたくさんの子たちが見捨てられたのです」

 
一瞬、自分の中に殺意のようなものを感じたのはそのときだった。

 「登校刺激を与えるな」と言われた時代も、私たち一部の教師は頑強に抵抗していた。なぜなら目の前の「この不登校生」は、もう少しがんばらせれば学校に来ることが確実だったからである。理屈ではない、経験的にそう信じられたのである。しかしそうした現場の声を無視した形ですべては間違った方向に進んでいき、
いざ修正するときは現場の「先生たちは勘違い」で済ませてしまうのだから「専門家」とはあつかましいものだ
 
 さて、しかし次のような文はどうだろう。
 
 特定領域に対する興味や関心の強さは、発達障害のある子どもの「こだわり」を反映するものである。(中略)ときには勉強のできている子どもが、急に「もう勉強はしない」と決めてしまうことがある。また、不登校についても、子どものほうが「学校には行かない」と決めている場合が意外に多い。(中略)友達関係についても同じことで、「僕はクラスの全員から嫌われている」 「○○君は僕を嫌っている」「○○君となら仲良くできる」とパターン化して決めつけている場合がけっこう多い。いずれにしても、パターン化しているからこそ「こだわり」なのである。
 そこで、この種のこだわりへの対処法として私が大切だと思っているのは、まず「子どもの言葉をあまり真に受けない」こと、つまり指導する側が子どもの言っていることに「こだわってしまわない」ことである。(中略)要するに子どもは 「勉強はしない」あるいは 「学校は無意味」と決めたのだから、返す答えは「あっそう」一言で十分だと思う。
 この 「あっそう」という言葉は、否定も肯定もしていない微妙な言い回しだが、かといって子どもを無視する表現でもない。
(p.142)

これが現場から理論を積み上げてきた言葉の重みである。

「子どもの言葉をあまり真に受けない」は、これまで私たちが「絶対にやってはいけないこと」として繰り返し専門家たちから教えられてきたことだ。自分のことは口にせず、とにかく相手の言葉に耳を傾け相槌を打ちなさい。それこそがカウンセリング・マインドであってすべての問題を解く鍵なのだと。
ところがこの本の著者は、大切なことは
指導する側が子どもの言っていることに「こだわってしまわない」こと
だという。それは
結果的に子どもの言葉に振り回される状況を作るだけで、生産的なものは何も残らない
とも言う。
 それこそが私たちの実感にかなうものだ。

 他にもある。
 
 ところで、ここで述べたような集団非行には、「あいつが突っ走らなかったら、こんなことにはならなかった」とか、「どう考えてもあいつはやり過ぎだ」と評されるような、仲間集団を扇動するキーマンがいるものだ。
 そこで、そうしたキーマンの普段の様子を非行少年たちに尋ねてみると、興味深い答えが返ってくることがある。つまり、「いつも一緒にはいたが、自己中心的なので、本当は迷惑に思っていた」とか、「何を考えているのかわからないところがある」とか、「面白いところはあるけど、わけもわからないのに走り出す変なやつ」といった人物評である。
 要するに、集団非行を扇動するようなキーマンには、悪友の一人ではあっても、どことなく異端視されている側面もあるということだ。そして、そうしたキーマンの中に、われわれが発達障害の兆候を見出す確率は、その他の非行少年に比して高いのである。
(p.72)

 非行発覚直後の対応について、
 
まず、非行が発覚した直後にどうするか。子どもが万引きで補導された場合の対応を例にして、「やるべきことと」と「やってはいけないこと」を考えてみよう。
 まず「やるべきこと」は、子どもに「万引きは絶対にしてはいけないことだ(悪いことだ)」と事実のみを告げることである。発覚直後の段階で、この指導を拒否する子どもはまずいない。
 「ごめんなさい」とは言わないまでも、だまってうなずく程度の反応は示すはずだ。
 この段階でフィードバックすべきことはただ一つ。「○○君もわかっているとおりです」である。
  反対に、「○○君がわかっていて嬉しかった」とか、「気づいてくれて良かった」とか、肯定的な表現は挿入しないほうがよい。
 ここで肯定的な表現を挿入すると、「許してもらえた」とか、「決着がついた」と誤認する子どもがいるからである。
(中略)
 この段階で「やってはいけないこと」は、万引き(非行) について説諭することである。
 なぜなら、説諭されるまでもなく、非行が禁止行為であることは、子どもにもわかっているからだ。
(p.160)

 私たちは常に「受け入れろ」「真剣に向き合え」「子どもの自覚を辛抱強く待て」と教えられてきた。「子どもの言葉に耳を傾けろ」「子どもと同じ目線で向き合え」「同じ人間として接しろ」そうも言われてきた。
しかし現場にいる生身の子どもたちは、そうはなっていないのだ。
事件は現場で起きている。研究室で起きているわけではないのである。

 著者は法務省に所属するし理学の専門家(法務技官)として犯罪者の非行少年の紙質鑑別に従事し、各地の少年鑑別所や成人矯正施設に勤務した後、宮川医療少年院長を経て2009年3月に退職した人。現時は特別支援教育ネット代表として各地の教委・学校福祉関係機関などの支援を行っている。
 本書はそういう人が現場から積み上げた、教育表評論の世界の常識にとらわれない知見で満ち溢れている。





実川真由 /実川元子  著
受けてみたフィンランドの教育

文藝春秋 2007)

 PISA(OECDの国際学習到達度調査)で世界1の栄冠に輝いて以来、フィンランドの教育については、常に注目されてきた。いわく教員の質が高い、読書量が多い、競争がない、授業日数が少ない・・・。さまざまな人々が視察に出かけ、あるいはインタビューによってフィンランドの秘密を明らかにしようとするのだが、それぞれの立場から都合の良いところだけを取り出して、論評している感が否めない。
 
 本書はそのフィンランドに一年間留学した女子高校生の手記と、それを補足する母親の補足という体裁で成り立っている。幾多の専門家の話を聞くよりよほど勉強になる。なぜこうした本に最初からあたらなかったのかと、私自身がホゾを噛むような著作である。
 
 まず、全編に渡ってこれまで知らなかった具体的な事実が次々と明らかになる。
 たとえば、
 フィンランドでは教員の資格は大学で教員養成課程を修了していることが義務付けられている。
 (これは日本も同じだ)
 そしてこの課程の修了者には修士号が与えられるので、教師は全員修士号をもっていることになる。ただし、フィンランドの大学は基本の学位が修士号なので、日本でいう大学院の修士課程修了者にはあたらない。
 
 私は最初、この一文の意味が分からなかった。そこで調べて見ると、要はこういうことだ。

 フィンランドの大学制度が日本と大幅に違うのは,「修業年限が決まっていない」ということ。もともと高校も単位制で登校時間もまちまち、一緒に授業を受ける学年の子もまちまち、落第も頻繁、さらに学校教育はすべて無料という国だから修業年限という考え方自体が馴染まないのかもしれない。高校卒業と同時に大学へ進む者も稀で、大学卒業も10年計画といった人さえいる。

 ただしもちろん最低の年月で卒業する人もいるはずで、その場合の
年限は学士3年、修士2年、博士3年以上ということになっている。また、学士での卒業は認められていないため、大学を卒業するということと修士号を獲得することとはまったくイコールなのだ。
 
 フィンランドの教員は全て修士であることが義務付けられている、だから優秀なのだ、ということの、実際の意味はこういうことである。
 
 さらに、
 先生は大学の修士を修了していないとなれないのだけれど、それは正規雇用の場合。実際の現場では、非常勤の補助教員として大学生が教えていることも多いんだ。
 
 となるとフィンランドの教師の優秀さというのも眉唾という気になるが、実はやはり優秀なのだ。
 
 エヴェ先生が教師になった動機は「学校の勉強がよくできたから」である。これはエヴェ先生だけにかぎらず、インタビューした先生全員から同じ答えをもらった。それは「頭がいい」こととも「インテリジェントである」 ことともイコールではなく、学校の(というところにみんな力を入れる)勉強ができただけ、なのだそうだ。謙遜なのだろうが、学校の勉強ができる→教師になる、というコースがひとつできているのかな、と思った。
 
 日本の場合、飛び抜けて学校の勉強ができたりするととりあえず「医学部に」、といった話になる。それが理系となればなおさらだ。

 良く考えれば医者もそれほど良い仕事ではない。過酷な労働条件、責任の重大さ、高収入といってもそれを使う時間が十分確保されない、血が嫌いという人だっている。しかし何といっても社会的ステータスは最上級だし、医者というだけで生涯「頭の良い人」といった扱いを受ける。それは悪くない。
 フィンランドでは、教師もそうなのだ。
 頭のいい子は教員いなる、伝統的にそういう思い込みがある。もちろん医者並みの高収入は期待するべくもないが、教師には高収入に代わる潤沢な休日である。
 フィンランドの教師は夏休み中の生徒には一切関わらない。6月から8月中旬まであるという夏季休業中、多くが国外へ旅行し、セミナーに参加したり、家や部屋を借りて外国暮らしを体験したりする。中には、アルバイトを する教師もいて、それが人気の職業の理由の一つで もある。知的好奇心の強い教員にとって、保障された2ヵ月半の休暇は、医者の高収入にも勝るとも劣らない魅了だろう。


「受けてみたフィンランドの教育」 の大きな収穫のひとつは
 フィンランドのテストはほとんどがエッセイ(作文)なのである。
 英語、国語はもちろん、化学、生物、音楽までもエッセイ、つまり、自分の考えを文章にして書かせるのがフィンランドの高校の一般的なテスト形式である。


 したがって、
 エッセイがメインなので、当然彼らはテスト前にそれを書くだけの知識を詰め込まなければいけない。
 日本のテストでは暗記がカギだとしたら、フィンランドのテストは知識の詰め込みが前提となる。
 そのため、テスト前学校で見る生徒の多くはやたら分厚い本を抱えていて、それらを読んで、読んで、知識を詰め込むのである。

 フィンランドの図書館利用率は世界最高で、実に良く本を読むが知られている。それは一部はフィンランド人の特性によるかもしれないが、こうしたテスト形式に負うところも大きいだろう。
 
 もちろんこうした
「化学、生物、音楽までもエッセイ」といった状況は、1クラス16人〜25人学級、教師は勉強を教えること以外は何もしない、午後4時には帰宅できる、といったたいへんな余裕があってはじめてできることだが、それにしても時間は足りなくなる。
 
 基本的な学力、例えば掛け算九九などはどうなのだろう。
 
 フィンランドの高校では、数学のテストのときに持ち込むものが二つある。筆記用具と計算機だ。
 数学のテストに計算機が持ち込めるなんて夢のような話であるが、事実だ。しかもこの計算機はただ「足す」「引く」「かける」「割る」だけの機能にとどまらない。( )のついた難しい数式も一瞬にして答えが出る。数式を打ち込み、エンターを押せばx軸とy軸が現れ、数式がグラフになったりする(なんだか、とても数学ができない人のような説明になってしまったが)。
(中略)
 このように、自分で書いて計算するという行為は高校ではしなくなるため、フィンランド人は暗算が不得意だ、というか暗算をしない。
 

 したがって、買い物でも
 合計が24ユーロ22セントだったので、私は54ユーロ72セントを払ったら、スーパーの人は、嫌な顔をした。
 そこにホストプラザーが慌てて来て、4ユーロ72セントを取ってしまった。五〇ユーロで支払ったので、おつりが大量にきて、私の財布が重くなった。
 (中略)
 それほどフィンランド人は暗算をしようとしない。レジではじめて自分の買った品物の合計金額を知るらしい。
 

 ものは考えようである。

 
電卓のある時代に掛け算九九を暗記する必要があるのだろうか、
 ワープロ時代に正しい漢字を書けるようになる必要があるのだろうか、
 そもそも漢字やひらがな・カタカナを使って表記すること自体、この国際化の時代にあっては馬鹿げているのではないか、

 そういった議論はこれまでもあった。
 
  何が何でも言語表現力でフィンランドを越えたいと考える人たちには、もう一度考えてもらいたいことである。
 

 さて、そのほかにも、

といったさまざまに面白い情報が満載である。

 ひとりの女の子の素直な留学記としても十分楽しめる良書である。
 
 



石井 昌浩 著
丸投げされる学校

(扶桑社 2009)

 ときおり、「ああこれがオレが言いたかったことだ」と思える良書にめぐり合うときがある。それこそが読書の醍醐味なのだが、『丸投げされる学校』は最初の100ページほどでそう思わせる本だった。
◎教育界の丸投げ構造
 教育改革はなぜ失敗したのか。その理由は明らかだ。
 第一は、教育政策を推進する「司令塔」の不在である。
 文部科学省(文科省)がある。「文教族」といわれる有力な政治家もいる。しかし彼らには、日本の教育の最終責任を自分が持つという自覚がなかった。「教育は国家百年の計」の信念をもち、大局的教育政策を打ち出す覚悟と勇気がなかった。役人も政治家も、「省益」や「次の選挙の勝敗」など、100年どころかせいぜい数年先のことだけで精一杯だった。「きのう、きょう、あす」のことしか頭にない、その場しのぎの「ことなかれ主義」の体質に染まりきっていた。
◎文科省は、教育の専門集団ではなく行政官庁である。そのため、諮問内容を決めるにあたって「専門家である教育学者や有識者」に助言を求めることになる。これは考えてみると、危ないシステムである。
 細分化された特定分野の専門家にすぎない「教育学者や有識者」たちは、教育を成立させる土台そのものが液状化し、子供たちの「学ぶ構え」が崩れかけている現状を正面から見ようとしてこなかった。彼らには、戦後教育が日本社会に何をもたらしたのか、学校現場でどのような事態が進行しているのか、深く知ろうとする姿勢が決定的に欠けていた。(中略)日本の教育論議は、このような人々によって、学校の現場からはるかかなたの遠くて高いところで交わされ、神学論争もどきの無責任きわまる言葉遊びに終始してきた。

◎「ゆとり教育」は、アメリカが過去に失敗した教育の後を追い、失敗した。一方、アメリカは、「ゆとり教育」以前の日本の教育の成功例に学び、教育を立て直した。

◎今に至るも、「理念は良かったのだが、実践に失敗した」と、「ゆとり教育」を擁護する人もいる。だが、それは事柄の本質を理解しない空論にすぎない。「ゆとり教育」を評価する人々に共通するのは、手放しの子供礼賛である。
 この考えは、子供の個性を尊重する人間的で温かい主張に聞こえる。それゆえ、物分かりのいい大人の役を演じたいと願う多くの善良な人たちは、いつしか子供礼賛思想の信奉者になってしまうのだ。

◎学校教育の当面する緊急課題は何よりもまず、子供たちが安心して学べる規律ある教育環境を確保することにある。一般社会で許されないことは学校でも許されないのだ。ダメなものはダメと言いきれるかどうか、今、大人が試されている。30年、40年前まで誰もが疑うことのなかった「学校は勉強するところ」という素朴な社会常識を取り戻すことが急務である。


 こう並べて見ると「我が意を得たり」というよりは、現場にいて現場とともに考えると、結局答えは同じところに行きつくとしか言いようがないことなのかも知れない。

 著者の石井 昌浩は、
昭和15(1940)年、山形県生まれ。早稲田大学法学部卒業。東京都教育庁勤務。都立工業技術教 育センター所長、東京都教育庁施設部長、東京都現代美術館副館長、東京文化会館副館長、都立教育研究所次長を歴任。東京都国立市教育長、拓殖大学客員教授 を経て東京造形大学講師。日本教育再生機構副理事長。専攻は戦後教育史
という経歴を持つ人である

 国立市の教育長として現場を見、しばしば組合と対立しながら現場を掘り出してきた、その意味では学校から最も近いところにいた人物といえる。

 学校に最も近い学校の外側と学校の内側から見る目は非常に似て来る。

 日本の教育は間違った方向に進めれている。しかしそれは教員の質の低下とか、教育力の不足とかいった問題ではなく、根本的な理念と体制の歪みによってもたらされているのだ。

 しかし第3章以下はいけない。
 著者は学校における道徳というものを理解していないし、現代の教育の歪みをGHQや日教組に求めるのも、もはやお門違いだろう。

 子ども中心主義は国民に負担を求めない社会全体の風潮に由来するのであって、学校だけでどうなるというものではない。


 国民に金をばら撒くと主張した自民党に対して、更にばら撒くと主張した民主党が勝つように、政府も議会も国民に負担を求めずサービスばかりを主張する。
 学校も同じものを求められているのだ。

 残念ながら落ち着きとは程遠いところで、教師たちは悪戦苦闘しているのが現状である。家庭では手の及ばない、専門性の要求される部分こそ、教師の出番のはずなのに、家庭からは「しつけ」を丸投げされ、教育委員会からは「説明責任」とやらを丸投げされ、おまけに、クルクルと目先を変えて提案される「まがいものの教育改革」に振り回されて、現場の教師たちは、もうウンザリしているのだ。

 まったくその通りだ。
 
 さて、ついでであるが、いかにも行政にいた人らしい記述があったので引用しておく。

 いきおい役所は、微に入り細を穿つ資料を求めることになる。調査を依頼する文科省や教育委員会の担当者は、自分のところだけで依頼しているつもりでも、受ける側の学枚や教師にとつては、類似の調査が年中舞い込んでくることになつてしまうのだ。

 学校現場が追いまくられているのは、統計調査の報告作業だけではない。「キャリア教育」「食育教育」「消費者教育」「金融教育」「金銭教育」など、よくもまあこれほどあるかと思うくらい多種多様な「○○教育」が次から次と学校に持ち込まれている。学校に投げかけておけば取りあえずの責任が果たせると、依頼する方では勘違いしているのだ。統計調査と同じように、「発注元」は自分のところだけと思っているけれども、「よろず承り所」として丸ごと引き受けさせられる学校はたまったものではない。

 これがいわゆる「雑用」の内容である。
 ただし説明責任の時代であれば、これらもしかたない。それが民主主義である。
 問題は仕事が次々と増えてくることではなく、それに合わせて人間が増えないことである。

 学校は基本的に人手不足なのだ。



坂東 眞理子 著
親の品格

( PHP新書 2007)

 2007年の大ベストセラー「女性の品格」の続編である。
 前著もそうだったが、この人の本にはほとんど独創的なところがない。
 もし、一人だけ座れる席があったら、それは親が座るべきで、小学生や中学生が座るべきではありません。男の子はもちろんですが、女の子も車内では立つべきです。
とか、
 自分の知らないことを聞かれたときは、ごまかさずに 「わからない」と言い、辞書やインターネットで調べて答えます。中途半端な知識を教えるのではなく、調べるという姿勢を見せると、子どもは知的な興味をもち、知的な人間に育つのです。
 子どもはどの程度の理解カがあるのか、日ごろから子どもの本を読んで調べておくと、見当違いな答えをしないですみます。大事なのは、親がまじめに子どもの質問に答え、うそやごまかしを言わないことです。

とか、ごく当たり前のことを当たり前に淡々と話し続けるだけである。そこがいい。
親のあるべき姿など、世の中がどう変っても、そう変化するものではないのだ。

 また、私がかねてから小学生に英語教育は必要ないだろうと思っていたところに、東大卒、内閣広報室参事官、埼玉県副知事、女性初の総領事といったとんでもない経歴を持つ人から、
 英語を幼いときに勉強させるなら、せいぜい英語の歌を覚えさせたり、いくつかの単語を声に出して覚えさせたりすればよいのではないかと思います
 などと言われると、「ホラみろ、それが世の中の常識だろ」と鬼の首でも取ったような気持ちになる。
(なかなか、私も軽い)

 しかしこんなのは、いかがなものか。
 せめてPTA活動は夜にできないものか、学校行事は休日にできないものかと思います(たとえば8月の夏休み中の一日を代休にすれば、教員たちにも配慮できると思います)。
 
 現実にはPTA活動の多くは夜間、または休日の仕事となっている。しかも夏休みの一部を代休にするということはない。なぜならPTA活動は形式的には保護者・職員の自主活動であって、理屈上は学校の関知しないところ(責任をとらないところ)なのである。職員が早起き野球のチームに入っているのと同じで、早朝であろうが夜間であろうが、はたまた休日であろうが、やったからといって賃金が出うわけでも代休が取れるわけでもない。PTA会費だって自腹で払っている。早起き野球と異なるのは、強制的に加入させられることと、その代わりに勤務時間内にPTAの仕事をやってもいいくらいな点だけである。

 だがしかし、
PTA活動は教員の職務であるというのが世間の常識であることを教えてくれた、そういう意味では、やはり読んでおいてよかったとも言える。

 「親の品格」
 これを読むついでに「女性の品格」についても目を通しておくと良いかもしれない。



−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
坂東 眞理子 著
女性の品格

( PHP新書 2006)

「毒書収監」で取り上げるほどのことはないと思っていたが、ネット上の書評を見ると、特に若い層からめちゃくちゃに言われているので薦める気になった。

子どもの嫌がるものにはしばしば教育的価値の高いものがある。
一度読んでおくといい。

「女性の品格」という題名だが日本人として身につけておくべき多くの徳目が効率よく並べられていて、使いやすいハンドブックという感じ。私にとってはけっこうな良書であった。






内田 樹 著
下流志向

──学ばない子どもたち、働かない若者たち

( 講談社 2007)

 なぜ子どもたちは学ばなくなったのか、働かなくなったのという問いに答えようとする著作である。

 まず、子どもたちが「知らないこと」「分からないこと」「知識のないこと」にまったく苦痛を感じなくなったこと。それどころか、
生徒たちは単に 「学校でよい成績を取ることは人間の価値と関係ない」 という学校神話への否定にとどまらず、さらに踏み込んで 「学校で悪い成績を取ることは人間の価値を高める」 という反−学校神話に同意し始めていることがわかったのですという状況であること。

 また、生まれながら自然に消費者教育を受けてきた者として、子どもたちは
不快という貨幣を支払いながら商品がすぐに還元されないと我慢できない性格を育ててきている。

 現代社会においては、商品は代金の支払いとともに即座に届けられなければならない。いや、それどころかカード決済にみるように、支払いに先だって商品が手にはいることすら期待される。 しかし教育サービスの商品は、実際には10年後20年後に手渡されるべきものであるから、そのタイムラグに子どもたちは耐えられない。

 子どもたちが常に「これは何に役に立つの」「勉強なんかしてどうなるの?」と訊ねるのはその苛立ちの表現であり、サービスの提供者側も次第に「楽しい授業」「面白い授業」という形で、子どもたちの要求に答えようとするようになってきた。

 就労を厭うのもまた、消費行動としては的を得たものである。
消費者としては、できるだけ少ない投資で最大の利益をあるのが当然の行動であり、ライブドアのホリエモンのような生き方が理想とされる。しかし実際の就労者は、労働を先渡しして賃金を後からもらう。消費者教育を徹底的に受けてきたものとして、そうしたタイムラグにも彼らは耐えられない。

 そして彼らは積極的に下流への道をつき進む。
 かつてなら親兄弟、親戚縁者、あるいは友人関係や地域住民が人々に密接に絡み合っていて、いったん始まった下流への動きも誰かが仕事の世話をするといったかたちで食い止めてくれた。しかし私たちは戦後60年もかけてそうしたセーフティ・ネットをことごとく破壊してしまい、自己決定自己責任の社会をつくってしまったから、いったん始まった流れは止まることがない。
一度リストラをされると明日は路上生活という極端な凋落はこのようにして起こる。

 極端な消費社会では親も子の成長が待てない。常に数値化されたかたちで成果を返されないと安心できない。また教育サービスの消費者として、常に最大のものを引き出そうとするからどうしてもクレーマー化する。

 こうした流れを食い止めるには結局新しい親密圏を築くこと、時間性を回復し、身体性を重視していく、そういうことしかない。

 これだけのことを書くのに果たして231ページは必要なものかとも思う。さらに著者の示す解決策も現実的なものとは思えない。
 しかしここに書かれた一連のことは、現実を見る上で重要な視点を与えるもので、読んで損のないものとも思う。





小野田 正利 著
悲鳴をあげる学校

―親の“イチャモン”から“結びあい”へ

( 旬報社 2006)

 題名を読んで、世の中の学校はどんなイチャモンに曝されているのか、きっと面白おかしく書いてあるだろうと思って買い求めたが、そんな軽い本ではなかった。

 著者は300を越えるインタビューと2000を越えるデータをもとに、
「なぜ学校は理不尽な要求を突きつけられ続けるのか」「理不尽な要求を突きつける親たちの真の目的は何か」
を丹念に解きほぐしていく。

 例えば、
 「小野田先生。ほんまに私、小学校の教師を二〇年やってるけど、困ったわ−。ある保護者の人は、『宿題が多すぎるから減らせ』と言ってくる。ある保護者の人は、『少なすぎるから、もつと出せ』と言ってくる。どうせえちゅうんでしょう」
 と聞かれることがよくあります。私は、笑いながらこう答えます。
「どっちも本当です。要は、宿題が多い少ないということが本質的な問題ではなくて、子どもの教育のことで悩んでいる保護者がいて、そのことをきっかけとして、それであんたと話がしたいんだ。こういうメッセージとして、それは解釈しないといけないんだ」
(P.151)

 これはまったくその通りであろう。

 鬱陶しい要求が次々と突きつけられると、私たちはついつい保護者をクレーマー扱いにしてしまうが、そうではない。保護者もまた、子どもと同じように自分の意思をきちんと表現できていないのだ。
 私たちは彼らの「本当に言いたいこと」を、その都度斟酌しなくてはならない。
 その意味で、十分に考えさせられる書籍であった。

 ところで、学校はなぜもこのように次々と要求を突きつけられるようになってしまったのか。
 小野田はこれについて、
二つの学校神話が関係しているという。

 この「学校神話」は学校を等身大の姿で評価するということよりは、そのことによって過小評価をしたり、過大評価をして学校そのものの実像をきちんと確認するチャンスを逃し続けてきたのではないでしょうか この 「学校神話」 ですが、大きくは二つあると思います。

 一つは、むかしからの「学校神話」です。それは「学校というのは子どもたちのためには何がなんでも全力を尽くすべき存在だ」というものです。そういう意味では学校教職員は日夜二四時間体制で奔走しています。私はそういう実態もよく知っています。

 もう一つは、ここ五、六年ぐらい前から、先ほど言いました規制緩和や公教育の 「改造」という問題とあわせたところで意図的につくり出されてきた神話です。つまり、それは「学校はすでに機能不全におちいっている。かくなるうえは構造改革を徹底的におこなうべき存在なんだ」というものです。
 私はこの二つの「神話」はともに神話であり、実像ではない、そして誤っていると思います。前者は「ほめ殺し」です。これはかつての竹下首相が皇民党から批判されたときによく言われたキャッチフレーズです。まさに前者の評価は、ほめ殺しなんだろうと思います。後者はまさに「やらずぼったくり」的な評価と決めつけです。つまり学校にきちんとした環境条件を与えずに、もうダメな存在だと決めつけて切り捨てていく、まさにえげつない主張です。


 しかし私たちはいつまでこうした状況に耐えていかなければならないのだろうか?
 これについて小野田は「三年」だという。
 しかし、あと三年踏ん張ってくれませんか。三年という言葉に根拠はないのですが″まともに冷静に″学校をみてもらうための期間が必要ですし、学校の役割の境界領域と協力についての ″合意の形成″を、やはり地道につくっていくしかないと思います。わたし自身も、口先だけでなく、研究者として具体的な改善策の提示に取り組んでいきます。

 私は本当に学校が動かなくなったのはここ3年と見ている。そしてひとつの歴史が終わるには10年はかかるという考えから、今日の状況あと7年はかかると思っている。

 あとはただ状況が変わるとき、日本の教育が回復不能なまでに破壊されつくしていないことを望むだけである。

 題名を読んで、世の中の学校はどんなイチャモンに曝されているのか、きっと面白おかしく書いてあるだろうと思って買い求めたが、そんな軽い本ではなかった。

 著者は300を越えるインタビューと2000を越えるデータをもとに、
「なぜ学校は理不尽な要求を突きつけられ続けるのか」「理不尽な要求を突きつける親たちの真の目的は何か」
を丹念に解きほぐしていく。

 例えば、
 「小野田先生。ほんまに私、小学校の教師を二〇年やってるけど、困ったわ−。ある保護者の人は、『宿題が多すぎるから減らせ』と言ってくる。ある保護者の人は、『少なすぎるから、もつと出せ』と言ってくる。どうせえちゅうんでしょう」
 と聞かれることがよくあります。私は、笑いながらこう答えます。
「どっちも本当です。要は、宿題が多い少ないということが本質的な問題ではなくて、子どもの教育のことで悩んでいる保護者がいて、そのことをきっかけとして、それであんたと話がしたいんだ。こういうメッセージとして、それは解釈しないといけないんだ」
(P.151)

 これはまったくその通りであろう。

 鬱陶しい要求が次々と突きつけられると、私たちはついつい保護者をクレーマー扱いにしてしまうが、そうではない。保護者もまた、子どもと同じように自分の意思をきちんと表現できていないのだ。
 私たちは彼らの「本当に言いたいこと」を、その都度斟酌しなくてはならない。
 その意味で、十分に考えさせられる書籍であった。


 ところで、学校はなぜもこのように次々と要求を突きつけられるようになってしまったのか。
 小野田はこれについて、
二つの学校神話が関係しているという。

 この「学校神話」は学校を等身大の姿で評価するということよりは、そのことによって過小評価をしたり、過大評価をして学校そのものの実像をきちんと確認するチャンスを逃し続けてきたのではないでしょうか この 「学校神話」 ですが、大きくは二つあると思います。

 一つは、むかしからの「学校神話」です。それは「学校というのは子どもたちのためには何がなんでも全力を尽くすべき存在だ」というものです。そういう意味では学校教職員は日夜二四時間体制で奔走しています。私はそういう実態もよく知っています。

 もう一つは、ここ五、六年ぐらい前から、先ほど言いました規制緩和や公教育の 「改造」という問題とあわせたところで意図的につくり出されてきた神話です。つまり、それは「学校はすでに機能不全におちいっている。かくなるうえは構造改革を徹底的におこなうべき存在なんだ」というものです。
 私はこの二つの「神話」はともに神話であり、実像ではない、そして誤っていると思います。前者は「ほめ殺し」です。これはかつての竹下首相が皇民党から批判されたときによく言われたキャッチフレーズです。まさに前者の評価は、ほめ殺しなんだろうと思います。後者はまさに「やらずぼったくり」的な評価と決めつけです。つまり学校にきちんとした環境条件を与えずに、もうダメな存在だと決めつけて切り捨てていく、まさにえげつない主張です。


 しかし私たちはいつまでこうした状況に耐えていかなければならないのだろうか?
 これについて小野田は「三年」だという。
 しかし、あと三年踏ん張ってくれませんか。三年という言葉に根拠はないのですが″まともに冷静に″学校をみてもらうための期間が必要ですし、学校の役割の境界領域と協力についての ″合意の形成″を、やはり地道につくっていくしかないと思います。わたし自身も、口先だけでなく、研究者として具体的な改善策の提示に取り組んでいきます。

 私は本当に学校が動かなくなったのはここ3年と見ている。そしてひとつの歴史が終わるには10年はかかるという考えから、今日の状況あと7年はかかると思っている。

 あとはただ状況が変わるとき、日本の教育が回復不能なまでに破壊されつくしていないことを望むだけである。




ついでに、併せて以下の2冊も読むとよい。
ひとつは、


関根 眞一著
となりのクレーマー

―「苦情を言う人」との交渉術
(中央公論新社 2007)


デパートの「お客様窓口係」の苦情対応の話である。
「苦情を言う顧客をクレーマーにしてはいけない」という点で勉強になった。

もうひとつはそれに失敗したばかりに裁判に持ち込まれた事例である。

福田 ますみ著
でっちあげ
福岡「殺人教師」事件の真相
(新潮社  2007)

「殺人教師」とまで報道された暴力教師、裁判で明らかにされたのは、
保護者の訴えのほとんどがでっち上げだったという事実・・・。





佐藤 幹夫著
自閉症裁判

レッサーパンダ帽男の「罪と罰」
(洋泉社  2005)

 2001年の4月に起きた浅草女子短大生殺人事件のルポルタージュ。この事件では容疑者がニッカボッカに縞模様のハーフコート、頭にはレッサーパンダの帽子をかぶるという極めて異様な姿で、日中ひとりの若い女性を惨殺した衝撃的なものだった。そのため報道各機関もこぞって取り上げ、世間の耳目を集めた。しかしその後、裁判の展開や判決を巡って大きな反響が起きることもなく、容疑者の責任能力が認められ、2004年11月、無期懲役の判決が下りた。
 軽い知的障害があるとは報じられたが、彼が自閉症で養護学校にいたことは最後まで伏せられたままだった。

 この本の著者は養護学校の教員を20年以上も勤めた特別支援教育の専門家である。そうした経歴のため容疑者支援の立場から取材を始めるが、次第にその視点を変えていく。自閉の者もその範囲内で、取るべき責任は取らなければならないのだ。
 しかし容疑者であるこの男に、どう責任を取らせることができるのか、通常の意味での「責任能力」あるのか、ないとしたら誰がその責任を取るべきなのか、それがこのルポルタージュの主要なテーマである。

 容疑者は他人が理解できるように、自己のことを説明できない。
 女性に想いを伝えるのに、刃物をちらつかせることしか思いつかないような男だからである。
 かぶっていた帽子は犬の帽子であってレッサーパンダではないと、どうでもいいことにこだわるかと思うと、その同じこだわりで自分に不利な要件を積極的に認めていく。弁護士が抑えようとしても決して怯むことはない。

 男には妹がいた。21歳で癌にかかった妹は、その治療費と生活費を捻出するために必死に働くのだが、男はその金を何の躊躇いもなく盗み出すことができる。冷酷なのではない。思いが至らないのだ。

 しかしだからと言って無罪としたのでは、何の落ち度もない19歳の無辜の女子大生は浮かばれない。遺族も耐えられない。

 男の保護者はどうか。
 母親はすでにこの世になく、父親もまた知的な問題を抱えていて、生活保護の意味さえ理解できない。

 男の通っていた養護学校の担当者はどうか。
、これも無理である。男は軽い知的障害ということで養護学校にいたのだし、高機能自閉という概念自体が、その頃は十分に浸透していなかった。
対処法は今も確立していない。


 結局、同様の「次の事件」を起こさないために、特別支援教育の強力な推進が必要とされるのだが、それがこの事件の悲惨を救うことにもならない。

 男は生涯を刑務所の中で過ごす(*)。彼の生の裏には二人の若い女性の死があるのだが、男は反省もできない。自分が命を奪った被害者に対しても、決して優しくすることのなかった妹に対しても、彼は心を寄せ、悲しむこともできない。

 実に暗澹たる気持ちにさせられる著作である。

*「無期懲役になった場合にその服役者は、一生外に出られない訳ではない。模範囚であれば10年ほどで出られる可能性が高い」といった言い方があるがそれは間違いである。「犯罪白書」(05年版)によると、04年に仮釈放された無期懲役囚数は全無期懲役受刑者1467人中3人。いずれも20年以上服役し、仮釈放許可人員の平均服役期間は27年2カ月という。10年あまりで出所できるなどありえない話である。






山脇由貴子 著
教室の悪魔

見えないいじめを解決するために
(ポプラ社  2006)

これはいかにも「毒書」の名にふさわしいトンデモ本である。

発売から2ヶ月で10万部売れたと言う。
一連のいじめ自殺報道が過熱しきっていた2006年12月20日発行だから、まさに時期を得たものだった。

 著者は東京都児童相談センターの心理司である山脇由貴子女史、年間100家族以上の相談や治療を受け持っているという。それだけでも権威ある著作であるが、どんな権威が書こうとも、いわゆるトンデモ本はトンデモ本でしかない。

 第1章では著者の指導に従ったおかげで「いじめ」を解決した「雄二君(仮名)」の相談事例を扱い、第2章では著者のあつかった「見えないいじめ」の事例を次々と紹介する。
 現代のいじめはクラス全体を巻き込んで、きわめて陰湿な形で行われる。いじめのターゲットは誰でもいいのであって、いじめの主犯たちは自由にクラスの子どもたちをあやつる。いじめの真相は親にも学校にもわからない、というのが趣旨である。

 第3章 なぜクラス全員が加害者になるのか?では、いじめは集団ヒステリーであり、いじめに参加しないと必然的にターゲットのされてしまう(したがって被害者であるひとりを除いて全員が加害の側に加わっていく)いじめの仕組みが語られ、
第4章 「いじめ」を解決するための実践ルール―親にできること、すべきこと、絶対してはならないこと
 
第5章 「いじめ」に気づくチェックリスト
へと続いていくのだが、確かに、この本を読んで普通の気持ちでいられる保護者は少ないだろう。なぜなら、
 いじめはもはや因果の鎖から解き放たれ、個人の性格や能力、家族関係や学校生活のありかたなどとまったく無関係に、全員が罹る一種の疫病なのだからだ。どんな子育てをしようとも、全員が加害者または被害者になるしかない恐ろしい病気なのである。
 しかし、本当にそうなのだろうか?
 
 著者は
いじめを「客観的に調査する」ことはナンセンスであるという。

 結局、いじめの本質は被害者にしかわからない。被害にあった子どもの言葉は、客観的事実とは異なっていても、それこそがいじめの実態であり、彼にとっての真実なのである。だから、彼らのいちばんの味方であるべき親は、その言葉をまるごと受け止め、真実として扱わなくてはならない。

 つまり子どもが「いじめられた」といったら、
 それが単なる友人同士の諍いなのか、
 わが子のやった何か悪いことの仕返しなのか、
 あるいは本当に単純な誤解なのかも知れない、といった一切の可能性は、まったく考えなくても良い、本人がいじめと言えばそれはいじめなのだということである。
 本来相互性のあるはずの人間関係が、ひとりが「いじめられた」と言うだけで、100対0で、叫んだ側に理があることになるのである。そんな人間関係というのはあるものだろうか?

 著者はさらに言う。
 
(学校は)まず子ども達に、「学枚としていじめの事実はあったと判断している。被害者以外は、程度の差はあれ、全員が何らかの形でいじめに関与、加担したと考えている。今後は被害者が安心して登校できるよう、いじめの問題に取り組むと同時に、次の被害者が出ないように学校と保護者全体で取り組んでいく」ということを伝える。
 
誰が何をしたのか、個々に子どもに聞くことは、意味がない。そんなことをすれば、みなが保身に走り、他人に責任を押しつけ、自分のせいではないと主張し、当事者意識がなくなってしまう。重要なのは、「全体で行われたことだ、被害者以外全員が加害者であると判断し、取り組む」というメッセージを伝えることだ。

 客観的事実は必要ない、いじめられた子がいじめられたといっただけで、数十人の子どもに対して、
 学枚としていじめの事実はあったと判断している。被害者以外は、程度の差はあれ、全員が何らかの形でいじめに関与、加担したと考えている。
と宣言しろと言うのである。子どもたちが一斉に目に炎を燃やし、怒りに打ち震えるのが目に見えるようだ。

 そんな横暴が通ると思っているのだろうか?


さらに
 学校は保護者全体にも同様のことを伝えなければならない。誰か特定個人によって行われたいじめではなく、全体によって行われたいじめであることを理解してもらう。
 客観的事実なしに、どうやって理解してもらうのだろう?
 普通の親だったら絶対に納得しない。 今度は30数人の親たちが怒りに燃える。
 我が子かわいさのあまり庇いたいのではない。取るべき責任は取らせたいが不必要な責任まで背負う必要はない。それが常識というものだ。しかも有無を言わさずいじめを認めさせるという横暴な仕事を、児童相談所はしない、親もしなくていい、学校が行えと言うのである。
 
 さらにまた、学校の横暴にさらされた保護者たちも、家に帰って同じことをしなければならない。
 私は、保護者達それぞれが、自分の子と話しあう必要があると思っている。学校の保護者会で聞いてきた内容を親それぞれが子どもに伝える。しかし親は子どもに、やったかやらないかを確認してはいけない。「一緒にいじめたの?」と責める言葉や「あなただけはやってないわよね」などという言葉は、間違っても口にすべきではない。
(中略)
  親として子どもに伝えるべきことは、いじめがあったということを知った、全員が加害者であったと理解している、今後はいじめをなくすための取り組みに、クラスの保護者全員で取り組んでいくという、大人の認識と姿勢である。


 
私は、保護者達それぞれが、自分の子と話しあう必要があると思っているの「話し合い」のこれが内容なのだろうか?
 子どもの言うことを何も聞かず
いじめがあったということを知った、全員が加害者であったと理解しているでは、話にも何にもならないだろう。
 こういうやり方をして子どもが引くはずもないし、万一やれば、親子関係に重大なひびが入る。
 そうした危険を冒しても、クラスの全保護者が山脇氏の思うようにしてくれるためには、それなりの仕掛けが必要なはずだが、それについては一言もない。
 
 『第4章 「いじめ」を解決するための実践ルール―親にできること、すべきこと、絶対してはならないこと』の最初の項目は、「@ 学校を休ませる」である。

 第一章の事例にもあるように、我が子がいじめにあっているかもしれない、と感じた時、最初にやるべきことは、学校を休ませることである。
 (中略)
 その際に、いじめの有無について、子どもに問いただしてはならない。被害者である子どもは必死に隠そうとしている。だから、親が、いじめにあっている、と感じたら、気づいたら、即刻休ませるべきである。


 この文章を読んで震え上がらない人はいるだろうか?

 
親が我が子がいじめにあっているかもしれない、と感じた時から、子どもは学校に出してもらえない。学校に出さないことについての話し合いもなされない。どんなに学校に行きたがっても、被害者である子どもは必死に隠そうとしている。と信じる親はその子を永遠に学校に出さないのだ。





穂積 隆信 著
由香里の死そして愛

積み木くずし 終章
(アートン  2004)

穂積隆信という人がどういう気持ちでこの本を書いたのか、私は疑っている。
私が書いたこの本を
父からの悔恨と愛の書だと思ってください

本人はそう書いているが果たしてそうだろうか?
主観的にそう信じているとしても、本当にそうだろうか?金儲けのためでないか?


1982年9月に出版された前作「積み木くずし」を、私はおそらくその翌年読んだ。私が教員になった記念すべき年である。
そのとき既に、私たちは「これはいけない」と思っていた。13歳の娘は、その本のもたらす厄災に耐えられないだろうと考えたのである。

しかしそんな憂慮をよそに、作者の穂積はマスコミの寵児となっていく。次々とワイドショーに出演したかと思うと、やがて講演活動に奔走するようになり、ついには私設の教育相談所まで持ってしまった。

「まて、それは違うだろ」
私たちはそう思った。まだ娘がしっかりと立っていない状態で、何の相談なのかと・・・、しかしそうした活動を重ねたおかげで、彼はわずかの間に4億円近い収入を得るのだ。。

やがて夫婦は金がらみで離婚する。
娘は「積み木くずしの娘」としてヌード写真集を売り出す。
程なく覚醒剤で逮捕される。
結婚する、離婚する・・・

しばらくニュースがないと思っていたら2001年、別れた妻の死が小さく記事に取り上げられていた(その死が自殺であったことを、今回初めて知った)。

2003年8月「積み木くずし」の主人公は35歳の若さで死ぬ。多臓器不全ということだが、穂積によれば拒食症のためである。


私は「積み木くずし」からたくさんのことを学んだ。これは私の教員としての原点の書といってもいい。
しかし作者自身は、自らの経験からほとんど学ぶことはなかったようだ。
この本の最大の価値がそこにある。
彼の行った全てのことは、親が親としてやってはいけないことなのである。


なおこの本の中に出てくる警視庁少年相談室の竹江孝技官、この人の指導には深く噛み締めるべきものがある。子どもの非行に立ち向かう術として、彼のやり方は20年以上経った今日でも全く輝きを失っていない。

一、子どもと話し合いをしてはいけない。
(親の方から絶対に話しかけてはいけない。子どもの方から話しかけてきたら、愛情を持って相づちだけを打つ。意見を言ってはいけない)


二、子どもに交換条件を出してはいけない。相手の条件も受け入れてはいけない。

三、他人を巻き込んではいけない。

(どのような悪い友だちだと思っても、その友だちやご両親のところへ抗議したり、また、電話をかけたりしてはいけない)

四、日常の挨拶は、子どもが挨拶しょうがしまいが、「お早う」「お帰り」「お休みなさい」等、親の方から正しくする。子どもがそれに応じなくても、叱ったり文句を言ったないこと。

五、友だちからの電話、その他連絡があった場合、それがいかなる友だちからのものであっても、事務的に正確に本人に伝えること。


一読を勧む。

穂積 隆信著
積み木くずし
―親と子の二百日戦争
(アートン; 完全復刻版 2005)







榊原 洋一 著
「アスペルガー症候群と学習障害」

ここまでわかった子どもの心と脳
(講談社+α新書  2002)

アスペルガー症候群と学習障害についてもう一度整理してみようと思って買い求めた。しかし副題の「ここまでわかった子どもの心と脳」にかなりウェイトがかかっており、アスペルガーやLDについてもう一度という気持ちからはやや期待はずれ、しかし脳や心の問題の最前線を知るという意味では大いに価値ある一冊だった。

第1章 子どもの心の発達は何でわかるか
最新の情報をもとに、子どもが新生児の時期からどのように育ってくるかを概説する。
たとえば「心の理論」は最近でこそ教育界に広まってきてはいるものの、まだまだ一般にはなじみの薄い概念である。それをこんなふうに具体的問題としておろしていくと、われわれが子育てにおいて何をしていくべきかが次第に明らかになってくる。

 叱るときには頭ごなしに「だめ」というのではなくて、理由をちゃんと説明するべきだ、という。でもそれは、子どもが説明を理解できてはじめて意味が出てくるのだ。他人に害を与えるような行為があったときには、相手の気持ちを考えるように説明することがすすめられている。でも心の理論が五歳前後で成立するのだとすれば、相手の気持ちを理解するように説得するしつけは、五歳以前ではあまり効果が期待できないということになる。
 だから三歳くらいの子どもが、他人に害を与えるような行為をしたときには、相手の気持ちになって考えることを促すようなしつけではなく、何か別の方法で本人に説明をしたほうがいいということになるのだ。幼稚園、保育園での子どもへの説明方法なども、これからはこうした心の理論などの理解のうえに立った方法を開発していく必要がある。

(少年法の問題に火をつけた筑波大教授の小田晋は、「だから、幼児の場合は『お尻、ペン』でいい」という。)

第2章 多重知能とワーキングメモリー  では最新の脳と心の理論が紹介される。子どもを持つ人にとっては、特にウンウンとうなづけながら読める章である。

第3章 まれではないアスペルガー症候群  、第4章 学習障害と脳の回路 で、ようやく本題のアスペルガー症候群と学習障害(LD)の紹介に入るが、この問題に深くかかわった人にはややもの足りないだろう。しかし逆にいうと、この問題に関する素人に話をしようとすれば、この二つの章は非常に参考になるといえる。  

終 章 子どもの心の障害と現代社会
 心の問題が増えているように見えるが実はそうでないこと、子どもに社会力をつけることが強調されているが、本のまとめとしてはやや平凡な感じもしないわけではない。

全体として悪くないものであるが、この本の魅力はなんといってもそちこちにちりばめられる、各国心理学者たちの研究成果である。

たとえばこんなのはどうだろう。

 電車などで乳児用のバギーに座った乳児が乗ってくると、私はこの視線を理解する能力の実験をよくやる。声を出さず、顔の表情は変えずに、視線だけをその乳児と合わせるのだ。すると数メートル以上離れているにもかかわらず、たいていの乳児は私と視線を合わせる。

(中略)

たいていこちらが見つめているあいだじゅう、乳児もこちらにまっすぐに視線を返してくる。こちらも実験(!) なので、がんばって視線を送り続けていると、やはりずっと見つめていることに不安になるのか、ちょっと視線を外すがすぐにまた視線を返してくる。電車のなかで他にたくさんの人が乗っているにもかかわらず、視線を媒介として乳児と私のあいだに瞬時に強い関係が生じるのだ。

 この世に生まれて数カ月しかたっていない乳児にとってさえ視線はこのように重要な意味を持っているのである。
 視線を交わすことは、乳児と大人という二者間の関係だが、しばらくするとこの視線を介した二者間の関係は、大きな変貌をとげる。生後九カ月の乳児は視線を交わしていた相手の大人が視線を移すと、敏感にそれに反応するようになる。そして移った視線の先に自分も視線を移動させるようになる。ちょうど自分の興味のあるものを指さしで示すことができるようになるころだ。


知らず知らずのうちにこのゲームをやったことのある人もいるのではないか。私も、このゲームは好きだった。思わず「そう、そう」と言いたくなる場面である。


また、
 アメリカで行われた疫学調査では、小学校二、三年生の男子の8.8パーセント、女子の6.5パーセントに読字障害があるという。たしかに、日本でも漢字の書き取りで苦労する子どもがいるが、これほど多くはない。どうしてこんなに読字障害の子どもがいるのかといえば、アルファベットを使っているからだといわれているのだ。こうした読字障害の子どもたちは、英語をしゃべったり、聞き取りをしたりすることに問題はない。しゃべり言葉の発達はふつうだったのだ。けれども、アルファベットで記された単語や文章を読む段になると、急にできなくなってしまうのだ。

 よく調べるとこうした子どもたちは、一つ一つのアルファベットは読める。だから「read」という単語を見て、「アール」「イー」「エイ」「ディー」と読みあげることはできるのだ。また「read」という単語を、字を見ないで会話のなかで使うことにはまったく支障がない。

 こうした子どもたちにできないことは「read」という単語が、読むを意味する「リード」という発音になることがわからないのだ。日本語にたとえることは正確にはできないのだが、無理矢理に比較をすると、「概ね」「予め」を「おおむね」「あらかじめ」と読むことがわからないようなものなのだ。

(中略)

 英語ではアルファベットを二十六文字覚えればすむので、二通りのカナと数千の漢字を覚えなくてはならない日本語は、英語より学ぶのがたいへんだと思っている読者の方が多いのではないだろうか。ところが英語を覚えることもたいへんなのだ。

 日本語のカナは、ごくわずかな例外を除いて一つの字に一つの読み方しかない。わずかな例外は、助詞として使う「は」を「わ」、「へ」を「え」と発音することくらいだ。たしかに漢字はむずかしい。何通りも読み方がある。しかし、音読しなくてよいのならば、発音はわからなくても意味を理解することはできる。
 ところが英語は、アルファベットの組み合わせで、発音をあらわす。日本語の母音は「アイウエオ」 の五つしかないが、英語には母音が連なった二重母音まで入れると三十四種類もの母音がある。そしてその母音をあらわすのに、たった七つのアルファベット(a、@、u、e、o、y、w) しか使えない。カナには一通りの読み方しかないし、漢字もせいぜい二〜三通りだ。数は多いといっても、その読み方は固定されている。ところが英語では同じ文字や文字の組み合わせでも異なった発音になる。

 たいていの子どもは英語を読むときに、その音を頭のなかで響かせて意味を取る。I read a book.は「アイリードアブツク」という音として頭のなかで音読されて、私は本を読むという意味がわかるのだ。ところが多くの読字障害の子どもは「ea」という母音をどう響かせるかわからないのである。なぜなら、どんな単語のどこにくるかで「ea」の発音は何通りにもなるのである。英語を母国語としない私でも、「ea」が異なった発音となる単語をいくつも思い出すことができる。たとえばeagle、ear、heart、early、ready、tearはみな違った発音になる。

日本の15歳の子どもが世界最高レベルの学力を誇れる秘密は、もしかしたらこのあたりにあるのかもしれない。




西林克彦
「間違いだらけの学習論」

なぜ勉強が身につかないか
(新曜社 1994)

帯に
ベストセラー『「超」勉強法」(野口悠紀雄)が現代的な記憶術の実用的ノウハウとして推奨。
とある。これに惹かれ買った。しかし記憶術の実用的ノウハウというのとは少し違う。それよりははるかにレベルの高い学習指導論である。
非常に面白かった。

教科書が薄くなればなるほど難しくなる、というのは私たちの実感であるが、なぜそうなるのかについて科学的に説明するのは難しい。本書はそういうことにも実に簡単に答えてくれる。

また、
経験が大切といったって、生まれてから何度となく見てるはずの月でさえ、冬と夏とでどちらが高い位置にあるか、私たちは知らないではないか、といわれると思わずドキッとしたりする。

 教授活動に関する教育的な信念には、「身近なものほど興味をもたれやすい」をはじめとして、「身近なものから遠くのものへ」という同心円的な指導理論や、「具体的なものから抽象的な認識へ」「実験や観察から理論へ」などなど、たくさんあります。これらは、これをまもれば効果的な学習指導がいつも成立するというものではないのですが、強く信じられていることが多く、効果的で多様な学習指導を模索する障害になっている面も見逃せないように思います。(p.144)

とりあえずすべての学習理論を疑ってみる。
なかなか刺激的な本である。





小塩隆士
「教育を経済学で考える」
(日本評論社 2003)

憲法第二十六条 〔教育を受ける権利、受けさせる義務〕
1 すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。
2 すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。


この条項をもって「教育は国民の権利であり義務ではない」「義務教育とは保護者に『学校に行かせる義務』のある教育のことであって、子どもには行く義務はない」とする考え方がある。
確かに、文を見る限りはそうである。

しかしそうであるにもかかわらず、教育について「子どもたちにあるのは権利だけであり義務はない」とする考え方には癒しようのない違和感が残る。
なぜなら
日本の各自治体は膨大な教育費を使って子どもを育てているのに、その金を使って子どもが自由に勉強して(あるいはしなくて)いいはずはないではないかと感じるからである。

生涯子を持たなかった人にとって、自分から奪われた税金が学校教育に投入されることにどういう意味があるのか、
大学に進まなかった人にとって、自分の血税が大学教育に使われることにどういう意味があるのか、
それらに関する説明は、憲法の国語的解釈からはまったく明らかにされてこない。
本書はそうした疑問によく答えるものである。

市場原理主義の、市場でなにもかもが解決するといった説明や、逆に「本当の生きる力」という理念先行の言葉で説明される教育論が一面しかとらえていないことを、いずれも経済学の側面から明らかにしてくれる。
一読の意味はある。



 


両親悔恨の手記
「息子が、なぜ」
名古屋五千万円恐喝事件
(文芸春秋 2001)

 2000年4月に発覚した世に言う「名古屋・中学生5000万円恐喝事件」のルポルタージュ。
 実際には週刊文春の記者(松田史朗)がインタビューの上まとめたものである。
 松田はその前書きにおいて次のように言っている。

「本書は、加害少年グループの中で″主犯格″とされた白石康介君(仮名) の両親が、"加害者の親"の立場から見た事件の推移と、康介君の生育歴について語った内容をまとめたものである。
 営業畑を歩んできたサラリーマンの父と、看護婦の母、五歳上の姉 − ごく普通に見える家庭で育った康介君は、なぜこの恐喝事件を起こしたのか? どのようにして、″ワル″となっていったのだろうか?
 家庭内の細かな事情まで踏み込んだ長い長いインタビューの中で、白石夫妻は親としての責任を回避する姿勢は見せず、また幾度となく『何が間違っていたのだろうか』と自問を繰り返した。
 人に感情を伝えるのがやや不得手だが実直な人柄、というのが夫妻に対する私の印象である。だが、その実直な両親を持ち、家庭的にも、経済的にも決して特殊とは言えない環境に育った康介君が、この事件の主役のひとりとなったことも、事実である。息子がなぜ、という白石夫妻の自問は、決して他人事ではない。」


 幾度となく『何が間違っていたのだろうか』と自問を繰り返した。
 犯罪少年の親たちの自問は常にそうである。
「何が間違っていたのか」
「どこで間違えたのか」
「どこをどうすれば今日の悲劇を回避できたのか」
 しかし本書を読み進める人々には、両親の謎を共有しない人が多いだろう。

 ありとあらゆる場面が間違っていた。
 祖父母のあり方が間違っていた。
 舅と嫁との間のトラブルの調整の仕方が間違っていた。
 子育ての大切な時期に、子の傍にいないという点で間違っていた。
 一度決めたことを守らせきらないという点で、間違えていた。
 認めてはならないことを世間体のために譲歩するという点で間違っていた。
 子どもとの対決を回避すると言う意味で間違っていた。
そしてなによりも、愛情表現のしかたにおいて間違っていた。


 そういうことが読者には分かるのである。

 たとえば、こんな一節はどうだろう。
「勉強が苦手な康介でしたが体育は得意でした(中略)体育と、やはり好きだった美術以外の教科は、ほとんど成績は下位で、『康介の成績はオイッチニ、オイッチニだね』と笑ったことがあったほどです。でも、成績が悪くても、健康な体と健全な心を持って、人助けが出来たり、人に優しく出来る子になってほしい。男らしく、自分の力で生きていけるようになればいい。勉強だって、本人が本当にやらなくてはいけないと思う時期が来れば、きっと一生懸命やるだろう。私たちはそう考えていましたし、康介本人も、学業成績が良くないことで悩んでいる様子はまったくありませんでした。むしろ、堂々としていました」 (P149)

 これは全体が「逃げ」だ。
 もちろん成績が良くても不健康な体と心を持って人に冷たい子になるより、
「成績が悪くても、健康な体と健全な心を持って、人助けが出来たり、人に優しく出来る子になってほしい」と思うのは当たり前だ。
 しかし、待て。子どもというのはそうした二者択一の世界にいるのだろうか? 成績と人格とは、本当に反比例するものなのだろうか?

 「勉強ができない」といったって、できなさに程度がある。
『康介の成績はオイッチニ、オイッチニだね』は、笑い合っていいことではない。
 そんな子は学校では生き生きと生きていけないのだ。
国語の時間に指名されてたどたどしい読みしかできない子。
 10点満点の漢字テストで1〜2点しか取れない子。
数学の時間に、いつ指名されるのか毎時間毎時間おびえて過ごす子。
 そういう子どもの惨めさ、情けなさ、悲しさにすこしでも心を寄せるなら、
 一緒に笑い合うなどということはできなかったはずである。
 そこに気づいたら、抱きしめて一緒に泣かなければならない。

 この両親は息子を知らない。
息子を理解できるほど、息子の近くにはいたことがない。

 父親の過ちの第一は、家族に問題があり妻や子が不安定な時に、そこから逃げるようにして会社に居続けたことにある。
 そんな難しい家庭にいるより、仕事はずっと楽しいものだった。
「ある程度の役職をいただいたりすれば、周囲の見る目も違い、仕事も楽しく、励みにもなります。仕事はやり甲斐があり、やればやるほど手応えも感じられるようになる。(中略)この10年間、私は心地よい緊張感のなかで充実していました」(p.106)
 しかし家庭から見ると、家庭を顧みず自己に耽り込むという点で、それは遊び人の父親とほとんど変わりがない。
違うのは金を持ち出すか持ち込むかだけである。

 この人たちはまた、一度決めたことを子どもに守らせきらない。
 姉の時は許さなかったゲーム機を弟(加害少年)にはいとも簡単に許してしまう。(p.125)
 別のTVゲームを買うときに約束した「池田君と付き合わない」という約束も、簡単に反故にされてそのままにしてしまう。(p.138)

 茶髪を「染め直して来い」と命じて息子に「分かった」と言わせながら、翌日染め直してなかったときに、なぜ新たに猶予期間をつくり「その期間内に染め直してこい」と改めて言わねばならないのか。その場でコンビニへでも出かけ、市販の染料を買って来ようとしなかったのはなぜか?(買いに行ったら売っていなかったというのならいい。そこまでやるのだという姿勢を見せればそれでいいのだ)
 さらに、母親は美容院に行きなさいと言って渡した6000円がどうなったかについて、全く思いを致していない(結局、少年は市販の染料を買ってきて一度は染め直した。そういうやり方も理解できない)。(p.156)
 携帯を買い与え、その使用料が必要とのことで小遣いを値上げ(2000円から6000円に)しながら、少年が使用料を払わないにもかかわらず小遣いを元に戻さない。
等々

 それにまず、約束のしかたが違うだろう。
「池田君と付き合わない」は不確定な要素である。しかしTVゲームに支払った金は確実なもの、携帯の支払いをするかどうかは不確定な要素である。しかし値上げした4000円分は確定したものである。
 普通私たちは、不確実なものに金を払うことをギャンブルと言う。
なぜ、この両親は子ども相手にギャンブルを繰り返すのか。

 三番目。
 この両親は子どもに対する愛情がない。あるかもしれないが間違っている。
「私たちの世代からすれば、茶髪イコール完全な不良、というイメージでしたから、ここまで来たか、とショックは隠しきれませんでした。」(p.155)
ということと、
 康介が喫煙をしていることは、この頃には私たち親も知っていました。しかし、バイクの窃盗事件などを起こしていたこともあり、外で煙草を吸っているのが見つかればもっと大変なことになると思い、「外では吸うな。家の中でなら、吸ってもいい」と、結局、喫煙そのものを許可してしまったのです。(p.173)
との差はどこにあるのか。
 茶髪と喫煙を分ける違いはどこにあるのか?(普通は法律違反の喫煙の方がより悪いと感じ、こちらにこそショックを受けるべきではないか)。

 そして第4に、この両親は自らは子どもとの対決を常に回避する。

 康介にとってパチンコ屋に入ることぐらいは、まったくためらいがなかったと思います。ただ、心配だったのは(パチンコをやるお金が康介にあるのか)という問題です。当時、康介の小遣いは月一万円でした。
 本人が言うには「自分が負けても、友だちにお金を借りて、次にやったら勝った。そうやってお金を回している」というのですが、私は(そんなにうまく行くはずないよなあ)と思いました。しかし、康介たちは学校に行かず、他に行くところもなかったし、もっと大きな悪さをするよりは、まだパチンコのほうがましとも思っていたのです。(p.202)

 心配ならなぜはっきりさせなかったのか、「もっと大きな悪さをするよりは、まだパチンコのほうがまし」かもしれないが、普通の生活から考えると、中学生がパチンコ三昧の生活をするのは極めて異常な状態である。
 なぜ、その地点で戦わないのか。

 最近は、中学生、高校生の卒業旅行でも北海道とか、中には海外に行かせる家もあると聞きました。私は、長女や康介が小さい噴からよく白馬に連れていきましたし、あの青空の下で滑るというのは非常に気持ちがいいし、今の康介の体にも心にもいい影響をもたらすだろう。少なくとも名古屋でグズグズとパチンコ屋に行っているよりは、遥かに良いことのように思われました。(p.209)
 冗談じゃない、中学生だけで遠くへ旅行に出るのは全く普通のことではない。
 しかも子どもだけで外に出してよいほどきちんと育った連中ではないはずだ。なにが、いい影響をもたらすだろう、だ。

 母親は言う。
 「ひょっとしたら、あの子が善悪の区別がつかない子になった原因は、康介がまだ私のお腹にいるとき、私が家族から孤立していて、祖父母とのトラブルを避けようとするあまり、変なところで『見ざる、言わざる、聞かざる』になってしまって、気づかないうちに康介の気持ちや思いを押しつぶしてしまっていたせいかもしれません」(p.232)

違う。
 原因は息子とのトラブルを避けようとして『見ざる、言わざる、聞かざる』になってしまったことにあるのだ。

 最後に、結局この親は自分のしてきたことの意味も理解せず(理解しても認めることをせず)、子どもを囲い込み、安易に子どもの歓心を買おうとし、責任は他人に押し付けることしかしてこなかった。

「この頃には中学生とはいえ、携帯電話を使っている子どもが増えてきていましたので、結局、PHSを買うことにしたのです。」(P153)

 実際、樋口君の家に電話をしてみると、親御さんも知っておられました。樋口君のお母さんに「うちもよくスノーボードをしに行っているんです。そうですか、康介君も一緒ですか」と言われ、親同士安心してしまいました。(P.209)

 卒業式にも出席できない康介を想う。本人の行いの結果とはいえ、あの子の性格がいつも裏目の結果を招くようで不憫でしょうがない。中学校の卒業式は人生の節目であり、大切な思い出を残すにも不可欠となるはずなのに……馬鹿な康介が痛ましい。健康な子供であればいいとそれ以上望むことなく育てたつもりなのに卒業式にも出席できず、本来なら今日は家族揃ってささやかな卒業祝いをするはずだったのに、無事でいるか、携帯TELも使えないような状況に陥っているのでは・・・。(p.216)

 編集者の松田史朗も言う。
 「事件の舞台となった扇台中学校は、名古屋市緑区の閑静な住宅街にあり、生徒数も千名を越すマンモス校で生徒の平均成績も優秀だという。
 だが、康介君ら不良少年グループの居場所は、そこにはなかった。通常の授業から隔離され、保健室登校を強いられていたのである。服装の乱れを指摘されたり、態度が悪ければ、校門の前で教師に追い返されてしまうこともしばしばだった。
 他の生徒―あるいは教師―の″平穏″を乱す存在であった康介君たちに、非がないわけではなかった。しかし、学校から追い返された中学生に、行くところはない彼らは、仕方なく自転車で中学校の周りをぐるぐる回ったり、校舎の中にいる友だちに向かって、大声で呼び掛けたりしていたという。」
 
 学校の平穏を乱す子であっても学校は受け入れ、不良少年の居場所をつくるべきだ。
 その通りかも知れない。しかしその理念の、現実的な意味を松田は知らない。





和田秀樹・河上亮一・小浜逸郎ほか著
「息子を犯罪者にしない11の方法」
(草思社 2000)

執筆者は以下の通り錚々たるメンバーである。

飯塚真紀子(ロサンゼルス在住ジャーナリスト)・春日武彦(精神科医)、河上亮一(公立学校教諭)
川島幸希(秀明学園理事長)・蔵谷浩司(私塾指導者)・小浜逸郎(評論家)・斎藤環(精神科医)
高山文彦(ノンフィクション作家)・中山治(心理学者)・森口朗(都庁職員・学校主査)・和田秀樹(精神科医)
いずれも教育ジャーナリズムでは名をはせた人々ばかりである。
しかしこうして11人を並べて一時に読むと、その深さと浅さにはおのずと差が見えてくる。

基本的に現場のを知る人間の言葉は重く、取材だけでのを書く人間は軽い。

ただし情報の伝達というものは、その言葉の確かさや経験の重みとは必ずしも重ならない。
重なるのはむしろ読み手の能力や欲求であって、読み手が欲しがっている情報は言葉本来の重みとは無関係に、その人の心に重く落ちるものだ。

たとえば次のような文はどうか。

(酒鬼薔薇聖斗について)私はここに文学や芸術の発生の可能性をみるけれども、彼が不幸だったのは、たとえば 『ただれる脳』 という赤い紙粘土にカッターの刃やホチキスの針をいくつも突き刺した作品を図工の授業でつくったとき、教師から気味悪がられ、常軌を逸しているという理由から『つくるな』と言われたことだ。一つの純粋なオブジェとして受けとめ、シュールレアリスムの幼い萌芽としてなぜ迎えてやれなかったのかと思う。教師は事情聴取で「つくるなと言ったのに、何度も同じものをつくって来た」と話しているが、これはあらゆるものから自由でなければならない表現活動への冒涜である。個性への侵犯である

 ダリはダリであってダリ以外の何者でもない。彼は狂気にもっとも近いところにいたが、それでもしかし天才だった。
訳の分からないものをつくる者が皆ダリであるはずはないが、もしそうだとしたら私たちはチンパンジーの描く絵の中にも才能を感じなければならなくなる。

 そもそも「赤い粘土にカッターの刃やホチキスの針をいくつも突き刺した作品」でも「シュールレアリスムの幼い萌芽」として見なければならないとしたら、図工教育は存在しなくなってしまうだろう。

子どもたちはただ描かされ、誉められていく。何を描いても良し、何をつくってもよし、場合によっては何もしなくても良し.(現代音楽の中には90分間に渡って無音のまま終了するというとんでもないCDだってある)

「表現活動」が「あらゆるものから自由でなければならない」としたら、
無垢の児童の首を校門に掲げるといった究極の表現は、どうなるというのか。

少年Aの場合、家庭に彼の犯罪の原因を求めるのは不毛な議論である。このような子どもはこころの中に堅牢な"秘密の王国"を築いている。彼はその王国に君臨する王であって、親は召使に過ぎない。彼には他者が必要であった。その他者とは権力をもって彼を制圧しようとする他者ではなく、ともに楽しみ、ともに苦しむ、共感共苦する伴走者としての他者である。学校の教師にこそ、そうした伴走者がいてしかるべきだと思うが、残念なことに皆無であり、彼らはむしろ少年を排除する側にまわっていた

 熱心な神戸事件のウォッチャーであった私も、酒鬼薔薇聖斗の親が「召使」であった事実を知らない。少なくとも、一般が目にすることのできる情報の中にそのようなものはなかったはずである。
 しかし高山文彦が独自の調査によって「親が召使であった」という事実をつかんでいたとしてもだからその「堅牢な"秘密の王国"の王」の伴走者を教師が勤めるべきであったというのはどういうことか。
 
子どもとともに楽しみ、ともに苦しみ、共感共苦すべきはやはり親ではないか。百歩譲ってもその役は「友」が担うべきものであり、
40人の個性に40通りの方法で伴走できる教師というものを、私は空想することすらできない。
 筆者は真面目にそうしたものを想定しているのだろうか。

 高山文彦は『息子を犯罪者にしない11の方法』におけるもっとも悪い例であるが、これと並べるとき、
斎藤環(『社会的ひきこもり』の著者)、
蔵谷浩司(全寮制のフリースクール主催者)、
森口朗(世田谷区小学校主査)
といった現場の人々の観察は、むしろ異様なまでの輝きを増す。

『息子を犯罪者にしない11の方法』は多くの人々に読んでもらいたい書である。
 したがって延々の引用は避け、ごく一部だけを紹介する。

親子関係が完全に対等であり得るなど幻想でしかないし、秘密や隠し事の一切ない人間関係は、およそ成熟した人間同士のそれとは言いがたい。大切なのは、やり取りが一方的になっていないかどうか、この一点のみだ。この意味では、一方的な受容も一方的なお説教も、同じくらい問題があると言うことができるだろう
(斎藤環)

一般に『キレる』子どもは、自己中心的なわがままが許される家庭で育った場合が多い。わがままな子ほど、他人に受け入れられず、集団の中でバランスをとりにくい。私の分析では、自己防衛のためにわきあがる恐怖心が、キレる衝動につながるようだ。とりわけ我慢を強いられるときに、それがあらわれる」(蔵谷浩司)

だが、『親のしつけ』の悪さを嘆こうが嘆くまいが、学校を平穏に運営するためには、最低限のルールを生徒に守らせなければならない。知育の落ちこぼれは、学校運営に支障をきたさないが、徳育の落ちこぼれは学校運営に支障をきたす。
 それゆえ学校は最低限のルールを守る訓練をかねて時代遅れの校則を守ってきた。また、地方の公立高校では名門校は校則がゆるい分、エリートの自覚がうながされ、底辺校には厳しいというように、その生徒集団のレベルに応じた徳育が実施されていたりもした。
 ところが全国的な校則廃し運動が、このモラル形成訓練を瓦解させてしまった。そうなると、学校はいよいよ最低レベルの人間にあわせる『護送船団方式』を取らざるを得なくなる。それが、『他人に迷惑をかけるな』式の徳育なのである」
(森口朗)

これが評論におけるレベルの違いというものだ。


 


鳥越俊太郎・後藤和夫著
検証◎金属バット殺人事件
「うちのお父さんは優しい」
(明窓社 2000)

1996年11月東京都文京区で、父親が家庭内暴力の息子(当時中学校三年生)を金属バットで殴り殺すという事件があった。
その父親が東大卒であったことから特に注目される事件となった。
その事件の「検証」ということで期待して購入したのだが、裁判記録を除いて、見るべきものはほとんどない。

学校に問い合わせても誰も答えてくれなかった、
被害者の友だちもみんな口を閉ざしてしまった。
近所の人たちも喋ってくれない、加害者にもその妻も手紙を書いたが返事をくれなかった。
裁判では検事も弁護士も、私たちが聞きたいようなことは何も訊いてくれなかった・・・・・・・・。
と、延々の言い訳でさっぱり要領を得ない。

この程度の取材なら素人の私にもできそうなものだと思った。
新聞社や放送局のつくるルポルタージュは往々にしてそうである。
とにかく拙速なのだ。
新聞・テレビといった即時性を重要と考えるメディアは、しばしば深みより速さを求める。
そのことがハードカバー328ページという大部にもかかわらず、内容を極めて薄っぺらなものにしてしまうのだ。

ではこの本はまったく読むに値しないかと言うとそうではない。
全編に盛り込まれた相当量の裁判記録がさまざまなことを教えてくれるからである。

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被害者の家庭内暴力の原因は最後までわからない。
被害者の姉の
「あれだけ生きているときに分からなかったのが、死んで一体なにが分かるのか、絶対にわからない」
という証言は一通り以上の迫力を持つ。
ただ、被害者の保育園時代の保母に「数年にひとり」とまで言わしめたほどの過敏な子が、ある日母親に小さな暴力を行い、それを押さえきれずに2年以上が経過して、振りかえってみると取り返しがつかないところまで来ていた、ということだけが明らかにされる。

その間、加害者は必至に本を読み、カウンセリングにも通いつづける。

二・三年前のこの方面の状況を知る人なら、本に何が書かれ、カウンセリングではどんな指導をうけたかは、大方想像がつくだろう。
「1番大切なのは親の愛」
「受容すること」
「子どもを受けとめてあげなさい」
「本当に苦しんでいるのは、むしろ子どもの方」
「親が信じて待てば必ず子どもは正しい方向に進んで行く」
等々
しかしほんとうにそうなのだろうか?
もし本当だとしても、普通の親が普通に受けとめる範囲で、それらのアドバイスは必ず良い結果を生むのだろうか?

例えばよく聞くような次の言葉から、私たちが何を考え、どのような具体的行動をとれば良いのか、分かる人は少ないはずだ。

「子どもたちの問題行動を前にしてまず大切なのは彼らが言葉に出来ない気持ちを行動の背後に訴えているのを読み取る努力をすることです」

理屈としてはその通りだ。しかし、そのような難しい心理的な読み取りが普通の親に可能だろうか?

果たして、加害者は息子の暴力を全面的に「受容」するようになる。その間の具体的事実は読むだに耐えないものであるが、それは別に置こう。しかし次の点は見過ごすことはできない。

暴力の辛さに耐えかねて相談に行ったカウンセリングクリニックで、
言ってみれば、奴隷のようにこき使われるのが耐えがたい」と訴えたら、先生は「そういうことも一つの技術です。お父さん頑張ってください」と言いました。私は、「ああ、これも一つの技術なんだ」とストンと胸の中に落ちてきて、ホッとしました。
加害者(父親)は、これで完全に息子の暴力から逃れられなくなってしまう。

このカウンセラーも被害者の家庭内暴力を
言葉に出来ない気持ちを行動の背後に訴えている と考えたのだろうか。
その「背後の言葉」が聞こえるようになるまで「過酷な使役」を感受するのが正しいと考えた、それがこのカウンセラーの考えである。

しかし同じ事実から考えられることは山ほどある。
事実、次から次へとものに対する要求が上がっていく事に関して、著者の後藤は加害視(父親)とは別のことを考えている。

「しかし私たちも何かあるのではと考えざるをえなかった。イジメとまでいかずとも、政彦(被害者)が自分が欲しくないものまでも、誰かのために要求していたのではないかと思える節があるからだった。」
つまり恐喝を考えているのだ。

だがしかし同じ事実から、「うちの子がなぜ!」の著者である佐瀬稔だったらこう考えただろう。
「政彦は止めて欲しかったのだ。親に暴力を振るうまでになってしまった自分を親に止めてもらいたかったのだ。要求の水準を上げれば、暴力をエスカレートさせれば、きっと親は止めてくれる。親に本当の愛情があれば、こんなになってしまったボクを全身で押さえてくれるはずだ」と。

判決は懲役3年。父親は上告もせず刑に服した。

今は一民間人に戻った父親に対して、私に言うべきことがあるとしたら次の3点だ。

1、あれだけの暴力に対峙しながら、あなたは遂に、被害者【息子)自身の問題とは一度も対決しなかった。
「なぜ暴力を振るうのだ」「何が苦しいのだ」
「暴力にまで訴えてお前が果たそうとしたいことは何なのか」と、
なぜそう問わなかったのだ。
原因を探ることは無意味だというが、それこそ素直で人間的なコミュニケーションではないか。

2、終わってみれば結局、あなたは被害者(息子)を世間から隔離しただけだったのではないか。
あなたが必死に取り組んだことは被害者(息子)の更正だったのか、それとも被害者(息子)の家庭内暴力を世間の目から隠すことだったのか、それについて、私は疑いを持つ。

3、しかしそれらを踏まえても、あなた以上に子に向かおうとする父親もそうはいまい。あなたは多くの場面で道を誤った。しかしそれは人間としてしかたのないことだった。私は、あなたを深く支持する。

最後に、加害者は裁判の中で次のように言っている。
「私が1番思うのは、家庭内暴力の対応を巡って、間違ったことは暴力を受け入れたことです。子どもを受け入れることと切り離していかなければいけなかったと思います。暴力を受け入れないというのを原則とすることです。程度は違っても、軽くても受け入れない、対応は難しいのですが。私がここで言える最小限の過ちのこととして、そのことは言えることだと思います」
では、具体的にどうすればいいのだ?
この言葉から私たちは、どんなイメージを浮かべればよいのか?

これについて、加害者(父親)は別のところで実に明快な回答を与えている。
「暴力を受け入れてはだめだが、不安とか苦しみ、悩みだけでなく、怒りも受けとめてあげる、それを言葉に表すように援助してあげるという形で、受けとめる、暴力は厳しく止める、原則としてそうだと思っています」
まったくその通りだ。
私はこの父親を抱きしめながら、ともに深く泣きたい気分になった。





佐瀬 稔著 
「うちの子がなぜ!」
〜女子高生コンクリート詰め殺人事件〜

(草思社 1990)

まず次の文を読んでいただこう。
(最後のリンチが行なわれ、ぼろぼろになった被害者を放置して町に出たとき)
 「一夫先輩が『あいつ、死ぬんじゃないか』と何回も繰り返しました。ぼくはそんなことあるわけないと思ったし、あんまりしつこいので、先輩は……狂ったと思いました」

翌日、死んでいるのがわかったね。そのとききみはどうした?

「自分と次郎先輩は、笑いました」

どうして?

「よくわからないんですけど、とにかく、大声というか。なんで笑ったのか、よくわからないんですけど……」

もちろん楽しくて、笑ったわけじゃないんだね。


「はい」

1989年に東京都綾瀬市で起こったいわゆる「女子高生コンクリート詰め殺人
事件」、
路上で女子高生を拉致し、一ヵ月にわたって監禁。暴行の限りを尽くした上で殺害、遺棄。
それだけでも事件の深刻さがうかがえるが、以下のような事実が分かるにつれて、社会に大きな衝撃をあたえることになった。

 犯人の4人の少年(18〜19歳)はそれぞれ「不登校」「家庭内暴力」「ファミコン」「学業不振」「高校中退」「非行」等、現代の教育問題をフルセットで抱えている。だからといって彼らの家庭に大きな過ちや欠損があったとはとても思えない。ただし小さな過誤や基本的な間違いも少なくない。

 その内のひとつ、すさまじい家庭内暴力の後、この犯行に加わることになった三雄(仮名)の家では・・・・・・

証言席で「次男の家庭での暴力沙汰はいつごろから始まったのか」とたずねられた母親は
「中学2年生ころからだったと思います」と答えた。

これに対し「きみはなん歳のころから、お母さんに暴力をふるうようになったのか」と聞かれた三雄は
「小学校5年生のころからです」とのべた。
暴力を振るった側には、小学校5年生のときすでに「殴る」という意図がはっきりと存在していたのだが、振るわれる側には「やられた」実感がない。
当然、その記憶もない。代わりにあるのは、幼いころからの甘えの動作がなお続いている、という認識だけだった。

 
 母親も無力だったが、父親も別の意味で無力だった。
 三雄の家庭内暴力が始まり、ついに父親までもが殴られたとき、
空手の素養があるから、こんな息子は一撃で倒すことができる。しかし「いかなる暴力も悪である」と説く本を読んで以来、おのれの力を「封印」してしまった父親は「殴りたければ殴れ」となすがままにまかせ「いつかは父親の気持ちを息子が理解するはずだ」と考え続けていた。
 しかし、実際に父親の気持ちを息子が理解したとき、「犯罪史上においても稀に見る重大かつ凶悪な犯罪」(検察の発言)は裁判を迎えていた。
「殴りたければ殴れ」となすがままに任せたとき、本当にしなければならなかったことは全力で戦い切ることではなかったろうか。

 父親の身をもって
「暴力はより高い暴力によって封じられること」
「社会には許されないことがあるのだということ」
を教えるべきではなかったか。
 いや、それよりも大切なことは、父親を殴るという非道を止めてもらえなかった、自分が悪くなるのを本気で制止してくれなかった、本気で自分に立ち向かってくれなかった……そういったもろもろの思いを三雄に残さなかったか、という問題である。
 悪くなるのを止めないというのは見捨てるということである。三雄は暴力をふるいながら、何を感じていたのだろう。

 こうした三雄の家庭内暴力が三雄の部屋を密室にし、犯罪の舞台となる。

 ところで、子どもはいつから、どこまで悪くなれるものだろうか。
 これについて、主犯格の一夫(仮名)は証言する。

「小学校5年くらいから、悪いことはカッコいいと思っていたから、
どんなに怒られても、口では反省してみせても心では反省していませんでした。
小学校5年のころから、悪いということはほとんどやっていました。
小学校6年くらいのときから、悪いといわれる先輩たちとよく遊んでいて、自分の3年くらい先輩が『覚醒剤と殺人以外は全部やった』と言うのを聞いて、ぼくと友達の三人で『オレたち大きくなったら、殺人、覚醒剤はやってやろう』と話しました」


本気で言ったのか、それとも冗談?

「自分は本気で言っていました」

 一夫の父親は回想する。

「小学校の高学年になって、息子は反抗的になり、ある時自分が『出ていけ』と叱ったところ、本当に家出をしてしまいました。これは、わが家が家庭的でないことへの警告の家出だったと思いますが。当時は気がつきませんでした。その後、家庭のことについて、親子の考え方に相違があったり、自分の方が逃げてしまい、約束の大切さや現実社会の厳しさ、ルールを教える方法を自分がとらなかった。親子間、あるいは夫婦間で、火花の散るような対話をすることもなく過ごしてきました」

 著者は続けて語る。

 その点については、一夫自身にもおぼろげな感触がある。葛藤を回避する人々の中でそうではない人もいたからだ。

おじいちゃんに怒られた記憶は?

「ないです」

ただやさしかった?

「いけないことをすると、怒られるんじゃあなくて、叱られた、という感じはあります」

きみの印象では、怒られるのは叱られるのとではちがうのかな。

「怒るというのは、腹を立てて感情的になることで、叱るというのは教え諭すということだと思っています」
          

「うちの子がなぜ!」はさまざまな引用においても出色である。
◎子どもはテレビを見ている間、それに反応していないし、注意を向けてもいないし、集中もしていない。ただ、ぼんやりしているだけである。テレビの恐ろしさは、そこから情報が流れてくるが、われわれはそれに反応しないことである。情報は記憶のプールに直接流れこむ。その情報につかは反応するだろうが、しかしそのとき、自分が何に反応しているのか、知らないのである。そして、ずっとあとになって、なぜそれをするのか、どこでそれを教わったのかも知らずに、行動する。(州立サンフランシスコ大学教授エリック・ペパーの言葉)

◎情緒障害児(虞犯、犯罪少年の予備軍)といっても千差万別、多様ですが、これは学校の対応の仕方によって99パーセントは予防可能だと考えています。それは、小学校低学年、特に3、4年生の時期(多少の個人差はありますが)の指導が重要です。
(中略)

 どの時期も大切なことには変わりありませんが、特に低学年で適切な指導が行なわれていれば、そこからは、小学校5、6年、中学生になってから情緒障害児が出てくるのは特別な事情がないかぎり、皆無であるといって過言ではないと思っています。もし出てきても、治療が容易なのです。
(中略)

 低学年では、できるだけのびのびと遊ばせて育てる方がよい、という考え方があります。しかしこれは、家庭教師だ、塾だ、おけいこだと、学習過剰になっている子どもについて言えることであって、多くの子どもは、現在、非常に増えている共働き家庭の留守番役と、時間を過ごすためのテレビゲームが相手です。

 学校での学習は、国語は作文、算数は水道方式、理科は観察、体育はドッジボールかサッカー。これはもちろん指導の方法によっては利点も多いのですが、細かい指導は手抜きのまま。その上、業者からの宿題プリントを持たせて帰す。

3、4年までは比較的簡単に親が面倒を見ることができますが、共働きの家庭では、ときに簡単に処理できない場合もあります。宿題ができている子は、担任が百点をつけて帰す。やっこない子は、そのまままにしてのんびりと楽しく過ごして帰る。親からはよい先生、子どもからは面白い先生と評価され、1年はたちまちにして過ぎてしまうのです。

 実はこのあたりから、家庭の事情その他の条件が重なり、大きい差が生じます。親は働いているのだ、ということを十分知りながら、潜在的な不満が積み重なり、親への要求が暴力として現われるのです。
  (元小学校長の投稿)

◎彼らは「面白いこと」に価値を置き「冗談」とか「すごいこと」(異常なこと)に関心を持ち「冗談」と「まじ」(現実)との区別が容易に乗り越えられることを指摘せねばならない。     (上智大福島教授の鑑定書)

◎どんな時代でも若者は未熟だと言われてきた。しかし30年くらい前と現在を比べると、未熟の内容が著しく変わってきている。
 かつて、未熟といえば
「礼儀作法もわきまえていない」とか
「言葉使いもろくにできない」
「足もとのことができもしないのに天下国家を論じてデモばかりやっている」
といったことだった。


 今は違う。
 こういう点に関して言えば、今の子はまったく未熟ではない。
 たとえば、足もとのこともできないのに天下国家を論じる、などということはまったくない。車やファッション、グルメなどなど、もっぱら足もとのことばかりやっている。大人以上に大人的で、損なことなど絶対にしない。


 
それでは現在の未熟とはいったい何なのか。
 第一に、非常に敏感で傷つきやすい。
 第二に欲求不満耐性の欠如。
 物事が思いどおりいかない、何か困難に直面する、そういったときに持ちこたえる力、乗り越えていく力が弱い。
 人間関係、環境の変化、学校生活において、些細なことでつまずいてしまう。

 第三に、真の生きる意味、目標を年齢相応につかんでいない。
 アイデンティティを確立していない。
 目標をつかんでおり、アイデンティティを確立していれば乗り越えられるはずの挫折を、克服できない。
 もろく傷つき、つぶれてしまう。    (稲村博助『精神科医の見た日本の未来』)

◎『見捨てられ感情』という言葉は、患者の精神内界の体験に、つまり、患者が現に環界(外部の世界)でおこなった別離について感じるところに関係している。外界の体験が結果として『見捨てられ感情』を招くかどうかは患者の精神によるのであって、当の体験そのものによるのではない。
『見捨てられ感情』は多因子的な精神世界の反応、すなわち『六人の騎手』から生じてくる。

◎精神医学における6人の黙示録の騎手 抑欝、怒り、恐れ、罪責感、孤立無援、空しさと空虚感 は、感情的影響力と破壊性という点で、もともとの4人の騎手、飢餓、戦争、洪水、疫病 のもたらす社会的混乱と破壊性に匹敵している。
(J・F・マスターソン『成年期境界例の治療』)

「うちの子がなぜ!」は出版当時私たちのバイブルであった。
 この本の中に平成の子どもの状況があると信じたが、それはまったく間違ってはいなかった。





松居 和
「子育てのゆくえ」
子育てをしないアメリカが予見する日本の未来
(エイデル研究所 1993)

 最近ではあまり聞かれなくなったが、日本の教育や教師を批判するのにヨーロッパやアメリカを引き合いにして「10年遅れている」とか「20年遅れている」とかいった主張がなされることは少なくなかった。

 実際ノーベル賞の受賞者やオリンピックの入賞者の数など見ていくと、「アメリカの教育はすばらしく優れている」といった錯覚を持ちそうになる。そうしたアメリカの輝かしい一面がアメリカの教育の成果と考えられるのに対し、アメリカの犯罪の異常な多さや貧困については、一向にアメリカ教育の責任ととらえる視点がないのは、ずいぶん片手落ちだと思っていた。
 そうしたらこの本に出会った。

 アメリカに在住する著者はその教育に徹底した不信感を持ち
 家庭の問題に関して『欧米では』ときたら、まず反射的に『それは真似してはいけないこと』と考えるような癖がついている
と言い切る。
 こうした立場に立つ著者は日本の受験地獄まで賛美してしまう。

 彼の奥さんは幼稚園に子どもを通わせながら、この希望の小学校の入試のための塾へ子どもを毎週電車で連れて行ったのだが、子どもが合格したときには泣いていたという。
 わたしは子どものことで親が涙を流すということに素直に感動する。たとえそれが親のエゴであっても、実際に塾でならうことが無意味であっても、そんなことは関係ない。親が子どもとともに一喜一憂することがあり、涙を流すことがあることに大きな意義を感じるのだ。


 現在大きな問題となっている日本の高校中退率はわずか3%程度である。ということはつまり、そもそも高校へ進学しなかった者のことを考えても、およそ人口の90%以上が高校を卒業しているはずである。それに対してアメリカは
 子どもたちが義務教育を途中で放棄するいわゆるドロップアウト率が50%に達する。
 しかも
 アメリカの義務教育は高校までで、12年間。ところが、高校を卒業する子どもたちの20%が社会で通用するだけの読み書きができない。しかもこの高卒の文盲率が毎年少しずつ上がっている

 ほかにもアメリカの教育のどうしようもない様子を表した数字には枚挙にいとまがない。

・デトロイト市では、子どもたちの60%が家庭に父親像となる男性を持たない(全米では20%が片親の家庭である)。

・その社会では40%の親たちが子どもが18歳になるまでに離婚し、毎年5万人の子どもが親によって誘拐される。(アメリカでは、毎年10万人のこどもが誘拐されるが、日本の人口は約半分なので、もし同じ状況が日本で起きれば5万人という計算になる。ちなみにアメリカでは毎年3000人の子どもが誘拐され殺されている。これも人口比で計算すると、日本で毎年1500人の子どもが誘拐され殺されることになる。)
・17歳以前の性体験−50%、三分の一が避妊しているが、毎年10万人以上が出産する。十代の妊娠まで広げれば毎年百万人、そのうち出産するのが五十万人と言われる。
・毎年四千人にのぼる子どもたちが、親の幼児虐待または何らかの形の子育て放棄によって死んでいます。(中略)ニューヨーク市だけでも、毎年六万件に達する幼児虐待事件が報告されています。
・アメリカでは90%の子どもが麻薬を経験し、75%が常習している。

・アメリカの親たちの70%が、もしやり直せるのだとしたら子どもは作らないだろう、と言っている。

 そして著者は、アメリカが得意とし、日本がアメリカからしか学びがないと考えている「人権」や民主主義についても、さっぱり同調していかない。

・幼児虐待や家庭崩壊が決定的に進んでしまったアメリカではもはや「道徳」ではなく、「人権」という言葉で弱いものを守るしか手段がない社会状況になってしまっている。
・ところが人間が近頃考え出し、それによってより良い社会を作ろうとしている理論である民主主義や人権といった考え方には、どうしても避けて通れない矛盾がある。民主主義の土台である人権が、個人主義と結びつき、個人主義が民主主義と相容れないという点である。一人ひとりが「自由にのびのびと、個性を大切に」暮らし始めたら、人々の個性はぶつかり合い、やがて誰も「自由にのびのびと、個性を大切に」暮らせなくなるということである。
・親が子どもに「我慢しなさい」と言わなくなった社会がここアメリカにあるということ。子どもに「我慢しなさい」と言うよりは「勝ちなさい」と親は言うであろう社会がここにあるということ。そしてその社会は多くの人たちにとって、とくに弱いものにとって、とても住みにくい社会であるということ。この社会で人々が言う「自由」とか「平等」「人権」とかいう言葉は、人々をルールのない競争へと追い立てる。ルールのない競争は「喧嘩」なのだ。
・家庭において、この「個性豊かに」「自由にのびのびと」「無限の可能性」といった、専門家がつくり出した実態のない言葉に親たちが囚われると迷路に入り込む。
 具体性がほとんどないこうした表現に惑わされ、どうしていいのかわからない、じゃあそういうことを言っている専門家に任せようかということになってしまう。
 幼稚園は三年保育、というのが主流になりつつある。家庭崩壊を薦めて商売をしている人たちの思う壺である。子どもたちを対象に置いた「個性豊かに」という言葉が、親たちの子育てから個性を消している。


 
著者の一貫した主張としては次のものがあげられる。  @ アメリカの家庭は子育てに興味を失い、それを放棄しはじめている。
A その結果学校教育への依存は高まったが、家庭で教育されてこなかった子の教育はもはや学校の手にはおえず、親たちは荒れた学校を見捨てて教育産業への傾斜を深めるようになった。けれどそれにもかかわらず(それだからこそ)アメリカの教育は荒廃の一途をたどり続けている。
B そんなアメリカの実情も伝えず、マスコミはアメリカ型の社会や家庭生活、教育観を価値あるものとして宣伝し、日本も全体としてアメリカ型を指向するようになってしまった。
C 日本も結局はアメリカにならざるを得ないかもしれないが、それは一刻でも先に延ばされなければならない。






佐瀬 稔著
「いじめられてさようなら」

(草思社 1992)

 東北地方で昭和60年に起こった「いじめ=自殺事件」のルポルタージュ。
 今日では珍しいガキ大将型の中学生による同級生いじめを扱ったものであり、その点ではあまり興味は引かれない。
 ただし、いったんいじめや自殺が法廷の場に出された場合(損害賠償の民事訴訟がなされた)、学校長はじめ教師たちがどういう扱いを受けることになるかという点では大いに勉強になった。

 裁判で争われるのは教育的理念や原因追求ではなく、賠償額の多寡である。この時教師は被告(市町村教育委員会)側の証人として「一銭も出さない」ことを目標に戦わなくてはならなくなる。
 冷淡な言い方をすれば、
「個人(原告=被害者)の手に公共のもの(賠償金=元を質せば住民の税金)が渡らないように守る」
のが最大の目標となるのである。
 事件に対する教師の対応は、マスコミに対しての発言も含め、一切合財が引きずり出され検証される。
 その中で、教師は不本意な発言を繰り返えさざるを得ないのだ。「知らなかった」「気づかなかった」「忘れた」………。




久徳重盛著
「母原病」
〜母親が原因でふえる子どもの病気〜
(サンマーク出版 1990)

 生理学的な検査では以上がないのに異常を訴える子どもが増えている。
 久徳クリニックの院長である著者は、そのような病気の原因を母親の子育てに求め、心理療法で治療にあたっている。
 「母原病」は副題が示す通り「母親が原因でふえる子どもの病気」だが、具体的には「ぜんそく」「慢性の腹痛」「カゼ」「食欲不振」「下痢」「足痛」「ことばの遅れ」「夜尿」が例示され、治療にいたる様子が記されている。

 もちろんすべての原因を母親に求めているのではなく、母親に対して結果的に間違った育児を強いている現代社会のありかたにも考えを及ぼしているが、「母親が変われば、病気が治る」という確信からスタートしているので、どうしても母親を責める雰囲気が全編からぬぐえない感じがある。

「母原病」は一世を風靡した言葉だが、「慢性の腹痛」「カゼ」「食欲不振」「下痢」「足痛」「ことばの遅れ」まで母親のせいにされたらかなわないだろう。
 批判的な意味を含めて、一度読んでおくといい
 最終節ではアメリカ型の子育てが、いかに日本に適合しないかを考察しているが、その点では好書といえる。




小寺やす子著
「いじめ撃退マニュアル」
だれも書かなかった<学校交渉法>
(情報センター出版局 1994)

 大河内清輝君の「いじめ自殺事件」の直後に出版され、爆発的に売れた。親に撃退されないようにと考え、購入して読んだ。 しかし思ったほど学校に対して攻撃的ではなく、基本的には普通の親以上に学校を信頼していることが了解される。
特に、学校に対して不当な要求をする親を攻撃する部分では、教師の前に保護者が立って猛烈に弁護してくれているような、あるいは側面から圧倒的な掩護射撃で支えてくれているような気持ちになった。著者は教師ではないが、教師のホンネに精通している感じである。

 マスコミを攻撃し、訳知り顔の評論家を罵倒し、「先生たち!ガンバッテクダサイ!」という感じがヒシヒシと伝わってくるような気がした(ただし教師に対もそんなにやさしい訳でもない)。
◎人権派を気どるコンサルタント、ソーシャルワーカー、評論家、学者、弁護士、進歩的文化人、市民運動家、一部フリースクール関係者の類が声をそろえて、
『疲れを癒す時間が必要だ』
『子どもにもアクセス権を』
『学校に行く行かないの自由を保障しろ』
『偏差値教育反対』
『学歴社会の歪みのしわ寄せ』
『不登校児は感受性が強く頭がいい』
などと、無責任に持ち上げているのを、まさか本気にして実践しているんじゃあないでしょうね? 居心地のよい家庭に、ファミコン、パソコン、マザコン付き。そういうのに限って、勉強も手につかないですね。親も『今は勉強どころじゃない』と必ず言いますよ。

 不登校になって家でブラブラしていても、子どもになにも仕事をやらせていない。スナック菓子や缶ジュースを食べ散らかし飲み散らかす、やりたい放題のあまったれっ子に育ててしまう。それに比べたら本音で生きてる教育ママのほうが、よっぽど純真ですね。


 不幸になる自由も保障されてはいるけれど、登校拒否しないで学校に行くということは、人生を踏みはずさない一歩ではないですかねえ。そんな基本的なこともわからないで、何年人間やってんだ! 自分のことを反省もせずに、『学歴社会がよくない』『管理教育がよくない』『昔より教育現場の条件が悪くなっている』などと、外に攻撃目標を設定しているのは、恥の上塗りみたいなもんでしょうが!

 制度なんかは、あなたが少々がんばったくらいでは、残念ながらびくともしません。しかし、その制度の中で、子どもは生きていかなければならないのです。それこそ現実としたら、もっと知恵を働かせて、その制度に適応していくしかないのではないか!
 それとも無人島に住みますか?


◎当たり前に生きていくための必要な訓練まで投げ出し、登校を拒否する子どもの責任までは、いくら優秀な教師でも取れやしない! 甘えるでない! ふざけるでない! 未熟な子どもは、イヤなことをしないで済むなら、するもんか!
 でも望むものを手に入れようと思えば、別の何かを提供しなければならないことくらい、小学校に入る前から本能的に体に叩き込まれてきているはずでしょう。

 
  学校なんてそう楽しいところでもないし、勉強なんかだれが教えてもイヤでたまらない勉強嫌いだって、確かにいますよ。

 それを十把一絡げで、『楽しい学校にしないから、不登校になる』などと、とんでもない! そんなもんは、バカ親の被害妄想じゃあないか!

 そういうのに限って、たまに学校に来たとき、友達に『久しぶりだなあ』と言われたくらいで、また来られなくなり、問題親に『学級の指導が悪いから、担任は責任を取れ』などと言われちゃあ、教師はたまったもんじゃあないですよ!
 
 そのくせ、
『感受性が強く傷つきやすい』
『人が叱られていても傷つく』
『人の気持ちがよくわかるやさしい』はずの子が、

 社会のルールもわきまえず、授業中に歩き回るわ、しゃべり散らすわ、黙ってすわってもいられない。行儀が悪く、教師の講義も聞けないなど、目にあまる行為に対しては、親は知らんぷりしているではないか!

 そこで当然の教育として、その悪ガキをちょっと立たせようものなら、『体罰』『体罰』と大騒ぎ。親のしつけの悪い悪ガキのおかげで、クラス全員が迷惑していることは、どうしてくれるのか、きかせていただきましょうか!


 とにかく勢いがいい。
 多くの人々がそれを正論だと思うだろう。 しかし正論はしばしば正義とは異なる。

 教師にとってはかなり痛快な本ではある。

 ただし基本線として一貫している「学校は必ずいじめを解決できるはずだ」という確信は、果たしてどうだろうか。この点にのみひっかかりが残った。



河合隼雄著
「子どもと学校」
(岩波新書 1992)

 河合は日本の心理学の草分け、重鎮中の重鎮であり、したがってその影響力も大きい。彼の立場は、子どもの内に存在する自発性や個性・創造性に期待し、教え込む教育や型にはめる教育を厳しく批判するものだが、そうした現代の学校批判を網羅的に体系化したような本書は、その意味では良書だと思う。

 ただし、私はほぼ全面的に不賛成である。
 それは著者がどれほど曖昧にしようとも、主張の核心が以下のような文に明確に現われているからである

 わが国では、すでに述べたように母性原理による絶対平等感が強いので、特定の能力のある人が、たとえそれにふさわしいだけの待遇を受けていたとしても、それは『民主的でない』という言葉で表現される、日本固有の論理によって反対されてしまったりする。このために、想像的な個人がのびのびと活躍する場が奪われてしまうのである。
 このことは、今後、日本の教育や研究のあり方を考えていくうえで、大いに反省しなくてはならない点であろう。


 受験中心主義をやめ、管理をやめて、子どもを自由にのびのびとさせることが学校問題のすべての解決方法となる。

◎われわれは「教える」ことよりも「育つ」のを待つ方が効果的であることを知らされた。
◎大人が子どもに対する期待を持ち、むやみな干渉を行なわないかぎり創造過程が進行する。
◎教育の現場においては、偶然を排除するのではなく、偶然を生かすことによって成功することが多い。
◎一見、負の価値のように見えるものが、実は個性を伸ばすうえで、大きい価値をもっていることもある。
◎あまりにもわれわれ大人が既成の知識体系を注入することに熱心すぎて、
子どもが個々に持っている個性を壊すことになっていないか。

◎子どもの好きと思うことをやらせてやる、そこから個性は開花してくる。
◎私は子どもを育てる、というときに「植物」をイメージする。太陽の熱と土とがあれば、ゆっくりと成長してゆく。(中略)植物の成長を楽しんでみるような態度を身につけると、楽しみが増えてくるように思われる。

 河合はフツーの子の「個性」など問題にはしていない。
 そもそもフツーの子にも個性があるなどと思っていないのかもしれない。
 河合が嘆いているのは、日本のエリートたちの個性が学校教育の中で、芽を摘まれていることなのである。


 そういう視点から本書を読み直すと、曖昧だった箇所もすっきりと理解され、よくわかる文となる。
 日本の教育に対する河合たちの提言は、「エリートを救え!」なのだ。





NHK教育プロジェクト編
「公立中学はこれでよいのか」
(日本放送出版協会 1992)在庫切れ

 NHKという巨大組織が本を編集すると、時々とんでもなくすならしいいものができあがる。 とにかく情報の収集能力が個人とは圧倒的に違うからだ。
 アンケートや統計を駆使した本書は、全体がとても客観的に仕上がっており、多くの部分で納得のいくものである

 中でも、第4章「授業がわからない」、第5章「何をいつどのように教えるのか」が秀逸。
 学習指導要領がどのように編成されるか、なぜあんなに多い授業内容が放置されているのかが、具体的に詳しく説明されている。





高垣忠一郎著
「登校拒否・不登校をめぐって」

―発達の危機、その「治療」と「教育」
(青木書店 1991)

 登校拒否を扱った本の中では、おそらく最良の部類に入るものだと思う。
 今日の子どもの問題現象を、幼児期の発達の過程から分析し直し、説明しようとしている。
 所々に納得できない部分もあるが、「ここから先はよく分からないが、ここまでは分かったので説明しよう」という感じが全面に流れており、とても好感がもてる。
 いろいろ難しいことの言われる登校拒否についても、頑張りすぎた上で息切れ状態になった「よい子の登校拒否」と、未熟なために学校に行けなくなった「未熟型の登校拒否」のふたつに分類して終わりにしてしまう(それ以上の分類はしない)。現場の人間にとってはこのほうがはるかに分かりやすい。

 一律に「登校拒否」といっても、中には「ガンバレ」と言ってはいけない子もいれば、頑張らせなければいけない子もいるのだ。 その他、いじめ問題にも適切な分析があり、繰り返し読むのにふさわしい本である。

◎受容することは、子どものやりたいようにさせてやることだと誤解されていることがある。受容することと、きびしく要求することとは対立するものではない。 教育の本質は、要求や課題を子どもの前に立て、矛盾や葛藤をつくりだし、それを克服する自主的な活動をよびおこし、
 その活動を援助することを通して、こどもの発達・自立を実現してゆくことである。

 そこにおいては、ある価値観や目標に立って、こどもの行動を評価したり、よくないと考える行動を禁止したり、ある欲求の実現を断念させたりすることは不可欠の要素である。

 それらは、子どもを受容することと対立するものではない。
 受容するということは、こどもの感情や欲求・願望など、子どもが心の中で経験していることを、子どもの立場に立って共感し、理解し、それなりの理由のあることとして認めることではあっても、決して子どもの個々の行動をすべて是認し、許容することではないからである。



大村はま著
「教えるということ」
(共文社 1973)

 国語教育の世界の重鎮。女性教師のパイオニアの一人。この人の講演会には「おっかけ」のグループがいるという。
 その主張には、耳を傾けるべきものが多い。

 私は卒業式の時、若いときは別れるのが悲しくて泣きましたが、今はこの人たちの生きていく世界が目に見えて、かわいそうで泣けてしまいまいます。「どんな苦しみの中を越えて、この人たちは生きていかなければならないか。それにしては、いかにも力をつけなさすぎた。」
と思うんです。

 私も、教師として、そして親として、かくありたい。 さらに具体的な指導についても、示唆されるところの多い著書でもある。

◎一字一字見ている子どもと、ひとまとまりの言葉をちゃんととらえるように成長してきた子ども、それはいつごろからかご存じですか。いつごろといえば、小学校に入った初めごろ、すでにそうなってくる子どもが、今、たくさんいるんですよ。ですけれども、3年生ぐらいでは、もうそれは完全にできなければなりませんね。字をとらえるのではなく、語いをとらえることです。その次、4年生ぐらいになりますと、文でとらえてくれないと困りますね。

 一行飛びなんていうのはとても困りますね。
 それから、唇が少し動いている子どもは、声帯を動かして読んでいるんですね。これは、小学校で受け取った時は、もう遅いかもしれない、これはお母さんの問題なんです。その子は、永遠に速く読めるようにはならないというわけです。
 しかし、小学校で受け取ったとき、早く発見すれば、まだ直せるんですよ。最初に読ませてみる時に、見つけてください。唇が動くなんて最低ですよ。先生が飛びついて世話をしてやらなければなりません。これは人数が多くてはできませんし、たいへんです。

     



小浜逸郎著
「学校の現象学のために」

(大和書房 1985)
【絶版】

 いきなり序文に
「スタティック」「形而上学」「デカダンス」「古典的〈知〉」「概念装置」などという言葉が出てくるので哲学書かと思ってビビッてしまうが、内容はかなりまとも(ただし、最後までかなり硬い文ではある)。
 数々の教育論を批判し、自らの学校論を繰り広げる。学校はある種の合理性を持っており、無体な教育論の左右されなくてよい、という立場に立って書かれている。

 



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