キース・アウト
(キースの逸脱)

2004年9月

by   キース・T・沢木

サルは木から落ちてもサルだが、選挙に落ちた議員は議員ではない。
政治的な理想や政治的野心を持つ者は、したがってどのような手段を使っても当選しておかなければならない。
落ちてしまえば、理想も何もあったものではない。

ニュースは商品である。
どんなすばらしい思想や理念も、人々の目に届かなければ何の意味もない。
ましてメディアが大衆に受け入れられない情報を流し続ければ、伝達の手段そのものを失ってしまう。

かくして商店が人々の喜ぶものだけを店先に並べるように、 メディアはさまざまな商品を並べ始めた。
甘いもの・優しいもの・受け入れやすいもの本物そっくりのまがい物のダイヤ
人々の妬みや個人的な怒りを一身に集めてくれる生贄
そこに問題が生まれれば、今度はそれをまた売ればいいだけのことだ。















 

2004.09.06

教育振興会費着服の中学校長を逮捕…山形

読売新聞 9月6日]


 山形署は6日、保護者らが運営する教育振興会の会費を着服していたとして、同県鮭川村立鮭川中校長の佐々木正容疑者(52)を業務上横領の疑いで逮捕した。

 調べによると、佐々木容疑者は、山形市立蔵王第2中教頭だった2002年3月下旬ごろ、郵便局から44万円を借り入れる際、同中の保護者らで運営している振興会から預かっていた定期郵便貯金300万円を無断で担保にして横領した疑い。このほかにも振興会の普通預金から約110万円を勝手に引き出したこともわかっており、同署は追送検する方針。佐々木容疑者は、大半をパチンコ代に充てていたという。

校長ですらこうか! 教師の誇りはどこへ置いてきたのか!?

 そう叫びかけて、フト気づく。
 この数年間、いや10年以上前から、
私は自分の仕事を誇り高いものだと思えなくなっている。

 つまり、私もまた犯罪教師の一歩手前にいるということだ。

 自らに誇りを持たない者は、簡単に自分を捨ててしまう・・・・・・





 

2004.09.07

悩める学校HP…子供の顔にボカシ、後ろ姿ばかり

読売新聞 9月7日]


 学校のホームページが揺れている。行事などを紹介するためにホームページを作る学校は増えているが、子供が特定され、犯罪などに巻き込まれるのを避ける配慮から、子供の顔写真を載せるかどうかで、学校、自治体の判断が分かれているためだ。

 「顔をぼかすなどの配慮はやむを得ない」という意見がある一方、「異様で見苦しい」との声も挙がっている。

 大津市内のある小学校のホームページには学校行事の紹介コーナーに子供たちの写真が紹介されている。しかしその顔はぼかしが掛けられていたり、すべて後ろ向きだったり。「『異様な感じで見苦しい』という声も寄せられるが、個人情報保護に配慮している。今後も同様の配慮を続けたい」と担当者。

 同市教委は今年7月、小中学校のホームページ作成などの指針となる「大津市教育情報通信ネットワーク運用基準」を全面的に改めた。この中で、子供の写真について「個人が特定できないように配慮する」「氏名、学年、組との同時掲載はしない」などと明記。今月から本格的に運用されている。

 同市教委学務課は「子供の安全に対する意識が高まっている。写真の悪用や、子供の顔や名前などが外部に特定されることを避けたい」と説明する。

 京都市教委も一昨年、学校ホームページ作成についての注意事項をまとめた。写真の取り扱いについて「アングルの工夫や加工により個人が特定できないものを使用。顔写真の掲載は必要最小限に」などを挙げる。千葉市教委なども同様の規定を設けている。

 ただし、地域や学校などによって判断に差がある。東京都教委は、「顔写真を出すことを禁止しているわけではない。表彰など顔を出した方がいいケースも考えられる」と話す。

 全国1万校以上を対象に、昨年から優れたホームページを表彰している「全日本小学校ホームページ大賞」事務局は「顔が出ているホームページはもちろん多い。一方で、表情の分からないものが目立つのも確か」と指摘する。

 村井純・慶応大学環境情報学部教授は「子供の顔をぼかすことで、危険を避ける効果がどれだけあるか疑問が残る。ホームページの生き生きした表現が損なわれる面もあるだろう。個人情報保護との兼ね合いの中で、試行錯誤が続いている段階。今後さらに議論が必要だ」と話す。


 ボカシばかりの学校サイトの異様さは見れば分かる通りである。

 しかし
その異様さは、情報開示と安全保持という相反するものを同時に求められる学校の異様さそのものなのである。

 テレビも新聞も雑誌その他のメディアにおいても、児童・生徒が名前つきで公開されることは日常である。
 しかし学校のサイトだけはボカシが入る。学校の追い込まれているのはそういった場なのである。





 

2004.09.08

評価“空白”の通知表渡す 岡山、個別授業の小6女児

共同通信 9月8日]


 岡山県津山市の市立小学校で、1学期の大半を相談室での個別授業などですごした6年の女子児童(11)に、学校側が各教科の評価を記入していない通知表を渡していたことが8日分かった。
 保護者の抗議で学校側は通知表を修正したが、保護者は受け取りを拒否。女児は2学期になって登校していないという。
 津山市教育委員会などによると、通知表は出席日数や生活態度のほか、教科ごとに設けられた項目を3段階で評価。女児の通知表には出席日数の記入はあったが教科の評価はなく、生活の様子などを記入した別の1枚の用紙を添えて渡された。
 女児は1学期、授業にはあまり出席せず、教師との面談に使われている相談室で個別指導を受けたり保健室にいたりすることが多かったという。


 このニュース、何を訴えたいのか?
 
 女児が受けていたという
個別授業の内容が、通知表で評価できるようなものだったのに評価しなかったということなのだろうか?

 
保護者の抗議で学校側は通知表を修正したというが、何をどう修正したのか。

 保護者はなぜ
受け取りを拒否しているのか。

 2学期の女児は何故学校に行っていないのか。本人が深刻な不登校に陥っているのか、保護者が学校に出さないのか?

 そして何よりもの疑問は、
何故これほど曖昧なものが、ニュースとして通用するのか、である。






 

2004.09.13

下半身写真の教諭を懲戒免職=「信用失墜させた」
−熊本県教委


時事通信 9月10日]


 熊本県内の県立高校に勤務する男性教諭(32)が撮影した自分の下半身の写真が携帯電話のメールで生徒に出回った問題で、県教育委員会は10日、「教職員全体の信用を失墜させた」としてこの教諭を懲戒免職処分とした。
 県教委によると、男性教諭は6月下旬、20歳の女性と称する相手から突然メールを受け取り、2日間にわたって携帯でメールをやりとりした。その際、相手が顔写真と下腹部の画像を送ってきたため、教諭も自分の下半身の画像を送り返したところ、同校の数十人の生徒に画像が出回ったという。
 県教委には「男子生徒が女性に扮(ふん)してメールのやりとりをした」との匿名の情報も寄せられたが、県教委は「相手の特定や出回った経緯を調査することは難しい」としている。 



自称「20歳の女性」諸君!
さあゲームの終わりだ。

どんな気分だい? 今。


                          *元記事 2004.08.05





 

2004.09.15

女性教諭刺殺、生徒の両親に8200万円賠償命令

読売新聞 9月15日]


 栃木県黒磯市立黒磯北中学校で1998年1月、腰塚佳代子教諭(当時26歳)が、当時1年生だった少年(19)にナイフで刺殺された事件をめぐり、腰塚教諭の遺族4人が少年の両親を相手取り、1億3800万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が15日、宇都宮地裁であった。

 羽田弘裁判長は、少年がナイフを常に持っていることに両親が気付かなかったことなどを理由に、「少年に対する監督義務を怠ったことは否定できない」などとして、両親に対し、計約8200万円の支払いを命じる判決を言い渡した。

 99年4月に提訴された裁判では、遺族側が、「当時の少年に責任能力はなく、賠償責任は両親が負うべきだ」と主張したのに対し、被告側が「少年に不法行為の責任能力はなかったとは言えない。現場にいなかった両親に監督義務はない」と、請求棄却を求めていた。

 判決で、羽田裁判長は「殺人行為の是非弁別の判断や法的責任発生の認識は、13歳に達していた少年にとって容易だった」などとし、少年に責任能力を認める一方で、両親の共同不法行為責任を認定した。

「悪いことをするなら、ムショにいかないで済む今のうちにやっておけ!」とうそぶく悪ガキたちに、この記事はぜひともみせておかねばならない。

「ムショに行かなくて済む」・・・・・・刑事では確かにそうだが、民事は別だ。放っておいても手にはいったはずの親の財産が、あっという間に吹き飛んでしまう。

 親は当然、元の職業になんか就いていないから、中途採用された小さな会社で、細々と暮らしているのかもしれない。親がよほどの財産家でない限り、そのわずかな収入の中から賠償金を支払い続ける。もし支払いきれないのなら、お前が残りを払わなければならなくなるだろう。

いや、そもそもお前から発した金だ。お前が一生をかけて払い続ければいい。

それが、「ムショに行かないで済む」事件の、もうひとつの側面だ。






2004.09.16

<小6同級生殺害>加害女児の自立支援施設送致を決定

毎日新聞 9月15日]


 長崎県佐世保市の小6同級生殺害事件で、長崎家裁佐世保支部(小松平内裁判長)は15日、家裁送致された加害女児(11)の第3回少年審判を開き、児童自立支援施設に送致する保護処分を決定した。また、行動の自由を制限する強制措置を2年間を限度に認めた。決定は女児の人格特性を「社会性や他者への共感が希薄で、怒りを適切に処理できない」などと指摘したうえで「女児には『死のイメージ』が希薄で、いまだに同級生の命を奪った重大性を実感できていない」と分析した。

 付添人は抗告せず、処分は確定。女児は16日にも、女子の強制措置が取れる唯一の施設の国立きぬ川学院(栃木県氏家町)に送られる。

 家裁が公表した決定理由要旨はA4判7枚。この中で女児の生来的な特性として(1)対人的なことに注意が向きづらい(2)物事を断片的にとらえる傾向(3)抽象的なものを言語化することの不器用さ(4)聴覚的な情報よりも視覚的な情報の方が処理しやすい――などを挙げた。

 ただ「これらの特性は軽度で、何らかの障害と診断される程度には至らない」と位置づけた。

 また▽女児を両親が「おとなしく手のかからない子」と見誤ったため、対人関係や社会性、共感性の発達が未熟▽会話による意思疎通が不器用で、家庭も学校も女児の思いをくめなかった▽愉快な感情以外の感情の認知、表現が困難で、怒りを抑圧・回避するか相手を攻撃する両極端な行動しかできなかった――などの問題点を指摘した。

 更に、女児が傾倒していたホラー小説などが殺害行為に影響したことも認めた。

 直接的な動機は「唯一の居場所だったインターネットや交換ノートを巡るやり取り」としたものの、被害者の御手洗怜美さん(当時12歳)については「言動は他人に殺意を抱かせるようなものではなく、特段の落ち度はない」と認定した。

 また、女児の家庭には問題を解消できるだけの機能が備わっておらず、社会内での処遇は不可能と分析。これらを踏まえ、自傷や他者への加害の可能性も考慮して、2年間という長期の強制措置を許可した。

 審判は非公開で午前10時半から約1時間の休憩を挟み、午後2時半まで開かれた。裁判官3人、女児、女児の両親、家裁調査官5人、書記官1人が出席。小松裁判長が処分と簡単な経過説明を女児に言い渡した。

 家裁が認定した非行事実によると、女児は怜美さんと交換ノートを交わしたり、ネット上でメールのやり取りをしていたが、その内容を見てばかにされたり、批判されていると感じて腹を立て、6月1日午後0時20分ごろ、市立大久保小学校の校舎3階「学習ルーム」に怜美さんを呼び出し、首をカッターナイフで切りつけて失血死させた。【川名壮志】

 ◆ことば◆児童自立支援施設
 98年の改正児童福祉法施行で教護院から名称を変更。全国に計58カ所あり、非行を起こしたりその恐れがある少年らの保護・教育が目的。寮生活を送りながら生活、学習などの作業指導を受ける。開放施設で、原則として身柄拘束はできない。自由な行動を制限する強制措置を取ることができる女子の施設は国立きぬ川学院(栃木県氏家町)だけで、精神科医や専門員が常駐している。

 毎日新聞が一番詳しく報道していたため毎日から採った。被害者の父親が毎日新聞佐世保市局長であったという事実からすれば、詳しいのは当然かもしれない。

さて
社会性や他者への共感が希薄で、怒りを適切に処理できない」

『死のイメージ』が希薄で、いまだに同級生の命を奪った重大性を実感できていない」と分析した


(1)対人的なことに注意が向きづらい(2)物事を断片的にとらえる傾向(3)抽象的なものを言語化することの不器用さ(4)聴覚的な情報よりも視覚的な情報の方が処理しやすい――などを挙げた。

対人関係や社会性、共感性の発達が未熟▽会話による意思疎通が不器用で、家庭も学校も女児の思いをくめなかった▽愉快な感情以外の感情の認知、表現が困難で、怒りを抑圧・回避するか相手を攻撃する両極端な行動しかできなかった

これらはいずれも実に良く分かる話である。一種の人間関係不全で、人の気持ちが分からない、人間関係の機微が分からない、自己の価値観が歪んでいる・・・・・・そんな子は結構いるものだ。

 ただ「これらの特性は軽度で、何らかの障害と診断される程度には至らない」と位置づけた。

となるとなおさらで、加害女児は「どこにでもいる普通の子」ということになってしまいかねない。

しかしそうだろうか?
私のクラスにいる子どもたちの幾人かに同様の傾向があるが、彼らすべてが殺人者予備軍とはとても思えない。彼らの中に加害女児と同じことのできる生徒がいるのかもしれないと思うことは到底できない。

 すべての親は、自分の子とその同級生についてこう想像してみるといい。その子は、
友だちを部屋のカーテンをすべて閉め、殺しやすいように友達をいすに座らせ、背後から左手で頭を押さえると、何度も何度も、首に当てたナイフを繰り返し引き続けたのだ。

それはあなたの子やその友だちにできそうなことなのか?







 

2004.09.17

小6同級生殺害 被害者の父、「なぜ怜美が」見えなかった

毎日新聞 9月16日]


 長崎県佐世保市の小6同級生殺害事件被害者の御手洗怜美さん(当時12歳)の父親で毎日新聞佐世保支局長の恭二さん(46)は15日夜、佐世保市役所で記者会見。家裁の処分決定に「非常に戸惑っている。私は事件直後から『なぜ怜美がこんな目に』ということにこだわってきた。調査や鑑定で解き明かしてほしいと思っていたが、その結果は特別なものには見えなかった」と困惑を隠さなかった。

 御手洗さんは、右手に怜美さんが愛用していたブレスレットを着け、代理人の八尋光秀弁護士とともに会見に臨んだ。冒頭、A4判1枚の手記を配り「事件の日からあっという間だった」と振り返った。裁判所の対応には「決定通知は全文をいただいた。鑑定の部分は詳細で、対応に感謝しています」とし、淡々とした口調で時に伏し目がちになりながら、一言一言をかみしめるように話した。

 処分については「予想されていたことなので特別な感想はないが、今の少年法で取りうる最大限の措置をしていただいた」とした。ただ「多分、納得はしていないが、現行法では受け入れざるを得ない」と複雑な思いを吐露。「決定には『女児は怒りを処理できない』とあるが、突然キレる子はどこにでもいる。そういう子と今回の女児がどう違うのか。最後の一線を越える子と踏みとどまる子とどう違うのか」ともどかしそうな表情を見せた。

 また「(加害女児が)相手の家族を思いやるところまで達していない状況なら、何を言っても伝わらない気がする。早く感情や相手に考えを伝える力をつけていただいて、それからだと思う。審判という手続きは終わったが、僕も彼女にとっても、まだ終わっていない」と語った。

 「子供を理解する努力を続けて下さい」と呼び掛けた御手洗さん。「処分決定の要旨も多くの方に読んでいただいて、家庭なり学校なりにフィードバックすれば、(再発防止に)つながるのではないか」と訴えた。【船木敬太、倉岡一樹】

◆御手洗恭二さんの手記
 さっちゃん。あの日から3カ月半。少年審判が終わりました。たくさんの人が彼女のことを調べてくれた結果に、父さんは戸惑っています。彼女は、程度の差はあれ、父さんたち大人が一般的に「普通」と呼んでいる子どものようです。この結果は鑑定や調査の限界だろうか。それとも「普通の子」でもこんな大変なことを起こしてしまうということだろうか。父さんには分かりません。

 そして、改めて親子や家族の大切さと難しさを感じています。君は父さんの前では年齢の割に幼かったり、そのくせ時には母さんのように励ましてくれた。でも手紙やメールを読んだら(ゴメン、無断で)転校で変わったさまざまな環境に苦しんでいたんだね。知らなかった。

 親が子どものすべてを理解することはできないかもしれない。でも父さんは努力が足りず、彼女とのもめごとに気づかなかった。気づいていれば何か手助けできたかもしれないのに。同じように彼女のご両親も考えてくれていたらいいね。

 わが子が被害者、そして加害者になるなんて親は思っていません。だから父さんみたいに苦しまないために、同じ子を持つ大人に言えるとすれば一つだけ。「子どものすべては理解できないと分かったうえで、理解する努力を続けてください。それぞれの家がそれぞれのやり方で」

 さっちゃん。彼女は学校でもちょっと気になる兆しを見せていたようです。でも大人は誰も気に留めず、手を差し出さなかった。

 父さんが昔、学校を取材して「素敵だな」と感じるクラスがありました。先生が冗談を言って笑いを取るわけではないのに明るい。先生が怒れば子どもたちは震え上がる。それでも子どもたちと先生はお互いを信頼している。そんなクラスの先生は笑顔も素敵で、先生という仕事を心の底から楽しんでいるんだなと感じました。

 今の学校はどう? 先生たちは子どもと向き合うこの仕事を本当に楽しんでいる? 教育行政の人たちは自身も子どもと直接向き合う気持ちで学校を支えている?

 今も君のいない寂しさがスクラムを組んでやってきます。でも多くの人の励ましでこの日にたどりつくことができました。少年審判は終わったけれど、父さんにとっても彼女にとってもこれからの半生が本当の審判です。そして父さんなりに事件を見つめ直したいと思っています。

 さっちゃん。今年はクリスマスを少し楽に迎えられそうだよ。君がこの3年間、サンタさんに「母さんの声をもう一度聞かせて」とお願いしていたから、父さんはちょっと困っていた。今はもう二人一緒だよね。今年は父さんが「二人の声をもう一度聞かせて」とお願いしてみようかな。
2004年9月15日 御手洗恭二



1.
『女児は怒りを処理できない』とあるが、突然キレる子はどこにでもいる。そういう子と今回の女児がどう違うのか。最後の一線を越える子と踏みとどまる子とどう違うのか

それが最大の謎である。

たくさんの人が彼女のことを調べてくれた結果に、父さんは戸惑っています。彼女は、程度の差はあれ、父さんたち大人が一般的に「普通」と呼んでいる子どものようです。この結果は鑑定や調査の限界だろうか。それとも「普通の子」でもこんな大変なことを起こしてしまうということだろうか。父さんには分かりません。

被害者の父親の問いには、切実なものがある。

しかし心配することはない。加害女児は特別な子であって、決して「普通の子」ではないのだ。
鑑定で探り出された範囲でいえば「どこにでもいそうな子」(ただしこの範囲でも『普通の子』ではない)ではあるが、鑑定で浮き彫りにできない部分に、決定的に違いがある。

普通の子」も、「(普通ではないながら)どこにでもいそうな子」も、人を殺したりしない。少なくともあんなふうに冷静に人殺しをしたりはしない。

 だからわが子が重大犯罪の被害者や加害者になるのではないかという意味では、日々それほど恐れて暮らすことはない。普通の子が普通に暮らしている限り、普通の時間が流れるだけである。


2.
父さんが昔、学校を取材して「素敵だな」と感じるクラスがありました。先生が冗談を言って笑いを取るわけではないのに明るい。先生が怒れば子どもたちは震え上がる。それでも子どもたちと先生はお互いを信頼している。そんなクラスの先生は笑顔も素敵で、先生という仕事を心の底から楽しんでいるんだなと感じました。

そうだ。普通のクラスというものはそういうものである。楽しく明るく、しかし先生が怒れば子どもたちは震え上がるような厳しさに守られてこそ、「素敵だな」と感じるクラスは存在できる。そうした厳しさをもってこそ、子どもの信頼は勝ち得ることができるのだ。それは親とて同じことである。

3.
そして次の言葉を覚えておこう。覚えておいて、繰り返し唱えていよう。

 わが子が被害者、そして加害者になるなんて親は思っていません。だから父さんみたいに苦しまないために、同じ子を持つ大人に言えるとすれば一つだけ。
「子どものすべては理解できないと分かったうえで、理解する努力を続けてください。それぞれの家がそれぞれのやり方で」







2004.09.21

小4〜6年生の4割「太陽が地球の周り回っている」

産経新聞 9月21日]

国立天文台助教授ら調査「指導要領に問題」
 小学生の四割が「天動説」を信じている! 国立天文台の縣(あがた)秀彦助教授らが行った理科教育の実態調査で、小学校四−六年生の40%以上が「太陽が地球の周りを回っている」と思っているショッキングな実態が明らかになった。二十一日から盛岡市で開かれる日本天文学会で「理科教育崩壊」と題して発表する。背景について縣助教授らは「現行の学習指導要領は天文分野の学習内容が極めて不十分」と指摘し、早期修正を提言している。

 今年二月と四月に、北海道、長野、福井、大阪の四道府県でアンケート調査(四校、対象児童三百四十八人)を実施。「地球は太陽の周りを回っている」「太陽は地球の周りを回っている」の二つの選択肢から正しい方を選ぶ設問では、42%が“天動説”を選択した。
 縣助教授らは平成十三、十四年に広島市と東京都三鷹市の小学校で同様の調査を実施した。これらの結果を総合すると、「月の形が毎日変わるのはなぜか」という月の満ち欠けの原因を尋ねた設問で、四つの選択肢から「地球から見て太陽と月の位置関係が変わるから」と正しい答えを選んだのは47%。「月が地球のかげに入るから」と「月食」と混同した児童が37%にのぼったほか、「いろいろな形の月があるから」を選んだ児童も2%いた。

 六月に茨城県内の四校で行った同様の調査(対象児童七百三十三人)でも、40%が天動説を選んだ。また、「太陽の沈む方角」(東西南北から選択)の正答率が65%にとどまるなど、身近な天文現象に対して子供たちの理解が乏しい実態が浮かび上がった。
 平成十四年施行の指導要領では地上から見た太陽や月、星の動きの観察を重視する内容になっており、縣助教授は、「今は月の満ち欠けの理由は小学校では教えていないが、四−五年生で理解できる。現行の学習指導要領の授業の範囲が“平らな地球”からの宇宙観にとどまり、地球が丸いことや自転、公転していることさえ扱わない」と問題点を指摘。そのうえで、「テレビなどでは宇宙の映像に触れる機会も多く、日常生活で得た知識と授業内容が結び付かない。理科の授業で太陽、地球、月の全体像を教えないことが理科嫌いを招く原因ではないか」と話している。

     ◇

 ≪教える側の力不足≫
 芳沢光雄東京理科大教授(数学・数学教育)の話 「物事に興味や問題意識を持ち、原理原則を学び、視点を変えたり、論理的に考える作業が楽しい、面白いと多くの児童生徒が実感できていないのだろう。理数教育は国の礎で由々しい結果だ。子供の心に飛び込む授業は専門知識や人生経験に裏打ちされた教える側の力量や深みが伴う問題だ。『ゆとり教育』は問題だが、子供の興味、関心、考える力をどう養うかという取り組みを省略すると、学ぶ量が増えても知識を注入する『詰め込み教育』になるだけで、何の本質的な解決にもならない気がする」


子どもは教えられなかったことは、できない、知らない、分からない、が基本である。

私の娘は地動説を教えられた児童だったが、5年生の時だったろうか、地球が太陽の周りを回り、その地球の周りを月が回っていると学校で教えられ、興奮して家に帰ってきた。
「ねぇ、ねぇ、すごいよお父さん!、太陽の周りを水星や火星や金星や地球が回ってるんだよ、知ってた!?」
・・・・・・娘は興奮していたが、私は面食らっていた。星の話も宇宙の話もそこそこにしてきたはずなのに、私の娘は天動説を生きていたのだ。なるほど、教えられないことは知らないことだなあと改めて思ったものである。


縣助教授の言う
「今は月の満ち欠けの理由は小学校では教えていないが、四−五年生で理解できる」
それは承知だ。太陽系の動きや月の公転が指導要領から外されたのは、小学生に難し過ぎるからではない。それまでの学習内容の中から、比較的難しいもの、比較的必要性の低いもの、そういうものを順次外していく中で、地動説的内容が消えて行っただけである。
現在の指導要領が作られる前、「月の満ち欠けよりももっと大切なものがある」、それが(教師以外の)すべての人々の一致した考え方だった。
みんなが重要でないと考えたから、なくなっただけなのだ。

理科の授業で太陽、地球、月の全体像を教えないことが理科嫌いを招く原因ではないか
そうだろうか?
当時の人々はそんなふうには考えず、
学校が教えすぎるから子どもたちは理科や数学に興味を失うと考えていた

そうした前衛的な考え方は、今どこに行ってしまったのだろう?


その点、芳沢光雄東京理科大教授の考え方のほうが、まだしも理解できる。
彼は
『ゆとり教育』は問題だが、今のままだってやっていけるはずだ、何もかも教えた昔に戻せばまた「詰め込み教育」になってしまう、と言っているのである。

今の指導要領のまま、
物事に興味や問題意識を持ち、原理原則を学び、視点を変えたり、論理的に考える作業が楽しい、面白いと多くの児童生徒が実感
できる授業、、それは彼によれば、
専門知識や人生経験に裏打ちされた教える側の力量や深みが伴う問題
となる。

賛成である。
そると問題は次の一点だけになってしまう。

これだけ教員の意欲を挫く社会にあって、芳沢教授並みの専門知識や人生経験をもった教員を、100万人ほどどう調達するのか。