キース・アウト
(キースの逸脱)

2005年12月

by   キース・T・沢木

サルは木から落ちてもサルだが、選挙に落ちた議員は議員ではない。
政治的な理想や政治的野心を持つ者は、したがってどのような手段を使っても当選しておかなければならない。
落ちてしまえば、理想も何もあったものではない。

ニュースは商品である。
どんなすばらしい思想や理念も、人々の目に届かなければ何の意味もない。
ましてメディアが大衆に受け入れられない情報を流し続ければ、伝達の手段そのものを失ってしまう。

かくして商店が人々の喜ぶものだけを店先に並べるように、 メディアはさまざまな商品を並べ始めた。
甘いもの・優しいもの・受け入れやすいもの本物そっくりのまがい物のダイヤ
人々の妬みや個人的な怒りを一身に集めてくれる生贄
そこに問題が生まれれば、今度はそれをまた売ればいいだけのことだ。















 

 

2005.12.07

「指導力不足の教員増えている」
認識にギャップ…内閣府調査


読売新聞 12月6日]


 内閣府は5日、都道府県教育委員会や教員などを対象にしたアンケート調査の結果を発表した。

 ◆現場の教員37% 都道府県教委21%

 教員の37%が「指導力不足の教員が増加傾向にある」と答えたのに対し、市区教委では36%、都道府県教委では21%にとどまり、教育現場の実情について教員と教育委員会の認識にギャップがあることが浮き彫りとなった。

 調査は、教員採用の方法や基準、指導力不足対策などの現状を把握するため、9〜10月に実施された。47都道府県と756市区の教育委員会、小、中学校の学校法人1003、東京都江東区などの教員2835人を対象とした。

 指導力不足の教員が増える理由については、都道府県教委の62%と市区教委の50%は「保護者や生徒の教員を見る目が厳しくなった」ことを挙げた。「教育内容が多様化し、従来の教育手法が通じない」も、ともに5割を超えた。

 一方、教員は「業務拡大・長時間勤務で研究・自己啓発の時間が取れない」が59%で最も多く、「適性資質を欠く教員は常に一定比率で存在する」「従来の教育手法が通じない」などの回答が続いた。指導力不足の教員への研修や指導が「有効」と答えたのは、都道府県教委では約7割に上った反面、市区教委、教員では約3割にとどまった。

 調査結果は、教員の採用や評価制度のあり方を検討している規制改革・民間開放推進会議の報告書に参考資料として盛り込まれる。



興味深い数値である。

 さて、
教員の37%が「指導力不足の教員が増加傾向にある」と答えたということは、逆に言うと63%のの教員は「指導力不足の教員は増えていない」あるいは「減少している」と答えたのだろうか? まずそれが疑問であるが・・・・・。

私の感覚からすると、ある意味、指導力不足の教員は増えていない。もしくは減少している。
それは私たち自身が教わった教員たちを思い出してみればわかることだ。

30数年前の教師たちは実によく殴った。殴られるからこそ渋々したがっていた生徒たちが何人かいた。
あるいは別の教員は、しばしば酒の臭いを撒き散らし、授業とは関係のない、愚痴としか思えないような話を延々と続けていた。
別の教員は、授業中によく寝た。
冬の教室のストーブの前に椅子を移し、ゆったりと座ったまま生徒に教科書を読ませているうちに眠ってしまうのである。

また、修学旅行でもその他の宿泊行事の最中でも、彼らは実によく飲んだ。宿舎に着くや否や飲み始めるので、夕飯の時にはもうへべれけ状態で、話もできない人がいた。しかし私たちは大して憤慨もしなかった。彼らが早く酔いつぶれてくれることは、私たちにとっても利益だったからである。
 
そうした教員をたくさん見てきた目に、現代の教員たちは実に真面目で優秀である。
この30年あまりの間に、教員は暴力なしで子どもを動かす大量の方法を編み出しもした。
20年前、カウンセリングという言葉はそれ自体が新鮮であったが、今や専門の教育を受けた教員が大量に存在する。
コンピュータが導入されてからは、教材も教具も実に多彩なものが自作されるようになった。
それだけを見れば、
確実に教員の指導力は高まったはずである。

・・・・・・しかし、だ。
別な見方をすれば、教員の指導力は明かに低下している。
子どもはもう教師の言うことを聞かない。高校生ばかりでなく、中学生も聞かない。それどころか小学校1年生でも勝手に歩き回る「学級崩壊」生まれるようになった。そのことを考えれば、
明かに指導力不足の教員は増えているのだ。

指導力は高まっているという結論とそうでないとする結論、この矛盾を解消する論理都はどういうものであろう?


答えは簡単である。
教員は飛躍的に指導力を高めたが、子どもはそれを遥かに越えて難しくなったのだ。
理屈っぽい言い方をすれば、指導力は絶対的には高まったが相対的には低下してしまったのである。

昔は相当なダメ教師でも指導者として君臨できた。それは私たち子どもが優秀だったからである。
今は違う。子どもに求められるのはできるだけ多様で個性的であることであって、「児童・生徒」という名で呼ばれる「学ぶ集団の一員」であることではない。それはむしろ没個性として退けられてきたことである。
また、現代の子どもは「そのままの素の姿」で、愛され認められるべきだと教えられている。

今後も子どもたちは教員の指導力を乗り越え続けるだろう。それにつれて指導力不足の教員はますます増えるはずである。普通の教員たちが、指導力不足と認定されるようになる。



もうひとつ、
教育現場の実情について教員と教育委員会の認識にギャップがあることが浮き彫りとなった。
ここにも実は面白い意味がある。しかし今日は時間がなくなった。またにしよう。






 

 

2005.12.10

論説 :  通学路の安全/スクールバスの導入を

山陰中央新報 12月7日]


広島、栃木両県で、下校途中の小学校一年生の女児が殺害される事件が相次いで起こった。昨年十一月、奈良の小一女児が下校途中に殺害されてからわずか一年。なぜ、いたいけな少女ばかりが狙われるのだろうか。日本社会の安全神話が、まさに音をたてて崩れていくような思いである。

 子どもの安全なくして学校も、教育も、社会の未来もない。安全確保策をどう実現するか。まず学校と地域社会が先頭に立って、実効ある再発防止策を講じなければならない。

 通学路の安全を守るさまざまな取り組みは、奈良などの事件をきっかけに全国各地で続いている。

 地域安全マップを子どもたちに作らせて防犯意識を高めたり、防犯ブザーを持たせたりする試み。東京都品川区では緊急事態を伝える携帯端末を子どもに所持させている。また、さらわれそうになったら大きな声を出すなど、危険な状況への対処法を子どもに身に付けさせる取り組みもある。

 国もあらためて通学路の安全対策徹底を通知。小坂憲次文部科学相も危険個所への防犯ビデオ設置などを検討する考えを示した。しかし実際問題として、その気になった犯人に対して、これらの方策がどれほどの効果があるのか。相次ぐ事件を見ていると、やはり万全とはいえないというのが正直な感想だ。

 ましてやそれが小学校一年生ともなれば、なおさらだ。そうした施策には限界があることも自覚すべきだろう。

 確実なのは保護者が家のドアから学校の門まで付き添うことだ。島根県内などでは地域の高齢者グループが集団登下校に一役買っているところもあるが、恒常的にすべての子どもに目が届くかといえば、なかなか難しいと思う。

 この際、多くの幼稚園がバスでの送り迎えをしているように、スクールバスでの送迎を検討すべきではないだろうか。少なくとも小学校低学年は、体力も幼稚園児とそう変わらないところがある。スクールバス導入は、安全がただで買えなくなった時代の要請と考えるべきではないか。

 米国の小学校では普通、子どもだけで登下校することはない。スクールバスを使うか、車で送迎するか、親が同伴するか。いずれにしろ大人が責任を持つのが当たり前になっている。

 まずは学校を設置・管理する責任を持つ自治体が率先して検討すべきである。予算の制約もあるだろうが、子どもの安全には代えられない。

 国にも要望したい。現在、スクールバス導入について国から車両費半額補助があるのは、過疎や統廃合に伴う遠距離通学に限られているが、基準を緩め、都市部を含めた安全確保にも適用できるようにしてほしい。

 弱い子どもをターゲットにする背景には、成熟した大人と向き合えないゆがんだ心がある。弱肉強食の傾向が強まる中、被害感情を募らせる人も確実に増えていく。弱い子どもたちに牙が向けられる傾向はこれからも広がるだろう。

 大人には子どもの安全を守る責任がある。いかにコストがかかろうと、その責任は全うしなければならない。



広島(11/23)・栃木(12/2)と相次いだ小1幼女誘拐殺人事件のために、全国は厳戒態勢である。その中でスクールバス導入への期待があちこちから出てくるとは思っていた。しかし見識あるべきマスメディアが、スクールバスを本気で扱うとは思わなかった。

さて、
先日、私の勤務校の隣の学校で、創立20周年を祝う音楽会が催された。しかも記念行事だから学校ではなく、市の音楽堂を使おうということで用意したバスが10台である。とりあえず苦労したのは10台をどう校内に入れ、生徒を乗せ、どう出すかといったことだったそうだ。

スクールバス導入によって、同じことが同時に、全国で起こる。
仮に小学校だけのスクールバスを考えても、私の勤務校のある市だけで11校。登校時間はほぼ同じだから、
必要とされるバスは約100台である。

これだけのバスをどう用意するのか、それ自体が問題であるが、
予算の制約もあるだろうが、子どもの安全には代えられない。
ということで6〜7億円ほど使って購入するとしよう。しかし運転手の確保は尋常ではない。
とにかく
大型バスを運転できるドライバーを100人、しかも朝晩だけのパートタイムという条件で雇わなければならないからだ。

100台ものバスが同一市内を走ることによる交通渋滞は、どう取り扱えばいいのか。都会では校内にバスを入れるスペースもがないところもあろう。そうした学校では路上に10台ものバスが並ぶことになる。

そうした事情はアメリカでも同じだろう。では、アメリカではどうなっているのかというと・・・残念ながら私の周囲にはそれについて知る人はいなかった。ただしシンガポールの事情については知っている人がいた。
シンガポールのある巨大学校では、バス42台が一日中、学校に置かれているのだ。
人件費の安い国だから、運転手にも困らないのだろう、ということである。

山陰新報、そうしたことすべてを考慮に入れての提案か?
それとも、「ただ言ってみた」というだけのことだろうか?






 

 

2005.12.12

矢掛町全小が下校で児童が1人になる地図作成
(岡山)


読売新聞 12月12日]


 各地で子どもの下校時の安全対策が模索される中、矢掛町では町立の全7小学校それぞれが、通学路で児童が1人になる場所をチェックする<地図>作りを始めた。学校から複数で下校させても、自宅周辺などでは他の子と分かれて1人になり、危険性が高まる。そこで町教委が、「各校がそれぞれ効果的な対策を練るには、まず、通学路のどこが危険か洗い直すことが重要」と判断、作成を急がせている。

 広島、栃木、そして昨年11月に奈良で下校途中の女児が連れ去られ、殺害された事件は、いずれも子どもが1人のときを狙われた。町教委は下校時、児童が1人になる時間帯や場所を各校に把握させようと、5日、7校の教頭を集め、<地図>作成を指示した。

 矢掛小(矢敷誠一校長、248人)の場合、終業後に校庭で遊ばせるなどして下校時間を調整し、複数下校させている。全校一斉のほか、1・2年と3〜6年、1〜3年と4〜6年など4パターンをつくっており、今回、各担任がパターン別の下校ルートを調査。一人になる場所を児童から聞き取り、1万分の1の道路地図上に赤字で示していく。

 同小によると、校区内では、登下校時に事件こそ起きていないが、声かけ事案が年に1、2件発生。現在、下校時には、20人の教職員が途中まで付き添い、地域住民もパトロールのほか、この時間帯に散歩や買い物に出る場合も緑色の腕章をつけ、何人もの大人が見守っていることがわかるようにしている。

 しかし、通学路は30年以上同じルート。防犯よりも交通事故防止を考慮して定められた面が強いといい、調査してみると、200メートルほど一人で歩くことになる児童もいた。矢敷校長は「完成すれば地域住民に見せて、どう子どもを守るか智恵と協力を求める。一人になる時間が減るよう、通学路の見直しも必要だろう」と話している。


神戸事件の酒鬼薔薇聖斗の行動領域は自転車で動ける範囲だった。最後の被害者は弟の友だちである。
宮崎勤の場合は自家用車を使ったので東京・埼玉両都県、いくつかの市と町をまたがる広域の犯罪のように思われているが、実際には半径15km程度の円の中で行動していた。
昨年の奈良の幼女誘拐殺人事件の小林某もやはり自宅から15〜6km.の範囲で犯罪を犯した。
広島の事件の犯人はまさに通学路の途上にあった。栃木の事件も、栃木・茨城両地域に「土地カン」のある人物が犯人だろうといわれている。
これらは何を意味するか。

答えは簡単だ。
異常者は地域にいる

さて、そうなると、
完成すれば地域住民に見せて、どう子どもを守るか智恵と協力を求める。
という矢敷校長の考え、かなり危険のような気もするがどうだろう?

矢掛小のそれぞれの子はここでひとりになるという地図、使いようによっては最良の誘拐ポイントを教えることになる。
それを承知で地域に出していくとなると、これは相当に勇気のいることだ。しかし読売新聞もこの試みに反対しない。新聞を通じて矢掛町の方法が全国に広がる・・・。







 

 

2005.12.12

通学路のカメラ設置を批判
田中康夫長野県知事


共同通信 12月12日]


 広島、栃木両県で起きた女児殺害事件を受けて小坂憲次文部科学相が「通学路や校門へ防犯カメラを設置するなどの対策を協議する」と発言したことについて、長野県の田中康夫知事は12日、県議会での答弁で「カメラをつけたからといって安全が守られるわけではない。子どもらしさも奪われかねない」と批判した。
 県教委の試算では、中山間地域が8割を占める長野県内の小、中、高校など計702校に4台ずつカメラを設置すると、経費が計約8億4000万円に上る。田中知事は「これだけの費用があれば警備員や警察官も増やすことができるかもしれない」とも述べた。



 私は田中知事という人が好きになれない。新党日本はどうなったとちゃちゃを入れたくなる(ニッポン チャチャチャ)。
 それはさておき、
 しかし通学路のカメラ設置批判、これは正しい。「子どもらしさが失われる」云々はどうでもいいが(子どもはカメラのことなんてすぐに忘れるけどね)、監視カメラに実現の可能性はない。

 実際、
通学路や校門へとなると、1校4台ずつでは足りないだろう。ひとりになる場所が危険という上の記事に従えば、カメラは通学路全体を網羅するように置かねばならない。そうなると一校100台でも足りないかもしれないのだ。とても8億で済む話ではない。

 さらに言えば、事件を未然に防ぐとなれば誰がそのモニターを見ていなければならないはずだが、いったい誰がそれをするのか。私の学校で最も早く登校する生徒は午前6時半に家を出る。それからおよそ2時間、校長や教頭が仕事の片手間に見ていればいいというものではないだろう。


スクールバスだの、一人になる地図だの、監視カメラだの、なぜこうも実現の可能性のない話ばかりがまことしやかに流されるのか。

私には理解できない。






 

 

2005.12.14

長野県、全小中学校・養護学校に警察官配置

読売新聞 12月14日]


 広島、栃木両県の小学生女児殺害事件などを受け、長野県は14日、児童、生徒の安全確保のため、県内すべての小中学校と養護学校計618校について、当面の間、登下校時に通学路や校門に警察官を配置することを決めた。

 学校職員も学校周辺をパトロールすることにしており、県は「地域ぐるみで子どもの安全を守りたい」としている。

 県によると、各校に配置する警察官は1〜2人の見込み。県警は、不審者情報などを把握して事件を未然に防ぐため、学校ごとに安全対策の現状や問題点などを記した「安全カルテ(仮称)」を作る。

 また、県教委は、24時間態勢で相談を電話で受け付ける「子ども安全ホットライン」を設置、県警と連携して安全対策の強化に努める。

 通学路の安全対策に関しては、文部科学省が検討している防犯カメラの設置について、田中康夫知事が12日の県議会答弁で「カメラの設置で安全が守られる訳ではない」と発言。人的な力で安全強化対策を進める方針を示していた




監視カメラで子どもの安全は守れないという長野県知事の見識は間違っていない。そんなところに金を使うより警察官の増員の方が抑止力がある。
私もそう思う。


しかし実際に、618もの学校に警察官を1〜2名配備すると、そこまで徹底した安全対策が計られるとは思わなかった。天晴れである。
最低でも618名、最大で1236名。
これだけの人数を朝2時間、夕方3時間の計5時間、学校に貼り付けにできるというのは、よほど人員に余裕があるのだろう。そう思って調べてみたらびっくりした。

長野県の警察官のおよそ3300人しかいない。つまり全警察官の6分の1から3分の1を学校に送りこむつもりなのだ。

もともと長野県は警察官ひとりあたりの人口が661人と、全国でも4番目に多い県である。
全国平均が527人だから、ひとりの警察官が受け持つ人数は130人あまりも多い。さらに県の面積も全国で4番目だから、少ない人数で大変な広域をカバーしていたことになる。よくもまあこれまでやってきたものだと、感心するばかりである。


そこからさらに19%乃至37%を学校に貼りつかせてしまうのだから凄いとしか言いようがない。

さすが教育県というか……やや恐ろしいような気もする。






 

 

2005.12.15

<精神性疾患>休職の公立校教員は過去最多
10年で3倍に


毎日新聞 12月14日]


 精神性疾患で04年度に病気休職した公立の小中高校、盲・ろう・養護学校の教員は、前年度から365人増えて3559人となり過去最多を更新したことが、文部科学省の調査で分かった。12年連続の増加で、10年前の94年度(1188人)の3倍に当たる。懲戒処分を受けた教員は1226人で前年度から133人減ったが、4年連続で1000人台となった。免職者総数も204人(懲戒165人、諭旨14人、分限25人)で2年連続で200人を超えた。
 調査によると、休職者全体の病気休職者の割合は、96.7%を占める。そのうち精神性疾患の割合は過去最高の56.4%に上った。精神性疾患による休職者の増加傾向について、文科省初等中等教育企画課は「学級崩壊や発達障害の子供の増加などの変化についていけないなどの指摘がある」と言う。
 病気休職を含め、心身の故障などで適格性を欠く場合などに行われる分限処分は、前年度から249人増えて6553人。そのうち、免職は指導力不足11人▽適格性欠如10人▽心身の故障4人の計25人(6人増)で過去最多だった。
 免職を除く懲戒処分の内訳は、停職180人▽減給294人▽戒告587人。体罰は前年度より30人少ない143人で、免職はなく停職は20人。わいせつ行為やセクシュアル・ハラスメントは14人少ない141人で、免職95人▽停職31人▽減給10人など。諭旨免職の11人や訓告などを合わせると計168人に上った。
【長尾真輔】
 ◇東京都教職員互助会三楽病院の中島一憲・精神神経科部長の話
 生徒指導の困難さや要求が厳しさを増す保護者への対応、変化する教育行政への戸惑いが教員のストレスを生んでいる。休職者が出ると周囲にしわ寄せがいき、新たな休職者を生む負の連鎖が起きている。この悪循環を断ち切るには、自助努力だけでは無理で、保護者の理解や行政による現場支援が必要だ。



教員の体罰やわいせつ行為はしょっちゅうニュースになるが、その3倍にも及ぶ教員の精神疾患はほとんど話題にならない。分限処分は6553人。ため息の出るような数字である。

校内暴力だ、不登校だ、学級崩壊だと、さまざまなサインが出ていたにもかかわらず、私たちは教育全体を見直すことなく、すべてを教員のせいにしてきた。その教員が、もはや音を上げ始めたのだ。

しかし私は、この数字はまだまだ足りないと思う。

時代や社会や子どもの変化を無視し、
すべては教員の努力と研修によって解決できる、
子どもに関するあらゆることは学校が解決すると、
何もかも背負わせ続けた公教育は、遠からず滅びる


どうせ滅びるなら、この混乱の犠牲となる子を一人でも減らすために、公教育の滅びは急がなければならない。
そのために、
もっと多くの教員が倒れるべきなのだ。


分限処分というのは少し分かりにくいので説明しておく。

地方公務員法では分限の処分事由として次の四つを挙げている。
 一 勤務実績が良くない場合
 二 心身の故障のため、職務の遂行に支障があり、又はこれに堪えない場合
 三 前二号に規定する場合の外、その職に必要な適格性を欠く場合
 四 職制若しくは定数の改廃又は予算の減少により廃職又は過員を生じた場合

分限処分の内容も四つで免職、降任、休職及び降給である。

校長の指示に従わない、出すべき書類を出さない、破廉恥行為といったものも分限処分の自由になるから、6553人の内訳が分からないと何とも言えないが、
心身の故障などで適格性を欠く場合などに行われる分限処分は大枠で、間違っていないと考えられる。






















 

 

2005.12.18

公立小中の先生、給与優遇見直しへ
人材確保法、廃止も


朝日新聞 12月17日]


 政府は、公立小中学校の教員給与を一般の地方公務員より優遇することを定めた「人材確保法」について、廃止を含めて見直す方針を固めた。06年度中に結論を出すことにし、24日に閣議決定する「行政改革の重要方針」に盛り込む。

 中馬行革担当相と小坂文科相が16日に協議し、同法の見直しに合意。「重要方針」のなかで「06年度中に結論を得て、08年春に所要の制度改正を行う」と明記することで一致した。

 同法は、故田中角栄元首相の指示で74年に成立した。だが、給与を負担する国や地方自治体で財政悪化や少子化が進み、財務省などが効果を疑問視。自民党の一部からも「給与が低くても教師になりたい、という人物を募った方が教育の質は向上する」(文教族議員)との声が出ていた。

 経済財政諮問会議が11月、同法について「廃止も含めた見直しを検討する」と提言。24日の閣議決定では「廃止を含めた見直しを行う」と踏み込み、「能力主義」(中馬行革相)などに基づく柔軟な給与制度に改める方向で検討に入る。政府の行革推進事務局は「新制度で、おのずと総人件費は抑制される」(幹部)と効果を期待する。

 文科省が見直しに同意した背景には、時間外手当など勤務実態をより給与に反映する制度に改める狙いもある。同省は教職員の勤務実態調査や諸外国との比較も検討していく考えだ。


教員の意欲を挫くような記事が続く。
財政悪化は分かるが少子化が進むとなぜ教員の給与を下げなければならないのか、良く分からない話である。

給与が低くても教師になりたい、という人物を募った方が教育の質は向上する
というなら、給与制限法でもつくって日本の基幹産業の給与を低く抑えるようにでもしたら、日本の産業の質はさらに上がるだろう。国会議員の歳費も教員並みに下げれば、清貧の大政治家が輩出しようというものだ。

とは言え、私は「人材確保法」の見直しに必ずしも反対ではない。文科省の言うように、
時間外手当など勤務実態をより給与に反映する制度に改めるというならばだ。

しかし、たぶんそうはならない。
実態に合わせれば、財政支出はとんでもなく肥大するからだ。

教員はやがて、給与の上でただの人になる。しかし他方で「教員としての高い倫理や道徳心」(よく言われる言葉だ)は、もとめ続けられる。そして過酷な労働が残る。

給与が低くても教師になりたい、という人物
、それも大勢集まるだろう。
しかし教師にでもなるか、といった程度の人物も集まる。教師にしかなれないという人物もこの世界に入り込んでくる。
昔懐かしい
「でもしか先生」の復活である。








 

 

2005.12.21

校内暴力、職員室を避難
名古屋市立中学 教師、校長室で業務


中日新聞 12月20日]


 名古屋市中区の市立中学校で、一部生徒が教師に暴力を振るったり、職員室の書類をまき散らしたりするため、教員が鍵のかかる校長室や応接室で業務を行っていることが二十日、分かった。市教委は「対応が不十分だった」として九月中旬に指導主事三人を派遣し、欠員も補充した。保護者や地域に協力を求め、事態の解消を図るという。

 市教委や同校などによると、同校では今春以前から一部生徒が職員室で暴れ、学習プリントの採点や授業の準備がまともにできないため、資機材を校長室などに保管し、業務も同室を中心に行っている。最近でも職員室で教師をスリッパでたたいたり、たばこを吸う生徒がいるという。

 今春以降、生徒との関係で精神的に不安定になった教師三人が休職や長期療養した。九月十二日には三年の男子生徒ら三人が校長(52)に暴行し、名古屋・中署に傷害の疑いで逮捕される事件も起きた。

 先月二十四日には、生徒の母親(38)が恐喝の疑いで逮捕された。校内で自分の三男が乗り回していたミニバイクをめぐり「盗んだと疑われた」として同校の教頭から十五万円を、ミニバイクの持ち主から二十万円を脅し取ったとされる。

 教員が校長室で業務を行っている中学校。二十日午前、校長に案内されて職員室に入ると、机の上には教科書もファイルもパソコンも何も載っていない。調理や陶芸用の作業台のようだ。「以前、生徒が書類をまき散らすことがあり、載せなくなった」と校長。校長が今年四月に着任したときは既にこの状態だったという。

 職員室だけ見ると、まるで廃校だ。

 校長への傷害事件後、名古屋市の岡田大教育長も学校を訪れた。市教委から指導主事が派遣されているが、職員室を教師の手に取り戻すまでには至っていない。

 「外から見れば異常だと思うでしょう。私も教員生活三十年で、初めての光景でした」と校長の歯切れは悪い。年内に教師全体で今後の取り組みを協議し、職員室の机も新品と入れ替えて雰囲気を変えるなど、徐々に事態を収拾したいという。


最近でも職員室で教師をスリッパでたたいたり、たばこを吸う生徒がいるという。

今春以降、生徒との関係で精神的に不安定になった教師三人が休職や長期療養した。
九月十二日には三年の男子生徒ら三人が校長(52)に暴行し、名古屋・中署に傷害の疑いで逮捕される事件も起きた。
校内で自分の三男が乗り回していたミニバイクをめぐり「盗んだと疑われた」として同校の教頭から十五万円を、ミニバイクの持ち主から二十万円を脅し取った


ここまでされても、教員とは手も足も出せないものなのか。
・・・・・・もちろん手も足も出してはいけない。学校内に教員の暴力を上回る悪はないからである。正当防衛もない。その意味で、教員は人間ですらない。
これほどひどい生徒も、学校は生徒として受け入れなければならないのか。
・・・・・・もちろん受け入れなければならない。子どもを学びの場から追い出す行為は
子供の学習権を制約する行為で、公共教育機関としては適切ではない。学ぶ権利は子供の側にあると教育の専門家たちは言うからである。(2005.10.16修学旅行の参加認めず 徳島市の公立中、「素行不良」と女子10人

市教委から指導主事が派遣されているが、職員室を教師の手に取り戻すまでには至っていない。
プロ中のプロが3人も派遣されてもこの始末である。学校の再生は程遠い。

まったく学んでいるとは思えないようなこのごく一部生徒たちの学習権は、他の子どもたちの学習権に優先する。彼らの自由には、なぜか最大限の敬意が払われる。





 

 

2005.12.23

旅費や修繕にPTA会費 愛媛の県立高52校

共同通信 12月22日]


 愛媛県の県立高校52校が2004年度、保護者が負担するPTA会費など計約1億9000万円を学校の修繕費や教員の出張旅費、備品の購入に充てていたことが22日、分かった。
 日本高等学校教職員組合(東京都)は「学校の経費は本来、県が負担すべきだ。自治体の財政難で学校の運営費が減る中、保護者の負担増につながる」と指摘。県教育委員会高校教育課は「各校がPTAの同意を得て教育活動を支援するために使っており問題ない」としている。
 同課によると、支出の内訳は家庭訪問や部活動の引率の旅費に約3100万円、雨漏りやトイレの修理などに約8500万円、事務用品の購入に約7000万円など。PTA会費のほか、生徒会費や振興会費も使われた。



これは教職員組合が発掘して共同通信に引き渡した内容か、それとも共同通信が独自に掘り出し教職員組合はコメントを求められたというだけのことなのか、そこが分かりかねる。しかしどちらにしても、正義の士が公表し、国民の同意を引き寄せようとしてる。

学校の経費は本来、県が負担すべきだ。。そういわれて賛成しない保護者はいないだろう。その結果PTA会費が引き下げられればそれに越したことはない、誰しもそう思う。
現実が曲げた原理原則を元に戻すことは正義である。そして正義を求める世論が盛り上がれば、PTA会費からの援用は停止となる。そこまでは、そうなる。

しかしPTA会費からの援用はなくなっても、1億9000万円が県から支出されることはないだろう。県はもともと金がないのだ。多少は融通してもらっても、1億9000万には程遠い。
足りない分については・・・

教員に自腹を切って出張に行けとはいえないから「必要な出張にも行かない」という方法でひとつはクリアする。求人情報集めも、大学めぐりもできなくなる。
修繕や備品は諦めてもらう。雨漏りがしても、コンピュータが不足してもしかたない。
それでも学校の経費がPTA会費から支払われるよりはマシだと、教職員組合や共同通信社は言うだろう。

正義はしばしば(いやかなりの頻度で)、人を不幸にする。







 

 

2005.12.31

漢字書けない中学生 正答3割弱 「読み」優先の弊害

産経新聞 12月30日]


 教科書に出てくる漢字のうち、中学生が正しく書き取れるのは全体の三割にも満たないことが教育シンクタンク「ベネッセ教育研究開発センター」(東京都多摩市)が東京都の公立中学に通う中学生二千人に行った「国語の学習に関する調査」でわかった。同センターでは、漢字の「読み」「書き」どちらも重視されてきた学校の漢字教育が現行の学習指導要領から「読み」優先へと変更されたことが漢字の書けない生徒を増やす原因になっており、「極めて深刻な状況にある」と憂えている。
 調査は東京都内の公立中学校(六校)に通う一年生から三年生の生徒二千三百三十五人を対象に今年の一学期に実施した。中学生配当漢字九百三十九字のうちすでに国語教科書に出てきた漢字について、文中に設けた空欄に適切に書き取る形式のテストを行い(中一のみ一部未履修の漢字あり)、国語学習に関するアンケートも実施した。
 その結果、漢字テストの平均は二七・八点(百点満点)。得点分布でも「一〇点〜二〇点未満」が22・2%と最も多く、三〇点未満の生徒が全体の61・2%を占めた。「国語が得意かどうか」と実際の得点との関係を見ると「国語が得意」と答えた生徒ほど高得点となる傾向はみられたものの、「とても得意」とした生徒も平均点は四二・八点にすぎず、「まあ得意」とした生徒は三三・四点しか書き取れなかった。
 漢字教育は平成元年の学習指導要領で「各学年の常用漢字に使い慣れ、文章の中で適切に使うようにすること」と「読み」「書き」セットで示されていたが、平成十年に告示された現行の指導要領では「読みはその学年で、書きは二年間(次の学年)で」と「読み」優先の指導に変更されている。
 同センターでは今回の調査結果について「これほど漢字が書けないのかと結果には正直驚いたが、起きるべくして起きた当然の結果ともいえる」と指摘。「調査実施時期が未習分野を多く抱えた一学期だったことや、パソコンの普及で大人も含めて漢字を書く機会が減ったといった環境変化などもこうした結果につながる一因とは思うが、現行の学習指導要領で学校の漢字教育が『読み』優先となり、上の学年で『書く力』が育たずにいることが、今回の結果に端的に表れたのだろう」としている。
 このほか調査では76・5%の中学生が「中学生の言葉遣いは乱れている」と感じ「難しい言葉は覚える必要はない」とした生徒は17・1%にとどまった。しかし、約八割の生徒が「国語は上手な勉強の仕方がわからない」。漢字テストの下位層になるほど、こうした思いが強くなり、逆に高得点の層ほど、「小さいころ親が本を読んでくれた」「親が家でよく本を読んでいる」「先生や親から本をすすめられる」などの回答も目立つ傾向がみられた。
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 【特に正答率が低かった問題例】
 ・水中で□息(ちっそく)しそうになる→窒〈1年0.4%〉
 ・□(よい)の明星→宵〈1年0%〉
 ・仲間から□外(そがい)される→疎〈1年0.8%〉
 ・強風のため□行(じょこう)運転→徐〈1年0.8%〉
 ・野球チームの監□(かんとく)をする→督〈1年0% 2年2.3%〉
 ・ホウレンソウを一□(いちわ)ゆでる→把〈1年0% 2年0.4%〉
 ・□下(のきした)で雨をしのぐ→軒〈1年0.4% 2年2%〉
 ・制度を□次(ぜんじ)改善する→漸〈3年0%〉
 ・会長に推□(すいせん)する→薦〈3年0%〉
 ・□辞(ちょうじ)を述べる→弔〈3年0%〉
 【中3で正答率が10%以下だった主な漢字熟語】
 謹んで新年を祝う/問題を迅速に処理する/いたずらを戒める/卸値で販売する/感動の余韻にひたる/申し出を快諾する/雪辱を果たす/政府の諮問機関/参加者の名簿を作る/実情に即した対策/詐欺行為/話し合いを傍観する/優勝の祝宴/名作の誉れ/戦争は愚かだ/資源が乏しい/栄養が偏る/卑劣なやり方/感慨をこめて歌う


 だから言ったじゃないか、というのは禁句なのかも知れないが・・・。
 つい数年前の詰め込み教育反対キャンペーンの時代、漢字のかけない子どもを憂える私たちに対して、マスメディアは盛んにこういったものだ。
「これからのワープロ時代、漢字の選択ができることは必要であってもなぜ書ける必要があるのか? 「書く」学習に当てる時間を「読む」学習に当てればそれだけ語彙は増加し、子どもの言語感覚は豊かになる。それなのに何ゆえ正確にかけたり筆順正しく書けることが必要なのか?」
 そうした社会状況は変わっていないはずなのに、今、改めて書くことの重要性が指摘されるのはなぜだろう?

 自分でマッチを使い火をつけ、自分で消火するやり口を大昔「マッチポンプ」と言ったが、
今のマスコミは火をつけて消火しない放火魔と同じだ。
 
まんまとはめられた私たち教員や文科省がアホと言うことなのか・・・。

 それにしても、
【特に正答率が低かった問題例】
 内容を見ると、できないと攻められる中学生が気の毒になるほどの難問と思うが・・・。