キース・アウト
(キースの逸脱)

2006年11月

by   キース・T・沢木

サルは木から落ちてもサルだが、選挙に落ちた議員は議員ではない。
政治的な理想や政治的野心を持つ者は、したがってどのような手段を使っても当選しておかなければならない。
落ちてしまえば、理想も何もあったものではない。

ニュースは商品である。
どんなすばらしい思想や理念も、人々の目に届かなければ何の意味もない。
ましてメディアが大衆に受け入れられない情報を流し続ければ、伝達の手段そのものを失ってしまう。

かくして商店が人々の喜ぶものだけを店先に並べるように、 メディアはさまざまな商品を並べ始めた。
甘いもの・優しいもの・受け入れやすいもの本物そっくりのまがい物のダイヤ
人々の妬みや個人的な怒りを一身に集めてくれる生贄
そこに問題が生まれれば、今度はそれをまた売ればいいだけのことだ。















 



2006.11.04

焦点は教育委員会改革、“機能不全”に批判相次ぐ

読売新聞 11月4日]


 全国の高校で相次いだ必修逃れ、小中学校でのいじめ問題などをめぐり、教育委員会制度の改革を求める声が相次いでいる。

 都道府県や市町村の教委は履修状況やいじめの実態を把握し、機敏に対応する必要があるにもかかわらず、ほとんど機能しなかったためだ。教委改革は教育基本法改正案の審議や、安倍首相直属の教育再生会議でも焦点になりそうだ。

 伊吹文部科学相は2日の記者会見で、「誠実さと規範意識がないと問題は解決しない。気持ちをしっかり持ち、国民の声に応えてもらいたい」と述べ、全国の教育委員長に緊張感を持って教職員の指導にあたるよう書面で呼びかけることを明らかにした。

 他の閣僚からも、「教育委員は名誉職では困る。教育委員が本気で戦って、働いてほしい」(高市少子化相)などと改革を求める声が相次いでいる。



政府やマスメディアがいう、
教育委員会制度の改革を求める声が相次いでいる
の意味が、私にはよく分からない。

「教育委員会」という言葉自体に2重3重の意味があるし、教育のあり方と言うものも47都道府県およびその傘下にある市町村によってかなり雰囲気が違っているからだ。

法律的に正確に教育委員会といえば、地方教育行政法で設置され、都道府県レベルと市町村レベルと2つの枠組みで存在する小さな合議組織のことである。委員の定数は、標準では5人とされているが各地方公共団体によって3人や6人の場合もある。合議により職務を遂行する。彼らは公務員や議員、首長とは兼任できないが任期のある委員なので、他の職業とは兼務しなければならない。したがって基本的に民間企業役員や団体職員・専業主婦が選ばれる。
別の言い方をすれば、普段は教育の現場から離れたところにおり、連絡のきわめて取りにくい人々である。

委員は、当該地方公共団体の長の被選挙権を有する者で、人格が高潔で、教育、学術及び文化(以下単に「教育」という。)に関し識見を有するもののうちから、地方公共団体の長が、議会の同意を得て、任命する。(地方教育行政法 第4条)
ということになっているが、必ずしも現場のプロではなく、
履修状況やいじめの実態を把握し、機敏に対応する
には最も不向きな人々とも言える。彼らには別の仕事もあるのだ。


私たちや一般の人々が教育委員会というとき、まず頭に思い浮かべているのはこれではない。「教育委員会に言いつけてやる」みたいな言い方をするときの「教育委員会」は、普通は教育委員会事務局のことであろう。

教育委員会事務局の長は教育長と呼ばれ、専従で教育に関する仕事に携わっている。都道府県レベルでは「教育庁」という名称で活動を行っている場合が多いが、市町村単位では「教育委員会事務局」が一般的である。

ここがほんとうに
履修状況やいじめの実態を把握し、機敏に対応する必要があるにもかかわらず、ほとんど機能しなかった
としたら、それには別の理由がある。

それは多忙だ。

各地方公共団体の教育委員会事務局(以下、これを教育委員会と呼ぶ)が背負っている仕事はハンパなものではない。そもそも大量の仕事を背負っていたのに相次ぐ行政改革で人員は減らされ、仕事を増えた。その増えた仕事の大部分は苦情処理である。

かつて、学校の問題を教育委員会に持ち込もうとする人は稀だった。しかし今は大量の苦情が電子メール、電話で持ち込まれる。
公的な問題もあれば個人の問題もある。
加えて、議員を通しての苦情や問題提起も増加し教育委員会の議会対策が膨大な仕事となる。首長と対立関係にある場合は首長に対する説明にも大変なエネルギーを使わなくてはならない。

本当は
教育委員会制度の改革
などまったく必要ない。
必要なのは、予算の増加である。








 



2006.11.05

東京・足立区:学力テストの結果で予算配分に差
小中学校


毎日新聞 11月4日]


 東京都足立区教委は07年度、区内の公立小中学校(72小学校、37中学校)で実施した学力テストの結果を基に、予算配分に差をつける方針を決めた。最大約300万円の差がつく。「地域格差の拡大につながる懸念がある」との意見もあり、論議を呼びそうだ。

 同区教委教育政策課によると、学校独自の取り組みを支援する「特色ある学校づくり予算」(04年度導入)の一環。都と区がそれぞれ年1回実施する学力テストの平均点などを中心に、学校独自の計画などを加味し、A〜Dにランク分けする。Aランクは全体の1割で最大約500万円、Dランクは全体の4割で約200万円を配分する。

 これとは別に、必要経費として中学校は約1000万円、小学校は約850万円を配分してきたが、区教委は「予算の執行がない部分がある」として、その分を「特色づくり予算」に移し、外国人講師や部活動指導者などの費用に充てることを見込んでいる。

 足立区は04年度の都実施の学力テストで小中学校とも23区中最下位。一方、保護者らが教員人事に関与できる「コミュニティー・スクール」を全国初導入、経営コスト改善など「学校経営改革」を実施し、今回も改革の一つと位置づける。

 根本優・同課長は「学校の裁量権を増やしたい。成績優秀校に予算が手厚くなるが、それ以外の学校には別の予算で講師補充など支援をしたい」と話す。

 公立学校の政策に詳しい葉養正明・東京学芸大学教授(学校政策論)は「それぞれの学校を活性化させる観点では理解できるが、テストの結果を利用するのはどうか。テスト結果の背後に潜む所得格差など社会要因を十分考えなければ、地域格差の拡大という社会問題に広がる懸念がある」と話した。【森禎行】


これはこれで非常に分かりやすいやり方である。
「指導要領遵守の中での特色ある学校づくり」というのは非常に分かりにくい概念だったが、少なくとも足立区について言えば、それは学力が高いという特色や、学力が低いと言う特色であることがはっきりとした。
また、これからの教員に求められるのは都と区がそれぞれ年1回実施する学力テストに対するテスト分析とテスト対策が中心となることも明らかだ。

生きる力だの心の教育だのといった難しいことを言わないところが実にいい。


ところで、増えた予算が教員の懐に入るわけではないのに、なぜ予算に差をつけると学力が高まると計算できるのだろうか?
むろんそこには地域や保護者の圧力が考慮されている。

足立区民よ、注意したまえ。教員は学校予算のために頑張ったりしない。すべてはあなたたちの圧力しだいなのだ。






 



2006.11.06

≪解答乱麻≫教育の環境破壊も深刻

産経新聞 11月6日]











 



2006.11.06

母親の主張に精神的苦痛と提訴
丸子実高バレー部員ら


信濃毎日新聞 11月6日]



 上田市の丸子実業高校1年生で男子バレーボール部員だった北佐久郡御代田町の高山裕太君=当時(16)=が自殺し、母親が同校でのいじめなどが原因だとして、県などを提訴している問題で、同部の顧問や部員ら計30人が6日までに、母親を相手取り、精神的苦痛を受けたとして総額3000万円の慰謝料の支払いを求め、長野地裁に提訴した。

 原告側の弁護士は提訴理由について、自殺とバレー部や部員は関係ないのに、母親によっていじめの加害者と決め付けられたり、繰り返し非難されたりして精神的苦痛を被った−などとしている。

 高山君は昨年12月に自殺し、母親が今年3月、長野地裁に損害賠償請求訴訟を起こしていた。母親側の弁護士は、今回提訴されたことについて「被害者の立場を考えていない」としている。


いじめ自殺事件の被害者の母親が、バレー部員たちに、いじめてもいないのにいじめの犯人だと極めつけたのは、いじめだと・・・書いている私自身が分からなくなるような話である。

さて、今後考えられるのは、こうした形の新たな訴訟である。
具体的に言えば、
「確かにウチの子は『いじめ』に類することをした。しかしそれは軽微なものであり、自殺の原因とはなりえないものだった。それを学校が自殺と結びつけ、あたかも自殺の原因のように発表したことは、ウチの子の心と将来、家族の生活全体がずたずたに引き裂くものだった。
ゆえにこのことに関する慰謝料を払え」

ここで欠けているのは事実の具体性であろう。
その「いじめ」について、実際に何があって何がなかったのか、明らかにするシステムがないからこういうことになる。
 学校の調査が不信感をもって見られている以上、権限のある第三者機関がこれを扱わなければ、問題はいつまでも水掛け論のまま後を引くだろう。









 



2006.11.06

≪解答乱麻≫教育の環境破壊も深刻

産経新聞 11月6日]


 京都議定書の締結から10年近くたった。二酸化炭素など温暖化ガス削減の数値目標の達成がなされるかどうかは別として、日本全体に自然環境の保持に対する意識が高まってきたことは事実である。
 しかし、自然環境よりももっと深刻な問題が教育環境の破壊である。
 多くの教師が「この10年で子供が変わった」と実感している。すぐにキレる子供、じっとして授業を受けられない子供が増えている。さらには自分の欲望を抑えられない、あるいは善悪の判断ができない子供が増えている。未成年による凶悪な事件が報道されるたびに、暗澹(あんたん)たる気持ちになると同時に、今何とかしなければと思う。
 青少年による事件報道の際には、高名な教育評論家の方が「社会からのさまざまな重圧が青少年のストレスを増大させ、それによって彼らが犯罪に走るのだ。彼らこそ現代社会の犠牲者だ」とか「格差社会が諸悪の根源だ」などと言う。しかし、そんなことを言っても、何の解決にもならない。
 では、この10年で何が変わったのだろう。10年前には、小中学生は携帯電話を持っていなかった。テレビゲームはあったが親が「やめなさい」と管理していた。テレビ番組にはバラエティー番組は今ほどなかった。深夜のファミレスに小さな子供を連れた家族の姿はなかった。
 今はどうか。今の子供は、携帯電話やパソコンで出会い系サイトや有害サイトにいつでもアクセスできる環境にある。携帯用のゲーム機を持ち歩き、自室だけでなく屋外でも行い、四六時中ゲーム漬けである。テレビをつけると、芸能人の私的な話題をネタにして、出演者が笑い転げている番組ばかりである。さらには、まだ自分が遊びたいからという理由で親たちが子供の寝るべき時間を無視して子供を連れ回す。
 子供を取り巻く教育環境という視点から社会を眺めると、年を追うごとに教育環境は破壊されつつある。今や都市部も地方部も関係なく、この教育環境破壊が静かに進行中である。
 かつて立派な母親がいた。お墓の近くに家があったため、わが子が葬式のまねばかりしていた。そこで、市中に引っ越した。そうすると今度は商売屋のまねばかりする。これは困ったと、次に学校の近くに引っ越した。そうしたら勉強に励むようになったという。有名な孟母三遷の教えである。
 経済活動の自由ということで何を売っても結構。家庭内のプライバシーということで自由や権利も結構。しかし、子供たちの健全な育成は、そんな自由や権利といった概念を超えた社会全体で取り組むべきものであるはずだ。つまり、子供の健全育成のためには、個人の自由や権利よりも優先させるべき公共哲学という概念が必要なのではなかろうか。
 今、一人でも多くの大人が孟母となることによって、教育環境破壊の危機から子供を救わねばならない。100年で4度の気温上昇を恐れることも重要だが、10年後に子供が破壊される方が深刻な問題なのだ。

【プロフィル】三好祐司
みよし・ゆうじ 山口県田布施町立田布施中教諭。「中正不偏」「美しい日本人の心を育てる」を掲げる全日本教職員連盟の事務局長などを経て平成16年4月から委員長。



なんだか自分の文章を読んでいるような気がする。教員とは同じようなことを考えるものだ。
 さて、これだけ環境が乱れれば当然学力は低下し、児童生徒の問題は増加する・・・そう考えるのが普通だと思うが、現実はそうではない。
 安部総理が「ダメ教師には辞めていただく」とおっしゃったように、学校問題の元凶は、いつまでたっても「教員の質の低下」なのだ。そして困難の克服も、教員評価や免許更新、給与に格差をつけるという方向でしか考えられていない。

 平成不況の十数年間、教員採用試験は異常なほど難しい試験だった。私見によれば、
その難関をくぐり抜けてきた若い教員たちは、ものすごく優秀である。古い教員が順次退職し、これほど優秀なメンバーに入れ替わっているのに、それでも教員の質が低下しているとなると、一体どのような方法によって人材を集めるというのか。私は社会に問いたい。








 



2006.11.07

<いじめ調査>やる方が「悪い」は半数以下
希薄な罪の意識


毎日新聞 11月7日]



 
いじめがあった時「いじめる方が悪い」と考える子どもが中学、高校で半数にも満たないことが、民間団体の調査で分かった。また、いじめを受けた際に相談できる相手を聞くと「教師」はわずか19%で、「いない」と答えた子どもは2割を超えた。文部科学省の統計報告がいじめ自殺をゼロとしてきた裏で、標的の子が罪の意識の希薄な子どもに追いつめられた上、周囲の大人が十分対処できていない様子が浮かび上がった。【井上英介】

 いじめをなくそうと呼びかけているNPO法人「ジェントルハートプロジェクト」(川崎市)が、過去3年間に講演活動で訪れた全国の小学校8校、中学校23校、高校5校の児童生徒約1万3000人を対象としたアンケートの結果をまとめた。
 それによると、「いじめる方が悪いと思うか」と聞かれ、「はい」と答えた小学生は6割を超えた。しかし、中学、高校生は4割台だった。「いじめられても仕方のない子はいるか」の問いに「いいえ」と答えたのは、小学生ではかろうじて半数を超えたが、中学生では4割を切った。
 一方、「いじめはなくせるか」との問いに「はい」と答えた比率は、学年が上になるほど少なくなる。「いじめを相談できる相手」は、「友だち」(56%)が多く、親は39%にとどまった(複数回答)。
 また、「周囲でいじめやそれに類する行為が今までにあった」と考える児童生徒は全体の82%に達し、いじめがまん延している実態がうかがえる。
 同NPO理事の小森美登里さん(49)は「年齢が上がるにつれ、いじめに対する慣れやあきらめが広がるようだ。優しい心で人とつながる方が心地よいということに気づいてほしい」と話す。
   ◇   ◇
 講演で全国を巡り、娘がいじめを受けて自殺したつらい体験を語る小森さんのもとには多数の感想文が寄せられる。いじめの悩みを打ち明ける子もいる。
 公立小5年女子はこう書いた。「級友と帰る時、草むらにおされたりカラーペンで(家の近所の)トンネル(の壁)に名前を書かれたりしました。油性ペンで消すのがたいへんで、つめや指がまっ黒に汚れました」
 講演を聞いた大半の子は「人を死に導くものだと分かった」(公立中1年女子)と、いじめへの認識を新たにしている。ただ、ごく少数だが、こんな感想もある。「いじめが悪いとは思いません。人が(いじめを)やるのもその人の個性だ」(公立小6年男子)
(毎日新聞) - 11月7日3時9分更新


データというのは、もっと非情に読まれるべきものだと思う。
「いじめを相談できる相手」は、「友だち」(56%)が多く、親は39%
「教師」はわずか19%

は、非常に妥当な数字ではないかと思うがどうか?
 友人関係で悩む子どもが、友だちを差し置いて親や教師に相談するとしたら、それは心を許せる友人が一人もいない場合だろう。そんな悲しい子がたくさんいる世の中が、果たしてよいものだろうか?

「いじめられても仕方のない子はいるか」の問いに「いいえ」と答えたのは、小学生ではかろうじて半数を超えたが、中学生では4割を切った。
これも数字として悪くないものと思う。

世の中にはさまざまな人間がいる。いい人もいれば悪い人もいる。一人の中に良い人間と悪い人間がいる、それが当たり前だと思う。
 いじめられる子どもの中にも、素晴らしいヤツもいれば嫌なヤツもいる。
「なんでアイツをいじめるんだ」と密かに憤る場合もあれば、「時が時なら、オレだってアイツをいじめていたかもしれない」と思う場合だってある。それが人間ではないか。

「いじめられても仕方がないと思えるような子なんか世の中には一人もいない、みんな立派ないいヤツだ」と、小学生ならまだしも中学生がこぞってそう言うとしたら、そこには何か恐ろしい人間関係への錯誤があるとしか思えない。
しかし、そんなふうにものごとをみることは、
罪の意識の希薄な子どもなのだ。

それでいいのだろうか?








 



2006.11.07

教委の「なれ合い」、「教育長ほとんどが教員OB」

朝日新聞 11月7日]


 いじめへの対応の不手際や高校の必修科目履修漏れをめぐって、教育委員会のあり方が問われるなか、1日の衆院教育基本法特別委員会で、教委の「なれ合い体質」や責任の不明確さがやり玉に挙げられた。しかし、その解決策は明確にならず、今後の国会審議や政府の教育再生会議などでも焦点になりそうだ。
 民主党の田島一成氏は、地元・滋賀県の26市町の教育長のうち教員OB以外の教育長は2人だけという事実を指摘。「どうして民間の教育長が出てこないのか。現場を知るあまり、隠蔽(いんぺい)体質が出てしまう」と、伊吹文部科学相にただした。
 教育長は本来、教育委員会の「事務局長」役で、自治体の首長に任命された教育委員(原則5人)の中から兼任で選ばれる仕組みだ。ただ、伊吹氏も答弁で「教育長のほとんどが学校現場、教員経験者、教育委員会事務局にいて栄進を極めた人だ」と認める。学校現場となれ合いになりがちとの批判を招いている。
 教育長を「指揮・監督」するのが教育委員だ。だが、「取締役会長」(伊吹文科相)の役回りである教育委員長を含め、教育長以外の教育委員は「非常勤で地元の名士。週に1回あるかないかの会議にお出になっているのが現実」(同)だ。この点は、形骸(けいがい)化批判につながっている。
 今国会の審議では、教委のこうした実態が、いじめ問題での学校・教委ぐるみの事実隠しや、必修科目の履修漏れが広がる原因になったとの指摘が相次ぐ。伊吹氏も「そういう構造があることは、よく理解している」と述べ、改善策を検討する考えを示した。
 ただ、解決の道筋は見えない。文科省は00年から、国や都道府県教委による教育長の任命承認制度を廃止し、教育長の選任を地方に移すなど「分権色」を強めた。だが、問題が噴出するなか、国の関与強化論が強まる。分権を進める側の佐田規制改革担当相も10月31日の記者会見で「権限を委譲して、こういう事件がたくさん起きているから見直しだ。教育委員会のガバナンス(統治)をやり、国が責任をもって指導することが大事だ」と強調した。
 だが、伊吹氏は10月30日の審議で「(国の関与を)あまり強くすると教育への国家介入ではないかという批判が一方で出てくる。つらい立場だ」と慎重な姿勢をみせた。教育委員会そのものを廃止し、教育行政を首長の管理下に置く民主党案に対しても「政治介入を招く」と反論する。


 なるほど世間の人々はこういうふうに考えるのかと、目を開かされる記事である。

 私は世間に疎く、他の世界の状況は良く分からないのだが、病院の院長を民間人にして、勤務医たちに適切な指導をしようという発想は世の中にあるのだろうか? 学校とは違って経営という概念のある世界だから、もしかしたら「収入増のためにもっと薬を出せとか」「怪しい箇所があれば確証はなくても手術で取れ、その方が儲かる」とかいった指導が必要なのかもしれない。しかし私だったら経営者然とした人が院長であるような病院にはかかりたくない。
 
 警察が信用できないからと言って各警察署長を民間人にして陣頭指揮に当たらせようというアイデアも、普通は思い浮かばないだろう。世間との関係があまりにも深すぎる人に、警察を任せるわけには行かない。

 最高裁長官を民間人にし、裁判の公正を計ろうと言うのも無理ではないか。

しかし教育だけは、素人の方が正しい判断をすると考えられている。
 教育もなめられたものである。

ニュージーランドは同じイギリス連邦の国として英国に倣った行政改革を行い、教育分野でも教育委員会を廃し、地域の住民からなる学校評議会に学校運営の権限を委ねた。その結果、現実性のない住民の希望が学校教育に無定見に流れ込み、教員は次々とダメを出されてまったく身動きが取れなくなってしまったのだ。

40人学級で38位くらいのイギリス君が20位まで成績を上げた・・・その素晴らしい勉強方法を20位のニュージーランド君が見習うからそういうことになる。さて、現在4位の日本君も、この18人抜きのイギリス君の快挙を見習って成績上位を目指そうとしている。イギリス君は今も日本君のはるか後ろにいるのだけれど・・・。








 



2006.11.08

東京・足立区教委、「学力で予算配分」方針転換

読売新聞 11月8日]


 学力テストの結果などから小中学校を分類し、来年度からの予算配分に反映させる方針を決めていた東京都足立区教委は7日、この方針を撤回することを明らかにした。

 ただし、撤回するのは、学校を機械的に分類する方式で、平均点の前年度からの伸び率は考慮するとしている。

 区教委は来年度から、都と区が毎年実施している学力テストの平均点や学校の経営計画などをもとに、区立の小学校と中学校をABCDの4段階に分類。これに応じ、外国人講師を招くなど各校が独自に取り組む「特色づくり予算」について、1校あたり200万〜500万円と格差がつくように査定する方針を明らかにしていた。しかし、方針が明らかになった先週末以降、「学校の序列化につながる」などと批判するメールや電話が、区に100件以上も殺到。内藤博道教育長は7日の区議会で、「区民の意見を受けたが、学校のランク付けという誤解を生みやすいので取りやめる」と述べた




残念ではあるが、今の日本では、当然と言えば当然である。








 



2006.11.07

「いじめられている」841人
久留米市がアンケート


朝日新聞 11月7日]


 福岡県筑前町の中学生がいじめを受けたとの遺書を残して自殺した問題を受けて、同県久留米市教委は小中高校など市立66校の全児童、生徒計約2万8000人を対象にいじめについてのアンケートを実施、全体の3%にあたる841人が「現在、いじめられている」と回答した。市教委は「いじめられている」「いじめを見た」との回答があった全学級で担任が児童、生徒全員と個人面談し、事実確認をするよう8日、各校に指示した。
 対象は小学校が46校1万7967人、中学校が17校8486人、高校が2校1426人、養護学校が1校98人(5月1日現在)。無記名で、該当する場合は内容を具体的に記述させる形式。
 この結果、「いじめられている」は小学校で4%(720人)、中学校で1.3%(108人)、高校0.9%(13人)。
 市学校教育課は「(今回のいじめられているとの回答数は)多いと感じる。児童の回答には『いたずらをされた』という程度のケースも含まれているようだが、嫌な思いをしているのは事実。事実確認をしたい」としている。


久留米市学校教育課のコメントを、朝日新聞はどのように聞いたのだろう?

児童の回答には『いたずらをされた』という程度のケースも含まれているようだが

この言い方は明らかに「いたずら」は「いじめ」ではない、という認識である。本当は私もそう思うのだが、「いじめは被害者本人がいじめと感じればいじめだ」という定義からするとそうはならないはずだ。朝日新聞はそれをどう聞いたのだろう? 他のメディアはどう聞いたのか?

また、
「現在、いじめられている」と限定的に訊ねた回答がこれなのだから、「過去1年くらいの間に」といった問い方をすれば、人数は更に数倍になるはずだ。そのすべてに、教員は全力で取り組めと、メディアにはぜひとも言ってもらいたい。それが報道の一貫性というものだと思う。








 



2006.11.11

高校・大学生の性交経験、女子伸びる
性教育協会調査


朝日新聞 11月1日]


 財団法人・日本性教育協会(東京都文京区)は11日、「第6回青少年の性行動調査」の結果を発表した。大学生の6割、高校生の3割が性交経験があり、前回調査(99年)と比べて高校・大学生ともに男子が横ばいだったが、女子の経験率が伸び、男女差がほぼなくなった。

 調査は、同協会が74年からほぼ6年おきに実施。第6回は05年に全国12地点の中学生〜大学生約1万1000人から回答を得て、無作為抽出した約5500人分を対象に分析した。

 性交渉の経験率は、大学生は男子が63%(前回63%)、女子は62%(同51%)だった。男子は調査を始めた74年の23%から上昇し続けていたが、今回は99年と差がなかった。女子の上昇傾向は続き、99年から05年にかけても10ポイント以上伸びた。

 高校生は男子が27%(同27%)、女子が30%(同24%)で、女子が上回った。経験率が上昇したのは90年代以降で、男子は93年の14%から99年が27%に。女子は16%から24%に増え、今回、さらに高くなった。

 中学生の経験率は男女とも4%前後だった。

 キス経験は大学生が7割強、高校生が5割前後、中学生は2割弱で、いずれも前回調査よりも伸びた。



 いじめ事件ばかりだった今月のマスコミ記事に、唐突にこんな内容が飛び込んできた。
 世の中の人はこの数字をどんなふうに感じるだろう?

 マスコミに触れすぎた人にはちょと意外な数字かもしれない。何しろ新聞を読んでもテレビを見ても、現代の高校生は8割がた援助交際に手を染めたり、互いの家に泊まりあっているとしか思えないからだ。
 しかし高校生の性の乱れといったってこの程度のものである(また実際に、乱れているかどうかもこの数字からはわからない)。まだまだ健全な高校生はいくらでもいるのだ。
 
不埒な男性諸君、くれぐれも安易に女子高校生に声など掛けないように・・・。メディアを信じて、女の子は金さえ出せば何でもすると思ったら大変なことになる
(べつにそれを言いたくてこの記事を採ったわけではない。日本中の中高生が性に狂っているみたいな記事が出たら、すぐに噛み付くために手元においておく覚書のためである)








 



2006.11.12

小5女児に「たかり」…呆れた学校知らんぷり

スポーツ報知 11月12日]


 北九州市八幡東区の市立皿倉小学校で、5年生の女子児童(10)が同級生らから多額の現金を要求されるなど、たかり行為による「いじめ」を受けていたことを学校側が認識していたにもかかわらず、市教委には「児童間の金銭トラブル」と報告していたことが11日、分かった。市教委は「いじめを隠したと思われても仕方がない。極めて不適切な対応」として学校側に再調査を命じるとともに、自ら調査に乗り出した。

 いじめ問題泥沼化の中、小学校がいじめを把握しているにもかかわらず、市教委には、その事実を隠して報告していたことが明らかになった。

 市教委によると、いじめは、2005年の夏休みごろから始まった。女児は5年生の女児5人と男児2人、6年生の女児1人の計8人から繰り返し現金を要求される「たかり」のため、1回に数百円ほど渡していた。

 当初、小遣いやお年玉から払っていたが、要求額は次第にエスカレート。1万円以上にもなったため、自宅の金庫や両親の財布から抜き取って渡していたという。

 9月26日に女児の母親が、学校に「子供が金銭を要求されている」と相談。学校は関係児童らから聞き取り調査をしたが、被害女児に対する聞き込みはしっかりと行わなかった。調査のスピードも遅かったため、被害女児の保護者から市教委にクレームも入った。その結果、学校は市教委から「誠意を持って早急に対応するように」との指導を受ける始末だった。

 その後、金を脅し取った側にいた5年生の女児1人も男児2人から約3万円を脅し取られていたことが発覚したにもかかわらず、いじめが始まった時期や被害額などをしっかり調べないまま、10月下旬に報告書を提出。報告書には「児童間の金銭トラブル」とそっけなく記述。「いじめ」の文言は一切なく、女児が自宅から10万円以上を持ち出し、複数の児童に渡したことだけが記載されていたという。

 市教委は「長期にわたる被害で、間違いなく、いじめ。隠したと思われても仕方がない」と学校側の隠ぺいを指摘。再調査を命じるとともに自ら調査に乗り出した。校長は「こうした悪質な行為を金銭トラブルと報告したのは私の怠慢で深く反省している。いじめに当たるとも認識している。隠す意図はなく、すべてを把握してから、報告しようと思った」と弁明。

 大庭清明教育長はこの日、「極めて不適切な対応。我々の認識も甘かった」と謝罪。「いじめに関する意識を改めるよう、学校や市教委への指導を徹底したい」と話した。




 イジメと恐喝は混同されてはならない。
 学校におけるいじめは非常に難しい概念で、発見も解決も生半可なもんではない。それに対して恐喝は非常に理解しやすいし、解決も難しくない。なぜなら暴力を振るえば金を取れる、だから暴力を振るったというのはまったく腑に落ちる話だし、ばれた後で悪いことをしたと思わない加害者はひとりもいないからだ。どんなに都合の良い理屈も、金を奪ったことを正当化することはできない。
 繰り返すが、私たちが苦労するいじめは、そのようなものではないのだ。

 さて、スポーツ報知という、このサイトでは滅多に扱わない新聞から記事をとったのは、その表題に含まれる悪意を記憶に残したかったのと、次の記事を併せて載せるためである。








 



2006.11.12

いじめ報告問題で自殺か=小学校長の遺体発見−北九州

時事通信 11月12日]


 12日午後3時ごろ、北九州市八幡東区の林で、市立小学校の男性校長(56)が首をつって死亡しているのが見つかった。福岡県警八幡東署は校長が自殺を図ったとみて詳しい状況を調べている。
 同校では、5年の女子児童が同級生ら8人から金銭をたかられるいじめを受けていたのに、学校側がいじめとの認識を隠し、市教育委員会に単なる金銭トラブルと報告していたことが判明している。 



やはり、やりきれない。









 



2006.11.14

学力調査ひずみ イングランドで

朝日新聞 11月13日]


 来年度から始まる文部科学省の「全国学力調査」。懸念の一つが、学校現場に過度な競争をもたらさないかという点だ。安倍首相が教育改革のお手本とする英国のイングランドでは、子どもたちは定期的に学力を測るテストを受け、結果も学校別に公表されている。政府はそれによって学力が向上したと主張するが、様々な「ひずみ」を生み出したという現場の批判も強い。

◇ 英国南部、オックスフォード州のクーム小学校(児童数約120人)。見渡す限りの緑が広がり、教室の窓からは子どもたちの笑い声が聞こえる。こうしたのんびりした雰囲気とは別に、同校は児童の成績が優秀なことで有名だ。11歳児を対象にした05年の学力テストでイングランド一となり、テストを受けた全員が14歳のレベルを満たした。
 イングランドでは政府が定めたカリキュラムの到達度を調べるため、全学校でテストが毎年実施され、学校ごとの成績も公表される。新聞社などはデータを集計し、「リーグ・テーブル」という成績一覧を発表する。同小はこのテーブルで1番にランクされた。
 リーグ・テーブルは、親が子どもを通わせる学校を選ぶ際の判断材料となる。クーム小のような学校だと、当然人気が集まり、運営の安定にもつながる。だが、同校のバーバラ・ジョーンズ校長は批判的だ。「例えば、貧しい地域の学校では、英語がしゃべれない生徒が多かったり、親のサポートが少なかったりする。学校には色々な側面があり、テストの結果だけでは比較できない」

◆曲げられるカリキュラム 人気で予算配分「プレッシャー」
 イングランドでは、保守党政権の下で進められた88年の教育改革法の制定で、7、11、14、16歳の子どもを対象に学力テスト(16歳は中等教育修了テスト)を実施する体制ができた。子どもにとっては2〜4年ごとにテストが繰り返される。
 学校選択制も導入され、集めた子どもの数に応じて学校がもらえる予算も異なってくる。子どもを通わせる親の判断材料の一つはテストの成績。そのため学校は成績を上げようと努力するようになった。
 だが、問題点も指摘されている。教員制度などに詳しいロンドン大キングス・カレッジのメグ・マグワイア教授によると、テストの中心科目の英語、数学、理科の授業に比重を置き、他の科目を削る現象が学校で起きたという。同教授は「プレッシャーのせいでカリキュラムが曲げられてしまう」と話す。テストを控えた学年に偏って優秀な先生を配置したり、補習を無理に詰め込んだりする学校もある。
 一方で、教育技能省はテストとリーグ・テーブルの必要性を強調する。「テーブルは親たちに明確な情報を与え、テストは教える方にも学ぶ方にも改善すべき点は何かを示す客観的証拠を与えている」
 同省は「水準が年々上がっている」と、自信を見せる。標準的な到達レベルに達した児童・生徒の割合で結果は示されるが、例えば11歳児全体を見ると、英語は98年の65%から05年は79%になり、数学は16ポイント、理科は17ポイント上がった。
 だが、疑問もある。05年までの4年間で11歳児の成績が最も向上したとされる英国中部のイーストボロー小学校。約220人の児童の8割ほどがパキスタン系。就学前の3歳児から受け入れているが、その時点では、半数がテスト科目の英語を全く話せないという。
 10年前の96年、同校で英語の到達レベルを満たした児童は15%。だが、親にも英語を教えるなどし、昨年は73%にまで上昇させた。今年は52%に再び下がったが、ニコラ・ロス校長は「私たちから見れば、もともと低かった今年の子どもの方が、昨年の子どもよりも伸びている。数字だけではそれはわからない」。

◆8割以上「別の評価法を」 02年、教員3000人にアンケート
 近年はテストの見直しを進める動きも目立ってきた。英国ではイングランド、ウェールズ、スコットランド、北アイルランドでそれぞれ教育政策が異なるが、イングランドの方式に最も近いとされるウェールズが、01年に学力テストの学校別の結果公表をやめた。さらに7歳児のテストを同年に廃止、11、14歳の子どもが対象のテストも廃止することを決めている。
 99年に地方政府ができて教育政策に独自色を打ち出せるようになったことがきっかけで、子どもの考える力を重視する方向へ、カリキュラムの見直しも進めている。イングランドでも05年から、7歳児のテストについては結果を公表しないことになった。
 現場からの批判も強まっている。イングランドとウェールズの教員ら約25万8000人でつくる組合組織は02年、教員約3000人を対象にしたアンケートの結果を発表。8割以上がテストに代わる方法で子どもたちを評価したいと思っている、とした。
 スコットランドを除く校長が加盟する組織(NAHT)も声を上げ始めた。ミック・ブルックス書記長は「リーグ・テーブル一つの価値観で学校がいいか悪いかを測らせている。『子どもをいい学校に入れなくては』というプレッシャーを親にもかけ、混乱させている」と言う。
 NAHTは5月、テスト結果の公表の廃止を政府に求める決議を採択した。



学力調査によってひずみがあるかどうかは別にして、
なぜ私たちがイギリスの教育を学ばなければならないのか
そこが分からない。イギリスが教育改革に成功したといっても、どん底の教育をある程度までに引き上げたというだけで、成績は今も日本のほうが上なのだ。

45人学級で前回とほとんど成績が変わらず4位前後をウロウロしている伸び悩みの子に、「あの子(イギリス)は17位から10位に躍進したから、その学習法を学まなびなさい」といったら、素直に従えるものだろうか? 
なぜ日本の指導者はトップから学ぼうとしないのだろうか?(ちなみに日本より上位の国々はシンガポール、韓国、台湾、エストニアなどである)


(参考)
小4 算数   日本 3位   イギリス 10位
   (前回1999年 日本 3位   イギリス 17位)
中2 数学   日本 5位   イギリス 17位
   (前回1999年 日本 5位   イギリス 20位)

小4 理科   日本 3位   イギリス  5位
   (前回1999年 日本 2位   イギリス  8位)
中2 理科   日本 6位   イギリス  6位
   (前回1999年 日本 4位   イギリス  9位)
(IEA国際数学・理科教育調査2003:ただし、イギリスは就学年齢が5歳からなので、同年齢とは言っても学年としては一年上の児童生徒が受験している)









 



2006.11.16

自殺誘発?報道手探り いじめで「過熱」指摘

朝日新聞 11月16日]


グラフ 中学生らの自殺が相次ぎ、文部科学省や各地の教育委員会に自殺予告の手紙が次々と届くなか、「報道と自殺」の関係が議論を呼んでいる。メディアは自殺予防に力を発揮する一方、過剰な報道が「連鎖」を生んでいるのではないか、との指摘も多い。影響力を測りつつ、現場では手探りが続く。

 自殺対策に取り組むNPO法人「ライフリンク」は先月30日、ホームページに次のような緊急メッセージを載せた。

 「連日の『いじめ自殺』の報道のあり方について改善を求めたいと思います。昨今の報道が、それに続く自殺を誘発している可能性を否定できないと思うからです」

 先月初めに北海道滝川市の女児の自殺が報じられて以来、月末までに数十件の意見が寄せられた。元NHKディレクターの清水康之代表は「善意であっても、子どもの背中を押してしまう可能性があると注意喚起したかった」と話す。

 福岡県筑前町の中2男子生徒の自殺では、各メディアは遺書の内容を詳報。11月に入って文科省に届いた予告手紙も、一部の新聞は実物のコピーを全文掲載した。

 岐阜県瑞浪市の中2女子生徒の自殺以降、ネットの掲示板などでは「連鎖」について意見が交わされている。NHKと民放でつくる第三者機関「放送倫理・番組向上機構(BPO)」にも「過熱気味では」との意見が寄せられているという。

 欧米には、報道の規模と直後の自殺数は関連し、特に思春期の子どもは連鎖自殺を起こす危険が高いという研究がある。日本でも86年、歌手岡田有希子さんが自殺した後の2週間で三十数件の未成年自殺が起きた。

 世界保健機関(WHO)は00年、メディア向けの自殺予防の手引を公表した=表。予告手紙を公表した文科省児童生徒課は「本人にメッセージを伝えることを優先した。WHOの手引も考慮したが、既遂自殺とは別と考えた」と話す。

 どこまで報じるべきか。メディア各社も、過去の報道を振り返りつつ、頭を悩ませた。

 TBSは文科省に届いた1通目の手紙が自殺を「予告」した11日、報道を控えた。いじめを「金銭トラブル」と報告していた北九州市の小学校長が自殺した際は、子どもの動揺を考慮し、校長の名前は伏せ、本人の生前の会見映像も使わなかった。

 ほかの各社も「思いとどまってもらうことを訴える記事も掲載する」(読売新聞、毎日新聞)、「事実関係の確認は小中学生の証言のみに依拠しない」(テレビ朝日)という姿勢だ。ある程度の指針を定めつつ、「影響を考慮しながら個々のケースに応じて判断している」(NHK、フジテレビ)のが実情だ。

 朝日新聞は、いじめ問題を、昨年12月から続けている「子どもを守る」キャンペーンでも取り上げている。粕谷卓志・東京本社社会部長は「警察や学校、遺族らへの多角的な取材で事実を把握し、過熱報道にならないよう心がけている。こうした現象を防ぎたいと、自殺防止を呼びかける企画も始めた。報道が連鎖を生むとの指摘は謙虚に受け止め、今後に生かしたい」と話す。

     ◇

■WHOの報道用「自殺予防の手引」から■

【ぜひすべきこと】

・精神保健の専門家と緊密に連絡を取る

・自殺「成功」という言葉を用いない

・自殺以外の解決法に焦点を当てる

・電話相談や支援機関の情報を提供する

【してはならないこと】

・遺体や遺書の写真を掲載する

・自殺方法を詳しく報道する

・単純化した原因を報道する

・美化したりセンセーショナルに報道したりする


伊吹文科大臣は「発表しても非難される、発表しなくても非難される」、「命に関することなので、各教委、教師にいじめを隠したり、放置したりしてはいけないと指導している文科省として率先して姿勢を示さないといけない」(7日)というようなことを言っていた。

「発表しても地獄、黙っていても地獄」は、教委・学校が常に抱えてきたジレンマである。
「いじめの事実は確認できない」と言えば、「いじめ隠しだ」だと非難され、十字砲火のような非難メールの中でやむなく「いじめでした」と認めれば今度は「どういういじめがあったのか発表しろ」ということになる。
「事実が分からないから、最初から分かりませんと言っているので、何も発表することはないのです」と言えば「事実を発表しないのはいじめ隠しだ」と非難ごうごう。結局クビをすくめ、嵐の過ぎるのをじっと待つしかない・・・それが現場のあり方だった。

しかし今後は、違う。

文科相がやって見せたように

何もかも表に出してしまい、その扱いをメディアに任せてしまう(報道の自由があるから規制しようにも規制できない)、そうすることで責任をメディアと分かち合えばいい

のだ。それで犠牲になるのは、子どもとその家庭くらいなものである。

そう考えたかどうかは別として、この自殺予告の連鎖を通して、教委・学校は実によく情報を流すようになった。それは事実である









 



2006.11.17

高校生100人アンケ:社会科で「飛ばし」「中抜き」
7割が「不足」感じる /京都


毎日新聞 11月16日]


 ◇京都市立中学卒業の高校生対象−−村山市議調査
 京都市立の中学校を卒業した高校生対象のアンケート調査で、回答者の約7割が中学時代に社会科の授業で教科書に書かれた内容をすべて習っていないと感じている実態が分かった。調査した村山祥栄・同市議(無所属)が15日、結果を門川大作教育長に提出した。
 調査は無記名方式で10月に実施。100人から回答を得た。このうち地理・歴史・公民のいずれかを「最後まで習っていない」としたのは66%。「授業が教科書に沿って進められていなかった」は▽歴史48%▽公民33%▽地理36%で、村山市議は教科書の「飛ばし」「中抜き」が行われた可能性を指摘する。具体的には、歴史は現代に近づくにつれ「しっかり習った」より「少し習った」と答える人が増え、戦後の日本については10%が「習っていない」、39%が「少し習った」とした。
 村山市議は「授業時間が不足し、習うべき内容が教えられずに終わって履修したとは言えない。指導要領を徹底し、バランスの取れた授業をしてほしい。社会科以外でも同じ傾向があるのでは」と話す。これに対し、市教委学校指導課の栗原照男課長は「市では独自に作成した指導計画に基づいて各校が単元別学習指導計画を作成している。今後とも適切な指導徹底を図りたい」とのコメントを発表した。【小川信】



 市会議員などというシロウトに誰がこんな入れ知恵をしたのだろう?
 確かに痛いところをつかれた。しかも社会科である。数学も英語も国語でもこういうことはほとんど起こりえない(国語の毛筆習字は多少怪しいが)。なんといっても未履修が多いのは、理科と社会科、中でも歴史が一番多いはずだからである。

 では、どうしてそんなことになるのかというと、基本的に学ぶべき内容が多すぎるからである。
 例えば次の内容、

■ 律令国家の都として平城京がつくられたことや,そこに住む貴族の暮らしは,全国の民衆が納める税によって支えられていたことを理解する。
■ 危険な航海をおして派遣された遣唐使の目的や,両国を行き来した人物について理解する。
■ 律令制の社会のしくみについて理解し,農民が税や労役などの重い負担に苦しんでいたことに気づく。
■ 農民の逃亡や人口増加による耕地不足などから,墾田永年私財法が出され,公地公民の制度が崩れ始めたことを理解する。
■ 桓武天皇は,平安京への遷都や国司の不正の取り締まりなどにより律令政治の立て直しを図ったが,荘園の増加などでその崩壊が進んだことを理解する。
■ 藤原氏の華やかな生活の背景には,中央と地方でどんな政治の変化があったのかを考える。
■ 飛鳥文化や天平文化には,国際的な影響が強くみられることに文化遺産から気づかせ,その背景について考える。
■ 文化の国風化がどのように進んだのか,大陸との関係や,かな文字の発達などから理解する。

 この8項目は何時間で学ぶべき内容か、歴史ファンはもちろん、そうでない人も考えて欲しい。
 8時間? 16時間? それとも24時間? 

 答えは4時間。実質、各項目25分で進めるのである。

「律令国家の都として平城京がつくられたことや,そこに住む貴族の暮らしは,全国の民衆が納める税によって支えられていたことを理解する」・・・25分
「危険な航海をおして派遣された遣唐使の目的や,両国を行き来した人物について理解する。」・・・25分
 淡々と歴史的事実を語りながら、黒板にバンバンと書いていく。それを生徒が黙々と写して毎時間終わる・・・。そんなやり方をしても、25分間でそれぞれを行うのは相当に難しいだろう。それなのにそこに課題を与え、話し合いをさせ、写真や図やらを用意して思い切り展開するから時数が足りなくなる。

指導要領を徹底し、バランスの取れた授業をしてほしい。

確かにその通りで反論の難しいところである。

私は基本的に小中学校の全教室にエアコンを入れ、その上で夏休みを全廃にして欲しい。

 そうやって大量の時間を生み出せば、それこそ真のゆとり教育となろう。社会科の未履修の問題も改善されるはずだ。

 夏休みがなくなったために、全国の海の家が何千件もつぶれ、国内外を問わず旅行に出る人が90%も減って旅行業者が困窮し、逆にお盆休みに全国の道路が立錐の余地のないほどに大渋滞しても・・・私は一向にかまわないのだが。









 



2006.11.18

都の全小中学校、芝生に…皇居2倍の緑地

読売新聞 11月17日]


 東京都は来年度から10年かけて、都内に約2000校ある公立小中学校のすべてで校庭を芝生にする。

 都道府県が全校を芝生化するのは全国でも初めてで、皇居の2倍に相当する面積の緑地が新たに生まれる計算。都は都心部のヒートアイランド現象を抑制するとともに、子供たちが屋外で遊ぶ機会を増やし、運動能力の向上にもつなげたい考えだ。

2000校の校庭10年で

 東京では1960年代まで、小中学校の校庭はほとんどが土で、その後、都心部を中心にアスファルト化が進んだ。最近は、細かく砕いた石灰岩を敷き詰めて水はけを良くした「ダスト舗装」や、全天候型テニスコートなどで見られる「ゴムチップ舗装」が主流になっており、現在、全面的に芝生化されている小中学校は44校にとどまっている。

 都は来年度、まず20億円をかけて70校を芝生化する方針。これまでの実績から2000校分を単純に試算すると、10年間で緑化される面積は280ヘクタールになるという。総事業費としては約570億円が見込まれ、維持費は区市町村が負担する予定だ。

 芝生化のための費用は「ヒートアイランド対策費」として支出する。都心部の気温は過去100年間で約3度上昇しており、地球全体の5倍のスピードでヒートアイランド化が進んでいる。真夏の炎天下ではアスファルトや土の校庭の表面温度が50度近くまで上昇するのに対し、芝生は30度台で、都環境局は「気温上昇を抑えれば、クーラーなどの使用も減り、二酸化炭素(CO2)の削減効果も生まれる」と期待をかける。

 さらに、校庭が芝生になれば、子供たちが積極的に屋外で遊ぶようになり、運動能力の低下が懸念される現代っ子の体力増進につながるという計算も。トンボやバッタなどの昆虫も集まるため、環境教育に生かすことも可能と、都では“一石何鳥”もの効果を当て込んでいる。

 その一方、芝生は激しい使い方をすれば簡単に枯れてしまううえ、頻繁な散水や芝刈りも必要。整備費は都と区市町村で折半するが、優れた維持管理計画を立てた学校には都が全額補助する仕組みをつくり、学校とPTA、地域住民などの連携を促す方針だ。

 校庭の芝生化をめぐって2002年、文部科学相の諮問機関「中央教育審議会」が全国的に増やす方針を提言している。しかし、高校を含めた全国の公立学校のうち、校庭を芝生化したのは、昨年5月現在で全体の3・5%の1291校にとどまっている。




 この話を聞いてウンザリするのは教員だけだろう・・・と、猫の額ほどの我が家の芝生の庭を見ながら思う。

 学校はゴルフ場ではない。

さまざまな子どもが数百人もいる学校では除草剤が使えない

のだ。
 あの広い校庭で子どもたちが這いつくばって雑草を探す・・・しかも彼らは決して優秀な労働者ではない。

 暑い夏休みの潅水と除草・・・どうやってやるのだろう?








 



2006.11.21

県立高・学区制撤廃:入学者選抜審、撤廃を答申
「競争で魅力ある学校を」 /宮城


毎日新聞 11月21日]


 県立高校の学区制のあり方を検討してきた「高校入学者選抜審議会」(委員長・西林克彦宮城教育大教授)は20日、「学区制を撤廃し全県一学区とすることが望ましい」との答申案を了承し、佐々木義昭教育長に答申した。県教委は今月中に臨時の教育委員会を開き、撤廃の具体的な時期や県民への説明方法について検討を開始する。【山寺香】
 撤廃時期は、少なくとも1年の周知期間を置く予定のため、早ければ08年度となる見通し。
 記者会見した西林委員長は、撤廃のメリットについて(1)生徒の学校選択の自由が広がる(2)競争により魅力ある学校づくりが進む――の2点を挙げ、「魅力ある学校にして生徒をひき付けたいという学校側からの熱意が強かった。単純な競争とは思ってほしくない」と話した。
 一方、仙台圏への一極集中の懸念については、「県教委が進学や就職を支援するプログラムを既に実施しており、地域の拠点校が復活しつつある。他県の状況をみても、それほど多くの人数が都市部(仙台圏)に流れるとは思わない」との認識を示した。県民への説明については「高校側からの情報発信と中学での進路指導の中で周知を図ることが必要」と述べた。
 佐々木教育長は、「しっかりと受け止め、適切に対応したい。県民に説明する機会を持ち理解を求めたい」と述べた。


宮城県は現在14学区からなる学区制を敷いている。これを全県一区にしようというものである。
撤廃のメリットについて(1)生徒の学校選択の自由が広がる(2)競争により魅力ある学校づくりが進む
本当だろうか?

想像してみよう。
あなたが仙台市内在住で、子どもがトップクラスの成績だったら・・・もちろんどこでも自由に進学できる。したがって仙台市内の進学校に進む。
もし中程度の成績だったら・・・仙台市内のどこかの高校に進めるだろう。しかし全県一区になる前よりは1ランクか2ランク落とさざるを得ない。何しろトップ校に予定外の人数が入ってくるのだから、そこから順次玉突きになる。
そしてもし、最下位に近い成績だったら・・・玉突きで最後に押し出される1球であるあなたの子は、仙台市内の高校には席がない。電車にでも乗って市外の高校に通学するほかはない。これが自由な選択といえるだろうか?

あなたがもし仙台市以外に在住で、子どもがトップクラスの成績だったら・・・あなたの子どもは現在の学区の枠を越えてどこの高校へでも進むことができるそこで仙台市内の中心の、名門進学校に進む。まさに自由が広がったことになる。
もし中程度の成績だったら・・・あえて遠い学校に運賃をかけていくこともない。だから学区制のあった時代と同じように、地元の高校に通うことになる。
もしあなたの子どもが最下位に近い成績だったら・・・これも同じで地元の高校に残るだろう。全県一区の恩恵に預かることはない。

そうやって見渡したところ、結局のところ、メリットは田舎のエリートにしかなく、都会の中低学力層が被害を被るという構造が明らかになる。やはり、
全員を自由にすると、本当に自由になるのは力ある者だけなのだ。

 田舎の高校は定員割れを起こし、そこを無理に仙台市内の低学力層で埋めるから学力レベルは年を追うごとに下がる。そして益々、人気がなくなる。
 さらに定員割れが進み、そこで
やむを得ず仙台市内にはない特殊な学科を創設するなどして、なんとか生徒を集めようとする。

(2)競争により魅力ある学校づくりが進む
確かに進む。
しかしそれは正確に言えば
「競争に(敗れたことに)による魅力ある学校づくり」
でしかない。

 仙台市内のトップ校は十年一日どころか百年一日のごとく、相変わらず進学率を上げるという、教育の専門家にはさっぱり人気がなく、生徒や保護者にはめっぽう人気のある古い価値ばかりを追求し続ける(それでいいのだが)・・・。競争に勝った側は「魅力ある学校づくり」などとは言わなくても、十分魅力を輝かせているのである。









 



2006.11.22

いじめ撲滅授業:ウチら、いじめなくすねん
大阪の中学で異例の授業、成果


毎日新聞 11月22日]


 ◇新聞を埋めつくしたい 未来照らす笑顔で−−校内の実例で「考えよう」

 いじめ自殺が全国的に問題になる中、大阪府岬町立岬中学校(増田一雄校長、生徒数451人)の「いじめ撲滅授業」が注目を集めている。実際に校内で起きたいじめを題材に、生徒に考えさせるという異例の取り組み。中心になっているのは、自らもいじめられた体験を持つ人権教育担当、田口瞳教諭(45)で、生徒たちに「いじめは絶対に許さへん」と、断固とした姿勢で訴え続ける。【大場弘行】

 同校には、地元の三つの小学校から生徒が入学。新しい人間関係づくりの過程で弱い立場の生徒がいじめの対象になることがあり、00年に当時1年の担任だった田口教諭らが防止のため、いじめ撲滅授業を提案。2年生の生徒の服が切り裂かれる「事件」が起きてからは、全学年に広げた。

 授業は毎年5月、2〜3時間かけて実施。いじめを苦に自殺した子どもの遺族が著した本などを使って、いじめが命をも奪う行為だと認識させた上で、校内で実際にあった身近ないじめを本人と保護者の了解を得て取り上げ、被害者の気持ちを想像させる。

 これまで、ある生徒がクラスで見かけたいじめを心を痛めながら日記風に書き留めたノートを教材に使ったり、障害を持つ生徒が「きしょい」「菌がうつる」などと言われ、いじめられた事例などを取り上げたが、その際、教師は「ささいないじめでも人は深く傷つく。いじめを受けた子は絶対に守る」とはっきり伝える。以降も、各学年で道徳や総合学習など、さまざまな場面で理解を深めてもらう。

 田口教諭自身、小学3年生から約2年間、いじめを受けた。クラスで誰に話しかけても無視された。母親が買ってくれたパステルクレヨンが折られ、ドブに捨てられた。靴や帽子が砂場に埋められて、日没まで探したことも。

 工場で働きづめの母親に心配をかけまいと、だれにも相談できなかった。「死んだ方が楽かも」と考えた時もある。「嫌なものは嫌」と主張できるようになって、状況は変わったという。

 21日、保健体育の授業でも人間関係の大切さを説いた田口教諭は、「いじめた人はもちろん、傍観しても笑っただけでも、それはいじめ。人の気持ちが分かる大人になってほしい」と話す。

 同校が毎年、生徒らを対象に行うアンケートでは、「安心して過ごせる」「学校が楽しい」といった声が、ここ数年、増加している。府教委も「教育プログラムとして確立している点で、他の学校でも参考になる」と注目している。



なんとも言いようのない衝撃的な記事である。
実際に校内で起きたいじめを題材に、生徒に考えさせるという異例の取り組み。
誰でも普通にやっている普通の授業が異例の取り組みと評価される異例な扱い。世の中どうなっているのだろう?

考えられることは二つ。
ひとつは、大阪府のが人権問題の教育で異常に立ち遅れた地域で、差別やいじめの問題をほとんど扱ってこなかった可能性。
もうひとつは、
メディアの記者がそうした授業を見たことがなく、自分にとって異例なことは世界にとっても異例であると思い違いをしている可能性。
このどちらかであろう。

更に言えば
その際、教師は「ささいないじめでも人は深く傷つく。いじめを受けた子は絶対に守る」とはっきり伝える。以降も、各学年で道徳や総合学習など、さまざまな場面で理解を深めてもらう。
で、

「安心して過ごせる」「学校が楽しい」といった声が、ここ数年、増加している。

ということになるこの学校、私たちにとってはまるでおとぎの国の夢物語である。

世間の人々が、
はっきり伝える、
理解を深める

で学校のいじめ問題が解消されると信じているようでは、やはり「学校の教師はいじめに対して何もしていない」と思われてもしかたがない。

彼らは、少なくともメディアの記者たちは、自分たちシロウトでさえ、いじめ問題の解決法をにぎっていると信じて疑わない。そしてそれができない教員は保身のために「いじめ隠し」をしているか、そもそもシロウトでもできることができない「ダメ教師」でしかないと信じている。

もう本当に、いじめ問題に関しては、プロの教員よりもシロウトの新聞記者に任せた方がいいのかも知れない。








 



2006.11.24

<食育白書>子どもに朝食「欠食」や「孤食」が拡大

毎日新聞 11月24日]


 政府は24日午前の閣議で、06年度「食育白書」を決定した。05年7月施行の食育基本法に基づいた初めての報告。朝食をとらない「欠食」や、1人で朝食をとる「孤食」が子どもに広がっていることに焦点を当て、「健全な食生活が失われつつある」と問題視している。
 朝食欠食率(04年調査)は全体で10.5%に上り、世代別では20代27.4%▽30代20.1%▽40代12.9%――の順。子どもでは10代後半で12.4%が朝食をとっておらず、1〜6歳で5.4%、7〜14歳で3%いた。白書は、国立教育政策研究所の調査(03年度)をもとに「朝食をきちんととる子ほどペーパーテストの得点が高い傾向にある」と指摘している。
 朝食を1人でとる孤食(05年度調査)は、小学生で20・1%、中学生では41.6%に達した。内閣府食育推進室は「孤食がテレビを見ながらの食事やハシを正しく持てない子どもの増加など食事のマナーにも影響している」と分析している。
 家族がそろって夕食をとる回数も減っている。76年は「毎日」が36.5%だったが04年には25.9%まで低下。逆に「週2〜3回」が24.2%(76年)から36.3%(04年)に増加している。【渡辺創】



さて、この後始末を誰がするかだ。例えば
ハシを正しく持てない子どもに対して、誰がハシを持てるようにしてやるかという問題である。

@ 親の責任だから、親にやらせる。
A 困るのは本人だから、本人の困るに任せる。困ればやるようになる。
B 学校の先生がやる。


答えはもちろんBである。
@がダメなのは、就学までにハシの持ち方といった基本的なしつけもできなかった親に、ハシの持ち方の矯正などという難しいことができるはずがない(最初から教える方がはるかに簡単だ)。いや、できるできないの問題ではなく、まずやりはしない。

Aがダメなのは、本人が困るまで待つというならあらゆる教育あらゆる躾けは必要なくなってしまうからだ。そもそも「誰がハシを持てるようにしてやるか」という問題に正しく答えていないからである。

 答えはB以外にはありえない。

ん? 教師にそんな指導ができるかって? 

できない場合は指導力不足教員として、分限処分にでもすればいい。








 



2006.11.24

<いじめ>「なれ合い型」学級で発生しやすい
教師加担も


毎日新聞 11月24日]


 教師が教え子に友だち感覚で接する「なれ合い型」の学級でいじめが生まれやすいことが、河村茂雄・都留文科大教授(心理学)の調査で分かった。こうした学級では、教師が子供に引きずられ、いじめを防ぐどころか加担する恐れもあるという。いじめは、加害者側の資質や教師の指導力不足に直接の原因が求められがちだが、河村教授は「主に教師と教え子の関係で決まる学級集団の全体的な特性に注目すべきだ」と訴えている。
 河村教授は、全国の児童生徒約5万人を対象に、教師や同級生との関係などを問う「QUテスト」と呼ばれる心理テストを実施。分析の結果、学級の特性といじめとの相関性が判明した。分析結果は近く公表する。
 学級の特性について、河村教授は「なれ合い型」と教師が厳しく指導する「管理型」に分類しているが、98年と06年を比べた場合、なれ合い型の学級は小学校で倍増して半数近くを占め、管理型は半減。中学校では管理型が主流だが、なれ合い型は倍近くに増えた。さらに、小学4〜6年生(約5000人)を詳細にみると「長期間いじめを受けてつらい」という子供の所属学級は、約半数がなれ合い型で、管理型は3割強だった。
 河村教授によると、教師の教え子への接し方には(1)有無を言わせず従わせる指導タイプ(2)子供の言い分を尊重する援助タイプ――がある。子供の満足度の高い学級の教師は状況に応じて両方を使い分けるが、(1)に偏ると管理型、(2)に偏るとなれ合い型になるという。
 なれ合い型では、当初は教師と子供が良好な関係を保つかに見えるが、最低限のルールを示さないため学級はまとまりを欠き、子供同士の関係は不安定でけんかやいじめが生じやすい。教師の「○○してよ」という友だち口調の指示を誰も聞かなくなり、放置すれば学級が崩壊するという。
 また、運動や勉強が得意だったり、けんかの強い子供が学級をまとめ、教師が頼りにするケースも多いが、その子供や取り巻きが特定の子供をいじめの標的にし、学級全体が同調した場合、なれ合ってきた教師が止めるのは困難で、助長や加担の恐れもあるという。
 河村教授は「いじめた子や加担した教師を非難するだけでは解決しない。子供を暴走させ、教師も巻き込まれる『なれ合い』をどう回避し、いじめを生まない学級を作るか、教師たちが議論することが大切だ」と話している。【井上英介、吉見裕都】



こういう記事を見ると目からうろこの落ちる思いにさせられる。
大学教授や新聞記者は、こんなことすら知らなかったのだ。

学校に来る多数の保護者たちは、ずっと前から(たぶん20年も30年も前から)このことを危惧していた。子どもが先生を友達のように呼ぶ姿に、なんとも言えぬ違和感を感じていたのだ。親たちがそうなのだから「なれあい型」に対する不安は社会一般にも共有されていると思っていた。しかしそれはとんでもない思い違いだったのだ。

たしかに考えてみると、この間メディアが「なれあい型」に警鐘を鳴らしたことは一度もなかった。それどころか彼らがずっと理想としてきたのは、
子供の言い分を尊重する援助タイプの教師であり、有無を言わせず従わせる指導タイプは常に管理主義であると非難され続け、教員は否が応にも支援型に傾いて行かざるを得なかったはずだ。

管理がなくなれば子どもたちは勝手なことを始める・・・そういった考え方をメディアは情報として流したことはなかった。

子供の満足度の高い学級の教師は状況に応じて両方を使い分けるが、(1)に偏ると管理型、(2)に偏るとなれ合い型になるという。

 これはやはり問題を教師の指導力に帰着させるもので、結局は教員の指導力を高めればいじめをなくせると主張するものである。しかしそうした絶妙のバランスは、普通の教員でも同じようにできるものではない。それは質の高い教師の芸術的な仕事であり、できないからといって、すぐさま「指導力不足」の烙印を押されてもかなわないのである。









 



2006.11.24

病む子どもたち 本音語れる関係を築け

岩手日報 11月24日]


 思春期の悲しみや不安は、共感を呼ぶのだろうか。同世代の心から心へと急速に連鎖反応を引き起こしている。
 各地でいじめを訴える悲痛な遺書を残し、子どもたちが自ら命を絶っている。伊吹文明文部科学相には直接被害を訴え、自殺予告の手紙が次々に届いている。
 この現状にどの親もわが子がいじめられる側、もしくはいじめる側になりはしないかと戦々恐々で毎日学校に送り出していることだろう。教師は、いじめのない学級をと願っている。しかし、いじめは存在し、新たに発生している。
 いじめは、人権を踏みにじる犯罪行為である。決して許されない。このことを社会全体で再認識すべきである。
 一方、家庭では、幼少期から確実に伝えるべきことがある。
 かつて古代中国の規則について恩師が語った「什(じゅう)の掟(おきて)」の「ならぬことはならぬ」である。世の中には、決して曲げてはいけない規則があるという精神と心構えが必要だ。
 文科省は、弱い者いじめを絶対許さないという強い認識と、いじめられている子どもの立場に立った親身の指導を文部科学白書の中で指摘している。

 現場の事実直視せよ
 教育現場の責任者である中学校長が、いじめを「プレッシャー」と表現していた。この認識の甘さが文科省の統計調査に表れている。
 文科省がまとめた全国のいじめ発生件数は、1995年度をピークに、2003年度を除けば年々減少している。いじめ自殺も99年度以降はゼロだ。これらの統計は、学校が認定したいじめを集計したもので、実態を的確に反映しているかどうかは疑問である。
 教育現場は、目標の達成率に傾斜せず、目の前の子どもの心を直視するべきだ。事実を隠すことなく、正確に把握をすることが肝要である。
 いじめが起こる要因は、一つに絞りきれず、多くの要因が複雑に絡み合っている。
 社会全体で強者が弱者を軽んじる風潮が強く、この中で成長している子どもたちはいじめに対して罪の意識が希薄であること。さらに、テレビゲーム漬けでコミュニケーション能力の低下と対人関係の体験不足を招いていることだ。
 子どもたちが多くの人と触れ合えるよう、これを意識した取り組みが教育現場で行われているのだろうか。この体験が、困難に遭遇しても、自ら回避したり、傍観者にならない抑止力を育てるはずだ。

 親の見守る愛情必要
 教師は、いじめ未然防止のため、児童生徒と多くの時間を共有し、日常の行動、表情などの観察を怠ってはならない。
 いじめが露見すると、責任問題が生じるが、学校現場だけに責任を負わせても解決はしない。親が自分の子どもをしっかり見るべきである。
 同居する親以上に子どもと時間を共有する人はいない。親は幼少期から本音で子どもと話し合える関係を確立することが重要だ。これに加えて、親に必要なことは、厳しい現実を直視し、逃げることなく立ち向かうことを伝える厳しさと強さだ。同時に必要なことは、子どもを思う優しさと深い愛情と包容力である。この2つが調和するところに困難な事態を乗り越える力が育つのではないだろうか。
 調和した良質の愛情を注ぎ、慈しみ育てられた子どもは、いじめなどしないだろうし、傍観者になる可能性は低い。
客員 福岡悦子(2006.11.24)



全体としては間違いの少ない論説である。特に親のあり方に深く傾斜した書き方は好感が持てる。
同居する親以上に子どもと時間を共有する人はいない。
まさにその通りだ。
担任との日々は家族として親子が触れ合う期間より圧倒的に短い。親が子に働きかける時間も責任を負い続ける時間も、担任教師の比ではない。心して取り組む必要があろう。

この記事について言う不満は一箇所だけである。
 子どもたちが多くの人と触れ合えるよう、これを意識した取り組みが教育現場で行われているのだろうか。
おそらく
こうした取り組みについて、日本は世界でもっとも潤沢な国であると思う。少なくとも欧米ではそういうことはない。

 例えば部活動をスポーツや芸術の基礎力を高め、優秀な選手、芸術家を育てるための活動だと考えている教員はほとんどいない。皆、普通は「心の教育」のひとつの手段だと思っている。

 同様に、繰り返される遠足・登山行事・臨海学校・修学旅行、毎日の清掃・給食当番・農業経験。小学校の児童会活動・クラブ活動・運動会・音楽会・マラソン大会など各種運動行事・学芸的行事、中学校における生徒会活動、文化祭、音楽祭、体育祭、部活・・・こうしたものすべてが
子どもたちが多くの人と触れ合えるよう、これを意識した取り組みである。

 これらの活動を通して、子どもたちは協働の重要さ・喜び・忍耐・協調などを学んでいく。かつては「ムラ」が背負っていた機能は学校に移され、

主張し合わなくても相手の気持ちを読み取るといった高度な人間関係のワザは、こうした活動によって手に入れられていく
のだ。

 ただし、だからこその弊害もある。カウンセラーの富田富士也は「不登校の子どもたちが学校に行かないのは、学校が集団生活を強制する場だからである」と言っている。まさにその通りであろう。集団生活を強要されず、みんなが一人ぼっちであつまっていたら、彼らはあんなに苦しむことはないだろう。

私は
学校が子どもたちが多くの人と触れ合える活動を半分にしたら、いじめの問題は今よりずっと減ると思う。
お互いに関係性が薄れれば、いじめといった粘ついた濃い人間関係は、生まれにくくなるからである。

そしてそうした活動を減らした代償は、日本人の統一性、つまり日本人そのもののである。








 



2006.11.25

<教員勤務実態>中学校で平均残業2時間25分
中教審集計


毎日新聞 11月24日]


 中央教育審議会の「教職員給与の在り方に関するワーキンググループ」が24日、東京都内で開かれ、公立小中学校の教員勤務実態調査暫定集計(今年7〜8月分)が報告された。暫定集計によると、7月の勤務日1日当たりの平均残業時間は小学校1時間48分、中学校2時間25分だった。小学校で6時間38分、中学校で7時間42分に達した教員もいた。
 勤務実態調査は、7月は小中計332校(教員数7730人)、8月は小中計339校(同7766人)を対象に実施。12月まで続け、教員給与について議論する際の基礎資料となる。
 7月の1日当たりの平均残業時間分布で最も多いのは、小学校が1時間〜1時間半(全体の19.0%)、中学校2時間〜2時間半(同15.3%)だった。まったく残業をしていない教員は小学校で2.8%、中学校で1.8%いた。小中ともに教頭・副校長の残業が長く、3時間を超えていた。中学校では運動部顧問の教員が、顧問をしていない教員よりも1時間以上長かった。ワーキンググループは早ければ来年1月末にも報告をまとめる。【高山純二】



1日当たりの平均残業時間は小学校1時間48分、中学校2時間25分
そんなに少ないわけはないだろう・・・と憤慨しかけて、フト思い直した。
そういえば3年前まで、私も残業はせいぜい1時間30分程度だった。事情が変わった今は職場にいる時間もふんだんに取れるようになったが、まだ子どもが小学生だった当時は、必死に家に帰ったものだ。

まったく残業をしていない教員は小学校で2.8%、中学校で1.8%いた
これもその通りで、保育園に子どもを入れてギリギリに職場にたどり着き、退勤時刻きっかりに学校を飛び出して家に向かう主婦教員もすくなくない。それを考えると、
1日当たりの平均残業時間は小学校1時間48分、中学校2時間25分
も妥当な数字だと言える。

ただし、当時私は午前3時から6時までのほとんどを持ち帰りの仕事に費やしていた。主婦教員たちも主婦だからという理由で仕事が減らされるわけではない以上、家庭のどこかで他の教員と同じ時間を使って仕事をしているに違いない。

現在、残業をしようがしまいが給与に反映しないからこうしたことになるので、

残業が金になるようなら家で仕事をするバカなどいなくなるだろう

夜間保育に金を払っても学校の仕事は学校でやろうという教員が増え、統計上の残業時間が飛躍的に延びるとともに、残業手当に回されるべき都道府県の支出も飛躍的に増えることになる。

ある意味、それでこそ合理的とは言えるのだが・・・。








 



2006.11.26

兵庫県教委:一般教職員ボーナス、
来年6月から能力給に 格差平均6万円


毎日新聞 11月25日]


 兵庫県教委は来年6月から、一般教職員のボーナス(勤勉手当)に3段階の格差を付ける能力給(成績率)制度を導入することを決めた。資質向上が目的で、各校長が評価する。一部の教職員組合は「校長ばかりを気にするようになる」と反発している。
 県教委教職員課によると、対象は県立高校、市町の小中学校などの約3万6000人。校長が内申書を作成し、約6割を標準的な「良好」、約3割を「優秀」、約1割を「特に優秀」の3段階に査定。各教委に提出する。人数の比率は今後さらに詰める。内申書は本人には開示せず、各教委が校長の評価を覆すことはない。
 支給額は、「優秀」は「良好」の1割増し、「特に優秀」は2割増しとなる。導入時に全員の勤勉手当を0・015%切り下げ財源とするため、1回の支給額は「良好」の人で現在よりも平均約6000円減り、「特に優秀」と「良好」の差は平均約6万円という。県教委は「平等な支給を逆手に取って、一部に頑張らない先生がいる」と理由を説明している。同県では校長ら管理職には今年6月から能力給制度を導入していた。
 県には教職員組合が7団体あり、最大労組を含む3労組とは妥結。一方、反対する県高等学校教職員組合は「教育の世界は5年後、10年後に成果が出ることもある」と批判している。
 同様の制度は鳥取、愛媛、高知県が既に導入している。【竹内良和】
 ◇高見茂・京都大大学院教授(教育政策学)の話
 好き嫌いなど、主観的な判断が加わってしまい、校長にへつらう先生が生まれる恐れもある。相当に工夫しないとうまくいかないのではないか。



 職場でこのことが話題となった。
 ひとりが言う。
「6万円欲しがって窮屈な思いをするより、6万円払って好き勝手やるほうがいいな」
 なるほど、そういう考え方もある。
「6万円欲しさのためにがんばってると思われるのもシャクだから、仕事をそこそこに抑えておこう、そういう人だって出てくるだろう」
 そういう感じ方だってある。

 金銭を度外視し、情熱を持ってこの仕事に取り組んでいる人を金でコントロールしようとすればとんでもないしっぺ返しを受ける。

 注意したまえ。








 



2006.11.29

教育再生会議:高まる「不透明」批判
首相肝いりも非公開


毎日新聞 11月28日]


 いじめ自殺や高校の履修単位不足など教育問題に国民の注目が集まる中、安倍晋三首相肝いりの「教育再生会議」の初会合から1カ月が過ぎた。これまでに総会2回と第1分科会(学校再生)、第2分科会(規範意識・家族・地域教育再生)が各1回開催され、27日は第3分科会(教育再生)も東京都内でようやく開かれた。議論にスピード感があるとはいえず、非公開のまま進められる会議のあり方に「不透明」との批判が高まっている。【高山純二、平元英治、佐藤敬一】
■非公開が原則
 教育再生会議は、運営委員会で議題などを確認した上、分科会で具体的な議論を進めるが、非公開が原則で、運営委は開催日時・場所さえ非公表だ。分科会、総会の内容は最低1週間以内に議事要旨、1カ月以内に議事録が公開される。
 運営委は中間報告(来年1月予定)に反映させる7項目の「基本的な考え方」を決定したが、公式発表はしていない。27日の第3分科会終了後の会見でも、川勝平太委員(国際日本文化研究センター教授)の試案が「完成稿でない」と公表されず、「議論の内容が分からない」など記者団から批判を浴びた。
■なぜ英米だけ?
 同日の分科会では「主要国の教育改革の動向」として、米英の教育改革に関する資料が配布された。しかし、当の委員から「なぜ英国や米国流ばかり参考にするのか」「これから話し合う資料が全く提示されていない。どう考えているのか」と異論が続出した。
 安倍首相や山谷えり子首相補佐官がサッチャー元英首相の教育改革を模範としているのは知られている。一方、高水準の学力を維持している北欧諸国の例は示されず、議論の方向性に「結論ありき」の雰囲気がにじむ。委員は「高い教育水準を持つ日本が英国をまねる必要はない」と内部批判をした。
■記者懇で説明?
 山谷補佐官は27日の会見で、「(記者団が)丁寧な説明をしてほしいと思っていると感じた。記者懇(談会)など、もう少しよい形で理解を深めるような形も検討させていただきたい」と述べ、記者団に議論の過程などを公表することに含みを持たせた。しかし、一般市民や教職員への公開には触れなかった。
■議事録すぐ公開を
 NPO法人「情報公開クリアリングハウス」の三木由希子室長の話 会議後の記者会見は伝えたいことだけを伝え、聞かれたことに答えるだけのもので、それで足りるというのはおかしい。また、会議後の議事録ではリアルタイムで議論の過程が分からない。途中経過が伝えられると混乱するというのは国民の理解力に疑問を呈しているのと同じことだ。教育は私たちの生活にかかわる問題であり、きちんと公開すべきだ。



高い教育水準を持つ日本が英国をまねる必要はない

私もそう思う。

「子育てのゆくえ」の松井和は
家庭の問題に関して『欧米では』ときたら、まず反射的に『それは真似してはいけないこと』と考えるような癖がついている
と言ったが、
私は、初等中等教育について『欧米では』ときたら、まず反射的に『それは真似してはいけないこと』と考えるような癖がついている。

いくら学力が上がったとはいえ、

イギリスはまだまだ日本より学力の低い国である。学生の26%がいじめの被害を受けた経験を持ち、今も150万人がいじめの被害者であるこの国から、私たちは何を学べばいいのか?


教育バウチャー制度は目論見どおりに進めば、小学校で繋がっている地域コミュニティーを完全に破壊するだろう。全国統一テストとランキングの公表は学校の教育課程を学力中心に変更していく。心の教育が数値化されて公表される可能性はないから、教員は学力中心に努力をシフトしていく。そしてまた、教員給与の能力給への変更は金銭抜きで教育に情熱を注ぐ教員のあり方を本質的に変えてしまう違いない。

教育再生会議は壊れてないものにメスを入れることで、健康な体制を破壊に導く・・・しかし、それにしてもなぜイギリスなのだろう?。








 



2006.11.30

4歳半児、約3割がゲーム

毎日新聞 11月29日]


 コンピューターゲームをする子は3割近く、5人に1人はテレビを見ていて食事に集中しない−。4歳半の子供たちのこんな実態が29日、厚生労働省が発表した「21世紀出生児縦断調査」で明らかになった。
 厚労省は“21世紀元年”の2001年に生まれた子供の家庭を対象に、継続調査を毎年実施。昨年、子供が4歳半になった時点で5回目の調査をし、約4万世帯が回答した。
 それによると、テレビゲームや携帯型ゲームなどのコンピューターゲームをする子供は28%で、1年前の3歳半の時に比べて2倍近く増加した。「テレビを見ていて食事に集中しないことがある」は「いつも」が19%、「時々」は62%に上り、テレビを見る時間が長いほど、こうした傾向が強いことが分かった。
 「1人で朝食をとることがある」は「いつも」が4%、「時々」が22%。「1人で夕食をとることがある」は「いつも」と「時々」を合わせて4%だった。いずれも、きょうだいがいる子供より、1人っ子(きょうだいとの別居を含む)の方が割合が高かった。
 約3分の2の家庭が子育て費用を「負担に思っている」と回答。仕事をしている母親は、出産半年後には25%だったが、今回の調査では47%と出産1年前の状況(55%)に近づいた。ただ就業形態でみると「常勤」は増えておらず、年々増加している「パート・アルバイト」が約半数を占めた。




こういう子が次々と学校に上がってくる。そして、これより多少マシな子がすでに小学校に入ってるのだ。

これをきちんと座らせておけない、授業中黙っていさせることができない、45分間集中した学習をさせられない、整列をさせられない、食育がきちんとできない、学力を付けられない・・・そういう教員が「指導力不足」だということになると、苦しいものがある。
しかしそうも言っていられまい。すでに子どもの問題はすべて教員が背負うべきと言う世論はでき上がっている。

もしかしたら
「指導力不足教員」排除のシステムができて10年もたてば、学校に教員は一人もいなくなってしまうのかも知れない。








 



2006.11.30

いじめ緊急提言:厳しい教育現場の声
「アメとムチ」


毎日新聞 11月30日]


  続発するいじめ事件に関し、政府の教育再生会議が29日、緊急提言をまとめた。焦点の一つとして、いじめを放置・助長した教員に懲戒処分を適用することを求めた。一方で、いじめ対策への取り組みを教員評価につなげるよう提言。努力した教員にはアメを与えるとも受け取れる内容だ。現場のいじめ対策にどんな影響があるのか。反応の声もさまざまだ。【荒川基従、高山純二、佐藤敬一】

 東京都内の区立中学校長は「学校の先生がきちんと指導できていないという発想に立ったもので本末転倒な話だ。現場の先生の神経を逆なでし、処分されるとなればますますいじめを隠そうとする」と強く批判する。一方、“アメ”に関しては「何をもって、いじめが減ったか増えたか、取り組みが進んだか進んでないかを評価するのか。現場の実情とはかけ離れた考え方だ。学校はユートピアではなく、けんかもあればいじめもある。特効薬はなく、現場は一つ一つ全力を挙げて対応していくしかない」と憤りを込めて話した。

 一方、別の区内のある小学校長は「いじめ自殺があった学校では、校長らがマスコミを前に謝罪しているが、一過性に過ぎない。現場の教員は『いじめを見逃したら教師生命がない』というくらいの真剣さが必要だ。その意味で懲戒処分を盛り込んだことは評価できると思う」と話す。
 ただ、緊急提言の中にいじめた子への「指導・懲戒」案として、奉仕活動をさせることが掲げられていることに関しては「社会奉仕が有効なんですかね。きれいごと過ぎますよね」と疑問符もつけた。
 提言通りなら、教師の懲戒処分は各地の教育委員会が行うことになる。94年に大河内清輝君いじめ自殺事件があった愛知県。名古屋市教委のある幹部は提言内容を読み「ちょっと厳しいな……」と漏らした。「現場の先生方の苦しさをもう少し理解してほしい。先生だって失敗はあるが、一生懸命仕事をしている。その結果として懲戒処分にされたら、やってられない」と同情的に語った。
 一方、提言に文部科学省幹部からも批判の声が漏れた。内容の多くは、すでに同省が各都道府県教委などに指導・助言をしている。ある幹部は「なんで今ごろこんなものを(提言するのか)……。けんかを売られているような感じがする」と批判した。



この内容がどれほど恐ろしいものか、誰も考えないのだろうか。

ここのところ続いたいじめ自殺事件についてもう一度考えてみる。
子どもたちはどんないじめを受けて死んでいったのか。
「キモイと言われた」「ウザイと言われた」「ズボンを下ろされた」「強いパスを送られた」・・・・

その程度のことで死ぬな、と言うことではない。
私たちは一連の事件を通して、そのような言葉のいじめで子どもは死ぬ可能性があることを学んだ。そしていじめを放置・助長した教員に懲戒処分を適用するとなると、日本中の学校からこういう汚い言葉や悪ふざけが駆逐されるのだ。

本来はじっくり時間をかけて取り組むべき「愛語」の獲得や、相手を思いやって悪ふざけはやめようというといったことが、一律に『禁止』と言うかたちで子どもたちにのしかかってくる。

政府は欧米並みの20人学級の実現だとか、全学校へのカウンセラーの配置だとか、増員による個々の教員の負担減=児童・生徒に関わる時間の増加といった支援を一切せず、ムチだけで教員の意欲を喚起し、この問題に当たろうとする。

学校やいじめの実態を研究せず、とりあえず問題があるなら教員の意識で何とかなるはずだという根拠のない理屈で押し切ろうとする。


 それはまさに、B29爆撃機を竹やりで落とそうとする試みと同じだ。
 あの戦争は結局、日本人のやる気が足りなかったから負けたのか? 戦闘力不足の国民(非国民)が多かったから負けたのだろうか?









 



2006.11.30

教育再生会議「心の成長」策提唱
「30人31脚」など


朝日新聞 11月30日]


 安倍首相直属の教育再生会議の「規範意識・家族・地域教育再生分科会」(第2分科会)は29日、来年1月に打ち出す第1次報告の素案をまとめた。「子どもの『心の成長』のために」と題し、「家族の日」を創設し、家族一緒に夕食を取ることや、協力・助け合いの重要性を実感してもらうため体育の時間に「30人31脚」を行うことなどを提唱している。

 家庭の日常生活や地域、学校での取り組みに、どこまで踏み込むことが許されるか、今後の焦点になりそうだ。

 素案は8項目。郷土の歴史や伝統を学ぶ「ふるさとの時間」を授業に採り入れることや、学校で朝10分間の「読書の時間」を必ず設けることを提案。「家族の日」には「両親が子どもに読み聞かせをしたり、子守歌を歌ったりする」ことなども勧める。地域清掃などのボランティア活動も必ず行う、としている。

 また、二人三脚を30人で行う「30人31脚」のほか、全国の小中学生が最高レベルの芸術を鑑賞する機会を与えること、いじめなどを題材とした演劇の鑑賞や演技を通じて「お互いの心の闇や過ち」を理解させることを提唱している。一方で、子どもに悪影響を与える番組を通報する窓口組織の新設も求めている。

 生徒が学校の規律を乱した場合に、学校や教員が「ぶれない対応」をするため、全国共通の「ガイドライン」を設けることも提唱。「児童に授業を受けさせないという処置は、懲戒の方法として許されない」とした1948年の法務庁長官の見解についても、「実態を踏まえた見直し」を検討例として挙げている。いじめをした側の生徒に対する「出席停止」処分の積極適用に道を開くことを視野に入れたものだ。ただ、29日に開いた教育再生会議の総会では賛否が割れ、いじめ問題の緊急提言には盛り込まれなかった経緯がある


テレビ朝日の番組「小学生クラス対抗 30人31脚」は、毎年数々のドラマを生み出し人気の高い番組である。クラス全体が一つの目標に向けて協力し、助け合い、勝負し、勝ちあるいは敗れて清らかな涙を流す・・・。
協力・助け合いの重要性を実感してもらうため体育の時間に「30人31脚」を行うことなどを提唱している。
というのは、そこから来ているのだろう。

だが、忘れては困る。テレビで放送されるのは、地方大会を勝ち抜いてきた勝者チームだけなのだ。
協力し、助け合うことに成功し、なおかつ運動能力に長け、たっぷりと努力を積んだ者だけがテレビに出ている。

中途半端に取り組んだために、「なんでアイツが出てオレが出られないんだ!」といきまく親子がいたり、試合当日予定外に欠席が多く30人揃わずに無駄足に終わったチームとか、出場したものの足並みがバラバラでとんでもなく時間がかかって恥をかき、暗澹たる気持ちで家に帰るチームとか、競技の後、転んだ子どもをみんなで責めてまるで「いじめ」のようになっているチームとか、休みを奪われた上に恥をかかされたと怒る親の姿とか・・・・・・そういったものは一切テレビには出ない。そういうチームは、地方大会ですでに消えているからである。
協力・助け合いの重要性を実感してもらうため
どころではない、やらなければ幸せだったクラスまで競争に巻き込まれ崩れていく。
30人31脚、やればいいというものではないだろう。


私はこの記事を読みながら、本当に切なくなった。
教育再生会議には教育の専門家や現場の教員はほとんどいない。その彼らは、どこで教育の現状や理想を学んでいるのか、今回のことでそれがはっきりしたからである。

彼らは、テレビから教育を学んでいるのだ!
最悪の状況・・・・