キース・アウト
(キースの逸脱)

2007年7月

by   キース・T・沢木

サルは木から落ちてもサルだが、選挙に落ちた議員は議員ではない。
政治的な理想や政治的野心を持つ者は、したがってどのような手段を使っても当選しておかなければならない。
落ちてしまえば、理想も何もあったものではない。

ニュースは商品である。
どんなすばらしい思想や理念も、人々の目に届かなければ何の意味もない。
ましてメディアが大衆に受け入れられない情報を流し続ければ、伝達の手段そのものを失ってしまう。

かくして商店が人々の喜ぶものだけを店先に並べるように、 メディアはさまざまな商品を並べ始めた。
甘いもの・優しいもの・受け入れやすいもの本物そっくりのまがい物のダイヤ
人々の妬みや個人的な怒りを一身に集めてくれる生贄
そこに問題が生まれれば、今度はそれをまた売ればいいだけのことだ。
















 

 

2007.07.03

いじめ:教育委員と教諭が意見交換
原因や対策話し合う /岡山


毎日新聞 7月2日]


◇からかい/使い走り/ブログでひぼう
 教育関連3法案が今国会で成立し、教育委員会や学校現場が変化を迎える中でこのほど、県教委と県内の公立学校教諭による意見交換会が開かれた。県教委からは門野八洲雄教育長ら10人が出席し、小中高校の教諭6人が学校現場でのいじめの実情を報告。原因や対策について話し合った。

 会合は先月28日、岡山市内で開催。まず、いじめの実例として「ばい菌が付いた」などとからかう▽使い走りをさせて品物を買わせ、時には金銭を払わない▽携帯電話のブログによるひぼう中傷――などが報告された。ブログでは「教員の対応が書き込まれ、その後の対処に困った」というケースも。放課後、最後の生徒が帰るまで教室に残り、生徒が声をかけやすいようにしている教員もいた。

 06年度の県内公立小中高校などのいじめ発生件数は、4〜10月の7カ月間で04、05年度年間の約3倍に上る約1200件。これについて、10年以上生徒指導に当たっている中学校の男性教諭は「以前は金品や暴力が絡む場合などを除いて0件と報告していたが(文科省の)いじめの定義が、いじめられる側の精神的苦痛を重視したものに変更されるなど考え方が変わってきている」と述べた。

 また、「昔からいじめはあったが、子どもたちの中で解決していた」と、核家族化や地域のつながりの希薄化、兄弟がいなかったり同級生としか遊ばなくなる中で、子どもの問題解決能力が低下しているという指摘もあり、教育委員からは「子どもの中で機能しなくなった部分を学校が抱える必要があるのか」、「海外では『いじめは家庭の問題』として学校がかかわらない例もある」という意見も出た。
 対応に追われる学校現場の報告を受け、門野教育長は「もっとゆとりを持ってもらうため工夫する必要がある」と話した。【石川勝義】



 
以前は金品や暴力が絡む場合などを除いて0件と報告していたが
 
金品がからむのは恐喝、暴力が絡むのは暴行。こういうものまでイジメにいれるから問題は厄介になる。

「昔からいじめはあったが、子どもたちの中で解決していた」
それは確かだが、
「子どもの中で機能しなくなった部分を学校が抱える必要があるのか」
「海外では『いじめは家庭の問題』として学校がかかわらない例もある」
と言ったのでは身も蓋もないだろう。

現代の日本で、学校が子どもから手を引いたら、誰も引き取り手はいない。
 そんなことは誰でも知っている。

 1990年代、学校のスリム化が叫ばれて起こった「家庭に帰そう、地域に帰そう」という試みが完全に失敗してから、学校が子どもたちのすべてに責任を負うことは当たり前になった。
いじめ問題も非行問題も、学力の問題も道徳性の問題も、すべては学校が責任を負う、教育再生会議を始め、社会が主張することはそういうことである。






 

 

2007.07.08


<学力テスト>障害持つ児童の答案を採点から除外 足立区

毎日新聞 7月7日]


東京都足立区教育委員会は7日、昨年4月に区が独自に実施した学力調査(テスト)で、トップの成績の小学校が、保護者の了解を得ずに情緒障害などのある児童3人の答案を採点対象から除外していた、と発表した。区教委は「保護者に説明せずに不適切だった。申し訳ない」とコメントした。
 区教委によると、学力調査は、小学2年〜中学3年生を対象に04年度から区が独自に実施し、各学校ごとの順位を公表している。この学校は、05年度は44位だったが、06年度はトップになった。
 3人はいずれも6年生(当時)で、情緒障害などが見られる。普通学級に在籍しているが、週に何回かは別の学校の特別なクラスに通っていたという。
 3人はテストは受けたものの、「文章を理解する力が通常より難しい」などの理由から、校長の判断で採点対象から除外した。区教委は事前相談や保護者の了解があれば、問題の理解が難しい児童の採点除外を認めているが、この学校はその手続きをしなかった。校長は「怠った」と説明しているという。3人の児童の親のうち2人は校長の説明に納得していない。
 同区では、学校選択制を02年度から実施しており、成績の上位校に入学希望者が集まる傾向にある。この学校は、誤答している児童の机を教師がたたくなどの疑惑も指摘されているといい、区教委は、さらに調べる。区教委は「児童に対する配慮」を理由に、学校名は明らかにしなかった。
【吉永磨美】



中語の諺(ことわざ)に「上に政策あれば,下に対策あり」というのがあると聞いた。学力テストの結果に従い予算を減らす、特別な教員を入れるなどと言われると、校長としては何とか手を打たねばならなくなる。今回の足立区の事件は「牛ミンチ偽装事件」の食肉加工卸会社「ミートホープ」(北海道苫小牧市)なみの乱暴さだが、もっと巧妙に、もっと繊細に不正を行った学校もあったはずだ。なければ今後行うことになる。

 もっとも傾向と対策というのも直前にやるから胡散臭いのであって、半年から1年くらいかけてゆっくりやれば立派な教育と言われるだろう。政府の目論見もそこにある。さて、

このようにして日本の教育は、多様性を捨てて一方向を目指す

ことになる。



【参考】

答案指さし、間違い指摘 足立区の学力テストで不正

(中国新聞 7月7日)

 昨年四月に実施された東京都足立区の学力テストの際、区西部にある公立小で、試験中に教員が児童の答案を指さして誤答に気付かせる不正を行っていたことが七日、分かった。共同通信の取材に対し、六人の教員が「校長の指示があった。校長自身も教室に来て、自ら率先して『指さし』をした」などと証言した。
 校長は「日常の指導の一環でノートや小テストを指さすことはあるが、学力テストではやっていない」と否定。区教育委員会は「テストは適正に行われたと考えている」とする一方、事実関係を把握するため、調査を始めた。
 足立区はテストの順位を公表しているほか、学校予算の傾斜配分や学校選択制を取り入れており、教育関係者からは「競争原理の導入が不正の背景にあるのではないか」との指摘も出ている。
 同小は区内七十二小学校中、二〇〇五年は四十四位だったが、不正のあった〇六年は一気に一位になっている。
 テストは昨年四月二十五日、小学校では区内の二年生から六年生を対象に国語と算数で実施された。同小の複数の教員は試験中に机の間を歩き、答案に間違いがあると、問題を指さして児童に気付かせた。
 教員らによると、校長も教室の中に入り、自ら指をさした。教室内で教員に「指さし」を促すような態度を取ることもあったとしている。
 教員の一人は「指をさして意味の分かる児童とそうでない児童がおり、不正ぎりぎりだと思った。校長の指示があったかどうかと言えばイエスだ」と証言。教員らは「校長は学校の平均点を上げるのが目的だったのだろうが、あんなやり方で一位になっても子どもは喜ばない」と話している。
 また、校長は、本来すべてをそのまま回収しなければならないのに、〇五年のテストの問題をほとんどメモし、翌年の児童に練習問題として繰り返しやらせていた。
 翌〇六年のテストは、九割以上が〇五年と同一問題だった。
 校長は「(〇五年の問題が)良かったので参考にした。翌年も同じ問題が出るとは思わなかった」とする一方、「過去問をやらなければ一位にはならなかったと思う」とも話している。
 区教委は「メモを取ったのは不適切な行為」としている。








 

 

2007.07.09


保護者の理不尽なクレーム、専門家による支援検討 
文科省


産経新聞 7月9日]


 理不尽な要求で学校現場を混乱させる保護者ら、いわゆる「モンスターペアレント」について、文部科学省が来年度から、本格的な学校支援に乗り出す方針を固めた。地域ごとに外部のカウンセラーや弁護士らによる協力体制を確立し、学校にかかる負担を軽減することを検討している。来年度の予算要求に盛り込みたい考えで、各地の教育委員会にも対策強化を求める。

 文科省が検討している支援策は、保護者から理不尽な要求やクレームが繰り返された際、教育専門家ら外部のカウンセラーが保護者と学校の間に入り、感情的なもつれを解消して問題解決を図るというもの。

 保護者とのトラブルが法的問題に発展するケースもあるため、学校が地域の弁護士からアドバイスを受けられるような協力体制づくりも進める。地域ごとにカウンセラーや弁護士らの支援チームを結成することも検討する。

 教育現場では近年、無理難題を押しつける保護者らが急増。こうした保護者らは「モンスターペアレント」と呼ばれ、校長や教員が話し合いや説得に努めてきた。しかし感情的なもつれなどから問題解決がこじれ、学校にとって大きな負担になることが少なくないという。

 モンスターペアレントについては今月初めの副大臣会議でも取り上げられ、文科省の池坊保子副大臣が早急に対策に取り組む姿勢を示していた。

 文科省幹部は「学校が一部の保護者らの対応に追われて、子供たちの教育活動に支障が出るようになったら本末転倒。各教委が率先して対応に乗り出す必要がある」としている。



 モンスターがペアレントである場合はよいのだが、現代の難しさはペアレン「ト」ではなくペアレン「ツ」であることによる。

 さて、それはさておき、 正当な要求をしていると信じている保護者が、突然「モンスターペアレンツだと言われたらどう考えるだろう? 
彼らのほとんどは理不尽な要求などしてはいなのだ(と本人は硬く信じている)。

 たとえばモンスターペアレンツは、
 義務教育として保護者に子どもを学校へ出す義務を負わせながら、給食費まで払えと言う国家の理不尽と戦っている。

 どこの誰が使ったか分からないような不衛生な便所の掃除をさせるから、

「自宅で掃除をさせていないから、学校でもさせないでほしい」
と要求しているだけで、理不尽なことを言っている訳ではない。同様に、その便所から出てきた靴でベタベタ歩いた廊下や教室を掃除しろと言うから怒っているのだ。箒や台拭きの係だったら、いくらでもやらせる。

 「(子供同士で小さなトラブルになった)相手の子を転校させるか、登校させないようにしてほしい」
 小さいかどうかは判断の問題だろう。ウチの子はそれで学校に行けないと言っているのだ。それが小さなトラブルであるはずがない。いじめられた方が学校に行けず、いじめた方が堂々と通っている理不尽は、何としても正さなければならない。それが理の当然ではないか。

 
勉強の進み具合が遅れている中学生に小学生の問題を解かせたところ、「子供が精神的に傷ついた」と抗議
 あたりまえだろう。中学生には中学生の問題を判りやすく教えるのが教師だ。そんなこともできないで何が教師だ。

 子供が起こした自転車事故なのに、「学校の指導が悪い」と主張したりする例
 これもそうだ。ウチの子は学校の交通安全教室できちんとした技能が身につかないウチに、外に出されてしまった。学校だったら,きちんとした力をつけるのがあたりまえではないか。そうした努力もせずに「モンスターペアレンツ」とは何事だ!(黄文字はいずれも6月19日付読売新聞より)
 
 現在も市町村教委や都道府県教委はしばしば調停に割り込んでくれる。しかしそれでは問題は複雑になるばかりだ。現場で最初から問題に接している教員にしか、円満な解決はできない。

 感情的なもつれなどから問題解決がこじれ、学校にとって大きな負担になることが少なくないという。
 のは単に教員が忙しく、じっくりと話したり対応したりすることができないからだ。根本的な解決は、教員の補充によるしかない。問題がこじれてから支援グループが出てきてもできることはほとんどない(学校に圧力をかけるモンスター教委になうだけかもしれない)。







 

 

2007.07.12


【解答乱麻】
明星大教授・高橋史朗
子育てに親も責任を


産経新聞 7月11日]


 熊本市の慈恵病院の「赤ちゃんポスト」に4人目の子供が預けられた。フランスでは親が教育義務を放棄した場合には、2年の禁固刑、360万円の罰金、子供が学校を理由なく月に4回以上欠席した場合には9万円の罰金を親に課している。
 イギリスでは10年前に「子育て命令法」を制定し、違反した場合には約25万円の罰金、滞納した場合には禁固刑を科し、子供が更生し、登校できるまで最長で1年間、親の講習を義務づけている。アメリカでは5年前に「子供を置き去りにしない法律」を定めた。不登校は親の教育ネグレクト(怠慢)と見なされ、シアトル市では1日約3000円の罰金か、それに充当するボランティアを課している。

 親の責任を厳しく問う欧米の風潮は、明治31年に埼玉の高等小学校が保護者に配布していた「家庭心得」にも「独逸(ドイツ)を其(その)重き者として、西洋諸国にては、通例小学校生徒の欠席は、之(これ)を其父兄、若(も)しくは保護者の罪に帰し、謂(い)われなく、学校を休ましむる時は、科料若しくは禁固の刑に処す」と明記されている。

 21年前、政府の臨時教育審議会を代表して、ニューヨークの中学校を視察した折、中学生が窓ガラスを割った。スクールポリスがすぐ駆け付け、親を呼んで罰金を取った。日本では校外で起きた事件も学校や教師の監督責任を問うが、校内事件の責任を親に求めるアメリカとは対照的だ。
 わが国には親の責任を問うべきでないという根強い風潮がある。昨年、埼玉県が主催した子育て支援シンポでも汐見稔幸東大大学院教授(当時)とこの点で論争になった。
 汐見氏は「親が子を教育するのは危険が付きまとう」(7月24日付埼玉新聞)と主張した。このような考え方は改正教育基本法第10条1項に「父母その他保護者は、子の教育について第一義的責任を有する」と明記した(家庭教育)の条文に反するものだ。

 6月1日に政府の「子どもと家族を応援する日本」重点戦略検討会議の中間報告が発表された。筆者が所属する「地域・家族の再生分科会」の「議論の整理」をまとめる最後の会議でも親の責任について論議になった。
 事務局案では「親も責任を持ち」「親もともに育つ」という「親学」の根幹の記述が削除されていたので厳重に抗議した結果、復活した。
 確かに子育てをめぐる環境は大きく変化したので、親の責任を問う意識改革だけでは不十分だ。核家族化と少子化が進み、ケアの必要な子供が増え、父親も近隣の人々も子育てを支援してくれない中で、母親が孤立し、子育て以外に魅力的な生きがいを見いだす機会も増えている。

 こういう社会環境の変化を踏まえた制度改革が必要不可欠だ。しかし、環境を整備すれば親の意識が変わるというのは安易な考えだ。
 政府は社会全体の意識改革のため「家族・地域のきずなを再生する国民運動」に着手した。意識改革と制度改革は車の両輪であり、「親学」に基づく国民運動を通じて、親の「主体変容」を促しつつ、親心をはぐくむ環境整備を図る必要がある。



私は基本的に筆者の高橋史朗氏に
不賛成である。むしろ汐見稔幸東大大学院教授に賛成ともいえる。
ただし
「親が子を教育するのは危険が付きまとう」と言ったのでは身も蓋もないのであって、
すべての親に、全面的に子を教育させるのは危険が付きまとう」
くらいにしておきたい。

だいたい5割の親は間違いなくやっているし4割の親もなんとかやっている。しかし残り1割が養育に対して、興味か自信かの、いずれかを失っている。

無理もない、プロの教育者の私たちでさえ子どもたちには苦労しているのだ。
現代の子どもたちは、素人が扱うには危険すぎる面があるのも確かだ。

しかし繰り返すが、だからといって今のまま、私たち任されてもかなわないし、任された上でうまくいかないからといって、教育の質が落ちただの、教師の指導力が落ちただの言われてもかなわないのだ。

不登校は親の教育ネグレクト(怠慢)と見なされ、シアトル市では1日約3000円の罰金か、それに充当するボランティアを課している。

そこまで親にやらさなくていいから、とにかく教員を増やし、不登校の子に向き合う時間を時間を生み出して欲しい。

親が仕事に行ってしまった家で、一人ぼっちで暮らしている不登校の子を、私たちは支援したい。しかし今のままだと、クラスの30人を自習にして出かけなければならない。さらにその上、学力を伸ばせと言われるのも、できるはずがない。

そういうことである。







 

 

2007.07.25


夏休み 長い方がいいですか

信濃毎日新聞 7月23日]


すっきりしない天気が続く中、県内の学校が夏休みに入る。他県の学校に比べて休みが短いだけに、だらだら過ごしているとあっという間に終わってしまう。子どもたちは、何か一つ目標を決めてやり遂げてほしい。

 今年は25日に終業式を開く小中学校が200校余りと最も多い。夏休みが終わるのは8月20日ごろ。多くの学校で夏休みは30日足らずとなる。ほかの県と比べると、10日余り短い。

 その中で、今年だけ長い夏休みになる学校がある。

 下伊那郡高森町の高森南小は20日に終業式を行った。環境省の指定を受けた環境に配慮した改修と耐震改修の工事を行うため、8月27日までの休みだ。38日と県内の公立小学校では最長となる。

 子どもたちは大はしゃぎで学校を出て行った。お盆明けが通常より長いので、生活のリズムが崩れないか心配している、と松下正昭校長は話す。一人ひとりが夏休みの課題を決める、心配がある場合は担任が家庭とこまめに連絡を取るなど、例年以上のきめ細かな対応を心がけているという。

 諏訪市の城北小学校も、校舎の耐震改修工事のために37日間の大型休みになる。同校では担任が個別に指導し、夏休みの課題の準備に力を入れている。

 夏休みはどのくらいが適当か。そんな論議が起きている。

 政府の教育再生会議は6月に出した第二次報告で、ゆとり教育の見直しを提唱した。授業時数10%増の目標達成のため、夏休みの活用も候補に上がっている。

 既に東京都などの学校で、1週間程度夏休みを短くする動きが出ている。授業時間を増やし、学力を上げようという狙いだ。

 夏休みをどう過ごすかは家庭にゆだねられている部分が大きい。山や海に出かけたり、スポーツに汗を流したりと、思いっきり遊ぶのはいい。勉強に力を入れる子どももいるだろう。家族のコミュニケーションを図るには大切な時間だ。

 一方、親が働いている家庭にとって、夏休みの過ごし方は頭の痛い問題である。休みが長いほど、大人の目が届かない時間が増える。今年の県内企業の夏休みは平均で8・8日。子どもの休みと折り合いを付けるのは難しい。

 家庭の在り方が多様になる中で、いまの夏休みのままがいいか、あらためて考えたい。今年限りの長い休暇をもらった子どもや保護者に、休み明けに感想を聞きたい。



さすが教育県というべきだろうか。
夏休みが終わるのは8月20日ごろ。多くの学校で夏休みは30日足らずとなる。ほかの県と比べると、10日余り短い。

なかなか大変なことである。
ところで、

政府の教育再生会議は6月に出した第二次報告で、ゆとり教育の見直しを提唱した。授業時数10%増の目標達成のため、夏休みの活用も候補に上がっている。
 既に東京都などの学校で、1週間程度夏休みを短くする動きが出ている。授業時間を増やし、学力を上げようという狙いだ。

東京都の目論見がうまく行くかどうかは、試してみるまでのないことである。なぜなら
東京よりもずっと昔から夏休みを短縮して授業にあてていながら、なおかつ学力のさっぱり上がらない県がある
からだ。言うまでもなく、
それは長野県である

 なぜ他県より10日も長く授業をやっている長野県の学力が低いと分かるのかというと、それはまさに信濃毎日新聞の記事の中にある。

今年は25日に終業式を開く小中学校が200校余りと最も多い。夏休みが終わるのは8月20日ごろ。多くの学校で夏休みは30日足らずとなる。ほかの県と比べると、10日余り短い。

25日が終業式なら8月20日まで休むと、夏休みは26日間である。
30日足らずには違いないが、4日も違えば「足らず」という表現はむりだろう
国語力がない。

さらに、
ほとんどの都府県では7月20日が終業式で、2学期の始業式は9月1日である。そういう社会情勢に向ける目が育っていない
社会科的な能力に欠ける。

また、
他の道府県の夏休み42日間を考えると、長野県の夏休み26日間は差し引き16日間も短い。10日余り短い。どころではない
算数もできないのか。

地方紙言えど、卑しくも中堅新聞社の記者がこの程度である。
授業日数などいくら増やしても、それで学力が上がるわけではない典型的な例がここにある。