キース・アウト
(キースの逸脱)

2017年 5月

by   キース・T・沢木

サルは木から落ちてもサルだが、選挙に落ちた議員は議員ではない。
政治的な理想や政治的野心を持つ者は、したがってどのような手段を使っても当選しておかなければならない。
落ちてしまえば、理想も何もあったものではない。

ニュースは商品である。
どんなすばらしい思想や理念も、人々の目に届かなければ何の意味もない。
ましてメディアが大衆に受け入れられない情報を流し続ければ、伝達の手段そのものを失ってしまう。

かくして商店が人々の喜ぶものだけを店先に並べるように、 メディアはさまざまな商品を並べ始めた。
甘いもの・優しいもの・受け入れやすいもの本物そっくりのまがい物のダイヤ
人々の妬みや個人的な怒りを一身に集めてくれる生贄
そこに問題が生まれれば、今度はそれをまた売ればいいだけのことだ。


















2017.05.01

小中学校の教員には子供の教育に専念させよ:教員勤務実態調査まとめ
遠藤司 | 皇學館大学准教授(イノベーション・マネジメント)

[Yahooニュース 4月30日]


 4月29日、時事ドットコムニュースに「中学教諭6割が過労死ライン=月80時間超相当の残業−授業、部活増加・文科省調査」と題する記事が掲載された。

 教諭の平日1日当たりの平均勤務時間は、小学校で11時間15分、中学校で11時間32分であった。実に小学校では33.5%、中学校では57.6%の教員が週に60時間以上勤務し、20時間以上残業している。厚労省が定める過労死ラインである、月80時間を超える残業を行っているということだ。

 教育現場で先生たちが過酷な勤務状況にあるというのは、子供の教育上、きわめて悪影響である。早急に改善しなければならない。取り急ぎデータを丸めてみたので、ここに掲載する。

教員勤務実態調査を分類化

 教員勤務実態調査(平成28年度)の集計(速報値)について(概要)には、1日当たりの業務内容別の学内勤務時間が掲載されている。時間:分の形式で分かりづらいので、ひとまず分に直して、Excelでまとめてみた。

※数字が合わないのは小数点以下を切り捨てているため

 こうしてみると、教員には授業以外に細かい業務が多いことがわかる。これを授業に関係する業務と、そうでない業務で分けてみるとしよう。

 実に小学校で4時間33分、中学校では5時間40分もの時間が、子供に教育を施すこととは異なる時間に使われている。さらに分類してみた。

 授業関連、生徒指導、会議・研修の3つのみを教員が行うとすれば、小学校で8時間27分、中学校で8時間24分の勤務となる。つまり、学校運営と事務作業の大きな部分を教員ではない者が行えば、劣悪な職場環境は改善されるということである。


結 論

 具体的な業務内容が明らかではないため、ざっくりとしかまとめられてはいないが、今回の調査により、およそ世間で言われていることが正しいことが明らかになった。教員には子供の教育に専念させなければいけない。また、中学校の教員は休日の部活動・クラブ活動にも2時間10分という時間が割かれている。これについても、地域のボランティアにお願いするなどの措置を取らなければならないだろう。

 教員は、子供たちを育てたいという大望を懐いて教師になった。彼らに自由な時間を与えれば、彼らは子供の育て方を個々に学び、連携しながら、より高い成果を上げるはずである。一人ひとりの子供の顔を見て接する機会もまた増やすだろう。そうすれば子供たちもまた、自己を肯定し、将来に希望をもって、学びに積極的になるかもしれない。否、必ずそうなる。筆者は現場の教員の力、思いを持った人の力を信じている。

 小中学校の教員は、過酷な環境に置かれている。教員が潰れてしまえば、子供たちは育たない。どうか文科省には迅速な対応をお願いしたい。彼らを、助けてやってほしい。




 昨日、4月29日付の朝日デジタルの「教員悲鳴『休みがない』 中学の6割『過労死ライン』超」を取り上げて「社会は分かろうとしない」と書いたばかりなのに、さっそく「分かっていない」記事が出た。
 20年前、私は「大学における教育研究」自体を研究する場にいたが、そのころとまったく変わっていない。
 
研究者は現場が分かっていない。その「分かっていない専門家」の言うことを「分かっていないメディア」が記事にするので議論はあらぬところに行ってしまう。
 
 そのことを念頭に上の記事を見てみる。
 
 
教員勤務実態調査(平成28年度)の集計(速報値)について(概要)には、1日当たりの業務内容別の学内勤務時間が掲載されている。時間:分の形式で分かりづらいので、ひとまず分に直して、Excelでまとめてみた。
 
 これはよい。主観的な話ではなく客観的な数値から入ろうというのは正しいアプローチのひとつだ。エクセル等で整理し直すというのも私の性に合う。
 そして、
 
こうしてみると、教員には授業以外に細かい業務が多いことがわかる。
 たしかにそうだ。
 これを授業に関係する業務と、そうでない業務で分けてみるとしよう。
 ん?
 
 
実に小学校で4時間33分、中学校では5時間40分もの時間が、子供に教育を施すこととは異なる時間に使われている。
 ホラ、分かっていない。
「授業に関係する業務とそうでない業務」で分けるのはかまわないが、それで「子供に教育を施すこととそうでないこと」と分けたことにはならない。
 

 学校で子どもに施す教育は大雑把に「知育」「徳育」「体育」に分類できる。言い方を変えると「知識・技能の教育」「人間関係の教育」「健康に関する教育」である。
 
 「知育」の場は「国語」「算数」「理科」といった教科の授業、「徳育」の場は教科とならんで存在する「道徳の時間」と、その実践学習の場である膨大な「特別活動」の時間を使って行われる。
 児童生徒会活動や学級活動、清掃、給食、各種行事――そうした“学校内で子ども同士が関係しあい活動する中で人間関係を学ぶ”それが「徳育」なのだ。
 
 実践学習なので膨大な時間がかかる。
 例えば代表的な特別活動である修学旅行ひとつをとっても、旅行に行くためにたいへんな量の事前学習をし、係活動の計画を立て、予行演習をし、現場で活動し、帰ってきて反省をすると、とんでもない時間と手間がかかる。しかしやらなくてはならない。
 それらはすべてが人間として、日本国民として、国際人としてのあり方を学ぶためでの「徳育」であるからだ。
 
 三番目の「体育(健康に関する教育)」は健康診断や全校体育、運動会や体育祭、クラスマッチ、マラソン大会、授業として行う保健教育、給食とセットで行われる食育などを通して行われる。運動会も体育祭も、汗を流して遊んでいるわけではないのだ。

 教員勤務実態調査(平成28年度)の集計(速報値)について(概要)の分類(P7)に従えば、「朝の業務」「学校行事」「学年・学級経営」「地域対応」あたりが「徳育」「体育」に関わる部分であると言える。
 
 つまり、
 
授業関連、生徒指導、会議・研修の3つのみを教員が行うとすれば、小学校で8時間27分、中学校で8時間24分の勤務となる。つまり、学校運営と事務作業の大きな部分を教員ではない者が行えば、劣悪な職場環境は改善されるということである。
 というのは、
「知育(知識・技能の教育)」は教員に行わせ、
「徳育(人間関係の教育)」と「体育(健康に関する教育)」については教員でない者が行う、
 教育担当者を2倍にせよ
というのと同じである。
 
 たしかに職員が2倍になれば
劣悪な職場環境は改善される
 しかしそんなことが財政的に可能か?
 
 
 結論の部分で
 教員は、子供たちを育てたいという大望を懐いて教師になった。彼らに自由な時間を与えれば、彼らは子供の育て方を個々に学び、連携しながら、より高い成果を上げるはずである。一人ひとりの子供の顔を見て接する機会もまた増やすだろう。そうすれば子供たちもまた、自己を肯定し、将来に希望をもって、学びに積極的になるかもしれない。否、必ずそうなる。筆者は現場の教員の力、思いを持った人の力を信じている。
 
 小中学校の教員は、過酷な環境に置かれている。教員が潰れてしまえば、子供たちは育たない。どうか文科省には迅速な対応をお願いしたい。彼らを、助けてやってほしい。

 
 と、教員に対して同情的な、そして涙が出るほどありがたい言葉をかけてくださった准教授には申し訳ないが、つまりはそういうことなのである。
 
 





2017.05.05

小4の口に給食押し込み、嘔吐させる 50代教諭 富山

[朝日デジタル 5月 3日]


 富山県小矢部市の市立小学校で、男子児童に担任の50代の女性教諭が給食のおかずを無理やり食べさせ、嘔吐(おうと)させたとして、教諭が担任から外されていたことがわかった。同市教育委員会の野沢敏夫教育長は「行きすぎた指導で、児童につらい思いをさせ、申し訳ない」と話している。

 野沢教育長によると、今年1月30日の給食の時間に、当時4年生の男子児童が嫌いなおかずを食べなかったため、女性教諭がおかずを口に押し込むと、男子児童が嘔吐した。汚れた床も男子児童に掃除させたという。児童の保護者から抗議を受け、2月に女性教諭を担任から外したという。



 そりゃあ口に押し込んじゃあ不味いだろう。懲戒はやむをえない。しかしそれにしても
今年1月30日の給食の時間に起きた事件に対して、2月に女性教諭を担任から外したという手際の良さは何だろう? 普通は考えられない手早さだ。

「担任を変えてほしい」という要望は問題に際してしばしば保護者から出される。しかしそれに滅多に応えないのはひとえに“代わりの先生がいない”からである。
 世間の常識から考えれば“教師のなり手”などいくらでもいそうだいが(そして教員志望は実際にいくらでもいるが)、一人を新たに雇い入れるためには月30万円もの予算がいるのだ。さらに“外された担任”の処遇の問題もある。まさか担任から外して遊ばせておくわけにもいかないだろう。

 あるいは、学校を良く知っている人なら各校に一人や二人は担任を持たない教員がいることに気づくだろう。小学校なら音楽や図工の専科教員、中学校なら各クラスに配当されている副担任の教師たちだ。しかし安易に彼らと交代させるわけにはいかない。
 精神疾患による療休5000人超という時代だ。いつ担任がいなくなってしまうかわからない。その日のためのストックとして確保しておかないと校長は安心して眠れない。簡単に担任をコロコロ変えるという訳にはいかないのだ。

 したがって記事にあるような“女性教諭を担任から外した”という事態はめったに起きないのが普通だ。しかも記事の場合はあと2月我慢すれば年度末になり、教員の過不足を考えずに堂々と担任を変えることができる。それなのになぜ急いだのか?
 そこには特別な理由があるはずだ。
 
 くだんの女性教員がもう何十回も問題を起こしていてとても二か月は持ちそうにないといった場合、
 本人が間違いを認めず保護者との間で和解の糸口がなくなってしまった場合、
 教師が潰れてしまい担任を続けられなくなっている場合、
 口に給食を詰め込まれた子どもの保護者と学校の関係が崩れきって何らかの手を打たざるを得なくなっている場合、
 マスコミに気づかれ、具体的に対応しているという事実をつくらざるを得ない場合。
・・・そんなところだが、 いずれにしろ尋常な状況でないことは容易に想像できる。今日の学校はたいへんだ。

 さてところで、このニュースを聞いて普通の人が最初に抱く疑問は、
「なぜこの担任はそうまでして給食を食べさせたかったのか」
ということである。
 食べないくらいで目くじらを立てることもない、人間、食べ物の好き嫌いはあるのだ、嫌いなものを食べさせられるくらいいやなことはない、それをなぜ無理させるのか――。

 それに対する答えはこうだ。
 教師はエコヒイキができない。

 ひとりの子に「それが嫌いだったら食べなくていいよ」と認めることは、すべての子に“嫌いなものを残す権利”を与えることになる。

 もちろん“それだっていいじゃないか”という考え方はある。かくいう私も内臓系がいやで、「レバー」だの「モツ」だのは絶対に食べない。だから嫌いなものがひとつふたつあるのは個性として認めてやってもいいし、実際学級担任をしていたころには「一人ひとつは苦手なものを残していい」と言ってきた。しかしその“ひとつ”は「ピーマン」だの「ニンジン」だのといった単品であって、「野菜」とか「魚」とか言われると認めるわけにはいかなくなる。

 たったひとりだがかつて「固いものが食べられない」という子がいた。固いものというのは肉・魚・野菜・米のことだ。つまり牛乳と汁物の汁、特殊な果物(バナナのようなもの)しか食べられない。そのくせ学校が終わって家に帰ると、「ただいまー! お腹すいたー!」と元気よく叫んでケーキやらプリンやらを爆食いする子なのだ。
 そんな子に私たちは「苦手なものは食べなくていいよ」と言えるだろうか。あるいはその子に「苦手なものは食べなくていいよ」と許したばかりに、本来は食べられるはずの子までガンガン物を捨てていく状況を、黙って受け入れることができるだろうか? 
(その子に許したことは他の子にも許さなければならない。それをしない教師はエコヒイキの誹りを免れ得ず、ひいてはその教師の教育力に大きく影響する)
 そこがすべての教師の持つジレンマだ。

 もちろん「職は個性だ」と言って“食べさせる指導”を全くしない教員もいる。そうした教師のクラスからは給食後食缶いっぱいの残菜が出て来る。栄養士が厳しく計算した熱量や栄養が無視される。言うまでもなくその子たちが家に帰ってバランスを回復するようなよい食事に心がけている訳ではない。

 他方で給食室に戻ってきた食缶がほとんど空というクラスもある。
 育ち盛りの子である。せめて一日に一回くらいは、全員が必要な栄養を摂取する時間があってもいい、と私などは考える。

 ただし 食べさせるためには大変な技術や工夫、そして深謀遠慮、忍耐がいる。したがって記事の教諭の甘さ、拙さ、技術のなさは非難されてしかるべきであろう。人権というより、そんなことをしたところで食べるようにはならないからだ。
 しかし何が何でも食べさせたいというその意志は評価されてしかるべきだ。少なくとも“自由尊重”と言いながら何もしない教員よりは。







2017.05.06

部活指導者の国家資格検討=外部人材を積極活用へ―自民

[時事ドットコム 5月 6日]


 自民党は、学校の運動部活動のレベル向上や安全確保のため、指導者の国家資格制度導入に向けた検討を進める。

 各種目で専門的技能を持つ外部人材を積極的に活用することで、指導内容を充実させるとともに、教員の負担軽減につなげることも狙う。年内に制度の骨格をまとめて政府に提言し、来年以降に関連法整備を経て実現することを目指す。

 国家資格は教員と外部人材の双方が取得できることとし、合格者を「スポーツ専門指導員(仮称)」に認定。資格取得に当たっては、実技テストや研修を受けてもらうことを想定している。文部科学省は4月から、外部人材が指導や大会への引率を行うことができる「部活動指導員」制度を導入しており、国家資格化により指導者の信頼性を高めたい考えだ。

 教員による部活指導は、長時間労働の要因の一つになっている。さらに、「専門外の教員が顧問に就いた場合、適切な指導ができない」「教員の転勤で継続的な対応が難しくなる」といった指摘もある。外部人材の活用には、こうした問題点を克服できる利点がある。 



 本当に分かりにくい記事だ。
 記事が分かりにくいのか自民党案が分かりにくいのか、それすらも分かりにくい。
 しかしボヤいていても始まらないので順を追ってみてみよう。

 
自民党は、学校の運動部活動のレベル向上や安全確保のため、指導者の国家資格制度導入に向けた検討を進める。

 とりあえずここまでだと“制度”が顧問にとっていいものかどうか分からない。
 資格取得のための講習会出席は負担だが、これまで個人が行ってきた研究・研修を体系的にまとまってできるのはむしろ楽ともいえる。特に新人の顧問にとってはありがたい話だ。
 ただしベテランといわれる指導者たちにとっては面倒くさいことだろう。
 その資格取得に費用がかかるようだと、これまた教員の負担増という話になって問題だ。
 
 よくわからないので次に進む。
 
 
各種目で専門的技能を持つ外部人材を積極的に活用することで、指導内容を充実させるとともに、教員の負担軽減につなげることも狙う。
 おっとそうだったのか勘違いした。これは教員の話ではなく外部指導者の話なのだ。外部指導者を入れた際の、「あの人で大丈夫?」といった保護者・生徒・学校職員の不安を取り除くために「資格」をつくるわけだ。
 
 国家資格は教員と外部人材の双方が取得できることとし、
 え? 教員も取得できるわけ? ていうか、「指導内容の充実」という点から考えると取得しなくちゃいけにわけ? 今までバレー部の顧問だったのに新しい学校にいったらバレー部がなくて野球部に空きがあるといった場合、教員は野球指導者の資格を取りに行かなきゃいけないわけ? そのまた次の学校で水泳部となったら、水泳でもまたいかなきゃいけないわけ?
 
 
教員による部活指導は、長時間労働の要因の一つになっている。さらに、「専門外の教員が顧問に就いた場合、適切な指導ができない」「教員の転勤で継続的な対応が難しくなる」といった指摘もある。外部人材の活用には、こうした問題点を克服できる利点がある。 
 

 まったくその通りだ、と思いながら最後まで読んで、私はようやく気付く。
 この記事が分かりにくい最大の原因は、「外部人材が足りない」あるいは「ひとりもいない」という状況をまったく考えていないことにあるのだ。
 
 
 やりたい人、できる人はたくさんいるのに、『箔』がついていないばかりに十分責任を負ってもらえない、評価が低すぎる、だから彼らに資格を与えてやろう――それがこの話の基礎になっているものだ。しかしそういうものか?
 
 自民党議員には地方出身者もいると思う(もちろん皮肉だ)が、彼らは現実の学校を全く理解していない。国会議員サマは普段の学校の様子など見に来ない。
 
 
何度も言ってきたが、問題の核心は部活を任せられる外部指導者なんてものは、日本中探してもほとんどいない、ということなのだ。
 
 現在の日本の状況では、毎日16時〜19時(朝部活があれば朝の7時から8時も)、土日はどちらか半日、試合の日は終日、学校や試合会場に来て指導をする、という働き方のできる人はほとんどいない。
 普通のサラリーマンでは毎日15時退社という訳にいかないだろう。自営業だって16時からの部活に間に合うよう時間をやりくりできる人は多くないはずだ。農家のように季節によって全く異なる働き方をする職業もある。
 
 もちろん部活指導だけで生活ができるほどの給料を出せばいいのだが、原則週6日勤務、月〜金は2時間、土日の一方は4時間の実働で年収300万〜400万というのは無理だろう。一校にある部活はひとつではない。
 いったい自民党はどういう人々を念頭に置いてこの「指導者の国家資格制度」を考えているのか――首を傾げていたら昨年末の、別の新聞記事に答えの一端があった。
 
 学校の部活動や地域スポーツの活性化のため、指導者の国家資格を創設する構想が浮上している。(中略)2020年東京五輪・パラリンピック後を見据え、部活動への外部人材の登用や、引退した選手のセカンドキャリアの受け皿をつくりスポーツ振興につなげたい考えだ。毎日新聞2016年12月14日)

 
 ああそういうことなのか。
 元オリンピック選手、元パラリンピック選手ならそれくらいの給与を払う価値もあるのかもしれない。
 
 ただしそんなひとが何万人もいるわけはないだろう(部活顧問は何十万人もいる)。
 そこで普通の田舎では次のようなことになる。
 

「先生! 私らも一生懸命探したが、村に部活顧問なんてできる人はひとりもいねえんだ、もともと過疎だし。そこで悪いんだけど、先生が『部活の指導者国家資格』つうのを取ってきてくれんかね。無資格が顧問っていうのもカッコウ悪いし、ワシらも安心して任せられんからね、頼むよ」


「部活顧問の指導者国家資格」
 やめていただきたい。
 
 
 
 



2017.05.20

新たな連休「キッズウィーク」政府検討
夏休みは減る?


[朝日デジタル 5月19日]


 学校の夏休みなど長期休暇の一部を地域ごとに別の時期にまとめる大型連休「キッズウィーク」の創設を政府が検討していることが19日、わかった。大人に有給休暇の取得を促す狙いで、来年4月からの実施をめざす。政府は「働き方改革」に続き、「休み方改革」に取り組む方針で、安倍晋三首相が近く表明する。

 政府関係者によると、全国の小中高校を対象に主に夏休みの開始を遅らせたり、終了を早めたりして、別の時期にまとめて休むことを想定する。例えば、夏休み中の平日5日間を移すと、前後の土日と合わせて9連休が可能となる。

 都道府県など地域ごとに時期を移すことを想定し、仕組みを検討する。法的な措置は不要という。公立校は義務化をめざし、私立校には協力を求める方針だ。

 キッズウィークに合わせて家族が休めるよう、政府は企業に協力を求める。厚生労働省によると、企業などの有休取得率は2014年に47・6%だった。政府は20年までに70%に引き上げる目標を掲げ、キッズウィークが取得促進につながるとみる。地域ごとに大型連休ができることで、旅行需要の平準化や観光産業の活性化も期待する。(岩尾真宏)




 これとそっくりな状況が昭和の最終盤にあった。

 当時はバブル経済の爛熟期で、働けば働くだけ儲かった。そのために日本人はやたら働いた。しかしそれが親分アメリカにはすこぶる面白くない話だったのだ。
――アメリカの労働者はそんなに一生懸命働けない。

 そこでアメリカは言った。
「お前ら働き過ぎだ、こんなのフェアじゃない。なぜ日本は国際基準に合わせて週休二日制を実施しないのだ? なぜそんなに働いて、安く優れた商品を次々と生み出し、わが国を圧迫するのだ? そんな身勝手をいつまでもするようなら働き方自体を貿易障壁とみなして莫大な関税をかけるぞ!!」

 日本政府はウロタエて、企業にあの手この手の攻勢をかけたのだが、週休二日制はいっこうに進まなかった。

 そこにひとりの知恵者が現れた。
「そう言えばかつて、ドイツでは夏のバカンスが短期に集中して自慢のアウトバーンがパンクしてしまい、困った政府が州ごと学校の夏休みをずらしたことがあった。親は子どもに合わせてバカンス休暇を取るからというのが理由だったがこれがまんまと当たったそうだ。アウトバーンの渋滞は解消したうえに、混雑が嫌で旅行を控えていた人たちがリゾート地へ移動し始めた、観光地では夏のシーズンが一気に伸びて収益もあがったという、それと同じことをやったらどうだろう」

 これを文部省に計ったところ、しかし役所というのは困ったもので物事が確実でないと話が前に進まない。指定校による研究推進、成果の発表、地域を広げての研究推進とかいった具合で、放っておけば実施まで3年も4年もかかってしまう。そこで
平成3年秋、自民党文教部会は文部省を通さず「来年秋から月一回の土曜休みを始める」と一気に決めてしまったのだ。

 驚いたのは文部省だけではない、現場はさらに慌てふためいて、長く週休二日制を求めていた日教組まで「準備のないままの土曜休みは困る」と申し入れたほどだった。
 しかし事態は動く、こうして平成4年9月からは月一回、平成7年からは月二回、そして平成14年からは完全学校五日制が始まったのだ。

 もちろん「アメリカの圧力に負けて社会の週休二日制を推進するために」とは言えないので、「子どもにゆとりを与えるために五日制」という擬制を作り上げ、今でも文科省のサイトには
「子どものたちの生活全体を見直し、ゆとりのある生活の中で、子どもたちが個性を生かしながら豊かな自己実現を図ることができるよう」などと書いてある。しかし実際は上記の通りの事情があり、ドイツ同様、この目論見はまんまと成功したのだった。
 
 まずパートタイマーのお母さんたちが動いた。月一回とはいえ、休みの土曜一日を子どもだけで過ごすという恐怖に耐えられなかったのだ。
 ほどなく土曜就業の工場は深刻な人手不足に陥り、企業は次々と週休二日制を採用し始めた。

 ただし予想外のことも起こった。
 週休二日制はまず「月一回の学校五日制」―「月二回の学校五日制」―「社会の週休二日制」―「学校の完全五日制」の順に進んだため、最後の方でしばらく「子どもは学校に行っているのに親は休んでいる」という夢のような土曜日が月二回もある状況が続いたのだ。それが平成14年に奪われる。
 人々は急に不安になった。こんなに休んでばかりいて子どもの学力は大丈夫なのだろうか?
「何のためのゆとりだ」
「先生が楽をするためのめとりか!」
「夏休みをたっぷりとった上にさらに土曜日まで休みたいのか!」
とメチャクチャ叩かれたのは学校だった。週休二日を推進するための学校五日制だったなどということはもう誰も覚えていない。


 さてキッズ・ウィークだ。この記事をよく覚えおいてもらいたい。
 この計画の狙いは、
大人に有給休暇の取得を促すことであり、地域ごとに大型連休ができることで、旅行需要の平準化や観光産業の活性化を図ることなのだ(この部分はドイツの焼き直し)。
 しかも夏休みを削りとって別の時期に移すという世知辛さ。

 もしかしたら夏休みをずらしたために7月初めの冷たい海で泳ぐ家族や、お盆過ぎのクラゲだらけの海で海水浴をしなければならない家族も出て来るのかもしれない。梅雨期にキッズ・ウィークが割り当てられた県では山で次々と家族遭難が出て、9月に割り当てられた県では雷に打たれまくったりする。首都圏では住居は埼玉県の中学生が都内の私立高校に通うお兄ちゃんと家族旅行に行けない。

 もちろん10年もたてば、それなりに社会構造の変化もあって何とか定着すると思うが、それまでが大変だ。どうか、
「学校の先生たちが楽に旅行に出るためのキッズ・ウィークか!!」
といったことにならないよう願う。覚えておいてくれ。

 
本質的なことを言えば、大人を動かすために何の必要性も感じていない学校の制度をいじるというやり方が我慢ならない。
 教育には継続性と安定性が必要なのだ。先生たちは「子どもが安定して学習するためにはゴールデンウィークさえいらない」と言っているのに、政財界が「ま、そんなことはいいから金儲けのために協力してくれや。勉強の方は先生たちの頑張りで何とかすりゃいいんだから」と、そんな態度ではとてもやってはいられない。