キース・アウト (キースの逸脱) 2018年 7月 |
by キース・T・沢木
サルは木から落ちてもサルだが、選挙に落ちた議員は議員ではない。 政治的な理想や政治的野心を持つ者は、したがってどのような手段を使っても当選しておかなければならない。 落ちてしまえば、理想も何もあったものではない。 ニュースは商品である。 どんなすばらしい思想や理念も、人々の目に届かなければ何の意味もない。 ましてメディアが大衆に受け入れられない情報を流し続ければ、伝達の手段そのものを失ってしまう。 かくして商店が人々の喜ぶものだけを店先に並べるように、 メディアはさまざまな商品を並べ始めた。 甘いもの・優しいもの・受け入れやすいもの、本物そっくりのまがい物のダイヤ。 人々の妬みや個人的な怒りを一身に集めてくれる生贄 。 そこに問題が生まれれば、今度はそれをまた売ればいいだけのことだ。 |
「家族で弁当」中止も 東京・多摩の小学校ではこの春、運動会に関するお知らせが家庭に配布された。「保護者が来られない子どもに配慮するため、今年度から児童たちは弁当を教室で食べます」。この学校に子ども2人を通わせている母親(42)は「自宅が学校から遠い人もいたので、ママ友たちと子どもがいない校庭でお弁当を食べました。間抜けな光景ですよね」と振り返る。 東京都杉並区のある小学校でも、2016年度から家族での弁当が中止になり、今年度から保護者の参加競技もなくなった。父親(49)は「親がいない子どもとの差が出ないように、との配慮があると聞きました」と言う。このような変化について、同区の担当者は「実際に弁当を家族と一緒に食べる学校は減っているようです。保護者が来られない事情に配慮するのもそうですが、地区によっては、児童数の増加で家族で弁当を食べる場所がないことも原因のようです」と説明する。 「午前中だけ」増加 運動会の省力化、縮小化は、首都圏だけの現象ではない。愛知県安城市では昨年、ホームページ上に「市民の声」として「共働きの夫婦、乳幼児のいる親、母子・父子家庭の場合、更に負担が増える事に配慮し、弁当の必要のない午前中だけの運動会を市内全ての小学校でお願い申し上げます」とする意見を掲載した。 この声が届いたのか、午前中までの運動会は昨年度まで市内21校中2校だったが、今年度は9校に増えた。同市教育委員会は「時間の短縮化には賛否両論あり、親子で弁当を食べたい方も当然いるので、今後も学校が意見集約をしていくと思います」と説明する。 地方によっては、運動会を地域の一大イベントとして開催しているが、規模の縮小化は避けられそうにない。青森県の教員(28)は「子どもの数が減り、保護者参加の競技も少なくなっています。でも、地域の大事な行事なのでなるべく種目を減らさないようにしています」と打ち明ける。 「新しい意義見いださない限り縮小続く」 参加者自らが種目を作って運動会を行う「未来の運動会プロジェクト」に携わる明治大准教授の澤井和彦さん(スポーツ科学)は「共働きなど多様な家庭の在り方とその負担に学校側は配慮しなければなりません。一方、学校側には、運動会の練習時間を減らして学習時間を確保したい事情もあるようです。運動会は『する』『見る』『支える』というスポーツへのあらゆる関与形態が一度に体験できる日本の貴重な文化資産ですが、新しい価値や意義を見いださない限り縮小傾向は続くでしょう」と話している。 短い記事なのでとやかく言うほどのこともないが、ここで語られているのは保護者の要望と学校の事情だけで、本来最も重要であるべきものが完全に抜け落ちている。 それは子どもの意向と運動会の教育的意義だ。 記事では、「新しい意義見いださない限り縮小続く」などと紹介されているが、そもそも古い意義が失われたかどうかも検証されていない。もしかしたら自明のことで、私のようなおいぼれだけが理解できないのかも知れないが――。 思う運動会の意義は三つある。 ひとつは集中的な運動能力の向上である。 学習は必ずしも継続的に、地道にやればいいというものではない。例えばWordやExelなど一部のコンピュータスキルの習得は、週一ではさっぱりうまく行かないだろう。プログラミング教育などもそうである。あんなものは一気呵成にやってしまうのがいい。 しかし集中的な学習が最も向くのは、運動関係の、特に初期段階である。 私は雪国の育ちだがスキーはあまりうまくない。たまの日曜日にちょっと行って練習しただけだからだ。ところが雪のほとんど降らない首都圏の子の中に、とんでもなくうまい連中がいる。彼らは子どものころから滅多に来られないスキー場に、二泊三日くらいできて朝から晩まで練習して帰るような練習方法をとっていた。大学生などになるとスキー場近くの学生寮に泊まって6泊7日といった無茶苦茶な練習をする。だから上達もあっという間だ。それと同じである。 運動会の主要な種目、集団演技や組体操は一気呵成にやって初めて完成する。運動会で発表するという期限付きの、明確で晴れがましい目標があるからさらに集中度は高まり、質の高い練習ができる。力がつく。 それが運動会の第一の意義だ。 第二に上げられるのは、集団形成、団結力の向上ということである。 一糸乱れぬ行進だの体操だのと言うと必ず軍国主義教育だとか個人の圧殺だとか言い出す人がいるが、全体のために己を律するというのは生きて行く上で重要な能力のひとつだろう。 大人になって自分会社が立ち上げた一大プロジェクトのために、献身的に働けるというのは重要なことだ。国民や住民のために一生懸命働ける公務員は絶対に必要だ。 会社が倒産しそうな時に真っ先に逃げることを考えるサラリーマンや、火が熱いからといって遠くから見守る消防士では困る。 学年やクラス、男女の別を越えて“赤勝て”“白勝て”と声をからして応援し、自分の競技では精一杯を尽くす力、それは小学校の、いやそれ以前からつけてやりたい力である。 サッカー・ワールドカップやオリンピックの団体競技では“献身的なプレー”が称揚されるのに、運動会では全体主義との関連でしか語られないことのはやはり間違っているといえる。 三番目の意義は地域との融合である。 かつて運動会は村一番のビッグイベントであった。祭りのように屋台や露店さえ出た時代がある。 村人は地域ごと集まって応援し、昼休みは地域の子どもを集めて一緒に食事した。親のいない子、来られない子は、一緒に面倒を見るなど当たり前のことだった。子どもはあとで隣の“オバア”に叱られるのが怖くて必死に走った――そういうものだった。 さて、こうした古い運動会の意義は失われ、今、新しい意義が必要とされているのだろうか? 寡聞にして私は知らない。 今は子どもの運動能力をきちんと高めることよりも、プログラミングや英語のできる子ども育てることが大切な時代になっているのかもしれない(週一時間でそれが果たせるかどうかは知らないが)。 個の力を重要視する現代にあって、集団力というのはプロスポーツの世界でしか必要なくなってしまったのかもしれない。 地域的なつながりなど、もう太古の遺物としてまったく大切にはされない時代になってしまったのかもしれない、私の知らないうちに。 本当に嘆かわしいことである。 (追記) 勢い余ってついでに言うのだが、「親のない子に配慮して弁当をやめる」というのは運動会の時にしか出てこない不思議な話題である。 「親のない子のために遠足を半日にしましょう」とか、「社会見学ではレストランに入るようにしてください。お金は出します」とかいった話はこれまで聞いたことがない。 もちろん子ども同士が見せ合い自慢し合う弁当というものが、死ぬほど嫌いな保護者が一部にいることを私は知っている。しかも社会見学と違って、雨天延期のある運動会は、二日以上に渡って“弁当の品評会”が行われる可能性があるのだ。 一部の親はそんなとき突然「親のない子」のことを思い出す。もちろん“一部の親”の話だが。
「今でも学校を見ると、恐怖感が蘇る」 そう明かすのは、首都圏に住む30歳代男性のAさん。 1990年代初頭に通っていた公立小学校で、クラスメイトと教師による「いじめ」によって、毎日泣いて帰る日々を送ってきた。 それでもAさんは、我慢して学校に通い続けた。学校には行きたくなかったのに、親に言いくるめられて行かされる、いわゆる(不登校を許されなかった)「苦登校」経験者だ。 登校前になると、下痢などの身体症状が出始める。翌年のクラス替えによって、Aさんは少し楽になった。束の間の平和な1年だった。 ところが、次の年のクラス替えによって、再びAさんは「いじめ」に遭うようになった。登校時の下痢などの症状も再発した。 「学校では、苦しいことに耐えているだけだったので、成績も上がりませんでした。私は成績を上げるために、カフェインのドロップを取りながら、寝ないで勉強しました。そうしたらカフェインを摂取し過ぎて睡眠をとらなかったことが原因で、体調がおかしくなってしまったんです」(Aさん) Aさんへのいじめは、中学に入学してからも続いた。 中学時代になると、「死にたい」と思う気持ちが強くなっていった。でも、いざ自殺しようと思うと、涙がポロポロと出てきて止まらなくなる。自殺しようとすると思いとどまる、そんな日々が繰り返されていく。 高校に入ると、勉強のための睡眠不足からくる幻聴などに苦しみ、精神科クリニックに通った。その後、高校でもいじめが続いたため転校し、18歳で無事に卒業した。 翌年、医療機関も変えてデイケアに通うようになり、Aさんは「初めて人間らしい扱いを受けている」と感じた。 (中略) 不登校や引きこもりを 問題視する社会の「害」 Aさんは薬を一切止めてから、身体もだんだん回復してきているという。最近は、親もAさんに何も言わなくなった。 「親があまりうるさいと、殴ってしまうかもしれないという不安を抱えています。でも、親を殴ったことはありません。一度殴ってしまうと、自分の中で歯止めが効かなくなるのではと思って、辛うじて踏みとどまっているんです」(Aさん) 先日、地方の裁判所で、さんざん学校に通わせたあげく不登校に陥った被告の父親に、裁判長が「なぜ、それでも子どもを学校に行かせなかったのか?」と責める場面を見て唖然とした。 不登校や「引きこもり」という状態が問題であるかのような空気は、いまだに根強くある。しかし、学校時代、「苦登校」を続けてきたことによる後遺症のほうが、後の「生きづらさ」につながる深刻な影響をもたらしていることも忘れてはならない。 (ジャーナリスト 池上正樹) 【誰が彼の心を壊したか】 『自殺未遂を繰り返す「苦登校」の後遺症、彼の心は誰が壊したか』 タイトルが疑問形なのでその答えを探すと、最後にこうある。 不登校や「引きこもり」という状態が問題であるかのような空気は、いまだに根強くある。しかし、学校時代、「苦登校」を続けてきたことによる後遺症のほうが、後の「生きづらさ」につながる深刻な影響をもたらしていることも忘れてはならない。 つまり主人公Aさんの心は、 学校には行きたくなかったのに、親に言いくるめられて行かされる、いわゆる(不登校を許されなかった)「苦登校」 によって壊れたのであり、その後遺症が現在の「生きずらさ」につながっていると読み取れる。そして誰がその苦登校を強いたかというと、それは文中、明らかな通り、親なのである。 親さえ不登校や「引きこもり」という状態が問題であるかのような空気に飲まれず、適切な対応をしていれば、Aさんの心は壊れずにすんだ、ということだ。 しかし果たしてそうだろうか? 学校に行きたくないと言い出した小学生に、「そんなに嫌なら行かなくていいよ」といった親は、次にどうすればよかったのだろう? Aさんはいつから壊れはじめ、壊れ始めたとき親がしてあげられることは何だったのだろう? その答えはこの記事にはない。 ところでAさんが“壊れる”に至った半生はどうだったのか。大変な長文なので真ん中部分をざっくり削ったが、その流れを簡単にまとめてみる。 【経緯】 主人公のAさんの半生は悲惨だ。彼は、 1990年代初頭に通っていた公立小学校で、クラスメイトと教師による「いじめ」によって、毎日泣いて帰る日々を送ってきた、学校には行きたくなかったのに、親に言いくるめられて行かされる、いわゆる(不登校を許されなかった)「苦登校」経験者 である。 翌年のクラス替えによって、Aさんは少し楽になった。 と良い時期がなかったわけではないが、 次の年のクラス替えによって、再びAさんは「いじめ」に遭うようになった 進学すれば、 いじめは、中学に入学してからも続いた。 高校でもいじめが続いた。 と、どこに行ってもいじめの被害者である。 さらには精神的な問題も抱え始め、 高校に入ると、勉強のための睡眠不足からくる幻聴などに苦しみ、精神科クリニックに通った。 そこでも何か問題があったようで、 翌年、医療機関も変えてデイケアに通うようになり、Aさんは「初めて人間らしい扱いを受けている」と感じた。 ところがこれが曲者だった。 健康診断の血液検査を受けてみたところ、中性脂肪が異常値を示したため、内科にかかった。そこでAさんは、これまで自分が通っていた精神科がおかしかったことに気づく。 つまり「初めて人間らしい扱いを受けている」と感じた医療機関もAさんを追い詰める存在でしかなかったのだ。 そこで今度は大学病院に移るのだが、不思議なことに彼はここでダイエットや整体を始める。それが悪かったのかもしれない、体力が持たない。 就労移行支援事業所にも通ってみたものの、週3日行くことは体がもたず、体力的な問題で断念 別の精神科の病院に併設された生活訓練を受けてみた しかしこの生活訓練こそ問題で、 Aさんはゲームをつくりたかったのに、生活訓練では「ゲームをやめて仕事しろ!」と人格否定され、“ゴールの変更”を迫られる暴力的な支援が行われた のである。 我慢できなくなったAさんは役所に助けを求め、生活保護を受けるようになる。そのことで生活訓練からは無事抜け出すことに成功したが、問題は親だった。 3ヵ月ほどすると再び親の強い要望で、生活訓練に復帰させられた。 その後もAさんは、複数の「地域若者サポートステーション」に行ったり若者就業支援施設の「ジョブカフェ」に行ってみたりもしたが、さまざまな理由で拒否されてしまう。 小学校でも中学校でも高校でもいじめを受け続けたAさんだったが、社会からも両親からもひどい仕打ちを受け、今日、引きこもりの状態にある。 【ああ、無情】 想像を絶する半生である。 小学校でいじめられ、中学校でいじめられ、高校でもいじめられる、そのいじめの様相はどうだったのだろう。 一応名の知れたジャーナリストの記事だから裏取りはしてあると思うが、特に小学校でクラスメイトと教師が一緒になっていじめたというのが私には信じがたい。確かに教師は児童の前にハードルを置いてやりたくないこともやらせたりするが、基本的に子どもをいじめて楽しむ教師はめったにいないはずだからだ。 それでも何万分の一かの不幸でAさんの教師はそうだったとしても、その後も別のクラスでいじめられ、中学校でも高校でもいじめられとなると、何か特殊な事情があったとしか思えない。しかも親がいじめ、医師たちも妙な薬を処方したり人格否定や暴力的な支援をしたりでAさんを追い詰めるのだ。 Aさんはその後もドクターショッピングのように病院を変え、就労移行支援事業所に行ったり複数の「地域若者サポートステーション」に行ったり、若者就業支援施設の「ジョブカフェ」にも関係を持ち、障害年金を申請し、生活保護を受けたりする。そしてその悉くから排斥され、あるいはAさん自身が拒否して今日に至る。 ああ世の中にはこれほどたくさんの支援組織があるのだと改めて感心するが、それでもAさんを救うには能わず、記事の筆者に言わせると制度の谷間に置き去りにされという事になる。そうなるとさらに丁寧な福祉制度が必要となるが、さて、それはどんなものだろう? 【再び問う、誰が彼の心を壊したか】 Aさん自身がこの質問に答えている。 「まずは精神科が関わらない居場所が欲しい。そして、自分の決めたゴールに沿った支援が欲しい」 なるほど。余計なことはしなくていい、ダイエットだとか整体だとか、あるいはゲーム作りだとか、自分のやりたいことをきちんと支える支援が必要ということだ。私には到底不可能なことのように思えるが、言葉を無批判で引用している以上、筆者もこのアイデアに肯定的なのだろう。 親に対しては、 「心配されてもうっとうしいので、もう何も言わないでほしい。そばに親がいるだけで疲れる。お金を返してくれたら、そのまま出ていって縁を切りたい」 見ただけでイラっとするような話だ。しかし筆者はこれにもあまり引っかからない。 Aさんはさらに言う。 「親は、考えることを面倒くさがった。学校は、子どもの特性に合わせることを面倒くさがった。精神医学が、薬以外の治療を面倒くさがった。その他の支援者や家族に向き合うことを面倒くさがった。身動きが取れない状態に陥った当事者自身が、助かることを面倒くさがることもある。“面倒くさい”が重なった結果、引きこもっていることを知ってほしい」 自分が面倒くさがったのは事実かもしれないが、親や学校や精神科医がこぞってAさんとの対応を面倒くさがったというのは、Aさんの誤解でなければ、ほんとうにAさん自身が「面倒くさい人」なのかもしれない。 【ことはそう簡単ではない】 私はAさんに文句を言いたいのではない。腹を立てているのはこの記事を書いている池上氏に対してである。 ジャーナリズムの使命は、とりあえず弱者の側に立つことである。 しかしだからと言って弱者が必ず正しいとするのも、弱者の前に世界はひざまづくべきだと主張するのも間違っている。 社会は弱者を守らなければならないが、弱者も己の持てる力をもって十分に戦わなければならない。 学校が悪い、教師が悪い、親が悪い、社会制度が悪いと言い続けてもそれで何かが好転するわけではない。弱者の側から学校に、教師に、親に、そして社会制度に近づいていかなければ事態が望ましい方向に変わるはずがない。 どんな世界も、特定の彼だけのために学校を造ったり教師を用意したり、親を変えたり社会制度を変えたりはできない、その程度のことは誰だって分かる。 それにも関わらず、“学校に行きたがらない子に登校を強制しさえしなければすべてはうまく行く”“悪いのは本人ではない、登校を強要した親なのだ、社会はそんな彼にふさわしい制度を”といい続けるのは、一部の人々に迎合してそれで稼ごうとするポピュリズムの行うことである。 そんな無茶な言辞で人々を惑わす、池上正樹はその責任の重さに気づいているのだろうか。
「学校教育の場で尊い命が失われた。深くおわび申し上げます」。17日夕、男児が亡くなった市立梅坪小の籔下隆校長と鈴木直樹・市教育委員会学校教育課長が記者会見の冒頭で謝罪した。亡くなった児童のほかにも、3人の女子児童が体調不良を訴えた。 会見で2人は「水分は補給するよう声はかけていた」「健康は異常がないか事前に確認した」と釈明。これまで、校外学習で大きな問題は起きていなかったという。 籔下校長は校外学習の目的が「虫捕り」であり、夏に実施した点は「問題はない」としつつ、「こういう結果になったことは判断が甘かったと痛感している」と声をつまらせた。 鈴木課長は「再発防止に努めたい」と語ったが、高温注意情報は夏に出ることが多く、発表後にすべての学校行事を中止するのは現実的に難しい、とも。「まず十分な安全配慮をするよう指導していきたい」と強調した。 熱中症に詳しい兵庫医科大特別招聘(しょうへい)教授の服部益治さんは「過去に熱中症が起きなかったから大丈夫という考えは、捨てないといけない」と訴える。「命は他のなにものにも代えられない。高温注意情報が出たときは原則、炎天下の外に出ず、野外活動は中止すべきだ」 子どもや高齢者は、水分をためておく筋肉の量が少ないため熱中症になりやすい。服部さんは、最高気温に5度足して判断すべきだと指摘。背が低く路面に近い子どもは野外で照り返しをまともに受けるうえ、気温が35度でも体感温度は40度近いという。 服部さんは「午前10時時点で28度以上で、高湿度で風がないときは、エアコンのある教室にとどまるなど、勇気ある判断をしてほしい」と語る。 環境省は、熱中症予防情報サイトで「暑さ指数」を公表している。気温や湿度、日射などから算出する指標で、豊田市は17日午前10時から熱中症の危険性が最も高い「危険」な指数に達していた。サイトでは「危険」指数時の運動指針として、「特別の場合以外は運動を中止する。特に子どもの場合は中止すべき」と明記している。 暑さ指数予測は2日先までサイト(http://www.wbgt.env.go.jp別ウインドウで開きます)で確認できる。環境省の担当者は「事前に参考にして外での活動を控えるなど行動を変えてもらいたい」と話している。 【児童生徒が死なない限り、たいていのことは何とかなるが】 学校というところは毎日毎時間なにかしら事件の起こるところである。 子どもにケガをさせてしまった、言葉で子どもを傷つけてしまった、子どもを叱ったまま後始末もせずに帰宅させてしまった等々、気にしはじめたらきりがない。 校外活動に出れば側溝に落ちる子もいるし、畑仕事の最中に喧嘩になってシャベルで友だちを殴ってしまう子もいる。剣道の授業で片足を踏み込んだだけで足の親指を骨折してしまう子もいる。 そうなると「絶対安全・安心」を目指すなら何もしないに限るということになるが、そういうわけにはいかないだろう。 どこかに境界線を設け、これだけは子どもにも自分にも許さない、これだけは死守するというふうにしておかないと身も心も持たない。 私の場合、その境界線はかなりレベルの低いものだった。 「児童生徒が死ななきゃいい」 もちろん重大なケガ等もダメに決まっているが、一応「死ななきゃいいや、後のことはたいてい何とかなる」と自分を励ましながら頑張ってきたのである。 逆に言うと今回の豊田市の例や大阪北部地震のブロック塀の件は、子どもが亡くなったというだけで完全にアウトだ。言い訳も通用しない。取り返しのつくことではない。 しかしどうしてこんなことになってしまったのだろう。 【学校は頑張らせるところ】 ひとつは「学校は頑張らせるところ」だからだ。 九九を覚えるのがつらい、逆上がりの練習が苦しいからといって「じゃあやめましょう」ということにはならない。 九九ができなければその先の「大きな数の計算」だとか「小数のかけ算」だとか、あるいは方程式だとか関数だとか、算数数学のあれもこれもできなくなって本当に苦しい将来が待っている。 逆上がりはできなくてもいいが、それらの基本運動がどれもこれもダメだとなると中学校の運動部で活躍する機会も大人になってみんなでスポーツを楽しむといったこともできなくなってしまう。 それを考えるから教師もついついきつくなる。 子どもたちの“今の人権”も大事だが“将来の人権”も大切なのだ。 教師たちは常に二つの人権の間で計算を繰り返している。どちらか片方があまりにも過重になってもいけない。 【校外活動は過重だったか】 今回の豊田市の例について言えば「子どもが死ぬかもしれない」と分かっていたら絶対に出かけはしなかった、それはすべての人にとって了解できることだろう。 帽子着用など服装にも気を配った、 健康に異状はないか事前血確認した、 水筒を持たせて繰り返し水分補給をするよう呼び掛けた、 現地での活動時間をわずか30分に留め、早々に帰校した。 どれもこれもしかるべき通常の対応である。 しかし、 子どもはすぐに「疲れた」と言うからいちいち反応してはいけない、 酷暑の校外活動はこれまで何回も経験している、 といった“これまでの普通の考え方”は今回通用しなかった。 記事にあるような 子どもや高齢者は、水分をためておく筋肉の量が少ないため熱中症になりやすい。 最高気温に5度足して判断すべきだ。 背が低く路面に近い子どもは野外で照り返しをまともに受けるうえ、気温が35度でも体感温度は40度近い といったことには知識がなかった。 通常、学校は「雨天順延」というBプランは用意するが「高温順延」というBプランはない。これだけ「生命にかかわるほど危険な暑さ」という報道がなされている中で、そこにも問題はあったろう。 夏休み直前で日がないため“延期”という決定もしにくかったのかもしれない。 しかしそうした説明の一切も、“子どもの死”という圧倒的な事実の前には意味を成さない。子どもを死なせてしまったら何もかもおしまいなのだ。 学校と教育委員会は責任を取り、他の学校はこれを他山の石として自校の学校運営に生かすしかないだろう。それが失われた命を意味あるものとする唯一の道である。 【ところで話は変わるが】 ところで話は変わるが、タイトルにもなっている 「エアコンある教室にとどまる勇気を」 学校現場に疎い大学教授が言うのは仕方ないにしても、大新聞「朝日」が電話一本で済む確認をなぜ怠ったのか。 豊田市立梅坪小学校の普通教室にはエアコンはない。愛知県全体でも普通教室のエアコン普及率は35.7% しかないのだ(H29文科省「公立学校施設の空調(冷房)設備設置状況調査の結果について」)。 そのことを念頭においてもう一度記事のタイトルを読み直すと実にむなしい。 「エアコンある教室にとどまる勇気を」 なるほどね。 (追記) 上の記事は17日午前に書いたが、その日の午後に至って当の朝日新聞に「梅坪小にはエアコンがなかった」ことを示す記事が出た。もちろん朝日が独自に調査したわけではない。豊田市が小学校のエアコン設置計画を前倒しで行うと決めて発表したからだ。それでエアコンのないことに気づいた。 いつもながらマスメディアはいい加減なものである。 2018.07.18「小1の熱中症死、豊田市が小学校のエアコン設置前倒しへ」
最高気温が40度近くになるという記録的な猛暑というのに、エアコンのない教室も多い。それだけでなく、登下校中の水筒の使用が禁止されたり、休み時間には外遊びを強要されたりといった、今となっては“危険”なルールが放置される学校もある。 小学生の子どもを持つ母親たちへの取材で見えてきたのは、サバイバルゲームのような過酷な実態だった。 (以下略) 【学校サバイバルゲーム】 サバイバルゲームのような過酷な実態とは穏やかでない。 何事かと思って先を読むと朝日デジタルからの引用。 ひとつは豊田市の事故の翌日に宮城名取市で行われた市制60周年を記念する空撮で、小学校38人が熱中症の症状を訴えて病院に搬送された件。もうひとつが東京都立高校の体育館で行われた「詐欺被害防止に関する講演会」で25人が熱中症のような症状を訴えて10人が病院に搬送された件。その二つ。 あとは保護者から聞いた「サバイバルゲームのような過酷な実態」の延々たる羅列である。 学校に持って行っていい水筒の中身はお茶か水でスポーツドリンクが許されていない。 片道15分の登下校の途中で水筒の中身を飲むことが許されていない。 筆者は問う。 子どもが喉が乾いたと感じたら自分の判断で飲んでもいい、となぜルールを変えられないのだろうか。 取材で出た二つ目の疑問はプール使用に関するもの。 プールは屋上にあり、日差しが強い。にも関わらず、日焼け止めを塗ることも、肌を守り体温調節をするためのラッシュガードを羽織ることも「原則禁止」されている。(中略) 不安になっため、連絡帳を通じてラッシュガードの着用を申し出た。学校からの承諾は得たものの、息子は「みんなが着てないから嫌だ」と、着用には消極的なままだ。 体調が悪いときはプールサイドで見学しないといけないのも気がかりだ。 他にも心配の声は続々と出てくる。 「天気の良い日」は「風邪などで具合の悪い児童以外」は外で遊ぶよう指導されている(中略)しかも、先生からは通知表などの成績には関係ないけれど、外遊びをしない場合は評価を下げると言われているようで、子どもたちも拒否しずらい状況のようなんです ハア。 【もはやジャーナリズムは公平性も正確性も求めない】 こうして確認すると、筆者は朝日新聞デジタルの二つの記事と、学校に不満を持つA、B、C、三人のお母さんの証言、そして、 ツイッターにも、プールを日向で見学していて気分が悪くなったり、生理でプールに入れない代わりに校庭を走らされるなどの投稿が数多くあった。 というように若干のSNSを参考にこの記事を書きあげたことが分かる。 書いたのは元テレビディレクター、AERA記者を経て現在BUSINESS INSIDER JAPANの記者をやっている竹下 郁子という人らしいのだが、すでに何年もジャーナリズムの世界にいながら、批判する側だけでなく、される側の意見も聞いてバランスをとるという当たり前の手法になぜ気づかなかったのだろう? 場合によれば電話一本でも済む話ではないか。私に訊いてくれてもよかった。 この程度の疑問、三流教員だった私ですら簡単に答えられる。もしかしたら竹下記者自身でさえ答えを握っているのかもしれないが。 それを敢えて書かないのは、公平な記事よりも一方的で扇情的な記事の方が売れるからだ。「そうよ、そうそう。私もそう思っていた!」みたいな内容の方が、多くの読者を引き寄せると分かっているからだ。 だがそれでは世の中をよくすることはできるだろうか。 【学校のきまりの、ごく常識的なそのわけ】 登下校の最中に水筒の水を飲んではいけない理由は、実際に子どもが飲むときの様子を見てみると分かる。 小学生なんて登下校の際中に適切な場所で日陰を探し、ランドセルを下ろして座り、水筒の水をコップに移して静かに飲む、なんてことはしない。できる子もいるがその反対側で、乱暴な男の子たちはラッパ飲みで、足元も車の行き来も見ずに歩いていくのだ。これが、喉が乾いたと感じたら自分の判断で飲んでもいいとされた場合の子どもの姿だ。危なくないか? 教師は思う。 のどが渇きそうだったら学校を出る前に飲んで、家についてからまた飲めばいいじゃないか。その15分がなぜ我慢できない。15分の間に熱中症で倒れる危険性より、飲んだり歩いたり飲んだり歩いたりして日向を30分もかけて帰ることの方がよほど危険じゃないか。交通事故や不審者対策の面からも、子どもはさっさと家に帰らなければならない。 そう考える教師の立場は、さほど間違ったものではないと思う。 日焼け止めクリームは普通の公営プールでも禁止しているところ多いと思う。許される場合でも「水に入る際はシャワーで流して」というふうに日焼け止めの成分が水に溶け込むことを嫌う。 水質汚染の問題だとか浄化槽のフィルター保護のためだとかさまざまに説明はあるが、学校の場合、一番の理由は「時間」だ。 とにかく水着に着替えさせて、それまで着ていた服が分からなくならないように整理させプールに連れていくまでが一苦労。終わって着替え、濡れた水着やタオルをきちんと絞って袋に入れ直すのもの一苦労。 その間に日焼け止めクリームを塗る時間を確保しようとしたものなら、5分10分はあっという間に過ぎてしまう。わずか45分しかない「プールの時間」が瞬く間に消費されてしまう。 さらに学校の場合、10分泳いだら5分休むというふうに健康管理と安全確保をきちんと行うが、そのたびに日焼け止めクリームを塗ってラッシュガードを被るなんて、気の毒で子どもにさせられない。しかもモタモタした子は「休憩」のたびに先生に叱られる。 「こら! いつまでクリーム塗ってんだ!」 「ラッシュガードを早く脱いで、自分の場所に置いてすぐにこっちへ来い!」 「そんなところに置いたらまた自分のやつがどれか分からなくなっちゃうだろ」 「オマエ、さっきも遅れてみんなを待たせたじゃないか」 「こら! クリームをぼたぼた地面に落とすんじゃない!」 「誰だァ? ここに置きっ放しにしたやつは!」 叱られる子はいつも同じだ。それも可哀そうだ。 別の問題、 「天気の良い日」は「風邪などで具合の悪い児童以外」は外で遊ぶよう指導されている そりゃ冬の話だろう。熱中症が心配なほどの炎天下に外に出ろという担任がいたら、暴行罪か何かで訴えればいい。 成績には関係ないけれど(中略)評価を下げる こんな意味不明の発言をする教師は、心配だからやはりそれとなく校長先生に知らせておいた方がいい。 いずれにしろ学校に確認すれば、ほとんどの疑問には納得できる答えが返ってくるはずだ。もちろん学校に落ち度があれば直してもらえばいい。 【学校を信じないことにどれほどメリットがあるのか】 いつも言っている通り、私は教育委員会も学校も教員も信じている。というより日本人を信じている。 教師も医者も公務員も、大きな企業も町々の商店も工場も、基本的に良き仕事をして他人の役に立ちたいと思っている、そういう人ばかりによってこの国は運営されていると思う。 日本国内にいる限り、人を信じる方が疑ってかかるより有益だ。 世界は私のために何もしてくれない、どうも悪人がはびこっていそうだ、明日はとんでもない災厄が私の身に降りかかる・・・そんなことを考えて暮らす日々は、苦しく辛い。 学校の問題、危険、不全を、確認することなく言い募り、不安を煽って記事を売る。その結果人々が不信感でいっぱいになってまた情報を求め、ネット検索を始める・・・。 今回引用した記事の最後の部分はこうだ。 「子どもが帰って来ないかもしれないと思うと、仕事をしていても気が気じゃありません。午後1時から3時くらいの間に学校は終わるのですが、あの炎天下に下校するのは本当に危険ですよね。専業主婦のお母さんたちは迎えに行ってますが、私は働いているのでそれもできなくて。放課後は学童保育に行っているからいいのですが、4年生以降は学童もないのでどうしたらいいか不安です。子どもの命より大切なものなんてない。学校はこの問題にしっかり向き合って欲しいと思います」 こんなふうに思って暮らす日々、そんな想いで続ける子育ては、たしかに苦しいに違いない。 |