キース・アウト
(キースの逸脱)

2018年 8月

by   キース・T・沢木

サルは木から落ちてもサルだが、選挙に落ちた議員は議員ではない。
政治的な理想や政治的野心を持つ者は、したがってどのような手段を使っても当選しておかなければならない。
落ちてしまえば、理想も何もあったものではない。

ニュースは商品である。
どんなすばらしい思想や理念も、人々の目に届かなければ何の意味もない。
ましてメディアが大衆に受け入れられない情報を流し続ければ、伝達の手段そのものを失ってしまう。

かくして商店が人々の喜ぶものだけを店先に並べるように、 メディアはさまざまな商品を並べ始めた。
甘いもの・優しいもの・受け入れやすいもの本物そっくりのまがい物のダイヤ
人々の妬みや個人的な怒りを一身に集めてくれる生贄
そこに問題が生まれれば、今度はそれをまた売ればいいだけのことだ。

















2018.08.22

「ドイツ人は残業しない」説の大いなる誤解
みんなが休暇1カ月取っても回る本当の意味


[東洋経済ONLINE 8月22日]


「ドイツには残業がないのに経済は好調だ。みんな1カ月休暇を取っても問題なく仕事が回るのはさすが」――日本では、こんな通説が語られることがありますが、わたしは首をかしげてしまいます。

残業をしないのなら、場合によっては納期を守らず仕事を放置して帰宅することになります。それが「経済大国ドイツの日常」ということでしょうか??それともドイツには、誰も残業をしなくて済むような神がかり的なマネージメント能力をもった人が各部署にいるのでしょうか??その人が 1カ月いなくても仕事が問題なく回るのなら、なぜ企業はその人を雇っているのでしょうか?


ドイツ人は残業する
日本でさかんに取り沙汰されている働き方改革の話をするとき、「ヨーロッパではこれだけ休む」だとか、「ヨーロッパでは誰も残業しない」という話題をよく耳にします。

日本で問題があったら欧米を参考にしよう、というのはよくある流れですが、働き方に関しては「ドイツがあまりに美化されすぎている」と言わざるをえません。

ドイツには残業がまったくないかのような話は、その典型でしょう。拙著『日本人とドイツ人 比べてみたらどっちもどっち』にも詳しく書きましたが、改めてご説明します。

実際のところ、ドイツはEUのなかでも残業が多い国として知られています。ドイツに来たばかりのわたしは「日本は残業ばかりだけどドイツは残業がないんでしょう?」なんて言っていましたが、返事はいつも「するよ?」「うん、するする」というものでした。

わたしが知る限り、「残業なんて絶対しません」と言う人はだれひとりとしていません。IAB(ドイツ労働市場・職業研究所)へ取材に行ったときも、「日本ではドイツがそんなふうに思われているのですか?」と驚かれました。

わたしのパートナーはインターン生でありながらしょっちゅう残業をしていましたし、残業のせいで飲み会に遅れてくる友人だっています。「サービス残業」だって立派に存在しています。事実、わたしがワーキングホリデー中に働いていたレストランでは、帰宅できなくなる時間までサービス残業をさせられました。


BAuA(Bundesanstalt f?r Arbeitsschutz und Arbeitsmedizin)の統計では、フルタイム勤務者は平均して週43.5時間働いていることになっています。さらに内訳を見ると週に48時間から59時間働いている人が13%、60時間以上が4%となっているので、単純計算でだいたい5人に1人は週48時間以上働いていることになります。

残業時間でいえば、フルタイムの男性労働者のうち7割は週の残業が5時間以下ですが、19%は5時間から10時間、11%が10時間以上残業しています(女性だとほんの少し残業時間が短くなります)。つまり、5人に1人は月20〜40時間、10人に1人は月40時間以上の残業をしている計算なんです。

もちろん、すべての残業に確実に残業代が支払われているわけではありません。


出世したければ残業もする
いくら「ドイツだから」といっても、終わらせなくてはいけない仕事があるのにみんながみんな仕事を放り投げて家に帰るはずがありません。

確かに、「わたしは帰ります」と権利を主張する人は日本よりもいますし、実際に仕事を放り投げて定時帰宅することも可能でしょう。でも問題は、そういう人が上司や会社に評価されるか、ということです。

そういう人を積極的に評価はしない、大事な仕事は任せたくない、というのは日本人に限った考え方ではありません。誰だって「終わらなかったけど帰ります」と言う人より、「頑張って終わらせます」と言う人と仕事をしたいと思うものですから。

そして、「稼ぎたい、昇進したい、上司に認められたい」という人は、積極的に残業してでも結果を残そうとします。その「熱意」と「成果」によって、出世街道への切符を手に入れるのです(もちろん学歴などの要素も絡んできますが)。これもまた多分、万国共通でしょう。成果を求められる管理職は、残業時間が多い傾向にあります。

ドイツを「実力主義の国」だと思っている人が多いようですが、それならば成果を出すために必死になる人がいて当然だということもまた、想像できるのです。

ただ、ドイツにおける残業というのは、あくまで自分やチームの仕事を終わらせるためにするものなので、付き合いや理不尽な要求によるものは少ない、という側面はあるかもしれません。

そしてドイツでは、「今日2時間残業したから明日2時間早く帰る」といった「労働時間貯蓄制度」が浸透しています。

そういう意味で、ドイツの残業は昔ながらの日本の残業と少しちがった性質をもっている、とは言えるでしょう。


権利と不便は表裏一体
欧米の有給休暇消化率を踏まえて、日本もそれに見習おうという意見も目にします。

たしかに長期休暇、バカンスはヨーロッパの多くの国で認められた権利です。ドイツもまた、毎年1カ月の休暇を取る国としても知られています。

でもその数字だけを見て「みんな休暇を取っても仕事が回る。さすがドイツ!」なんていう主張には、ちょっとツッコミを入れたくなってしまいます。

誰かが休暇を取れば、仕事は滞ります。バカンスに最適な夏はとくに、オフィスがガラガラになります。この前なんて、税務署に行ったら租税条約の担当者と確定申告の担当者が両方休暇中で、その後に行った歯医者もまた休暇で閉まっていて、処方箋をもらおうとホームドクターのところへ行ったら、彼女もまた休暇中でした。ちなみに、たまに行くカフェもお休みだったし、駅に入っている安いアジアンレストランも閉まっていました。

「みんな休暇が取れていいじゃないか」というのは、あくまで自分が休暇を取る側の話です。仕事を依頼した側、ユーザー側に立ってみましょう。バカンスのせいで全然仕事が回っておらず、手続きがなにも進まない。担当主義なので、「それは担当者じゃないとわからない。担当者が帰ってくるのは1カ月後」と言われる。これが、「休暇が取れるドイツの姿」なのです。

「みんなが休暇を取っても仕事が回っている」なんて大真面目に言う人がいますが、ちょっと考えてみればいろんな弊害があることを想像できると思います。

もし日本で同じことをしたら、「いいから担当者を出せ」と電話口で怒鳴り散らすお客が現れて慌てて休暇中の人に連絡を取り、休日出勤になるかもしれません。SNSで名指し批判され「やっぱり休むことは悪いことなんだ」という空気になることだって考えられます。

ドイツでそういうことが起こらないのは、客を含めたみんなが「お互い様」だと諦めている、割り切っているからにすぎません。自分が休む権利を行使するからこそ、他人が休んでいることに理解を示す。それだけであって、休暇を取る人ばかりでも問題なく、いつもと同じように仕事が進むなんてことはないのです。いてもいなくてもいいような人であれば、企業はその人を雇う意味がないのですから。


日本は休みづらいが便利な国
日本は労働者が休みづらい国です。その代わり、いつでも便利です。担当者がいるし、店は開いている。ドイツは労働者が休みやすいけれども、不便なことがたくさんあります。

自分もまわりも休めないが便利な日本。自分もまわりも休むが不便なドイツ。日本とドイツの働き方の差は、どこに価値を置くかのちがいです。

自分は休むけれどまわりは休まず働いている便利な社会などありません。休暇が取れる国をうらやむのであれば、それだけの不便さを受け入れる覚悟が必要になります。
『日本人とドイツ人?比べてみたらどっちもどっち』(新潮新書)。書影をクリックするとアマゾンのサイトにジャンプします

すべてがうまくいっている理想郷など、どこにも存在しません。いいところがあれば当然、悪いところもあります。たしかにドイツは労働者の権利に敏感で労働組合の影響力も強いですが、必要に応じて残業する人はいますし、それが無給であることもあります。たしかにバカンスには行けますが、そのぶん不便になります。

そういった背景を無視して一部分だけを過剰に美化して、ありもしない「理想の働き方」を追い求めるのはちょっとちがうんじゃないか、と思ってしまいます。

どこかの国を見習うならばその背景や問題点を見落としてはならないですし、その背景があまりにも違いすぎている場合、見習うよりも日本に合った改善策を考えたほうが現実的なのではないか、というのが率直な気持ちです。



 私はこういう記事を大切にしたいと思う。中にもあるが、
 
日本で問題があったら欧米を参考にしよう、というのはよくある流れ
 で、しかしそこで語られる「欧米」が本物であるか、本物だとしても解釈はその通りであるかどうかは別の話である。
 
 私は若いころ(というか子どものころ)、テレビに出る人や著書を出すひとは嘘をつかないと思っていた。何十万、あるいは何百万人もの視聴者を相手に嘘がばれたら、それこそ恥ずかしくて生きて行けないだろうと思っていたからである。しかし違っていた。
 
テレビに出てくるような人も嘘をつく、しかもしばしば平気で荒唐無稽な嘘を語る。

 例えば「ヨーロッパ人は古い家具などをとても大切にする」は半ば本当だろう。しかし「エコロジーの意識が高いので」という文脈で語られるならそれは嘘だ。ヨーロッパの古い町並みはいずれも強固な石造りで、これを新しい建物と取り換えようとしたら建築費と同じくらいの解体・撤去費がかかってしまうに違いない。
 だから古い街並みや建物が残る。そして古い建物には古い家具がよく似合うのだ。
 日本はそういうわけにはいかない。建物の大部分は木造か鉄筋コンクリートで50年ももてばいいくらいだ。最長で50年ごとに更新される。すると家具も調度品も新調したくなる。ただそれだけのことだ。別に新しい物好きだとか無駄遣いの民というわけではない。
 
 最近はテレビをつければ日本礼賛だがほんの数年前まで、評論家の仕事は、
「だから日本は(日本人は)ダメなんだ」とか、
「そんなことをしているのは日本人だけです」とか、
「そういうことに関して、日本は欧米から20年は遅れている」と、
欧米を引き合いに日本や日本人をバカ扱いするのが主たる仕事だった。そのたびに私は、自分に可能な限り調べて「本当にそうなのか」「そうだとして解釈はあっているのか」を確認するようにして来た。
 今回取り上げた記事も、そうした私の態度によく沿うものである。

* わたしが知る限り、「残業なんて絶対しません」と言う人はだれひとりとしていません。
* 5人に1人は月20〜40時間、10人に1人は月40時間以上の残業をしている計算
* 誰だって「終わらなかったけど帰ります」と言う人より、「頑張って終わらせます」と言う人と仕事をしたいと思うものです
* 「稼ぎたい、昇進したい、上司に認められたい」という人は、積極的に残業してでも結果を残そうとします。
 

 確かにその通りだろう。その方が人間の本性に合っているし、ドイツの経済発展の説明にもなる。
 
 ヨーロッパ人は一か月に及ぶ夏季休暇を取って英気を養っている。それは間違いではないらしい。しかしそれが「効率の良い産業システムを持っているからだ」と説明するのは明らかな嘘だ。記事はこれについて非常に納得のいく説明をしている。
 
 「みんな休暇が取れていいじゃないか」というのは、あくまで自分が休暇を取る側の話です。仕事を依頼した側、ユーザー側に立ってみましょう。バカンスのせいで全然仕事が回っておらず、手続きがなにも進まない。担当主義なので、「それは担当者じゃないとわからない。担当者が帰ってくるのは1カ月後」と言われる。これが、「休暇が取れるドイツの姿」なのです。
 
 日本は労働者が休みづらい国です。その代わり、いつでも便利です。担当者がいるし、店は開いている。ドイツは労働者が休みやすいけれども、不便なことがたくさんあります。

 
 そういうものだろう。
 よく覚えていて、誰かが、
「一か月以上の夏季休暇が取れるのは、ヨーロッパの人々が高い意識と効率的な産業構造を造り上げているからだ」
と言い出したら、すかさず切り返してやろう。

 そんなことはない。
 
自分が休む権利を行使するからこそ、他人が休んでいることに理解を示す。それだけであって、休暇を取る人ばかりでも問題なく、いつもと同じように仕事が進むなんてことはないのです。
 






2018.08.25

子どもの安全対策強化
文科省が危機管理の新研修開発へ


[NHK 8月25日]


愛知県の男子児童が熱中症で死亡したことなどを受け、文部科学省は子どもたちの安全対策を強化するため、来年度、公立の小中学校の教員に危機管理対応を学んでもらう新たな研修プログラムの開発に取り組む方針です。

愛知県豊田市で、先月、小学1年生の男子児童が熱中症で死亡したことなどを受け、文部科学省は、来年度、子どもたちの安全対策を強化することにしています。

その一環として、大規模な地震をはじめとした災害や、熱中症への警戒が必要な暑さなどに備えて、公立の小中学校の教員に、危機管理対応を学んでもらう新たな研修プログラムの開発に取り組む方針です。

研修は、校長などの管理職、中堅教員、若手教員の3つにわけて行われる見通しで、文部科学省は、来年度予算案の概算要求に、必要経費として、2億円余りを計上することにしています。

また、公立の小中学校や特別支援学校に通う、医療的なケアが必要な子どもに対応するため、来年度、学校に常駐する看護師を、現在の1500人から300人増やす方針です。



 もちろん良いことだ。
 
大規模な地震をはじめとした災害や、熱中症への警戒が必要な暑さなどに備えて
 ――確かに、いざという時に何も知らないようでは話にならない。知識の欠如が児童生徒の命に直結することだってある。転ばぬ先の杖。こうした研修は実にありがたい。――しかし
それはそれで仕事が一つ増えたことにならないか? 研修に向かう往復の時間を考えると、最低一日は学校を空けなくてはならない。その日やるべきだった普通の仕事は、いつやったらいいのだろう?
 
「教員の働き方改革」と言いながら仕事は次々と増えていく。
「権平が種まきゃカラスがほじくる」というがカラスのほじくる速度の速いようでは種まきはいつまでたっても終わらない。しかし学校のカラスは善意と正義によって種をほじくっているのだから誰も止められない。
 振り返ってみれば
「部活を減らして他の仕事をもっとしろ」というのが働き方改革の趣旨なのだ。

*もっともこの記事の内容、まだ
来年度予算案の概算要求に、必要経費として、2億円余りを計上することにしています
という段階なのだ。
「文科省、本気で児童生徒のことを考えているな、教育のためにがんばっているな」
と思わせて結局、
「予算が通りませんでした」
「めどが立ちませんでした」
で終わることがしょっちゅうある。

 しかし「やっぱりダメでした」まで追跡・確認する人はあまりいないので、文科省の印象はいつまでも良いまま――そういうことも少なくない。
 もしかしたら最初からできないと承知の上での印象操作かもしれない。
 だったらいちいち心配する必要もない・・・か。







2018.08.29

全国学力テスト事前練習に追われる学校現場授業が進まない

[Yahoo Japan ニュース 8月29日]


内田良|名古屋大学大学院教育発達科学研究科・准教授


 全国学力テストの結果が先月末に公表され、各自治体が一喜一憂している。

 大阪市では、今月2日に吉村洋文市長が、各校の結果を、校長や教員のボーナスなどに反映させたい旨を明らかにした(8/2産経新聞)。これを受けて25日には、市民団体が抗議声明文を市教委に提出するという動きも起きている(8/25毎日新聞)。

 全国学力テストは、都道府県間の競争を過熱させる。報道では、都道府県別の順位や得点に注目が集まっているが、ひとたび学校現場に目を移すと、得点をあげることに翻弄される学校現場の姿が見えてくる。


■「翌年から地獄が始まりました」

 文部科学省による全国学力テスト(正式名称は「全国学力・学習状況調査」)は、2007年度に始まった。

 毎年4月下旬頃に実施され、小学6年生と中学3年生の全員が対象とされている[注1]。例年の国語と算数(数学)にくわえて、2018年度は理科も実施された。文部科学省は、都道府県別と政令市別の平均正答率を公表している。

 ある成績上位県の公立小学校に勤務する教員が、十数年つづく全国学力テストを、こう振り返った。

 2007年の第1回目のとき、うちの県はけっこう成績がよかったんです。「自分たちがやってきたことは、間違いじゃなかったんだ」と、率直にうれしかったです。でも、翌年からは地獄が始まりました。
出典:筆者による聞き取り(2017年10月)

 全国学力テストといえば、成績上位の自治体は褒めあげられて、下位の自治体は締め付けられるというのが定番だ。

 先の大阪市の対応はそれを象徴するものである。大阪市は2年つづけて政令市のなかで最下位であった。最下位を脱するべく、行政が学校現場に重圧をかける。

 ところが成績上位の自治体においても、上位を維持するために学校現場には重圧がかけられる。上記の教員は、「一年中、学力テストに追い回されている」と嘆く。成績が上位だろうと下位だろうと、全国の自治体が全国学力テストの結果に翻弄されている。

(以下略)

 記事の内容は
 
都道府県の得点が公表され、しかも各都道府県によっては市町村別の、さらには各市町村によっては学校別の得点が公表されることもある。
という状況で、
 
首長や教育長、学校長は、点数を少しでも高くするべく、学校現場に対して、無言のまたは具体的な重圧をかけていく。
 その結果
 例えば、岩手県は、
 
小学校では69.1%が、中学校では31.0%が、事前練習をおこなっている
 
 毎年成績が上位である石川県では、
 4月の始業式から全国学力テストの本番までに、授業中に過去問に取り組む学校が小中学校で9割以上、うち10回以上繰り返し解かせている学校が1割あるとの報道(中日新聞)もある。
 秋田県においても、
 
事前対策をおこなった学校は、小学校で98.7%、中学校で75.6%にのぼる
 といった状況である。
 
 こうした現状に対して、文科省としては
 点数をあげるための事前練習は、全国学力テストの趣旨や目的を逸脱するものである。だから、そのような事前練習であるならばやらなくてよい、と訴える。
 しかし、
 
都道府県の得点が公表され、しかも各都道府県によっては市町村別の、さらには各市町村によっては学校別の得点が公表されることもある。首長や教育長、学校長は、点数を少しでも高くするべく、学校現場に対して、無言のまたは具体的な重圧をかけていく。
 したがってどうしても全国学力テストのために時間を割いていくしかなくなる。

 しかしそれにしても何と犠牲の多いことか。
 そもそも全国学力テストの実施自体で、半日がつぶれる(2018年度は国語と算数にくわえて理科もあっため一日がつぶれる)。さらにはその準備のために事前練習をおこなえば、少なくとも数時間は費やしてしまう。

 記事を書いた内田准教授は最後に、
 全国学力テストは、すべての小学6年生と中学3年生を対象とする必要があるのか。毎年実施する必要はあるのか。学校現場が点数そのものをあげることに注力するまでになったいま、その実施方法を大胆に見直すタイミングにきているのではないだろうか。
と提言している。しかし私は必ずしも賛同しない。

 全国学力テストは、現場にとってさほど重要な問題ではないからだ。


【全国学力テストはたいしたことはない】
 その理由の第一は、保護者が無関心なこと。
 親たちの興味あることは基本的に「うちの子」のこと。
 評価がずっと遅れて忘れたころに出てくる、学年順位が出るわけでもない、学校の成績にも響かない、利益もないが損もなさそう――ということで、全国学力テストが保護者の口の端に乗ったこともない。問い合わせもクレームも批判も何もない。

 第2の理由は、第一とほぼ同じ理由で、子どもも無関心なこと。全国学力テストに血道をあげる子もいなければ傷つく子もいない。終わった瞬間にみんなすべて忘れてしまう。

 第3に、教師にとっても日ごろの技量を問われることにはならないから気が楽
 PISAテストを意識して作られた全国学力テストは、とにかく日常の学習とかけ離れすぎている。日ごろの学習で身に着けたことがそのまま問われるわけではないので、多少成績が低くても教師はあまり苦にしない。
 
 そして第4に(これが最も重要な点だが)、
全国学力テストは事前練習が馴染むので指導しやすく、簡単に点数があげられるということ。
 記事にある通り、成績中位の岩手県の事前練習率は「
小学校では69.1%が、中学校では31.0%」。それに対して常に全国トップを争う石川県は「小中学校で9割以上、うち10回以上繰り返し解かせている学校が1割」、秋田県は「小学校で98.7%、中学校で75.6%にのぼる」。つまり事前練習をしっかりやった県は成績が高く、やらなかった県は低いのだ。
 
 これは私の経験とも合う。
 全国学力テストの第一回を私は新しく赴任した小学校で経験したが、結果は惨憺たるものだった。
 市内全14校中最下位。しかも飛び抜けて低く、全国平均と比べると最下位とほぼ同じだった。
 
 校長は絶望するし市教委からは担当の主事が再三に訪れて叱咤激励、改善計画まで出される始末。実に面倒くさかった。
 ところが一方で、テスト問題を再検討しながら、私はむしろ成績の良かった子たちの方を訝しんでいだ。なぜ点数が取れるのか。あんなテスト、小学校ではこれまで一度も見たことがなかったろうに――それが私の素直な感想と発見だった。
 
 全国学力テストのひとつの特徴は、中学校でいう「実力テスト(または総合テスト)」のようなもので、さまざまな内容が複合的に組み合わさって横断的に技能を利用しなければ回答できないという点である。しかしそんなテストはこれまで受けたことがない。単元テストしか受けたことがない、練習していない。
 そうした事情は中間テストと期末テストしか受けてこなかった中学校1・2年生も同じだろう。
 
 第二にそれは、記述式があまりにも多いということ。これにも子どもたちは慣れていない。
 しかもその年、私の学校で受験したのは少々荒れ気味の学年で、学習に対して前向きに粘り強く頑張ろうという子たちが少なかった。したがって1字も書かない白紙回答が非常に多く、軒並み0点になってしまっていた。書いたところまでを採点してくれる部分点というものについて、その概念すらない子たちだ。
 
 そこで翌年、前年の問題をやらせて全国学習テスト形式に慣れさせるとともに、同様の問題を作成して「部分点」にも慣れさせることにした。「少しでも書けば点がもらえるから白紙回答だけはするな」と厳しく指導して練習させる――。
 そしてたったそれだけのことで得点は飛躍的に伸び、市内トップとはいかなかったが、肉薄する僅差の第2位(その翌年は1位)。市教委の担当者は(自分指導のお陰とでも思ったのか)欣喜雀躍しての大絶賛。以後、担当主事の訪問を受けることはなく、機会のあるたびに校長は市教委から誉められていたようだ。
 そこで私も学んだ。
 
 点数さえとっていれば誰も文句は言わない、しかもそのための努力は大したことはなく、事前練習と言っても各教科を4〜5時間も潰せばいいだけのことだ。
 

【もう真面目な世界ではない】
 学力先進県の石川や秋田が9割以上の割合で事前練習をしているの、中位の岩手県はなぜ7割に留まっているのか、ある意味でそちらの方が謎である。さらにまた、いつまでも下位に沈んでいる都道府県・政令指定都市は何をしているのか――。
 
 思うに彼らは大真面目で日々の授業改善なんかに取り組んでいるのだ。
 むろん石川・秋田だって授業改善には熱心だ(石川県については知らないが、私はかつて秋田県教委のサイトに通い詰めて研究したことがある)が、それだけでは足りない。そのことを石川・秋田は知っている。だから熱心に事前練習をする。
 
 実際、全国学力テストの成績に一喜一憂して目くじらを立てているのは各都道府県および市町村の首長および議員だけである。彼らは教育が票になることを知っているし、県外同業者と会ったときに自慢したい。
 だから彼らを納得させさえすればいい。
 それが莫大な国費を使って行う「全国学力学習状況調査」の実際の姿だ。面倒だが少しぐらいはゴマを擦っておこう。
 
 
 
 
 
 

キース・アウト2018年8月R