キース・アウト (キースの逸脱) 2018年 9月 スマホの方はこちらへ→ |
by キース・T・沢木
サルは木から落ちてもサルだが、選挙に落ちた議員は議員ではない。 政治的な理想や政治的野心を持つ者は、したがってどのような手段を使っても当選しておかなければならない。 落ちてしまえば、理想も何もあったものではない。 ニュースは商品である。 どんなすばらしい思想や理念も、人々の目に届かなければ何の意味もない。 ましてメディアが大衆に受け入れられない情報を流し続ければ、伝達の手段そのものを失ってしまう。 かくして商店が人々の喜ぶものだけを店先に並べるように、 メディアはさまざまな商品を並べ始めた。 甘いもの・優しいもの・受け入れやすいもの、本物そっくりのまがい物のダイヤ。 人々の妬みや個人的な怒りを一身に集めてくれる生贄 。 そこに問題が生まれれば、今度はそれをまた売ればいいだけのことだ。 |
この日の荷物を測ってみると、ランドセルが3.6キロ、サブバックが3.2キロ。合わせて計6.8キロにもなった。 「道具箱などイレギュラーな荷物はありましたが、始業式の日は夏休み明けのテストだったので、教科書は持って行っていないんです。だから、普段より軽いはずなのですが…」(佐藤さん) 入学前には「少しでも軽いものを」と本革ではなく合成皮革の軽量ランドセルを選んだが、それでもランドセルだけで1150グラムほどになる。荷物を入れると「親が持っても、えっと驚く重さ」だ。図工や音楽、体育で使う道具は学校に置きっぱなしだが、それ以外の教科の教科書などを置いて帰る「置き勉」は禁止されている。 ●約8.7キロの荷物を持つ小学1年生も 「子どもがランドセルを背負って倒れそうになった」。知人からこんな話を聞いたのをきっかけに、大正大学人間学部の白土健教授は、2017年秋からランドセルの重さ調査を行なっている。 2018年4月には、小学1〜6年生の47家庭でランドセルの重さを調査した。その結果、ランドセル単体で1日の平均は約4.2キロ。小学3年生が最も重い6.7キロのランドセルを背負っていた。 また、ランドセルとサブバックを合わせた1日の平均は約5.4キロ。中には、約8.7キロの荷物を持っていく小学1年生もいた。小学1年生の体重平均値は男子も女子も約21キロ(平成29年度学校保健統計)だから、体重の3分の1以上の重さを背負っていることになる。 白土教授は「教科書やノート、図録などに加えて、上履きに外履き。ランドセルだけでは入らず、ほとんどの子がサブバックを持って通っていた」と振り返る。ランドセル単体では、1000~1500グラムのものが多く、軽量をうたうものだと1000グラムを切るものもある。 (中略) ●文科省「現時点で内容も時期も未定」 9月3日には、文部科学省が宿題で使用しない教科書やリコーダー、書道の道具などを、教室の机やロッカーに置いて帰ることを認めるよう、近く全国の教育委員会などに通知するとNHKが報じた。 (中略) 前述の佐藤さんは「この通知がどれだけ意味あるのか」と疑問に感じているようだ。 佐藤さんの息子が通う学校にも確かに、教室の後ろに一人ずつ開架式のロッカーがある。しかし、そこは主にランドセル置き場となっており、すき間に無理やり絵の具や算数セットを入れているような状況だ。それでも足りず、廊下のフックに上履きや体育館履きの袋を吊るして、荷物を置いているという。 「児童数が増えて教室が足りず、パソコン教室などを潰して教室にしている状況なんです。置き勉許可の通知がされても、教室にはもうスペースがないですし、ロッカーを新設しようにも学校内にだって場所はないですよ」(佐藤さん) 神奈川県の公立小に通う1年生の息子がいる滝本さん(仮名)も、学校で「置き勉」は禁止されている。後ろのロッカーは、ランドセルに加え、1キロ近い粘土と防災用ヘルメットで既に埋まっている。「教科書はどこに入れるんですかね。無理やり入れるしかないと思います」と話す。 置き勉禁止が通知されたとしても、具体的にどこにどのように置くのかは各学校の判断に任されるため、状況が改善していくかどうかは未知数だ。 そもそも、本当にランドセルでなければいけないのか。紙の教科書ではなく、タブレット端末を利用した「デジタル教科書」が活用できないのか。ランドセル問題をきっかけに、これまでの学習環境のあり方を考え直す時期にきている。 これについては私もブログ上であつかった(2018/6/28 「ランドセル改革は起こるのか」〜子どもの荷物が重すぎる問題について)が、気づく人は気づくものだ。 置き勉許可の通知がされても、教室にはもうスペースがないですし、ロッカーを新設しようにも学校内にだって場所はないですよ しかも発言したのが保護者であるというところがいい。日ごろから関心を持って学校のことを考えてくれている証拠だ。 ネット上ではこの件に関して 「文科省から言われんとこんなこともできんのか」 とか、 「もともとが教師による子どもの虐待」 とか。 「いじめられっ子が教科書を破られないために持ち帰っている」 とか、 「学校に置いておいたらすぐ盗まれるだろう」 とか、間違ってはいないが“ちょっと筋が違わないか”と感じるものもあれば、 「ロッカーには必ずカギをつけてください」 とか、 「紙媒体をやめてタブレットを配布しろ」 とか、現実味のない話。 カギ付きのロッカーがいったいいくらするのか、タブレット端末に対して教科書がどれほど安いか――ついでに言えば小学生がどれほどの頻度でカギをなくすか――そういったことを全く知らない人が言うことだ。 文科省は今後 家庭学習に使わない教科書を学校に置いておく▽大きな荷物を分散して持ち帰る▽教材のアサガオの鉢植えなどは保護者に持って帰ってもらう−などの参考例を示す例 を示す予定だという(2018.09.04 時事通信)が、口を出して金を出さないいつものやり方だ。「大きな荷物を分散して持ち帰る▽教材のアサガオの鉢植えなどは保護者に持って帰ってもらう」などは既にやっている。文科省も何もわかっていない。 通知を受けた市町村教委もおそらく学校に丸投げして何もしない。 記事に、 ロッカーを新設しようにも学校内にだって場所はないですよ とあるように、置き勉をするためにはロッカーを買うどころか校舎の改築が必要だからだ。 結局この問題は放置されほとぼりの冷めるのが待たれるだけだ。 そう言えばかつて、文科省は小中学校のコンピュータ教育を推進するために全児童生徒へのノートパソコン、数人に一台のプリンタとスキャナ、教室ごとの電子黒板等の設置を指示したことがあった。 当時私は無知だったから雀躍して喜んだが、1年たっても配布が始まらず、折を見て市教委に不満を言ったらこんな答えが返ってきた。 「消防法では10年以上たった消化ホースは3年おきに耐圧検査をしなくちゃいけないことになってるけど、先生の学校のホース、たぶん30年以上一度も検査してないはずだよ、金がないから。 そんなふうに法律でさえ守れないのに、“通達”が守れると思っているの?」 そう言えば県によってはエアコンを設置するための補助金が片っぱし耐震工事に使われてしまったという。 つまりロッカーもタブレットも、夢のまた夢というわけだ。
寒さで震え、歩く力もない生徒たちが、背負われて次々と屋内へ運ばれた。福岡市早良区の福岡講倫館高で8日、雨が降る中で続けられた体育大会。多くの生徒が過呼吸や低体温の症状を訴え、救急搬送される事態を招いた。ある1年の男子は「手のひらが冷たく、真っ白になった。震えている生徒の気持ちが先生に伝わらなかった」と明かす。 体育大会は午前8時45分に開始し、約1時間後に雨が落ち始めた。雨脚が強まる時間帯もあり、学校は早めに切り上げる雨天用のプログラムで競技を続けた。 だが、女子のダンスでグランドに横たわる動きのある生徒は、ずぶぬれになった。ぬれながらスタンドで応援を続ける生徒もいた。 全員参加で人文字をつくる最後の演目の準備をしていた正午ごろ、体調不良を訴える生徒が出始めた。 風に体温を奪われ、息苦しそうにうつむき泣きだした女子生徒もいたという。「周りの生徒の唇はみんな紫色。テントの中の先生たちは、寒さに耐えているのが分からなかったのかもしれない」と1年の男子。 気温が大きく変化する時季。学校は、熱中症だけでなく、低体温にも十分な配慮をしないといけなかったのではないか。 これは学校が悪い。 テントの中の先生たちは、寒さに耐えているのが分からなかったのかもしれない まったくその通りだったのだろう。 西日本新聞は、 気温が大きく変化する時季。学校は、熱中症だけでなく、低体温にも十分な配慮をしないといけなかったのではないか。 と、これもごもっともだがつい数日前まで熱中症予防のことばかり考えていたのだ。体育大会の運営計画の中にもその点はがっちり書いてあるはずである。しかしそのさなか、まさか低体温症の心配までしなくてはならなかったとは! ただし少しだけ学校の味方をして説明すると、学校というところは子どもの状況を考えて早めにハードルを下げるということが実に苦手な場なのである。教師はすぐにハードルを上げ、、 「もう少し頑張れ!」 と言ってしまう。 「もう少し頑張れ! そうすればあと10点は取れる」 「もう少し頑張れ! 優勝は目の前だ」 「もう少し頑張れ! あと一歩で答えが出せる」 「できるようになる」「楽しくなる」「面白いと思える」「目標が達成できる」・・・。 学校からこの「もう少し頑張れ!」がなくなってしまうと教育はできなくなってしまうと、本気で教師たちは思い込んでいるのだ。 まだまだ夏じゃないか、 この程度の雨で引き下がってはいけない。 泥に顔を突っ込んでも頑張らなくてはいけないときがある、 唇をかんで耐えなければならないときがある。 もう少し頑張れ! その結果がこの体たらくである。 生徒もシンドイが、教師もまたなかなかシンドイ。 しかし生徒たちよ! ほんとうに申し訳なかった。
【ロンドン時事】英教育専門誌タイムズ・ハイヤー・エデュケーション(THE)は26日、2019年版の「世界大学ランキング」を発表した。欧米の大学が上位を占めるのは例年と変わらなかったが、アジアの中では、習近平中国国家主席の母校である北京・清華大が22位(前年30位)で、中国勢が初めて首位となった。日本勢は東京大の42位(同46位)が最高だった。 世界全体の1位は英オックスフォード大、2位は英ケンブリッジ大、3位は米スタンフォード大。日本勢は東大に続いて京都大が65位(同74位)になったが、上位200位以内に入ったのはこの2校のみだった。東大は11年〜15年版でアジアの首位だったが、今回は5位だった。 アジアの中では清華大に、前年首位のシンガポール国立大が23位(同22位)で続いた。中国勢はこのほかにも31位に北京大(同27位)、93位に中国科学技術大(同132位)が入るなど、200位以内に計7校が入り、躍進を印象付けた。(2018/09/27-09:06) 同じソースのどこに注目し何を引き出すかがメディアの個性だ。 時事通信はタイムズ・ハイヤー・エデュケーション(THE)の2019年版の「世界大学ランキング」から、アジアの第一位が中国であったことに注目した。そしてことさら日本の最高峰東大が中国に引けを取っていることを強調する。 アジアの中では、習近平中国国家主席の母校である北京・清華大が22位(前年30位)で、中国勢が初めて首位となった。日本勢は東京大の42位(同46位)が最高だった。 さらに 日本勢は東大に続いて京都大が65位(同74位)になったが、上位200位以内に入ったのはこの2校のみだった。 中国勢はこのほかにも31位に北京大(同27位)、93位に中国科学技術大(同132位)が入るなど、200位以内に計7校が入り、躍進を印象付けた。 と追い打ちをかける。 ところが全く同じ資料から毎日新聞は別の読み取りをする。 世界大学ランキング 日本は103校 東大の42位が最高 毎日新聞2018年9月26日 英教育専門誌タイムズ・ハイヤー・エデュケーション(THE)は26日、今年の「世界大学ランキング」を発表、日本は過去最多の103校がランキングに入った。日本勢で最も順位が高い東京大は昨年の46位から順位を上げて42位となったが、アジアでは5位にとどまった。 今年は86カ国の1250を超える大学が対象。日本は米国の172校に次ぐ数の大学が入り、THEは「日本がかつてないほどの存在感を示している。確かな進歩を遂げた」と評価した。 上位200校以内に入ったのは東大と、65位の京都大(昨年74位)のみだが、東大は教育環境や産業収入…(以下略) 日本がかつてないほどの存在感を示している。確かな進歩を遂げた これは毎日新聞の見解ではなくTHEの分析なのだ。なぜ毎日新聞はそれを拾い、時事通信は無視したのか。 ちなみに他紙を見ると、朝日新聞のタイトルは「東大42位・京大65位、順位上げる 世界ランキング」、で日本の大学についてのみ語り、読売新聞は「日本最高は東大の42位、中国・清華大22位」と、ほぼ時事通信に共通するものとなっている。200位内で比較するところも同じだ。 私はTHEの「世界大学ランキング」について毎年あつかっているのでウンザリしているが、この格付けは時事通信の記事にもあるように欧米の大学が上位を占めるのが通例で、しかもイギリス・アメリカに極度に偏っている。 今回も20位以内にランキングしたのはイギリスの3大学、アメリカ16大学、残りのひとつが英語で卒論・修論を書かせるチューリッヒ工科大(スイス)である(学部の授業はドイツ語中心)。 枠を100位以内に広げてもイギリスが11大学、アメリカは41大学と、この二か国だけで半数以上を占めている。 つまりTHEの「大学ランキング」は欧米というより英語圏の大学が圧倒的に有利になっているのだ。 その中で日本がアメリカの172校に続く103校をランキング入りさせたということは、我が国の大学教育の底力を世界に見せつけた快挙だと言える。人口比で比べるとアメリカの1.5倍以上がランキングした計算になるのだから。 その意味で毎日新聞の記事は見るべき部分を見ている。 時事通信や読売新聞の記事を読んで、「日本が中国に負けた、何とかしなくては」といった妙な空気が生まれることがないよう切に願う。 どうせもともとが英米の大学を宣伝するためのランキングなのだから。 どうしてもランキングを上げたければ、政府は中国に匹敵する資金を大学につぎ込み、大学もすべての講義を英語で行うなどの努力をすればいい。 このふたつだけでランクは一気に駆け上がるはずである。なぜなら評価基準がそのようにできているからだ。 参考:THE2019年版の「世界大学ランキング」(英語)
学校訪問は7〜8月にかけて実施され、同委が平成29年度に取りまとめた生徒指導にかかわる調査結果を踏まえ、認知件数を「0件」と回答した7校と、数百件に達した5校が対象となった。 その結果、「0件」の学校では、いじめ防止対策推進法に明記された「(子供が)心身の苦痛を感じているもの」との定義を十分に理解せず、継続的ないじめなどが確認できなかったなどとして、計上していない事例があった。 児童・生徒に対するアンケートには、いじめと認識していた回答が多数あったが、すべてを計上すると膨大な件数になるため、反映していない事例もあった。軽微と重大なケースを同等に扱うことへの抵抗感があったとみられる。 同委は、児童・生徒間のトラブルは、教員同士で情報共有する仕組みを構築していると説明。ただ、重大なケースに限られ、軽微なものは担任が処理したり、抱え込んでいたりするという。 また一部の学校では今年度から、29年度調査を受け、改善策に取り組んでいた。具体的には、児童・生徒のアンケートについて、管理職がすべてを認識することにし、最終的には校長に報告するなどしていた。 連絡協議会のある出席者は「『いじめ』を認知することは『子供からのSOS』の認知である。学校側は、しっかり対応するべきだ」と指摘した。 問い質せば、「いや咎めたのではなく調べただけだ」と言うに違いないが、この記事の内容がいかに馬鹿げているか、長野県教委は理解しているのだろうか、あるいは理解してもやらざるをえないということなのか。 常識的に考えれば「いじめ」件数が“ゼロ”の学校は当然あり得るしなくてはならない。例えば全校児童15名(1クラス2〜3名)の学校で、これだけの少人数にも関わらず毎年いじめが発生するとしたら、その学校の教育の質が問われなければならない。 さらに言えば、 児童・生徒に対するアンケートには、いじめと認識していた回答が多数あったが、すべてを計上すると膨大な件数になるため、反映していない事例もあった。 と、こちらの学校も問題だ。毎年毎年「膨大な件数」のいじめ事件が発生するって、いったい教師は何をやっているのか。実際に認知件数が数百件に達した学校が5校もあったというから長野県の教室の荒れも尋常なものではなさそうだ。 ――しかしこの件は実はそういった話にはならない。長野県の小中学校が特に荒れているのではなく、いじめ防止対策推進法に明記された「(子供が)心身の苦痛を感じているもの」との定義上、子どもが少しでも嫌な思いをしたら何でもかんでも“いじめ”として計上しなければならないのだ。 「Aちゃん、遊んでいないで児童会の仕事しっかりやれよな」 は、Aの感じ方ひとつで“いじめ”になる。 (ボクは遊んでいたわけじゃなくてボーッとしていただけなのに嫌なことを言われた) もっとも何でもかんでも拾って1校で数百件となるとあまりにも多すぎるから、アンケートの文言を変えるなりして適度な数字に抑えなくてはならない。 いじめ調査の件数調査には、極めて面倒くさい事情があるのだ。 いったい何のための調査か。 人間関係で子どもが嫌な思いひとつしない全く苦痛のない学校を目指すのか、子ども同士が言い合いのひとつもできないような管理された学校が素晴らしいのかといった本質的な話をするまでもなく、まず、こんなアホな調査に翻弄される学校や教育委員会を憂う。 |