キース・アウト (キースの逸脱) 2018年12月 スマホの方はこちらへ→ |
by キース・T・沢木
サルは木から落ちてもサルだが、選挙に落ちた議員は議員ではない。 政治的な理想や政治的野心を持つ者は、したがってどのような手段を使っても当選しておかなければならない。 落ちてしまえば、理想も何もあったものではない。 ニュースは商品である。 どんなすばらしい思想や理念も、人々の目に届かなければ何の意味もない。 ましてメディアが大衆に受け入れられない情報を流し続ければ、伝達の手段そのものを失ってしまう。 かくして商店が人々の喜ぶものだけを店先に並べるように、 メディアはさまざまな商品を並べ始めた。 甘いもの・優しいもの・受け入れやすいもの、本物そっくりのまがい物のダイヤ。 人々の妬みや個人的な怒りを一身に集めてくれる生贄 。 そこに問題が生まれれば、今度はそれをまた売ればいいだけのことだ。 |
* * * 昼どきの小学校は誰もいないのかと思うくらい静かだった。授業参観のため学校を訪れた女性(45)は、当時1年生だった娘の教室の後ろ扉をそーっと開けた。すると、目にとびこんできたのは、全員が前を向いて黙々と給食を食べる姿。 私語は一切なし。楽しいはずの食事の時間がなにかの訓練の場のように見えた。参観に来ていたほかのママ友たちとアイコンタクトで外に出て、首を傾げた。女性は言う。 「『黙食』と呼ばれる指導なんです。子どもたちがしゃべりながら食べると時間がかかるかららしいです。娘は入学したばかりのころ、給食の時間が怖いと泣いたこともありました」 娘は食べることが好きで、おいしければ「おいしいね」と言わずにいられないし、初めての食べ物を見たら「これ何?」と聞かずにはいられない。でもそうすると、先生にシーッと注意されてしまうのだ。 アエラでは「学校を不自由にしているものは何?」と題したアンケートを11月に実施した。この問題への関心は高く、インターネットなどを通じて2週間で、親や先生682人から回答が集まった。「子どもたちにとって、学校が不自由だと感じますか」との問いでは、「非常に感じる」(56.2%)と「感じる」(37.1%)が合わせて9割以上に上った。 「不自由」の正体はいったい何なのか。 アンケートでは「体感温度は人それぞれだが、制服の冬服・夏服の期間を指定される」「体育は一年中半袖短パンという決まり」「下着の色にまで干渉する」など、服装を始めとする学校生活の細部にわたって自由がないという声も目立った。 小学生の子どもをもつ保育士の女性(43)は、こうした校則に無念さがこみあげる。勤める保育園では0歳からの未就学児を預かる。 「寒かったら、自分でもう一枚着ようね」 「汚れたって気が付いたんだね。じゃあ着替えてらっしゃい」 小学校に上がるまでに、自らの状況を判断し自分で行動できるよう指導している。それなのに、小学校に上がった途端「判断してはいけなくなる」とは。 「なんでも一律に決めてしまえば、先生も子どもも考えずにすむので楽かもしれませんが、そこで失われるものは大きいと思います。多様性は大事にされていないのでしょうか」 学校の不自由さを感じているのは子どもや親だけではなく先生もだ。アンケートでは、「先生としても学校が不自由か」を聞いたところ、不自由と回答した人は96%に上った。 30代男性の中学教員は朝、靴箱の前に立つと気が重くなる。担当学年、約200人分の生徒の靴を見て出欠確認し職員室の黒板に書くという業務があるからだ。もちろん各教室では担任が出欠をとる。 なぜ、靴箱でも出欠確認をする必要があるのか、他の教員に聞いても「これまでやってきたから」「自分の学年だけやらないわけにはいかない」といった答えしか返ってこない。 管理職に尋ねても、合理的な理由はわからない。実際、職員室の黒板に書かれた出欠情報を見ている教員はほとんどいない。 「いったん決めたことが形骸化しても、見直してやめるという発想が学校現場にはありません。だから忙しくなる一方です。慣例的に行われてきたことについて、上の人間に問いただすこと自体、はばかられる空気もあって完全に思考停止状態です」 首都圏の小学校に勤める男性教員(39)の学校では、「筆箱の中は鉛筆5本と赤鉛筆1本、定規、消しゴム」と決められている。さらに「消しゴムの色は白」と指定されているが、その理由まではわからない。 「本来であればなぜその決まりがあるのかを考えたり、どうあるのがベストなのかを教員たちで話し合うべきなのかもしれませんが、その余裕がありません」 先生たちの不自由の背景には「忙しさ」があるという声は多かった。この男性は、朝8時に学校に入ったあと約10時間、休憩なしのノンストップだ。午前中の授業を終えると、給食、昼休み、掃除の指導と続く。給食中は、話に夢中になる子がいれば声をかけ、食の細い子は励まし、自身が落ち着いて食べる暇はない。規定では15時半ごろに45分間の休憩があるようだが、そんな時間は取れたためしがない。放課後も、会議や校務、次の日の授業準備や学級の仕事、さらに行事の準備ときりがない。 「仕事の絶対量が多く、勤務時間内にとても収まりません。オーバーフロー状態です」 男性は家にも仕事を持ち帰る。学期末の忙しい時期は深夜にまでおよぶ。多様性を尊重したくても、とても考える余裕がないという。 学校に対して同情的なのか批判的なのかよく分からない文だが、取材が不十分なことははっきりしている。 例えば毎朝学年の200人の靴で出欠をチェックするという30代男性の中学教員の訴え、 なぜ、靴箱でも出欠確認をする必要があるのか、他の教員に聞いても「これまでやってきたから」「自分の学年だけやらないわけにはいかない」といった答えしか返ってこない。 管理職に尋ねても、合理的な理由はわからない。実際、職員室の黒板に書かれた出欠情報を見ている教員はほとんどいない。 はその男性教員の訴えそのものなのか、記者の取材によるものか――いずれにしろツッコミが甘い。 1学年200名となれば6〜7クラス、1校18〜21クラスにもなろうという大校だ。当然職員数もハンパない。その全員に訊いて分からないということは、いくら何でもないはずだ。私ですら分かるのだから。 【出欠黒板の意味と意義】 児童生徒の出席確認と黒板への記入というのは、昔は養護教諭(中学校の場合は保健委員)の仕事だった。 担任(中学校の場合は保健委員)は朝の学級活動で出欠を取り、健康観察を行い、その結果を観察簿に記入して保健室に提出する。持って行くのは小中とも普通は保健委員。 中学校ではその途中、委員が職員室によって出欠黒板に人数を記入する。小学校では擁護教諭が数をまとめ、整理してから黒板に記入する。 その黒板について、実際、職員室の黒板に書かれた出欠情報を見ている教員はほとんどいない。 確かにほとんどいない。しかし教員をバカにしてはいけない。見ている人は見ているのだ。 「2年の2〜4組にかけて急に欠席者が出ているけど、インフルエンザか?」 「なんでこのクラスは月曜日になると休むやつが出るんだ」 「あのクラス、ここのところ毎日欠席が1だけど、不登校?」 「1年5組の欠席1はあの子だと思うけど、まだ学校に来られないのかなあ」 といった具合である。立場上、校長・副校長・養護教諭は必ずそういう目で見ている、平教員でも有能な人は出欠黒板で今後の自分の状況を必ず占う。昔からそうだった。 しかし近年変わってきたことがある。それは対応の迅速性が問われるようになってきたことだ。 【子どもの出欠は一刻も早くつかまなくてはいけない】 恥ずかしながら30年以上前、3学期初日に登校してこない生徒への対応が遅れ、昼過ぎになって電話したところ、 「あれ? 始業式って明日じゃなかったの?」 と言われたことがある。今だったら大問題だ。 それが家出だったら、それも自殺のための家出だったらどうしたのだろう。 それとは多少異なるが、先日、宮崎県高千穂町で起こった一家6人殺害事件では児童が登校してこないことを訝しんだ教頭が、午前9時過ぎには家庭訪問している(事件に気づくことはできなかったが)。 もちろん小さな学校でフットワークが良かったということもあるが、同じことは1学年200人の大校でもできなければいけない。ところが1学年6〜7クラス、全校で18〜21クラスとなるとそこから難しい。出欠票や健康観察簿の提出の遅れる先生、委員が必ず一人はいるのだ。 昔のように職員室の出欠黒板が養護教諭や保健委員の手で埋まるのを待っているわけにはいかない、けれど問題があればいち早く気づいて対応しなくてはならない――そこから出てきたアイデアが、 担当学年、約200人分の生徒の靴を見て出欠確認し職員室の黒板に書く というやり方なのだ。 現象には訳がある、学校の決まりには理由がある、のだ。 【あとは推して知るべし】 「筆箱の中は鉛筆5本と赤鉛筆1本、定規、消しゴム」にしても「消しゴムの色は白」にしてもみんな理由のあることである。要はそれをきちんと取材できているかどうかということだ。 ちなみに取っ掛かりとなった「給食中は私語一切禁止」だが、そもそも楽しいはずの食事の時間という前提が間違っている。 日本中の家庭で毎日食事の時間が楽しくてしょうがないというのがいくつあるだろう? 母親は、「せっかく苦労してつくったものを食べてくれない」「これじゃあ十分な栄養が取れない」「いつまでも食べているから片付かない」とイライラし、 子どもは「なんでボクの嫌いなナスが出てるんだ」「こんなにたくさんのご飯、食べられるはずがないじゃないか」と恨めし気に見上げ、 父親は、「ゆっくり晩酌しながら食べたいのに、なんでこんなに急かされなくちゃならんのだ」と仏頂面。 そんな家庭がいくらでもあるというものだ。それを学校だけが楽しいはずの食事の時間というわけにはいかない。 「子どもたちがしゃべりながら食べると時間がかかるかららしいです」と一応の理解はしてくれているみたいだが、「時間がかかる」のレベルの認識が甘い。 実質30分間の給食のうちの25分間、ずーっとしゃべっていて最後の5分に「食べられません」と言い出す子のことが想定されていない。そしてそんな子は小学校のクラスにひとりや二人じゃない、ということだ。 「黙食」が必ずしもいいものとは思わないが、“楽しくおしゃべりをしながら、しかも時間内にすべてを食べきる”ということはかなりの高等技術に類する。 大人だってなかなかできないことは、宴会終了後のテーブルの上を見てみればわかることだ(私はできるし、いつもそうしている。ケチだから)。
教員の長時間労働に歯止めをかけるため、文部科学省は6日、時間外勤務(残業)の上限を原則「月45時間、年360時間」とする指針案を公表した。年度内に決定した上で、各教育委員会に指針を参考に上限規制を定めるよう求め、2020年度の適用を目指す。一方、教員の働き方改革を議論している中央教育審議会特別部会も同日、業務の削減策とともに、夏休み期間などに長期休暇を取りやすくする「変形労働時間制」の導入を盛り込んだ答申案をまとめた。 教員の正規の勤務時間は各自治体の条例で通常1日あたり7時間45分とされているが、文科省の16年度調査では、平日の平均勤務時間は小学教諭11時間15分、中学教諭11時間32分で、3時間以上の時間外勤務が生じている。1か月間の時間外勤務を推計すると、小学教諭77時間、中学教諭83時間で、80時間超の「過労死ライン」前後に達している計算だ。(以下、略) 怒りで動悸が収まらない。 いま私が死んだら文科省に殺されたということだ。 妻よ、政府を訴えろ! 仕事を減らすどころか小学校英語だのプログラミング教育だの一方的に増やしておいて、人も増やさず、労働時間だけを制限すれば何が起こるか、文科省は十分承知しているはずだ。 仕方がないから教師はタイムカードをごまかすか、仕事を家に持ち帰る。そうして数字上の残業はなくなり、文科省は胸を張るのだ、私たちは教員の命と生活を守ったのだと――。 これでは学校は、教員は、そして学校教育は、弱るばかりだ。 夏休み期間などに長期休暇を取りやすくする「変形労働時間制」 も典型的な朝三暮四で、 「長期休業があるから学期中は死ぬほど働け」と言うに等しい。 このやり方にはすでに給与面で試されており、本給の4%の調整手当(平均年齢の43歳で1万5000円弱)を渡してあるのだから80時間前後の時間外労働にも黙って耐えろと言われて教員は黙って従ってきた。 「聖職なんだから“金”だ“休養”だのと世俗的な欲望に駆られることなく、清く美しく働け」 と言われて働いてきたが、“聖職者”としての尊敬も尊重も受けることは一切なく、むしろ常に蔑まされてきた。 それがこの世界の誠実な人々の在り方だったのだ。 今回の文科省の指針案はそれを制度化し固定しようとするものだ。 繰り返すが、仕事を減らさず人も増やさず、時間だけを絞れば教育は死ぬ。そしてやがて人々は叫ぶ。 「教育は死んだ」「教育は死んだ」 ――しかし「私たちが殺してしまった」とは誰も言わない。
* * * 亮子さん(以下、母):子どもたち全員が算数、数学が得意だったのは、1歳ごろから通った公文で鍛えられたからです。お子さんを医学部に進学させたいと思っている方は、就学前から公文などの幼児教室に通わせ、一ケタの計算が反射的にできるようにし、計算力を鍛えておくのがお勧めです。 真理さん(以下、父):公文のシステムはすごいと思いましたね。1+1=2、1+2=3と繰り返して学んでいるうちに、自然と身につく。年齢に関係なく、自分のペースで進めるところがいい。 母:初めての子である長男の幼児教育を何にするか、本当に迷い悩みました。そんなとき、「ママ、とりあえずやってみたら。いいとこどりをすればいいんだから」とお父さんが言ってくれました。その言葉で気持ちが楽になり、公文を始めました。 父:えっ。そんなこと言った? 覚えてないなぁ(笑)。 母:気楽な人だから覚えていないんでしょう(笑)。子どもたちが公文に楽しく通えてよかった。4人とも1歳ごろから公文、3歳ごろからバイオリン、4歳のときにはスイミングに通いました。兄弟そろって行くから、楽しかったんでしょうね。 ■3歳までに絵本1万冊を親の声で読み聞かせ 母:子どもの教育で迷ったときには、まずは「いいとこどり」の精神でとりあえず始めてみることが大切。習い事を始めたら、1年ぐらいは続けてほしいですね。そのぐらいやると、合うかどうかがわかります。私の子育ての本を読んだ読者のみなさんも、「やってみよう」と思うところを、いいとこどりでやっていただくとうれしいですね。 父:ママの本はすべて読んだけど、「よくこんなさまざまなメソッドを考えたな」って感心したよ。 母:公文に初めて行ったときに、「うた200、読み聞かせ1万、賢い子」という幼児教育のスローガンを知りました。わが家では「3歳までに絵本の読み聞かせ1万冊、童謡1万曲」を実践することにしました。絵本も童謡も、親の声で読んだり、歌ったりすることにこだわりました。 父:絵本の読み聞かせは2割ぐらい、童謡は4割ぐらいは協力しましたね。親が絵本を読み、童謡を歌うことで、子どもたちの感性が豊かになったと思います。 母:絵本と童謡によって教養が身についただけではなく、結果として学校の勉強にも役立ちましたね。子どもたちの反応が楽しくて、私にとっても絵本を読み聞かせたり童謡を歌ったりした時間は至福の時でした。 父:本当に楽しい時間だったね。子どもだけではなく、親の人生も豊かになったように思う。 (以下略) ネット上ではいくらでも記事が拾え、最近までテレビ出演も多かった教育評論家・受験アドバイザー(という肩書でいいのかな?)佐藤亮子さん(通称:佐藤ママ)についていつか書かなくてはと思っていたが、そこそこ都合の良い記事があったので拾っておく。 見ての通り夫婦の会話形式でこれまでの子育てを振り返り、東大理V(医学部)へ4人の子どもを合格させた秘訣について紹介しているのだが、その内容は納得できるようであり、納得できないものでもある。 【佐藤ママの秘策】
確かに知育および受験対策として効果のありそうなものだ。 「3歳までに絵本の読み聞かせ1万冊、童謡1万曲」は大変そうだが(1万÷3÷365)と計算すれば1日9.13冊。2〜3分もあれば読み終えることができる普通の絵本を想定すれば、さほどのことではない。 1万冊を選ぶのが大変と考える必要もない。おそらくこれは「読み聞かせ1万回」の意で、同じものを何回も読めばいいだけだ。全く別の1万冊など用意できるものではない。同じく童謡1万曲なんて、安田姉妹だってレパートリーにできない。 しかし私たちが佐藤ママとそっくり同じことをしても、あるいはそれ以上にやったとしても、わが子が東大医学部に入る可能性は0.01%もない。 なぜなら東大医学部の定員はたった100しかないからだ。 【神の領域】 本年度の18歳人口は推定で117万人。4年制以上の大学への進学者は62.5万人ほどである。それに対して東大医学部が100人しかないということは、同年齢の1万1700人にひとり、大学合格者の6250人にひとりしか合格しないということである。 平均すると18歳人口の最も多い東京都でも10人、少ない島根・鳥取あたりだと2〜3年に1人ということになるが、もちろんそうではない。 本年度(2018年)で言えば高校別の東大医学部合格者は、開成(10)、附属駒場(17)、麻布(4)、灘(15)、桜蔭(8)、聖光学院(4)の6校だけで58名。例年首都圏のみで7〜8割を占有してしまうから、地方については「10年に一人の逸材」のような人間が気まぐれのように合格するだけである。 まさに天才の世界なのだ。 そこに“医学部は東大の中でも神様扱い”と言われる所以がある。 そんな天才を佐藤ママは4人も育てた――そう考えるといかに彼女がすごいかが理解さる。ただし同時に、それが「3歳までに絵本の読み聞かせ1万冊、童謡1万曲」で済む話でないことも自ずと知れよう。 佐藤ママには実はまだ明かさない、決してしゃべることのない秘密がある――そう考えるのが自然だ。 そしてその秘密を私は知っているのだ。 【佐藤ママはいかにして4人の子を“天才”にしたのか】 4人の子どもを全員東大医学部に入れる秘訣は、実に簡単で非常に難しい。 なぜならそのために佐藤ママがまずしたことは、“4人の天才児を産んだ”ということだったからだ。 頭のいい子を産んで、それに大量の情報を流し込んだ、だから4人とも東大医学部に入れた、そういう話なのである。 受験と言うのは入試に必要な知識と技能の量で決まる。 したがって大きな器に大量の知識・技能を注ぎ込めば勝つに決まっている。 量の注入はいかようにもなるが、器はあとからどうこうなるものではない。 ではどうやって佐藤ママは頭のいい子を産むことに成功したのか――。 これも言うは易く達成することは難しい。 母親自身が賢く生まれて頭のいい男と結婚すれば、かなりの高確率で頭のいい子が生まれてくる、ただそれだけのことである。 佐藤ママは大分県のトップエリート校である大分上野丘高等学校(卒業生に女優の宮崎美子、元厚生大臣の西村栄一、作家の林房雄・赤瀬川隼らがいる)から津田塾大に進んだ才女である。夫は東大文学部インド哲学科から司法試験を受けたという変わり種の弁護士で、学部で法律を学ばなかったにも関わらず司法試験に受かるというからただ者ではないはずだ。 こうして4人の子どもは最初の関門をクリアした。頭の良い子に生まれたから学校の勉強もよく分かり面白い。いつも誉められるから学習自体が楽しかったに違いない。スタートからして違うのだ。 【「頭がよくなくては東大医学部に入れない」というあまりにも常識的な話】 ところでまだ私の子どもが幼児だったころ、ある会合で親しい大学教授と子どもの教育法について長々と話したことがある。教授の二人のお子さんは東大とお茶の水大に通っていた。 それを彼は独自の教育法と自ら開発した学習材によって成し遂げたと主張し、話が長くなったわけだ。 その上で、 「Tさん(私のこと)、下のお子さん、まだ小さいよね」 そのころ息子は4歳だった。 「その子をオレに預けてみな。絶対に東大に入れてやるから――」 そう言ってまた滔々と学習法の話を続け、ある瞬間、ふと振り返って、 「あ、だけど知能指数が130以上なきゃダメだよ」 ――そのとき私ははじめて授の話を真面目に聞こうと思った。 知能指数130というのは乱暴に言ってしまうと10歳(小4)のときに13歳(中1)とまともに勝負できる頭の良さを持っているということだ。そこに有力な学習法を被せれば「確実に東大に入れる」というのも分かる気がした。 ウチの子は適応外だが、まじめな話として聞いてみる価値はある、と思ったのである。 佐藤ママの話も同じである。 ものすごく頭の良い子を産んでそこからの「私は6歳までに子どもをこう育てました」「受験は母親が9割」「母が教える中学受験勉強法」「東大理III合格百発百中 絶対やるべき勉強法」(いずれも著書名)なのだ。 もっとも親のお陰で最高級の頭脳を持って生まれても東大医学部は特別な場所なのだ。わが子が知能指数130以上の英才であるという前提であれば、佐藤ママのアドバイスには意味があるかもしれない。 佐藤ママもそうしたハイレベルな家庭の母親にのみ、語りかけてもらいたいものだ。 誰でも努力次第で東大医学部(あるいはそれに近い大学、学部)に子ども入れることができると思わせるのは詐欺である。AERA(朝日新聞出版)はいくら自社の本を売りたいからといっても、詐欺に手を貸してはならない。 (佐藤ママの売れ筋「受験は母親が9割 灘→東大理Vに3兄弟が合格!」およびこの夏出版された「三男一女東大理III合格! 佐藤ママの子育てバイブル 学びの黄金ルール42」はいずれも朝日新聞出版から発行されている)
調査によると、うつ病や適応障害といった精神疾患(心の病)による休職者は全体の0・55%。休職になるまで、所属学校に勤務した年数は1年以上2年未満が23・3%と最多で、6カ月以上1年未満(19・1%)、2年以上3年未満(15・9%)が続いた。休職期間は、6カ月未満が33・4%、6カ月以上1年未満が27・3%、1年以上2年未満が26・1%だった。文科省は、教職員が担う業務量が増えたことに加え、保護者らとのコミュニケーションの困難さが背景にあると指摘し、「10年間高止まりしている状況は憂慮すべきこと」としている。 また、児童生徒らにわいせつな行為やセクハラをしたとして処分された教職員は210人おり、過去最多だった前年度226人に続いて多かった。このうち免職は120人、停職は57人いた。被害者は自校の児童・生徒が97人と半数近くで、わいせつ行為は「体を触る」が最も多く、次いで「盗撮・のぞき」「性交」だった。行われた場所は自宅やホテルのほか、教室や保健室、生徒指導室が多かった。 児童生徒に体罰をふるって処分された教職員は585人と、前年度から69人減少した。体罰内容は「素手で殴る・たたく」が半数を占める。授業中が約4割で、部活動中が約2割だった。 年末に公表される精神疾患による休職者数も年中行事みたいになってしまい、新鮮味も衝撃もない。 新聞もすっかり興味を失って、引用した朝日新聞の記事も他紙と比べるとむしろ長いくらいだ。 内容もいたって散漫で、 所属学校に勤務した年数は1年以上2年未満が23・3%と最多 とあるがその部分の数字の見方は「精神疾患で休職する者の1/3が、新しい学校に移ってわずか1年以内にそうなってしまう」が正しい。 つまり他の職員がその人の人となりを十分に知って警戒する前に、あっという間に休職に入ってしまうということだ。 しかもたいていの場合、責任感と「自分のかわりは簡単には見つからない」という事情によって教員はぎりぎりまで頑張ってしまうから、不調はもっと早くから始まっているに違いない。 私には教員の側を擁護したがる傾向があるが、児童生徒最優先でものを考える人にとっても、子どもたちが数か月、あるいはそれ以上に渡って“危い教師”のもとで指導を受けていると考えれば落ち着かないだろう。 さらに、朝日を始めとするマスメディアが参考にしているはずの、平成30年12月25日文科省発表『平成29年度公立学校教職員の人事行政状況調査について』を見ていくと、もっと深刻な状況が浮かんでくる。 【資料から読み取れること】 それによると、
報告された5077人の29年度末の状況はどうかというと、1994人(39.3%)が復職し、2060人(0.40%)が休職継続、1023人(20.1%)が退職。 つまり5人に2人が復職して同じく2人が休職継続、1人が退職するといった計算になる。 ここ10年あまり毎年5000人前後の精神疾患による休職者が報告されているが、そのうち1000人余りが退職しているということは、継続的に新たな1000人の“精神疾患による休職者”が出ているということだ。またいったんは復職したものの再び休職に追い込まれる職員もいるから、補充者は常に用意しておかなくてはならない。 さらに資料を読み進むと、2年以上の長期休職者が669人(休職者全体の13.2%)もいる。 【要因】 多忙が要因の一つだということは誰でも知っている。 そこから中学校の部活が度々やり玉に上ってくるが、小中で休職者の割合がさほど変わらないところを見ると、そこをいじったところでどれほどの改善が期待できるかは疑わしい。 女性が男性に比べて有意に高いのは、女性の場合、家事も同時に行っていかなければならないという事情があるように思う。共稼ぎ教員でありながら一方的に家庭が女性に任されている例はたくさん見てきたし、夫が教員でない場合はさらに理解が得られない。教員が多忙だということはずいぶん知られてきたが、それでも一般から見れば異常であろう、なかなか積極的に支えていくというわけにはいかない。 もちろん民間企業にも殺人的な仕事をさせられている人がいる。そうした夫を持つ女性教員はやはり家事を一手に引き受けなければならない。「民間は厳しい(公務員は甘い)のだから、家のことはお前がやれ」ということである。 精神疾患による休職者のうち5人に1人は退職しているという事実は、学校や児童生徒にとっては一面、ありがたいことだと考える人もいる。 空前の求人難の中で、教職浪人などほとんどいない現在、年度途中で代わりの教員を探せと言われてもなかなか見つかるものではない。復職してまた途中で休職されるくらいなら退職していただいて、その分、新規採用を増やした方がありがたい、子どもにとっても途中でいなくなる先生は困りものだ、ということである。 しかし精神疾患による休職者が30代〜40代で家庭での責任も重く、転職もままならないことを考えると本当に気の毒だ。 職員の定数は増やさない、仕事は増やす(追加教育:最近で言えば小学校英語やプログラミング教育、教科としての道徳、それ以前から言えば総合的な学習の時間、キャリア教育、防災教育など)といった特殊な世界でなければ、立派に社会人として生きて行くことのできた人々なのかもしれないのだ。 【教職は危うい職業か?】 精神疾患のための休職者が0.55%というのが他の業種に比べて多いのか少ないのか分からない。私の弟は市役所に勤務する地方公務員だが、そちらもかなりの数の精神疾患による休職者がいるという。 ネット情報(2017.12.20DIAMOND on line『年代・職業・病気別「精神的に健康」なのはこんな人たちだ』)によると、 どんな職業が「精神のすこやかさ」を保つために適しているかを見てみよう。 ホワイトカラー系だと、管理職が精神状態良好な者が多く、専門・技術職、事務職、販売職は、管理職より5%ポイント以上低くなっている。(中略) 現場職系では、保安職、建設職、運転職、農林漁業職で高く、生産職、サービス職、運搬・清掃職で低いというパターンが認められる。 ということだが、管理職が精神状況良好なのはそういう人だから管理職になれたという面もあるし、学校などは相当な年齢にならないと管理職登用の機会はないから潰れるべき人はその年齢になる前に潰れてしまうという事情もあるのかもしれない。 また警察・自衛隊・消防などを含む保安職あるいは運転職などは、危険をともなう職業であるため最初から精神状況良好な人材を集めている可能性が高いし、周囲から心配されながら勤務することの難しい職業だから早い段階で離職しているということもあろう。 しかし教職が危険だという認識は、普通はない。 総じてモノ相手、自然相手の職業は精神状況がよさそうである。 「百姓は心を病まない」 というのはある農業従事者から聞いた言葉だが、とてもよく理解できる。 運搬・清掃職で心病む人が多いというのは、残念ながらすでに心を病んだ経験を持つ人がそういう職業にたどり着くことが多いということなのかもしれない。 こうやって見てくると、教員の精神疾患の原因を多忙にのみ帰するのは間違いかもしれない。教員は精神状態の良好でない専門・技術職、事務職の一部であり、一人で難しい多数を相手にしなくてはならないという点では販売職と似たような立場にある。 また広い意味ではサービス業だからその意味でも“危い職業”であることは間違いなさそうだ。 太平洋戦争中、日本軍は戦線を広げるだけ広げて危うくなると兵力の逐次投入で片っ端潰し、アッツ島やガダルカナルでは生きとし生ける人間が無意味に殺されてしまった。 戦後の教育も9教科以外にたくさんの〇〇教育を重ねて戦線を広げ、毎年5000人もの兵を失っている。それでも2度目の敗戦とならないのはやはり教師が優秀だからかもしれない。 |