1、話し合いにならないものを話し合いだと思うから難しくなる。
                                    
「話し合いをしよう」と言っているが、後を読むととても話し合うような内容ではない

話し合いというものは、夏休みにキャンプに行くか海水浴に行くかといったどっちに転んでもいい場合だけであって「忘れ物をするな」「遅刻をするな」は話し合っていい問題ではない。

「教科書だけは忘れてもいいことにしよう」といった妥協点があるわけでもない。

相手の意思を聞いても取り上げる気がないなら、最初から聞くべきではないのだ。

この場合は最初から相手を折伏させること(良く言えば説得)が目的。
つまり勝つか負けるかという親子の勝負なのである。

勝負を話し合いと思うから難しくなる。

親子関係が権力闘争だという視点は、子どもの側にはある。にもかかわらず親の方がオットリ構えているから子どもに負ける。

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2、答えられない質問をするから、答えてもらえない
「人間はなぜ分かっていてもできないことがあるのか」は心理学のテーマだ。
こんなことに答えられるようなら、お宅の息子は学者だ
(もっともここで、忘却の原理は……などとやられても困るが)。

相手が答えられないことを聞いて、答えないと怒ってもしょうがない。

「なんでそんなに遊んでばかりいられるのか」
分かっているなら、なぜできないんだ 」
「勉強しないことについてはどう思ってるんだ?」
は、みな同じ。

親子の闘争で「意味のないことを問う行為」は毒にも薬にもならないことではない。
答えられないことを聞かれて答えないまま済ます、ということが繰り返されると、子どもは結局親の質問にはいちいち答えなくてもいいことを学んでしまうからである。

つまり答えられないことは聞いてはならないことなのだ。

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3、子どもが親をノックする。
次々と話題を変えるのは不良息子の常套手段だ。

「じゃあお父さんはどうなの?」
「じゃあこっちはどうなの?」
「これこれこういった件についてはどーう考えるの?」。

速射砲みたいに撃ちまくる息子の言葉にいちいち対応していたら、体がいくつあっても足りない。

子どもとの議論に勝てない最大のポイントがここにある。


「会話」はよくキャッチボールになぞらえられるが、この遊びのルールはいたって簡単である。
「投げる方はできるだけ捕れるように投げるから、捕る方もがんばって捕球しよう。はずしたボールははずした方が取りに行く」
それだけだ。

しかし、不良息子はそのボールを捕ろうとしない。
少し外れたボールを捕球する努力をしないばかりでなく、捕れるボールも必要に応じてわざとはずす。
はずしておいて取りにいかない。
そのくせ、新しいボールを次々と手にしては、とんでもないクソボールを投げてよこす。
これはキャッチッボールではない。
ノックだ。

要するに親が子どもにノックされてる。
ノックでする方がされる方より疲れるなんてことはありえない

捕る必要のないボールを捕ろうとしてはいけない。
またこちらの投げたボールは必ず拾いに行かせねばならない。


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4、好き嫌いでけっこう!
.子どもの言い方が良いか悪いかということは、つまるところ好き嫌いの問題である

「きちんとした言い方が好きで自分もしたい」という気持ちを、われわれは「道徳心」と呼んでいるが、例題の父親にはそうした感覚がない。

教育評論家の言う「子どもは納得しさえすればなんでもするモンです」の裏返しで「近頃の子どもは納得しないと何もしませんからねェ」などと呑気に構えている人もいるが、それこそ大問題じゃないか?

世の中、納得できることだけやってたらラチが開かんだろう。

「足を投げ出してメシを食うな」
「変な服装はするな」
「言葉遣いに気をつけろ」……
「先生の言うことはしっかり聞け」
「たまには庭仕事も手伝え」
は、理屈じゃない。
「勉強が将来いかに役立つか」とか「一流大学を出た方が得だ」とかといった話も理屈じゃない。
これらはすべて、きちんと説明しようとすると必ずドロ沼にはまる

この点息子の方はしっかりしている。
好き嫌いで言われると勝負にならないから「好き嫌いで言われちゃかなわないよ」と言うのだ。
だったらこちらは好き嫌いで話をするべきだ。

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5、「テレビで言ってた」にたじろぐ。
「粉ミルクは頭の良い丈夫な子を育てる」
「味の素を大量に飲ませると記憶力が高まる」
「日本式のオムツは、股関節脱臼を引き起こす」
「2〜3歳の時期、親が手を出さなければ、片付け上手の子が育つ」・・・・・・・・・
ウン十年前、マスコミ好きの教育ママのハシリである私の母が、乳幼児であった私に施した育児のノウハウである。
しかし全部はずれた


最近出ているトンデモナイ話は、
「子どもが学校に行きたくないといったら、とにかく休ませる。そうしないと不登校が長引く」(宿題やってなくて行きたくないときもか?)
「よい子が危ない」〈悪い子は危なくないんだな?)
「勉強の嫌いな子なんて一人もいない」(オイ、オイ、オイ、誤植かコレは?)

教育に関してテレビで言っていることの98%はウソだ。
うそじゃない場合もあるが、まぎらわしいのでウソだと思っていたほうがなにかと都合がいい。マスコミは不良息子よりさらにタチの悪いダダッ子なのだ。

「一貫性のない話し方が子どもを非行に走らせる」かどうかなんて、誰も知っちゃあいない。
それがホントかどうかはっきりさせるには実験するしかないが、「実験の結果、見事非行少年ができあがりました」なんてやれるわけないじゃないか。
子育てのノウハウなんて、隣のバッちゃんに聞くほうがよほどタメになるものだ。

マスコミが何と言おうと、自分が正しいと思ったことだけが正しい。
間違ってるかもしれんが、フラフラするよりマシ。少なくとも子どもには勝てる。

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6、先に反省してみせるからいけない。
ユーラシア大陸のある国では、停まっている車に追突しても、まず叫ぶ言葉は「バカヤロウ」でなければいけないという。
そんなところに停まっているからいけねェんだ、というところから話をスタートさせるのが仁義らしい。文化が違えば対処のしかたも異なる。

日ごろは宇宙人だの異星人だの言っていながら(ホントはこれらの言葉も古くなったが、もうそれ以上の言葉が見つからなくなったのでこう言っとく)「分かった、それは謝る」はないだろう。
こちらが譲歩すれば相手も必ず引いてくれるというのは、優れて日本人的な発想なのだ。
それを大気圏外に持ち込むからやっかいになる。

謝っていいのは、同じ態度を期待できる相手、つまり文化的に日本人である場合だけなのだ。不良息子はすでに人間であることすら疑わしい。

絶対に先に謝ってはいけない。
謝らなければならないような場面になったら、息子がやるように、投げかけられたボールを捨てて、できるだけ別のボールを早く投げ返すことだ。

「だったら、コレはどうなんだァ〜?」

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、できもしないことを言うからあとで切羽詰る。
マスコミは「教師は丁寧で懇切な指導をする代わりに、すぐに決まりをつくってそれに頼ろうとする」などと平気で言うが、「決まりだから」と言えば子どもはすぐに従うと思い込んでいるのかもしれない。
そんなことはない。

どんな場合も、決まりは守る方より守らせる方がしんどいものだ

明日から毎日3時間ずつ勉強しろ」と叫ぶ以上、親は翌日から本当にやっているか確認しなければならない。
とりあえず3時間は息子のそばにいなければならない。
それも1年365日毎日だ(もちろん、3時間学習ができるようになったら目を離してもいい)。

それができても(ホントにできるか?)「見ている」ことと「やらせる」ことは別問題だ。
考えているフリをしているだけの息子の頭の中を、どう管理して行けるのだろう?
結局、一月ほどほったらかしにしておいて、「あれほど『やれ』と言ったじゃないか」と怒るしかなくなる。

息子からすれば30日間我慢して勉強するより、1〜2時間怒られてる方が絶対楽だ


怒鳴りまくって暴力をふるう「恐ろしい親」はけっこういるが、毎日チェックし続ける「厳しい親」はめったにいな

守らせることのできないことを平気で言うから、子どもは決まりなんか守らなくていいと考え始める(他に道がないものね)。

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8、子どもは困らない。
勉強しないと結局は困る、と思うのは親の思い込みである。

子どもは絶対に困らな


成績が低くたってちっとも恥ずかしくない。
(マンガの主人公で成績のいいヤツなんているか? タレントは片っ端から元不良らしいし、東大出たヤツはみんなオカシイってテレビで言ってたゼィ!)。


宿題をしなくたって少しもかまわない。
(先コーが恐くて生徒ヤッテラレッカよッ……なにせ絶対ボーリョクふるわねェんだから)。

忘れ物をしたら、友だちから借りればいいじゃんかヨ。
友だちが貸してくれなかったらその辺に落ちてるヤツ〈例えば友だちの机の中に落ちてるの)を借りればいいじゃんか。
オレ鍵のかかっていない自転車はいつも借りてるぞ。


どう見たって大学へ行ってるアニキより、高校中退してバカやってる隣りの兄チャンの方が暮らしがいいのはどういうわけだ?
同じオヤジでも、ウチの親父より、矢沢の永チャンの方がカッコいいじゃないか、何で勉強なんかせにゃいけんのよ・・・・・・・・・。
まったくその通りだ

どもは絶対に困らない
困るにしても、それは取り返しがつかないほど手遅れになってからのことだ
そしてすでに手遅れになっている以上、親のアドバイスは『やっぱり親父は偉かった』という感慨以外の何も残さない。そんなもんだ。

しかし、そうは言っても真に息子のことを考えるなら、取り返しのつくうちに更正させてやらなければならない、ということもあるだろう。


そもそもこの家には「他人に迷惑をかけない」くらいの倫理しかなかったらしいところに問題がある。
その点で「困るのがぼくだけなら何の問題もないじゃないか」という息子の返答はマトを得ている。

昔、吉田松陰は養父に「怠けるな! お前が一日怠ければ長州藩の領民の苦しみが一日延びるのだ」と、ほとんど死ぬくらい殴られたそうだが、この家の息子はそんな大器じゃあない。しかしそれにしても、勉強しないで困るのは結局お前なんだ」以外に言いようはないのだろうか。芸のない話だ。

武田鉄也の「日本の輝く星になれ」まで行かずとも、せめて「世の中の役に立つ人間になれ」くらいは言っておいても良かったはずだ。

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9、結局殴った方が負け。
結局この例題の全ストーリーは、息子が父親を暴力へ追い詰める物語だったといえる。

暴力は絶対にいけない。
現代はたとえ相手が1歳児であろうと「言ってきかせる」ことを旨とする時代だ。

親であろうと暴力をふるった瞬間、ありとあらゆる立場が逆転し、不良息子は善意の被害者となり、よき社会人である父親は悪の権化と化す。
見よ!あの勝ち誇った息子の顔を!

親たるもの、最初からこの作戦を見越して、くれぐれも暴力に追い込まれないよう全力を尽くしてがんばらなくてはいけない。
(ただし、例外が2つほどある:本文参照))

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10、 母親が割って入ったら勝負は終わりだ。
不良息子との対決は父親の仕事である。
最終的に腕力の勝負になる危険性も考えると、母親に任せていい仕事ではない。

しかしその男と男(娘だったら男と女・…アレ?)の勝負の場に、母親が割って入ったら一切が終わりになる。

母親には親父などには及ぶべくもない重要な役割がある。
である以上、勝負が父親の勝利で終わるまで、この戦場に女親を入れてはいけない。

ただしもちろん、母子家庭の母親が勝負を挑む場合は、母親の中にある母性に退出してもらえという意味でもある。

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