BY OTTO |
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ジパング マルコ・ポーロの伝えた「ジパング」とは、英語の綴りをすると「jipang」である(たぶん)。最後の「g」はほとんど発音しない「g」、つまり「Shanghai(シャハイ)」や「Hong Kong(ホンコン)」に現われる「g」と同じ役割を果たす。 (ちなみに私の友人は昔、Hong Kongを「ホングコング」と読んでキングコングの仲間だと信じていた。) 「ジパング」はしたがって「ジパング」、正確には「ジッパング」であり、それがジャパンになまるのは、いたって理にかなっている。 ところで、中国の漢字では「ジッパング」はどのように綴られたのだろうか。 これは簡単である。「ジッパング」の「ジッ」は「元日」の「ジツ」、つまり「日」である。「パング」の方は「本」と書く。つまり、ジッパングの綴りは「日本」そのものなのだ。 「ジパング」がガセネタでなかったとすると、屋根も柱も金でできているという「黄金の都」伝説もガセでない可能性が出てくる。 鹿苑寺金閣?………ノー。 答えは奥州平泉中尊寺金色堂である。 12世紀の奥州平泉は世界的な金の産地であり、源義経が訪れた当時の平泉には、金銀螺鈿(らでん)を配した堂塔が600あまりもあったという。そして義経を平泉にいざなった「金売り吉次」こそ、この金を京都経由で中国南宋に送った男なのである。吉次は商人として、京都にある平氏政権の重税に耐えられなかった。そこで義経を使って平氏打倒を企てたのである。 「黄金伝説」はこの金の流れとともに中国に渡った。 当時信頼にたる通貨を持たなかった日本は、奥州産の金を使って南宋から通貨(宋銭)を買った。その量はすさまじいものであったらしく、猛烈なデフレーションに襲われた南宋はモンゴルに攻められる前に、実質的に滅びてしまった。 「黄金伝説」と「日本(ジパング)」の名が庶民のレベルまで浸透したのはそのためであろう。 オカチメンコ 漢字で書くと「御徒面子」である。「御徒(おかち)」は辞書によると「江戸幕府の下級のさむらい。徒歩で行列に従い、あるいは先導した。かちざむらい」とある。アメ横で有名な御徒町はこの「御徒」が集合的に集められた「町」であった。 金のない最下層の下級侍が集団で生活する例が多く、したがって衛生状態も悪く、痘瘡(天然痘)による「アバタ面」が多かったという。そこから御徒といえば醜い、といった印象が広がったのであろう。 辞書には「おかちめんこ=醜い女」とある。 ドデカボチャ これも辞書をひけば済むことだが、「かぼちゃ」だけで「かぼちゃのようにゴツゴツと醜い顔。かぼちゃ顔」と出てくる。アメリカではハロウィーンにジャック・オウ・ランタンというカボチャをくりぬいて目鼻をつけ、中にロウソクを入れる飾り物が出るが、カボチャと顔を結びつけるのは、古今東西共通の発想らしい。 さて残るのは「ドデ」であり、これについて「土手で採れた自生のカボチャはより醜い」という説を聞いたことがある。しかし「ドデ」は、「ド迫力」「どブス」の「ど」と共通する強調の接頭語であるとの説を、私は信じる。 シュークリーム これは難しくない。シューを英語だと思うから「靴クリーム」を食うハメになってしまうのだ。 フランス語。正しくはシュー・ア・ラ・クリーム(chou à la crème)。「シュー」はキャベツのこと。キャベツの形をしたクリーム。なかなかすてきですナ。 ちなみに英語ではシュークリームのことを「cream puff」と言うそうだが、だったら日本で言う「クリーム・パフェ」は英語で何というのだろう? 奥の深いテーマである。 ホットドッグ アメリカでは、もともとフランクフルトソーセージのことをホットドッグと呼んだらしい。 ある本に、 「Frankfurter(フランクフルト):牛肉または牛肉と豚肉の混合肉を薫製にしたソーセージ。アメリカでは hot dog、wiener、 weenyとの別名もある」とある。 フランクフルト・ソーセージは1800年代の半ば、ドイツのフランクフルトのギルドによって作り出された。これがダックスフントの胴体に似ていたので、一般には、ダックスフントソーセージとも呼ばれた。 フランクフルト・ソーセージがホットドッグと呼ばれるようになった背景には、あるニューヨークの漫画家の機転が関係しているという。 彼は漫画の中でフランクフルトの綴りが書けず、それでも犬のイメージを残す必要があってホットドッグの名を用いたというのである。 ホットドッグ(フランクフルト・ソーセージ)が細長いパンにはさまれて売りに出されたのは1883年、セントルイスでのできごとである。10年後の1893年には初めてセントルイスの野球場で専門の売り子によって場内販売されるようになった。野球とホットドッグというアメリカンスタイルの誕生である。 フランクフルト・ソーセージからはダックスフントの胴体などという複雑な連想よりも、もっと単純な連想もあったはずだ。しかしそちらに流れなかったことは今日のアメリカ人にとって幸せであった。 黄門味噌 あった。確かに「黄門」と「味噌」をネーミングに配した味噌は存在した。 ただし正確には「水戸黄門さまみそ」。水戸市の某味噌店から販売されている。コマーシャルになるのでここには書かないが、[黄門 みそ]で検索エンジンにかけると得られる(だからインターネットはすごい)。 「こうもんみそ」といった強烈なインパクトに比べるとまったくつまらない。やはり「さま」を抜くわけには行かなかったのだろう。 しかし、ともかく、一応は存在した。 ただし夫婦喧嘩の趣旨からすると、この勝負は洋子の勝ちと認めなければならない。無念である。
オーエスについても、あるインターネットサイトに問い合わせたところ回答をいただいた。
以下、原文の通り。 これは意外にもフランス語で... ”Ho(Oh)! hisse!”です。 (”H”は発音しないのでこういう発音になります。) もっと詳しく言いますと”hisse”の原型は動詞”hisser”です。”hisser”は他動詞で”引っ張る”とか”持ち上げる”という意味です。 それの”命令形”が”hisse”となります。 発音は、フランス語には英語のような”二重母音”がないので、【ise】と なります。 やはり博識の士はおられるものだ。 (2000.01.13) |