艶姿3人日記 (2001年2月)  

 

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2月25日(日)

 

<町の散髪屋さん>

4年前、東京に住んでいた頃の事を、時々懐かしく想うときがある。
ハンディキャップをもつ子どもを抱える家族にとって、
受け入れてもらえる歯医者、耳鼻科、散髪屋をさがしだす事は
とっても労力の要る事だ。
歯医者、耳鼻科はありがたくも住いの近くに見つかった。
或る日、それまで自宅で散髪していた息子を、
初めて散髪屋さんへ連れて行こうと決心した。
体重20キロの息子を自転車の後ろに乗せ、「福祉協力店」と
いう看板があるお店に飛び込んだ。
「断わられてあたりまえ」と思いトライしていたが、
4度も門前払いされるとさすがにこの私も落ち込んだ。
町を自転車で1時間以上は走っていたと思う・・・。
「もうこのお店で最後にしよう」そう心にきめ入ったお店。
バリバリの江戸弁で小粋に話す、白髪頭のおやじさん。
快く息子の髪にはさみを入れだした。
生まれて初めて、まともな<ぼっちゃんがり>!
それからはおやじさんのお店に、父親が息子を連れ、
1カ月ごとに通っていたと思う。
福岡に転勤する数日前に最後の散髪に行った。
「今までで1番おりこうさんだった!」と誉めてくれた
おやじさんにお別れを言った。
奇跡に近いような息子の行動は、おやじさんへの
感謝の気持ちだったと思う。

おやじさん、今も元気で散髪屋さん続けていますか?
あの時おやじさんと出会ったお陰で、世間をうらむ事もなく
今も勇気を出して<町の散髪屋さん>に通えています。
今日も息子は見事なぼうず頭になって帰ってきました。
 

 

2月24日(土)

 

今日こそは、娘とケンカせずに1日を過ごそうと
頑張ってみるものの・・・
夕飯を食べ終わるころに、ブチッ!!

幼稚園や学校が終わって帰ってきてから、
子供たちといっぱい遊ぼうと、午前中から夕飯の支度!
もちろん掃除に洗濯、その他の用事を済ませるころには
子供たちの迎えの時間。
おやつを食べ、公園でめいいっぱい遊び、うわーっ!今日も派手に
汚してくれる子供たち。
それからお風呂!子ども2人を入れると私なんて温まる暇がない。
そして、待ちにまった夕飯!
息子は本当に食べるのが上手になった(笑)!!
もう全身でご飯を食べると言った方がいいようなっ・・・
だから、お風呂に入りなおすことなんて、しょっちゅう。
もうこのころから、私の電池は切れかかってくる。
息子に手がかかればかかるほど、下の子はその分私との
かかわりを求めてくる。わかっちゃあいるけど・・・
そんなこんなで、ちょっとしたことで娘とケンカ・・・

そんな娘が私に手紙をくれた。

おかあさんへ
おかあさんは、いつもいつも、ぷりぷりおこってばかりだね。
でも、こころのなかでは、やさしいおかあさんだって
わかってるからね。
わたしも、わるいおくちばかりで、ごめんなさい。
わたしも、こころのなかでは、やさしいわたしだからね。

  

2月22日(木)

 

<あなたにあげる>

親の会主催の勉強会で胸にグッときたお話がありました。
「自分の時間を持ちながらも、1日20分でいい。
掃除をしながら、お茶碗を洗いながら、〜しながらではなく、
1日20分の自分の時間を<あなたにあげる>という気持ちで
子どもと向き合う事が大切なんだよ。」

長男にも次男にもそして旦那様にも、
<私の時間をあなたにあげる!>

 

   

2月21日(水)

 

あーあっ、今日も娘と大喧嘩してしまいました。
社宅中に私と娘の泣き声が、聞こえたかも・・
子供とケンカしながら、私自身が成長しきれていない
とても嫌な面が見えてくるのがなんとも・・・歯がゆいのですが。
口も生意気になってきて、それが成長だとドーンと構えてればいいのでしょうが、
どうしてもそれが許せなくて・・・
ダメですね〜・・・
結局は娘を傷つけてしまうんですよね・・・
誰か、5歳児の扱い方をおしえて!!と叫びたいです。

   

2月19日(月)

 

ボランティアの学生さんに、
<子どもの色々な行動を認めてあげて!そして、共感して!>
と言う事を言ったにも関わらず、自分自身が出来ていない事に
気づき反省しました。

毎朝学校の連絡帳を書く時、わが子は必ずペンを取りに来るのです。
そして、ポーン・・・
時間もなく、ついつい私はダメ!
なんていいながらわが子の行動をよける事ばかりしていたんです。
次第に奪い取るスピードも増しそんなバカな駆け引きをしていたんです・・・《反省》
でも、学生さんたちに伝えた事を自分自身で反省した私は
次の日、相変わらずペンを取りに来たわが子に、何もせず、
その行動を受け止めました。
投げたペンは声かけと指差しで、ちゃんと取ってくれ私に渡してくれました。
その時には誉めました。
同じ事を2〜3回繰り返しました。
でもその次!ペンを取りに来るスピードが明らかに遅くなったんです。
そして、逆に私の顔をみて『ん!?』って顔をわが子がしたんです。
5〜6回目くらいから、ペンを取るけれども何も言われずとも
私の手に返してくれるようになりました。
そして、10回目くらいにゆっくりとペンには触ったものの
私の手からは取り上げず、自分の手をペンから離しました。
これが最後でした。

そして、にこ―ッと笑ったのが忘れられません。
時間にして、たったの5分くらいだと思います。
こんなやり取りが出来たのは、初めてで
言葉に出来ないくらいの喜びを感じました。
(ナイショ!その晩主人にこのことを話すと、涙ぐんでたんですよ!)

次の日、知らないうちにこの話を妹は聞いていたんですね。
「兄ちゃんが私の足を、ギューしたけど何にもいわんかったら
ちょっとで止めてくれたよ!すごいね!!」ですって。
参りました。

   

2月15日(木)

 

<バレンタインデ−>

高鳴る胸をおさえながら、憧れの人に
チョコレ−トを手渡すなんてこともうないな-。
そんな事あったら危険だよね。
旦那様には初めウィスキ−ボンボンを
あげていたんだけれど、
<キライ>なのが分ってそれからは、
毎年<プラチナフォアロ−ゼズ>を
差し上げています。
(今年はフツ−のフォアロ−ゼズでした。
 ごめんなさい)
愛する息子達には子どもらしいチョコレ−トを
あげました。
「世界で1番すきよ!」って言葉を添えて。
次男坊がムシャムシャチョコレ−トを食べながら
言いました。
「おかあさ-ん、バレンタインデ−もけっこういいね!」

 

   

2月1日(木)

 

宝塚方式! それは、
「法内施設(授産施設や更正施設)の利用者は、概ね10年を区切り
として法外施設(小規模作業所)を含む他の施設に移動し、新しく学校を
卒業してくる人たちに席を譲る。」 というもの。

昭和63年に法内施設がいっぱいになり、親の会運営の小規模作業所が
開所したのがはじまりだそうです。それまで法内施設に通っていた人たち
のなかから約10名が小規模作業所に移動し、新しく養護学校を卒業する
人たちに席を譲る事になったという。

えーっ!なぜ新しい人が作業所にいくことにしなかったの???
そこが、宝塚のすばらしいところ。
「自分たちは10年間、運営が安定して設備の整った法内施設で余裕を
もって指導をうける事が出来た。新しい人たちにも、同じようにまず法内
施設で指導を受ける機会を持たせてあげなければならない!」というのが
その理由だそう。10年を経過しても、新卒者の為に次々と移動し席を
空けてきたのだという。

確かに法外施設は、公的補助金だけでは運営費が足りない。
けれども親の会では、法内施設から出た人たちを皆で支えるために、
年金搬出金や会費による運営協力金を始めて、現在も続いているという。
10年もいて、せっかく慣れた施設を移動するのはイヤでしょうね〜・・・
でも、宝塚の人たちは、10年に1回くらいの移動や交流があっても、
よい刺激になるのではと、親子共々前向きに進んでいるとのことで、
本当に頭が下がるおもいです。

宝塚の親の会は、《かあちゃん》たちが頑張ってるそうです。
《とうちゃん》は、しっかり働き《かあちゃん》が頑張ってるとき
子供の面倒をしっかりみてるそう。

最後にこのお話をしてくださった先生が
「福岡の《かあちゃん》たちも、がんばらんとねぇ〜。
してもらう事ばっかりに、慣れちゃぁいかんのよ。
《かあちゃん》たちの意識が高いと具体的に行動に
でてくるんよねぇ〜。
我が子さえ良ければ・・・と言う人がいちゃあできんよね。
美味しいとこばっかり取っちゃぁ、いかんよっ!!」
で、締めくくられました。

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