艶姿3人日記 (2001年4月)   

 

  戻る

 

 

   

4月30日(月)    永遠の別れ

 

 

明治、大正、昭和、平成と生き抜いてきた、
父方の祖母が亡くなった。
 
毎年お盆で帰省すると、テレビの終戦記念日特集で、
機体に日の丸が大きく描かれた飛行機が撃ち落とされ、
海の藻屑となって消えていくシ−ンを見ながら、
オイオイと泣いていた。祖父は、空軍のパイロットで
昭和20年7月7日に戦死したことを教えてくれた。

それからの祖母は2人の子どもを、女手1つで
育て上げた。35歳からずうっと1人で・・・。

母とは同居している間よく、嫁姑ゲンカをしていた。
激しく母の事をなじる姿を見て、憎しみを覚える事も
あった。

4年前からは痴呆症が重くなり、
失禁をするようになってからは、家族での介護は
限界になり、住み慣れた家を離れ病院で過ごしていた。
お見舞いに来る家族には、相変わらず憎まれ口を叩いていた。

お葬式が終わり、いちばん苦労が多かった母がポツンともらした。
「死ぬ前にかずえさんありがとうね。」のひと言が聞きたかったと。
あまりに急な知らせに、誰もみとって上げられなかった悔しさか・・・。

紅をさし、薄化粧をした祖母は90歳とは思えないほどきれいだった。
今頃は祖父と逢い、戦争で引き裂かれた幸せな生活をやり直している事だろう。
私がまだ幼い頃、甲突川の辺で軍歌<同期の桜>を教えてくれた祖母は、
甲突川の桜が散ったのをみとどけると、祖父の元へ永遠の旅に出た。

 

   

4月27日(金)    うちの息子の笑顔は“世界一”

 


そんな笑顔を見たくて私は、あの手・この手で息子に笑って
もらうことに命をかけている。
ある晩のこと。
やっと寝てくれホッとしたものの、なぁ〜んかさみしい・・・
私は、息子の耳元で《魔法の言葉》をささやいた。
すると息子は、目をつぶったまま『ふっ・ふっ・ふっ・・・』と
白い歯を出して笑ってくれるのだ!
これがまた気持ち悪いが最高の笑顔♪
たっくさんある魔法の言葉を次から次へささやく私!
もう身体は寝ているにもかかわらず、息子にうけまくっている。
ここらへんでやめときゃぁ〜よかったのに、調子にのったわたしは
旬の魔法の言葉をささやいた!!
すると、息子の手がバチ〜ンと私の顔面に・・・
えっ!?見えてるの?と、思うくらい顔面直撃!!
私は、目からお星様がチラチラ・鼻血がタラーッ・・・
あまりの情けなさに、自分自身泣き笑い・・・
なんか、こんな自分が好きなんだなぁ〜・・・
 

   

4月26日(木)   ある朝の出来事!

 


娘が、「おかあさーん、見て見て!」
と呼ぶので行ってみると、食後のデザートに用意してあった
イチゴの一つを娘が指差して、「兄ちゃん、これよ!」
なんて生意気に言っている。すると兄ちゃんがそのイチゴめざし
フォークで刺して食べているではないか!
山盛りのイチゴのなかで、兄ちゃんは妹が指差したイチゴをきちんと
見ているではないか!
偶然ではなく、何回も妹が指差したイチゴを兄ちゃんは
食べているのだ。
感心する事に、妹の声かけと指差しのタイミングが、おみごと!!
こんな事教えた事もないし、娘に言った覚えもない。
しかし、娘はちゃんと見たり、聞いたりしていたのだ。
私の日ごろの行動と、人との会話を・・・
そして、娘なりにきちんと理解していたんだ。

   

4月13日(金)   ふうせん

 


自閉症という障害を、背負って生きている我が家の長男だが、
週に2回水泳の個人指導を受けている。
今日はその水泳教室の日で、ついに75Mをビ−ト板なしで泳いだ。
 息子から、またひとつをもらった。
この夢は風船のように大きくふくらんだり、ある時はしぼんだり・・・。
でもこのふうせん、市販の風船と違うところは、しぼむけれども
決してこわれないふうせんなの!
 

   

4月6日(金)   「また、どうぞ!」

 


ペ−パ−ドライバ−である私と行動を共にする息子は、
どこへ行くにも公共の乗り物を乗り継いで行っている。
他の乗客が降りるとき、「ありがとうございました」と愛想よく
声をかけられる運転手さんが、私達親子には無言だったり、
料金の計算方法を知らない人に、「料金が足りない!」と
呼び止められたり・・・。
特に路線バスでは、いろいろとあるけれど、
これからも根性だして乗っていこうと思っている。
 今日もまた、歯医者さんへ定期検診に向かうためにお世話になった。
息子が60円を料金箱に入れ、後ろにいた私が<療育手帳>を
運転手さんに見せたときだった。
「また、どうぞ!」と思いがけない言葉と笑顔をもらった。
うれしくて、ニッコリ微笑返しをしてバスを降りた。
(もちろん、36歳の母が・・・である)
 

   

4月4日(水)    1ダ-スの思い出

 


私が高校受験のときだった。
(もう大昔!20うん年前!)
鹿児島ではすべり止めに私立を1校と、
第1希望の公立を1校受けるのが、
その頃の平均的な高校受験のかたちだった。

すべり止めの私立を受けに行った時のこと。
誤って消しゴムを床に落としてしまった。
そして、その事を試験官に言い出せなかった。
間違った答えを2本線で訂正しながら続けた試験は
とても悔いの残るものだった。
家に帰って母の顔を見ると、悔しさで涙があふれ
消しゴムのことを話した。
母も、もらい泣きをしていた。

そして迎えた公立の試験の日の朝。
食卓には、芯がとがれている12本の、
消しゴム付き鉛筆が置かれていた。
 

   

4月2日(月)     <迷惑な話やでぇ〜>

 


花粉症で苦しんでいるのは、主人だけではない。
音に敏感な我が家の長男にも被害が及んでいる。
家が振動するほどの「ハァックション!」、予告なしに
繰り返される「チーーン、チーーン!」←(おやじぃ〜が
ティッシュで鼻をかむ音)。
長男は「ミンミンマ−−!」と怒ったり、おやじぃが
ティッシュを手にすると、その手を止めて応戦していた。
見かねた私が、くしゃみは仕方がないとしても、
鼻をかむときは長男にティッシュを見せて、
予告をしてくれないか?とおやじぃ〜に頼んでみた。
ティッシュを見せられる事により、心構えができた長男は
<うん、うん>とうなづき、おやじぃの手を止めることはなくなった。

あれ??長男がかわいそうだと思っていたが、
自由気ままに鼻もかめないおやじぃの方が、
実はかわいそうだったりして??

 

 戻る