艶姿3人日記(2001年7月) |
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7月29日(日) <苦楽を共にしてくれる人> |
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子どもの状態がよくない時、 家族の者だけで支えるのが苦しくなる。 逃げ出したい気持ちにかられる。 子供も、親も混乱している。 状態がよく落ち着いているときでも思う。 私達親子を見守ってくれる人。 私達夫婦の次に我が子を愛してくれる人。 子どもを育てるエネルギ−の源に なってくれる人。 苦楽を共にし、一緒に切り抜けてくれる人。 贅沢な願いだけれど、 そんな心強い人が側にいて欲しい。 |
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7月27日(金) <バスの中で> |
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夏休みの或る日、私達親子はド−ム行きの バスに乗った。 ふと見ると、1番前の座席には障害をもつ 青年が1人で座っていた。 その青年は、バス停に着くたびに座席を離れ、 運転手さんに身振りと不自由な言葉で、 何か一生懸命に聞いていた。 そのたびに運転手さんは一生懸命に、 大げさな身振りをまじえ、青年の目的地は まだである事を説明していた。 説明は青年が納得するまで続けられ、 青年が座席に着くのを確認するまで、 バスが発車することはなかった。 優しい心をもった運転手さんに感動しながら、 心地よくバスに揺られ、青年も、私達親子も 目的地のド−ムでバスを降りた。 我が子がその青年の年頃になる10年後、 愛する福岡の町はどんな風に変っているのだろうか? 願わくば、弱い立場の人たちも堂々と自由に 町を歩ける、そんな素敵な町に変っていて欲しい。 |
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7月4日(水) | |
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9年前の7月1日。 私は深い悲しみのなかにいました。 今日を生きていく事さえも考えられず, 体が引き裂かれるような, 28年間生きていて,あじわった事が無い 深い深い悲しみでした。 9年間その悲しい思い出は, 消える事はありませんでした。 これからもず-っと,きっと私が 天に召される日まで,その記憶は 消える事はないでしょう。 その悲しい思い出を,親しい人に 話せるようになったのは, 2年ぐらい経った時です。 それまでは口にするのがとても辛く, 話せなかったのです。 人間は本当に辛い事は, 人には話せないものなんだと いう事を経験しました。 <時間>はとてもありがたいものです。 悲しい記憶は消してくれませんが, それでも少しずつ少しずつ薄れさせてくれます。 毎年7月1日は,私にとって 命の大切さを思い知る日です。 |
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