艶姿3人日記 (2001年10月)   

 

 

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10月11日(木)    あれこれ・・・ 40歳まえ

 

 


数日前とうとう37歳になってしまった。

36歳は30代が半分過ぎたところ。
でも,37歳となると40歳目前!
40歳に手が届くぞっー!という感じ。

最近,次男坊のお友達の名前をよく間違える。
「おかあさん,としとったけんまちがえるとよ・・・。」
周りにいるお友達に聞こえないように,
耳元でそっと次男坊に注意された。

道路を歩く時,少しの段差につまずくようになった。
自転車はバランスを崩して2回もこけた。
瞬発力がなくなり,「キャ−ぶつかる!!」と叫びながら
若い兄ちゃんの乗る自転車にぶつかってしまった。
この時も次男坊には「としとったけん,ぶつかるとよ・・・」
と諭された。(まったく,その通り。数年前だったら
避けることができていたと思う。)

肩を回す時に,ゴキゴキ油が切れたような音が
するようになった。
何かをするつもりで2階に上がったが,
肝心の用事を忘れて,思い出すのに
時間がかかるようになった。
 

 

10月8日(月)    舅のお宅訪問記

 


大分出身の主人と鹿児島出身の私は,
福岡に2年前に家を建てました。
舅は只今72歳。
生まれてからず-っと大分で暮らしてきた人です。
鹿児島出身の私が嫁に来るときも,
まるで外国から嫁をもらうみたいに,
大騒ぎしていた人でした。
(舅曰く,町内からお嫁さんをもらいたかったそうです)

私達が家を建てるときも「わしゃー捨てられたごたある。」
と,工事が始まるまで言っていた人です。
息子は大学の時から親元を離れ1人暮らしをしていました。
就職してからは,2〜3年ごとに転勤を繰り返す転勤族です。
18歳の時から一緒に暮らした事がないのに,
年老いた舅からすると
<土地を買う=福岡の人間になってしまう=捨てられる>
と,なってしまうようです。
私の目には<子離れできない父親>の舅の姿が映ります。

そんな舅が1泊2日で,初めてこの家へやってきたのです。
大分から出るのは10年ぶりぐらいでしょうか?
来る前からそりゃ〜もう,大変大騒ぎでした。
そして,舅は誇らしげに「立派なもんができた!!」と,
何度もなんども繰り返すのでした。

何かを見届けた舅はソニック号に乗って,
大分の家で待っている姑の元へ帰っていきました。

おとうさん,
私達は福岡の人になるけれど,
決してお父さんを見捨ててはいないからね。

   

 10月5日(金)   深まる秋の景色・青森編

 

 
我が家のハナミズキの葉っぱが朱に染まった。
この時期になると以前住んでいた,
青森の景色の美しさを思い出す。

十和田湖,奥入瀬渓流,八甲田山。
繊細な線の樹木たち。
葉が朱や黄色に染まり,美しさに感動で
涙が出るほどだった。
山芋の葉っぱも美しく紅葉するのには驚いた。
街路樹の<ななかまど>や<はなみずき>も
燃えるように赤くなっていた。

泣きたいような気持ちで青森へ転勤したが,
(いや,実際に泣いていた)
紅葉の美しさに出会ってからは,
来て本当に良かった,と思った。

美しい短い秋が去っていくと,すぐに
鉛色の空に覆われた長い冬が青森にやってくる。

子ども達が大きくなったら,いつか夫婦で
あの素晴らしい景色に会いに行きたい。
まだ小さかった長男を抱っこして歩いた,
十和田湖からつづく奥入瀬渓流を歩いてみたい。

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