マイケル・ピッピロの旅日記

  
 
 

   シャボキャンOBの坂井さんと工藤さんから旅の写真をお借りしました。
  お二人は大学在学中は学生ボランティアのリーダーとしてシャボキャンを
  引っ張っていってくれました。
   現在、坂井さんは高校の社会科教師として教鞭を執っておられます。
  曰く、「自分の体験した生の現実を生徒に伝えたい。だから世界中を回って
  いろんなものを見てきたい。」
   工藤さんは、前の仕事を辞めて、昨年から社会福祉施設に勤務されて
  おられます。「どうして、施設で働くようになったの?」と聞くと、「う〜ん、
  とってもやりたい仕事だと思うようになったから。」とのことでした。

 

   「トラベル・メーカー?」

   〜旅のスタイル〜                           坂井美由紀
 

 

「トラブル・メーカー」いや「トラベル・メーカー?」とでも呼ぶことができるであろう私の旅

には、必ずといってもいいほどトラブルがつきまとってくる。しかしそれは私の旅のスタ

イルがあまりにも無防備であることにその原因があるわけなのだが、、私の旅という

ものは完全にフリーの状態から始まる。手に持っているのは往復の航空チケットだけ。

着いたら着いたで、そこでその日の宿を探すのだ。こんなやり方で私はいろいろな国を

旅してきた。それは10カ国をこえる数にものぼる。その中で、もっとも印象に残った旅、

南北アメリカ大陸縦断について今回述べようと思う。

  〜日本からニューヨークヘ〜

 1999年3月、ちょうどこの1ヶ月間、私は南北アメリカ大陸を旅した。福岡から関空、

関空からアメリカのダラス、そしてダラスからニューヨークヘと旅立った。その間にもトラ

ブルメーカーの私は、やっぱり関空で遅れて飛行機を待たせたり、ダラスでも今度は

飛行機に置いて行かれそうになったりとトラブルを起こしそうになった。しかし、とにかく

ニューヨークに着いた私達(友人のMが旅連れだった)は早速宿を探すことになった。

着いたのは夜の11時である。この日は夜に着くことが分かっていたので、その日の夜

だけはN・Yのモーテルに前日から予約をいれておいた。しかし空港のインフォメーション

のお兄さんにこの宿の場所を聞いてみると、このモーテルはN・Yのメインであるマンハッ

タンにはなくて、橋をこえた隣のニュージャージー州(田舎である)にあることが発覚した。

マンハッタンで安宿を探そうとしたのだが、なんといってもマンハッタンの宿は高い!

長旅で疲れた私達はこの日だけはシャワーを浴びたかったので、マンハッタンでボロ

宿に泊まるよりは田舎のモーテルに泊まることに決めた。夜中だったので、地下鉄も

バスもなく、タクシーに揺られながら、タクシーのおじちゃんにも苦労をかけ、やっと見つ

かった田舎のモーテルに着いたのは深夜の3時だった。それがニューヨークの始まり

であった。次の日からはマンハッタンに移動し、なんとか安い宿を探し、N・Yを味わうこ

とにした。やはり N・Yといったら「自由の女神」だ、と考えた私達はまずは女神を目指

すことにした。地下鉄に乗り、女神がいるリバティー島へのフェリーに乗りこんだ。しかし

そこで、ふっと周りを見渡してみると、なんだか乗っている人達がどうも大衆っぽい。観

光客のような人は誰1人いない。これは違うぞと思い、フェリーの係りのおじさんに尋ね

てみると、このフェリーは全く違う島にいくということだった。間一髪でフェリーから降り、

女神がいるリバティー島への最終の便に乗ることが出来た。フェリーには乗り込むこと

は出来たが、その日は雷も鳴り響く、大荒れの天気だった。「自由の女神」とも強風の

中のご対面である。しかし女神は大風の中にも堂々としていてその偉大さに感動した。

それからそのまま、その大荒れの天気は続き、

あの有名なエンパイアスティトビルに登ったとき

も雷が鳴り響いていた。映画さながらの「キング

コング」の世界であった。

 

      


      

 

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