〜ペルーからボリピアヘ〜
 

 

それから再びクスコに戻り、私達は高山列車で、プーノという町に向かうことにした。

クスコでお世話になったペルー人に別れをつげて、早朝から列車に乗りこんだ。この

列車は一日かけてプーノに向かう列車で、途中では4000mをも超える高山列車で

ある。私は列車の中からリャマの大群を眺めたり、たまたま一緒になったイタリア人の

2人とおしゃべりをして列車の旅を楽しんだ。

 


  
 

 

 

夜遅くプーノに着き、次の日にはペルーとボリビアをまたがる湖、チチカカ湖の現地ツア

ーに参加した。このツアーで偶然、列車で一緒になったイタリア人2人と一緒になった。

(この2人からは、ただ日本人というだけで、トーキョウ、と呼ばれることになったが)この

時期ペルーは雨季明け間近で、チチカカ湖がきれいに晴れわたることはめずらしい、

と言われていた。しかし、私の晴れ女が効いたのか、この日はものすごく天気が良く、

アシでできた浮島で有名なウロス島やケチュア民族の島タキーレ島にも行くことが出来

た。帰りは天候が急に悪くなりボートが揺れに揺れて、友人Kが叫び続けるほどであっ

た。(これを見て、イタリア人のおじちゃんは、トーキョー、と言ってかなり笑っていた)。

プーノの町とイタリア人達に別れを告げ、私達はボリビアに向かった。今度は長距離

バスに乗り込み、国境越えもバスを降りてのことであった。国境の町で一泊し、ボリビア

の首都ラパスに着いた。ラパスは高さ3650mの世界最高所にある首都であり、空気

が薄いうえに、坂が多く、ちょっと走っただけでも息がきれるほどであった。私達は宿も

無事に探し出し、ラパスで久しぶりに高級料理(といっても日本円500円ぐらい、で食べ

ることができる)を食べたりした。しかし、このラパスが私と友人Kの最後の場所であっ

た。私は大学の卒業式のために、このラパスから再びアメリカのマイアミに戻り、日本

に帰る予定であった。早朝出発でも見送りは絶対すると友人は言い張っていたが、や

はり明け方起きてみると、Kはぐっすり眠っていた(前の晩彼女は飲みに行っていた)の

で、私は起こさずに日本から持ってきた漬物とメッセージだけを残して、一人でタクシー

を拾って空港に向かった。それからKがまだ眠っているボリビアを後にし、マイアミで

一泊した後、私は無事に日本に着くことが出来た。ずっと旅の間中、私は日本の粘り

気のある白いご飯が食べたいと思っていた。それゆえ、絶対に関西空港についたら一

番におにぎりを食べよう、と心に決めていたが、旅の終わりから胃を壊していた私が空

港で一番に口にしたのはソルマック(胃腸薬)であった、、、。こうして1ヵ月にもわたる私

の旅は終わった。日本到着の二日後、私はまだまだ時差ぼけが完全に直らないまま

袴を着て大学の卒業式に参加していた。なんとも不思議な感覚であった。

私の旅には必ずといっていいほどトラブルがつきまとってくる。これがいいことなのか

悪いことなのか、私の性格から引き起こしていることもあるのだが、この予期せぬトラ

ブルがあってこそ私の旅といってよいのかもしれない。そして私は、世界に対するこの

大きな計り知れない興味がありつづける限り、旅を続けようと思う。
 

 

   

 

 

 


    

 


 

 

       

 

  

 

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