幸運にも飛行機のチケットはすぐに手に入れることができた。早速私はすでにKがいなく
なったクスコに行き、せっかく来たのだから一人で遺跡めぐりでもしようなどとあれこれと
考えていた。しかし、ここで奇跡が起きたのである。ホテルで一人、これからの計画を考
えていたときに、電話がかかってきた。その内容はこうであった、「あなたの友人Kさんが
〜ホテル(ホステル)に泊っていますよ」。私は本当に奇跡が起きたと思った。私は友人に
日本にいた時に(何事もなく、スムーズにいったときの)私がクスコに到着する日時と時間
を知らせていたのだ。さらに、出発する直前に一人での南米への旅に不安を感じ、クス
コの空港に到着日だけタクシーに迎えに来てもらうように手配をしていた。到着予定日
(実際は会社の倒産で到着しなかったのだが)、クスコのタクシーのおじちゃんは私を見つ
けようと、「ミユキ・サカイ」と書いたプラカードを掲げていた。それを、私を迎えに来たKが
目にし、起こった出来事を教えてもらい、さらに私と連絡がついたらKが泊っているホテ
ルを知らせるように、と伝えていたのだ!リマで会った旅行会社の人が私の状況を理解
してくれて(なんと、いい人だこと)このタクシーのおじちゃんと連絡をとり、私に知らせてく
れた、ということであった。私はすぐに飛び出して、Kが泊っているホテルを探しにいっ
た。やっとホテルを見つけ、そこの女主人に「Kという日本人はいるか?」と尋ねると、女主
人は私を部屋に案内してくれた。ドアをたたくと、声がして、Kが出てきた。私は感動のあ
まりに、「K!」と叫んで涙ぐんだ。(当のKは高山病でそんな感動を味わうことが出来る状
態ではなかったのだが、、)感動の再会を果たし、これで一人で遺跡めぐりをしなくていい
ぞ、と思いきやKは高山病がひどく(頭がものすごく痛くなるのだが)、外に出ることが出来
なかった。結局クスコ郊外の遺跡めぐりには現地のツアーに一人で参加することになっ
た。Kの体調が良くなり、ついにメインのマチュピチュヘ向かうことにした。(空港から電話
した時の私をおいていったKは別人だったらしい、どうも日本人の名前は全部同じに聞こ
えていたようだった。)アウトバゴンという列車に乗り込み、マチュピチュの一つ手前の町
で一泊、そして翌日マチュピチュに登った。その日は朝からものすごく霧が多く、周りにい
る人達からは今日は霧が多くて、遺跡は見られないよ、といわれていたが、意地でも見
てやろうと強行突破したとたんに、なんと幸運なことに霧が晴れてきたのだ。霧の中から
現れたマチュピチュの遺跡は口にすることができないくらい素晴らしかった。ここにきて
やっと心から、怖い思いをしてまで南米まで来てよかった、と感じることができた。
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