綾辻行人 07


暗闇の囁き


2000/08/04

 綾辻さんの「館」シリーズなどの本格ミステリーを評して、「人間が描けていない」という陳腐なフレーズを持ち出す連中が今でもいるのだろうか。彼らの言う「人間が描けている」の基準が何なのか僕は知らないが、本作を読めばよくわかる。綾辻さんは人間を「描けない」のではなく、「館」シリーズでは敢えて「描かなかった」のだ。

 美しい兄弟、実矢と麻堵のまわりで次々と起こる奇怪な死。女性家庭教師は黒髪を切られ、乱暴者の従兄は眼球をえぐり取られ、その母親は爪を剥がれていた。黒髪、眼球、爪、そして…。持ち去られた人体の一部には、一体どんな意味が?

 息子たちを理解しようとせず、俗世間から隔離した環境下に置く父親。その結果、父を恐れ、ただひたすらに無垢で純粋に育った息子たち。この痛々しいまでの切なさは、哀しさはどうだ。実矢と麻堵の切なる願いを、一笑に付することができるか? これでもなお、得意のフレーズを口に出せるか?

 実矢と麻堵の父親も、愚かしいまでに哀しい人間である。彼は誤解していた。息子たちをただ力で押さえ込んだ。無菌室で純粋培養するかのような育て方をしたのは、他ならぬ自分自身なのだ。そんな彼に、息子たちを叱る資格はないのに。美しき兄弟たちは、無菌室から放り出され、汚れた外気にさらされて生きていけるのだろうか?

 とは言え、あくまで本作のメインは謎にある。奇怪な連続死が記憶を呼び起こし、やがて謎は哀しい真相へと収束していく。「館」シリーズとは対極に位置すると言っていい「囁き」シリーズだが、やはり綾辻ブランドの作品には違いない。だから、「人間が描けている」などとは決して言いたくない。

 個人的には、『十角館の殺人』と双璧を成す傑作だと思っている。それにしても、講談社文庫版のカバーに使われた人形は、あまりにも本作に相応しい。



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