綾辻行人 21 | ||
暗黒館の殺人 |
前作『黒猫館の殺人』が刊行されたのが1992年4月。同作の文庫版あとがきに、次作の舞台が「暗黒館」と予告されたのが1996年5月。冒頭部を書き始めたのが同年9月。「IN★POCKET」2000年3月号より、書き下ろしの予定を変更し連載に踏み切る。
そして2004年9月、最も続編を待ち望んでいた「館」シリーズ最新刊が届けられたのだ。実に上下巻にして2,500枚という大作。ためらうことなくレジに持っていく。
元々読むのは遅い僕だが、敢えて急ごうとはしなかった。初めてリアルタイムに訪れる「館」。じっくりと探索しようではないか。そしてようやく探索を終えたが…これは評価が分かれる作品だろう。僕自身、期待通りだった面とそうではなかった面がある。
九州の奥地の湖に浮かぶ小島に建つその「館」は、外壁から内装、調度に至るまで黒一色に塗り潰されていた。そんな暗黒館に暮らす浦登家の面々が取り憑かれた妄想。いや、彼らにとってそれは妄想ではない。生きる意味。拠り所。信仰。この設定だけでもぞくぞくしてくるというもの。たとえ時代が大きく変わろうと、ファンが求めるものは不変。
トリックの斬新性だけに頼らず、「館」に関わる人々が取り憑かれた「何か」にスポットを当てているのがシリーズの大きな特徴である。だからこそ、犯行動機にもある種の説得性があるのだ。だが、本作に限っては館にまつわる妄想が主であり、犯行そのものやトリックは従であるように感じられた。「ダリアの祝福」のインパクトは強いよなあ…。
綾辻さんご自身、驚きどころはさまざまであり、どこか一箇所でも「おっ」と声を上げれば本望と述べている。実際驚きどころは多数あるが、多すぎて驚きが分散してしまった感がなきにしもあらず。また、「驚き」の多くを論理的に導けない浦登家の秘密が占める。終盤に近づくほど、驚く以前にそんなのありかと思ってしまった。
本作を、現代本格の金字塔のように扱うべきではないだろう。これは作家としてではなく、人間綾辻行人の8年間の苦悩の足跡だ。綾辻さんが日々感じていたであろう、期待、重圧、ストレス。それらをすべて吐き出すためには、この長さが必要だったのではないか。そう思えばこのボリュームにも納得がいく。
やや批判的に書いたが、僕は本作の刊行を待っていた甲斐があったと思っているし、本当に読んでよかったと思っている。と同時にほっとしてもいる。これで綾辻さんは「暗黒館」の呪縛から自由になれたのだから。綾辻さん、まずは心身のリフレッシュを。
「この」結末にも関わらず、「館」シリーズは続行するとのこと。本作は集大成ではなく通過点。今後続編が刊行されたとき、初めて本作が持つ意味が、真価が明らかになるのだ思う。願わくは、次作はもっとリラックスして執筆してほしい。