深水黎一郎 03

トスカの接吻

オペラ・ミステリオーザ

2008/08/17

 早くも届けられた新刊は、海埜刑事と甥の瞬一郎のコンビが登場する「蘊蓄系」ミステリ第2弾。このままシリーズ化するのだろうか。今回のテーマはオペラ。絵画どころではなく苦手中の苦手。『エコール・ド・パリ殺人事件』がとても面白かったので、頑張るか。

 昨年落成したばかりのニュー・トーキョー・オペラハウスでプッチーニ作曲『トスカ』を上演中、プリマ・ドンナのナイフが相手役の首筋に突き刺さった! ナイフは本物にすり替えられていたが、現場は〈開かれた密室〉だった。一体誰が、どうやって…。

 前作同様、トリックだけに着目した読み方は得策ではない。本格ミステリとしての本作は、読者をミスリードする巧みさが光る作品と言える。犯人(?)についてはちょっとアンフェアに思えるが。一方、学者肌の深水さんらしく、オペラというテーマを人間模様を含め深く掘り下げてもいる。上演中の殺人事件という設定は奇をてらったものではない。

 本作のキーワードの一つが「読み替え」である。カバー折り返しにも引用されたロラン・バルトの言葉。音符一つ、歌詞の一節たりとも改変は許されないオペラだが、解釈は自由。そこで演出家の力量が試される。もちろん、本来意図された解釈に精通してこその自由である。伝統様式と現代性の両立を模索する点は、歌舞伎も同じだろう。

 解釈の自由はミステリにも言える。事件の首謀者を何て勝手な奴だと思うのも自由(実際勝手だ)。ダイイング・メッセージの真相をひねりすぎだと思うのも自由(実際ひねりすぎだ)。高い完成度でありながら、本作には解釈の自由がある。

 前作と比較して、キャラが立ってきた点も見逃せない。博識にますます磨きがかかった瞬一郎だが、人脈も凄い。世界的テノールに初対面でこんなことを言い放つとは。今回の瞬一郎は感情を前面に出すが、すべては芸術を愛する故なのだろう。

 これほどの内容をコンパクトにまとめ、なおかつ予備知識がなくても読ませる手腕はつくづくすごい。一度でも『トスカ』を観たことがあればより深く楽しめるのは間違いない。芸術に殉じた人間たちの冥福を祈る。そして誰よりも、彼に救いの手を…。



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