深水黎一郎 07


人間の尊厳と八〇〇メートル


2011/09/30

 薀蓄系ミステリーの雄、深水黎一郎さんの初の短編集である。表題作が第64回日本推理作家協会賞短編部門受賞作品ということで、大きな期待を寄せていた。早速読んでみたが…つまらなくはない。しかし、正直なところかなり戸惑った。

 表題作「人間の尊厳と八〇〇メートル」。ふらっと入った酒場で、八〇〇メートル走の勝負を持ちかけられる。人間の尊厳のためだと男は言う。2回読んだけど、量子力学から文学論まで話題が飛ぶ男の詭弁になぜ論破されたのか、さっぱりわからない…。しかし、結末には納得。これを人間の尊厳と言わずして何と言おうか?

 「北欧二題」。固定ファンは「彼」らしき人物が登場していて嬉しいかもしれない。そして、カタカナ表記を排除したこの読みにくさは…そう、『花窗玻璃』だ。いや、嫌いじゃないですよ、読みにくいだけで。京極夏彦作品と同じ。旅情ミステリーと思えばいいのか。

 書き下ろしの「特別警戒態勢」。いくらネタでも皇居の爆破予告なんて思い切ったことを…。色々な点で、本格というよりは社会派作品だろうな。

 本作の一押し「完全犯罪あるいは善人の見えない牙」。完全犯罪とはあーだこーだとひとりごちる女性。現実にあった事件を例に出し、かなり物騒な持論を展開していて、おいおいと言いたくなる。そんな彼女の結婚相手とは…。一種のブラックジョークとも受け取れるオチ。深水さんの言うもう一つの場合の方が、よりブラックだろう。

 最も長い「蜜月旅行 LUNE DE MIEL」。新婚旅行でパリを訪れたカップル。新郎が実にいけ好かない奴で、苦笑してしまう。バックパッカーだった学生時代の武勇伝を新婦に語り、旅慣れていることをアピールするのに余念がない。しかし、ツアー客を侮蔑する彼のプランは裏目に出てばかり…。男ってええかっこしいだから、ちょっと同情する。意外な展開という点ではミステリーと言えなくもないが、全体的にはこれもジョークかな。

 深水黎一郎の作品だけに、これはミステリーだ本格だという先入観が強かったことは否めない。先入観にとらわれずに読めば、奇妙に味わい深い作品集である。そういう点では、ミステリー慣れしていない読者の方が楽しめるかもしれない。



深水黎一郎著作リストに戻る