福井晴敏 02


亡国のイージス


2005/07/26

 なるほど、乱歩賞受賞作『Twelve Y.O.』は本作のプロローグに過ぎなかったわけだ。何だか中途半端に感じられたのも当然である。

 本作に関しては、プロかアマかを問わず、傑作というコンセンサスが既に形成されていると思う。初版刊行から6年も経過した今頃になってようやく読んでみたが、僕はうーむ…と考え込んでしまった。面白いかと問われれば面白いと即答するのだが。

 政治、経済、あらゆる分野で日本には主体性がないと言われる。「日本式」慣行はすべて悪としたり顔で語る有識者。「日本式」を頑なに貫いたトヨタが一番の勝ち組だったとは皮肉な話だが…余談はさて置き。本作で国家の再生だの覚醒だのを振りかざす連中には、こうした有識者連中と同じ胡散臭さを感じてしまう。その手の話は正直苦手である。

 しかし、そこは日本人。口では人間をやめたなどと言っても、流された血の量に動揺し、逡巡する。何しろ、そもそものきっかけが…。自衛隊を取り巻く法制がどうこう以前に、米国のように割り切らなければ戦争などできない。そこに付け入る隙が生まれる。

 事態の打開に動く二人もやはり逡巡するが、国家に危機に立ち上がったわけではなく、今ここにいる意味、己の生の意味を問う。その姿勢は、壮大なお題目を唱える連中よりはるかに誠実だし、本作の救いでもあるように思う。たった二人の徹底抗戦が、さらなる逡巡を生む。本作の本質は、最新鋭の兵器の衝突ではなく、人間と人間の思念の衝突にある。

 非常事態における決断の遅さが事態を悪化させたという点がポイント。非公然の地下組織といえども役所の一つ。相手はそれを見越しているのだ。この期に及んで牽制し合う政府関係者たち。主人公が孤立無援というのがエンターテイメントの王道とはいえ…。

 それにしても、呆気に取られたこの真相はどうだろう。あまりの虚脱感にしばらく読み進められなかった。フィクションとわかっていても、米国ならこのくらいやりかねないと思わせてしまう。世界各地でくすぶり続ける紛争の火種が、本作にリアリティをもたらしている。幸か不幸か、東西冷戦終結後もネタには事欠かない。だから本作が成立し得たという事実。

 暗澹たる気分を終章が多少なりとも和らげてくれる。国益という名のパワーゲームに終わりはないのだろう。汚れ役も必要なのだろう。だからこそ切に願う。もうあの二人を巻き込まないでほしい。平穏な人生を送ってほしい。



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