福井晴敏 03 | ||
∀ガンダム |
本棚に放置していた幻冬舎文庫版を読んでみる気になった理由は、単行本が刊行されたからであり、また『終戦のローレライ』と比較すれば短く思えたからである。ところが…長らく更新が滞ってしまった言い訳ではないが、読み進めるのに実に難儀した作品だ。
自分にとって「ガンダム」とは'79年放映開始の初代「機動戦士ガンダム」を指し、ゼータだのダブルゼータだの…ましてや∀(ターンエー)など何じゃらほいである。原案こそ富野由悠季氏だが、福井晴敏の作品だからこそ興味を持ち、今頃だが…読む気になった。
自分にとっての「ガンダムブーム」とは何だったのかと考えてみる。結局、幼かった視聴者にはメカのかっこよさがすべてだったのだ。思い出されるのは、夢中になって「ガンプラ」を買い求め、組み立てたことだけ。華々しいメカの数々が空想の産物だろうと気にしない。それ以上に、内容を気にしていなかったのだから。
それなりに世間の渡り方と、物事を斜に構えて見る癖を身につけた「大人」の一人となった自分は、この作品に意義を見出せるのだろうか。視覚に訴えたところでメカだけで満足はしない。壮大に過ぎる設定を納得させるだけの内容が、ここにはあるのだろうか。
かつて、戦乱の果てに地球の環境を壊滅寸前に追い込んだ人類は、一部は月に移住して地球の再生を待ち、一部は地球に留まり文明もろとも滅亡の記憶を封印した。それから二千年の時を経て、月の民は地球帰還作戦を発動する。そしてSFもののお約束通り、地球側と月側が牽制し合いながら戦争が始まるわけだが…。
読んでいる間は、きっと深いテーマに貫かれているのだろうと自分に思い込ませていた。しかし、何とか読み終えてみれば戦争の大義だの何が正義かだのは問題ではなくて、結局個人の恋愛に帰結してしまっていた。何のことはない、僕は延々とラブストーリーを読まされていたのである。どれだけ脱力したか、おわかりいただけるだろうか。
要するに、「動機」に納得できるかどうか。SFだろうとミステリーだろうとその点は変わらない。だが、現実の枠内で展開されるミステリーに対し、端から現実を想定していないSFは、はるかに動機付けも感情移入も困難なジャンルだ。福井晴敏ほどの手だれであっても、やはり困難だった。『終戦のローレライ』の後に読むべき作品ではなかったのだ。
文庫版下巻の社会学者宮台真司氏による解説は、身も蓋もないほどおっしゃる通りだが…どう解釈しても好意的ではない文章がよくボツにならなかったものである。