東野圭吾 09


十字屋敷のピエロ


2001/03/10

 本格ミステリーは人間が描けていないというお馴染みの批判に対して、本格ミステリーにおける登場人物は徹底して記号化されていなければならないという、これまたお馴染みの反論がある。とはいえ、現実には人間を完全に記号化するのは難しいと思う。人間が感情を持ち、言葉を操る以上、人物描写は避けて通れない。

 もちろん、人物描写に注力しすぎることの危険性も理解できる。読者に真犯人を察知されては元も子もない。犯人候補たちは、最後まで一候補のままでなければならない。それが本格ミステリーの難しいところ。

 そこで気になるのが、本作の存在である。支障がない範囲内できっちりと描き分けられた、血の通った人物たち。謎の解明における、一切の無駄のなさ。和製本格ミステリーの代表作として、本作を挙げる人はあまりいないと思うが、すべてが完璧にコーディネートされているという点では、僕が読んだ本格ミステリーの中で一二を争う。

 特に、作中キーポイントとなってくるピエロの人形の存在に注目したい。人形だから、動けないし話せない。しかし、読者にだけはピエロが目にしたことが語られる。他に同じ手法を用いた作品としては、宮部みゆきさんの『長い長い殺人』くらいしか思いつかない。

 敢えてケチをつけるなら、バランスが絶妙すぎるのが難点かもしれない。もっと突拍子のなさ、強引さが欲しい気もする。東野さんという作家は、本作に限らずとにかくバランス感覚に長けている。それ故に、心ない批判の声を耳にすることもある。

 それでも僕は、本作を高く評価したい。永遠に答えが出ないであろう本格論争に対する、一つの答えがここにあると思うからだ。

 この作品のメイントリックとそっくり同じトリックを、『〇〇一〇〇の事件簿』で読んだ覚えがあるなあ…。本作以前に前例があるのかは、わからないが。



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