東野圭吾 39


秘密


2000/05/08

 本作は、日本推理作家協会賞受賞作品である。東野作品が賞に輝いたのは『放課後』以来だ。また、本作は映画化され、作家東野圭吾の名を一躍知らしめる原動力となった。受賞自体は、ファンとして喜ぶべきことだ。しかし、それは本作が東野作品としては珍しく心理描写に重点を置いていることと無関係ではないように思う。そう考えると、ちょっと複雑な気持ちになってしまう。

 本作は、一人の男の哀切を描いた物語である。夜勤が明けて帰宅した平介に、妻の直子と娘の藻菜美を乗せたスキーバスが事故を起こしたとの連絡が入る。平介は病院に急行するが、直子は帰らぬ人となってしまう。そして、意識を取り戻した藻菜美に、直子の魂が宿ってしまう…。かくして、平介と藻菜美の奇妙な「夫婦生活」が始まる。

 娘としての役割と、妻としての役割を演じ分けなければならない直子。そんな直子にどう接していいのか混乱する平介。二人は夫婦であり、親子でもある。そんな二人が悩み、時には衝突しつつも愛し合う物語は、微笑ましくもあり哀しくもある。東野さんの筆致が冴え渡る。

 独身の僕には、妻への愛も娘への愛も語る資格はない。しかし、そんな僕にも、平介の揺れる心理は痛いほど伝わってきた。ラストシーンに至り、もらい泣きとまではいかないが、柄にもなく目頭が熱くなってしまった。うまい。うますぎるったらありゃしない。

 二人の物語以外に、事故を起こしたスキーバスの運転手の家庭事情も、物語の中核をなしている。どのような事情があるにせよ、この運転手の行いは乗客の命を預かる者としてあるまじき行為だろう。乗客の遺族のみならず、彼の妻と娘までも苦境に立たせる結果になったのだから。

 平介もまた遺族であるから、残された家族に怒りの矛先を向けたとしても無理はないはずである。しかし、事故の背景を探るうちに、平介の心は揺れる。僕がもしも遺族の立場に立たされたら、平介のように寛容になれるだろうか。加害者の家族に、手を差し伸べることができるだろうか。

 僕は基本的に、愛の物語は苦手である。しかし、本作にはすっかりやられた。渋々ながら、僕の負けを認めざるを得ない。いくら僕が鈍感でも、これではお手上げである。つくづく、東野さんはずるい。



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