東野圭吾 55 | ||
黒笑小説 |
世の中空前のお笑いブームである。その中心を担っているのが『エンタの神様』であることは言うまでもない。あまりテレビを見ない僕でもつい見てしまうくらいなのだから、そのブームの規模たるや80年代の漫才ブームどころではないのだろう。
さて、そんなブームには興味深い特徴がある。80年代のブームでは、芸人は「ボケ」と「ツッコミ」というコンビであることが原則であった。現在はどうか。正統的形式美に則ったコントに取り組むコンビ芸人と、ピン芸人の割合が半々くらいだろうと思う。ついでに言うなら、僕が面白いと感じるのは圧倒的に前者である。
ピン芸人の中には、他人を茶化して笑いの種にしている者がいる(名前は挙げなくてもわかるでしょ)。自分自身の芸で笑わせているわけではない彼らは、いかに「毒」を振り撒くかが勝負である。とはいえ、テレビという媒体の制約上、あまり強力な毒は使えない。だから大して面白くないのではないだろうか。ライブになれば違うのかもしれないが。
お笑い論に文面を割いてしまったが、ようやく本題である。孤高のお笑い作家東野圭吾が標榜する「笑い」は、茶化し系ピン芸人の「笑い」と近いと思う。何しろ、人の不幸は密の味ですもんね、東野センセ。活字媒体なら制約は緩いはず。強烈な毒がてんこ盛り……
……と思って期待したんだが、結論から言うと毒が足りないっすよ東野センセ。テレビでネタを抑え気味にするピン芸人のように。ハゲ頭が乳房に見える(昔の深夜ラジオであったなこのネタ)とか、インポになる薬とか、いいネタが揃っているのに。
文壇の裏事情をネタにした作品が4編収録されているが、傑作『超・殺人事件』と比較すれば物足りない。「有名直木賞選考委員の話」とか「どうでもいいですよ♪ 直木賞の選評」くらいやってもらわないと。せめてイニシャルトークとか…って無理だよねやっぱり。
例によって社会派作品もあるが、環境問題やストーカー問題などは哀愁漂う音楽に乗せて「ケイゴです…」と語ってみてはどうだろう。だめ? いや、文壇ネタこそ自虐的に「ケイゴです…」と語るべきか。やっぱりだめ? 何て失礼なんだ自分。
お笑いブームの光と影を描いた「笑わない男」を、夢見る若者たちに捧げよう。