伊坂幸太郎 17 | ||
SOSの猿 |
いやあ、シュールだねえ。『オーデュボンの祈り』以来のシュールな作品が届けられた。
副業でエクソシストをしている遠藤二郎が、ひきこもり青年の「悪魔祓い」を依頼された。一方、システム開発会社に勤務している五十嵐真は、一瞬にして300億円の損失を出した株誤発注事故の調査を命じられた。2つの物語を結ぶのは…孫悟空???
あとがきによると、来年刊行予定の五十嵐大介氏の漫画と対になるものであり、「猿」「孫悟空」「エクソシスト」といったキーワードは五十嵐氏のアイデアなのだという。与えられたお題に合わせて、こんな物語がひねり出されたのか。現実に問題になった株誤発注やひきこもり。さらには怪しい合唱団。それらを絡める発想の源は、どこにある?
イタリア滞在中にエクソシストの修行をしたという二郎は、困っている人を見かけると「どうにかしてあげなければ」をいう衝動に駆られる。しかし、結局何もできず、自分の無力さに打ちひしがれる。僕も含め、現代人の多くは見て見ぬふりをするのだから、二郎を責められない。チンピラに絡まれた人を救うなんてなかなかできない。
一方の五十嵐真は、感情に乏しく一切の冗談が通じない男。その性格故に妻とは離婚。調査をさせるには打ってつけの人材と言えるが、相手をする方は堪らない。しかし、あくまで五十嵐が大真面目なので、憎めないキャラクターなんだよなあ。そんな五十嵐は、なぜか度々幻覚に襲われる。五十嵐とて恐れや戸惑いの感情はある。
2つの話がどう繋がるのかまったく読めないのだが、孫悟空の仲介により突如繋がるのだ。何だよそりゃ。呆気にとられた後は苦笑するしかない。この繋がりが巧妙かといえば、かなり強引だし穴だらけ。しかし、穴だらけなのは意図的なのだろう。敢えて穴だらけにすることにより、何となく許せてしまうから不思議である。
読み終えてみると、一応すべて救われているのか。本作は伊坂幸太郎の発想力を堪能すべき作品だ。それに何の意味があるんだとか、いちいち合理性を求める五十嵐のような人には向いていない。でも、五十嵐は溶け込んでいるんだよなあ。