石持浅海 06


セリヌンティウスの舟


2005/12/01

 太宰治作『走れメロス』のあらすじを知らない人はいないだろう。しかし、メロスの身代わりになる親友の名がセリヌンティウスであることを知っている人は少ないだろう。

 僕は細かいことを気にしないお気楽読者を自認している。自分が面白かったと思う作品が、ネット上では辛い評価を受けていることしばしば。ある意味、実に幸せな読者だと思う。ところが、『扉は閉ざされたまま』に満足した勢いで手に取った石持浅海さんの最新刊は、この僕をして突っ込みどころ満載の一作なのであった。

 大時化の海で遭難したダイバーたち。六人はお互いの体をつかんで輪になった。この経験が六人を信頼で結び、かけがえのない仲間になった――。ところが、仲間の一人、米村美月が自殺を図る。いつものようにダイビングの打ち上げで集まった夜、青酸カリを飲んだのだ…。納骨式を終えて、再び集まった五人。その死の意味を見つめ直すために。

 死してなお、仲間からの信頼は揺るがない美月。美月がメロスなら、残った五人はセリヌンティウス。それが本作の出発点なのだが…あのね、どう考えたって人の家で自殺するなんてとんでもない大迷惑だろうが。序盤でここまで乗れなくなった作品はないぞおい。

 きっかけは一枚の写真。青酸カリの入っていた褐色の小瓶のキャップが閉められていたことから、議論が始まる。これ以上は書かないでおこう。典型的な一幕劇だが…こういうのを堂々巡りという。次から次へと疑問がわいてはふりだしに戻り、ちっとも前に進まないじゃないかよ。ただでさえ乗れていない上にこの展開。お気楽読者には辛すぎるって…。

 堂々巡りはいずれ終わるのだが…これって感動しなきゃいけないんだろうか。改めてこう思わざるを得ない。そこまで仲間を気遣うんだったら最初から人の家で自殺なんかすんなあああああ! あの日輪になった六人にしか、この絶対的信頼感は理解できないってことにしておこう。って、さらにこの結末は何じゃあああああ!

 試みとしては面白いですよ。ある意味貴重な読書体験だったとも言える。誰かと共有したいこの気持ち。さああなたも輪になろう。苦情は受け付けませんのであしからず。



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