伊藤計劃 03


ハーモニー


2011/01/10

 伊藤計劃さんが病床で書き上げた最後の長編は、『虐殺器官』と同じくらい、あるいはそれ以上の衝撃作だ。伊藤計劃という作家の作品をもっと読みたかった。

 〈大災禍〉と呼ばれる世界的混乱を経て、人類は高度な福祉厚生社会を築くに至った。WatchMeと呼ばれる恒常的体内監視システムが、分子レベルで血中の監視を行い、病原性物質を即座に排除する。その結果、この世界から病気の大半が消え去った。

 一見すると素晴らしい社会のように思えるが、見せかけの慈愛や倫理に溢れた息苦しい社会でもある。酒やタバコ、暴力的な映像など御法度。人は生命社会のリソースであり、一単位でなければならない。かつてそんな社会を忌み嫌い、餓死を選択するも死に切れなかった霧慧トァンは、世界保健機関(WHO)の螺旋監察官に就いていた。

 そんな生命社会で、6582人が一斉に自殺を図り、2796人は死を遂げた。これは生命社会へのテロなのか。犯人の「宣言」が、生命社会を根底から揺るがす。

 実は、世界には生命社会の管理下にない地域が残っており、そこでは酒やタバコなどの禁制品も流通している。生命社会の手先として働く一方、禁制品を嗜むのはトァンのささやかな抵抗なのか。『虐殺器官』同様に、SFに軸足を置きつつ、主人公の内面描写を重視している印象を受ける。そもそも、トァンは世界をどうしたいのか?

 事件の鍵は、戦乱の地として知られるあの都市やあの地域にあった。小説の中とはいえ、あの都市がこのように変貌しようとは。そして、トァンの友(?)のルーツはあの地域にあった。小説の中とはいえ、まさかそのような…。

 調査が核心に迫るにつれて、トァンが信じていた生命社会の常識はひっくり返る。すでに引き返せないところまで、事態は進んでいたのだ。そして人類は、最後の一線を越える決断をした。核のボタンよりはるかに恐ろしいボタンを押して…。

 『虐殺器官』といい、伊藤計劃という作家は、いかにしてこのような、ある種哲学的な作品世界を創造し得たのか。病に冒されたからこそなせる業なのか。『ハーモニー』というシンプルなタイトルに込められた意味を、しかと受け止めよ。



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