北村 薫 28 | ||
玻璃の天 |
前作『街の灯』から実に4年。昭和初期ミステリーの待望の続編である。前作は本格ミステリ・マスターズの一冊として刊行されたため、装丁が大変味気なかった。今回の装丁が特別優れているとは思わないが、前作を思えばずっといい。
ますますきな臭い空気が漂いつつあった昭和8年の日本。国粋主義が幅を利かせ、国家にとって都合の悪い言論は徹底して封殺された時代。花村家の令嬢英子と、女性運転手のベッキーさんこと別宮みつ子は、そんな時代をどう生きる。
世情を色濃く反映した「幻の橋」。某大学の構内に書かれた落首は、せめてもの時代に抗う声だった。現代にもこの架空の思想家のような輩は存在するだろう。だが、現代を生きる我々は自分で考え、判断することができる。当時は考えることすら許されなかったのだ。あの落首に通じる抗議の手段を、責めることができるだろうか。
二話目は暗号ネタが恒例なのだろうか、「想夫恋」。ディートリッヒも『間諜X27』という映画も知らないが、恋愛という概念すら否定される時代に、このような作品が上映されていたことに驚かされる。もっとも、当時観ることができた層は一握り。上流階級の中でも、観ることを許した家はさらに少数ではないか。映画とリンクした展開が光る。
「幻の橋」と「想夫恋」は、昭和初期の世情を巧みに取り入れ、甲乙付けがたい好編である。そしていよいよクライマックス、表題作「玻璃の天」へ…。
本格だとだけ言っておきましょうか。内容のシリアスさと対照的に、この設定はあまりにも滑稽では。北村薫さんが本格を書くこと自体は大歓迎だ。しかし、このシリーズにこのネタを使わなくても…と感じたのは僕だけだろうか。謎めいたベッキーさんの経歴が明らかになるのは興味深いが、全体的には滑稽さが勝ってしまった。
それでも、帯にある「人間のごく当たり前の思いを、素直に語れる世であってほしい」というテーマは十分伝わった。北村先生、次回はもう少し早めにお願いいたします。