京極夏彦 04 | ||
鉄鼠の檻 |
シリーズ第4作に至り、ページ数が大幅にアップした。そして、難解さも大幅にアップした。さっぱりわからんというのが正直な感想である。
実は、僕が最初に購入した京極作品は本作だった。しかし、絶対に『姑獲鳥の夏』から読め、という友人の勧めもあって、一時保留していた。確かに、『姑獲鳥の夏』の登場人物が何人か再登場しているが、未読でも特に支障はないように思う。既読だとしても、本作を理解する上で足しにはならないような気がするが…。
本作のテーマは「禅」である。「禅」は言葉では説明できないのだ、と京極堂は述べている。その割にはずいぶんと詳細に解説しているじゃないか、と突っ込みたくなるが、なるほど、いくら噛み砕いて説明されたところで、僕にはさっぱり「禅」が理解できなかった。京極堂のうんちく自体は好きなんだけど。
舞台となるのは、箱根の山中に位置する謎の寺、明慧寺である。この寺は、禅宗の異なる宗派の僧たちが集まり、また檀家を持たない奇妙な寺だ。そんな寺があるんかい、とまた突っ込みたくなるが、この舞台設定はなかなかに魅力的だ。この禅寺らしき寺で、僧侶連続殺人事件が起こる。
言うまでもなく、京極堂の武器は卓越した弁舌である。しかし、今回の相手は禅僧だ。「禅」が言葉では説明できない以上、禅僧には言葉が通用しない。したがって、決して論破することはできない。さあどう出る、京極堂? ラスト間際になって、京極堂はようやく突破口を見出し、黒衣をまとって寺へと乗り込む。そんなのあり?
真犯人の殺害動機は…一言で言えば逆恨みか。何て身勝手な、と苦笑してしまった。動機もそうだが、ストーリーとしても破綻ぎりぎりじゃないかと思う。機会を見つけて再読したいとは思っているのだが、いつになるのやら。
それにしても、京極堂は例の着流しをいつの間に用意していたのだろう?