京極夏彦 06 | ||
嗤う伊右衛門 |
去る2月7日、NHKで23時から放映された「トップランナー」のゲストは京極夏彦さんだった。ご覧になった方は多いと思うが、ファンとして最も気になったのはやはり今年の出版予定。以前からご本人も予告していた『嗤う伊右衛門』の続編が刊行されるという。あの結末で、続編とはさて? 興味は尽きない。
初の京極堂シリーズ外作品である本作は、京極夏彦流『東海道四谷怪談』である。歌舞伎の定番演目であり、何度となく舞台化あるいは映画化されているが、僕自身の知識は実に乏しく、知っているのは岩の名くらいである。
一般人の岩に対するイメージは、醜く顔が崩れた身の毛もよだつ化け物(すみません、合掌…)、だろう。本作を読む前の僕もそうだった。だが、本作に描かれる岩は、そんなイメージを覆すに十分だ。ここにいるのは、芯が強く、一途な一人の女性。その姿勢に痛々しささえ感じるのは、容貌のせいではない。岩に恥じるところなどないのだ。
後に『巷説百物語』シリーズにも登場する、御行の又市の仲介によって岩と添うことになった浪人、伊右衛門。岩が胸の裡をさらけ出すのに対し、思いとは裏腹の態度に出てしまうもどかしさ。本作は不器用な二人によるラブ・ストーリーだと断言しよう。もちろん他のエピソードも絡むし、いささか乱暴ではあるが、当たらずしも遠からじだろう。
又市を始め脇役の顔ぶれにも注目。中でも伊東喜兵衛には触れたくないけど触れなきゃならない。悪行三昧、しかし筆頭与力で腕も立つという厄介な輩である。伊右衛門と岩の深い絆は、この男にはわかるまい。喜兵衛の存在が岩という女性の心の清廉さをより際立たせているのも事実だが、それにしたって何たる不愉快さ。
「トップランナー」の中で、狂言や落語が古いというのは誤解であり、その時代の観衆に受けるようにアレンジされてきたのだ、と京極さんは述べていた。その言葉は本作にも当てはまる。本作は、現代人のための新しい『東海道四谷怪談』なのだ。京極堂シリーズ外作品では文句なしのベスト1だ。