京極夏彦 22


邪魅の雫


2006/10/04

 前作『陰摩羅鬼の瑕』から3年。再び長いインターバルを経て到着したシリーズ最新刊である。京極堂シリーズといえば厚さである。ああこの厚さだよ厚さ。持ち運ぶ読者への配慮を一切感じさせないこの厚さ。内心ほくそ笑みつつレジに持っていく僕。

 さあ読むぞう。京極堂シリーズといえばうんちくである。衒学趣味である。ルビが振ってあっても読みにくいことこの上ない固有名詞の数々。読み方を忘れては戻るの繰り返し、三歩進んで二歩下がる。うんちくの洪水に流れ流されて、やがてある種のトランス状態に達する。と、京極堂シリーズの持ち味を僕はこのように理解していた。ところが、ん?

 うんちく攻撃はどうしたんですか? 妖怪談義はしないんですか? こ、これじゃ普通に犯罪小説じゃないですか…。じゃあすいすい読み進められるのかといえば、なかなか読み進まない。結局のところ乗れていないのだ。うんちくのない京極小説なんて。

 残り100pくらいになり、ようやく黒衣の男が乗り込んできた。さあクライマックスの憑き物落とし…と思ったら、普通に事件の謎解きをしているではないか。他に類を見ない陰陽師探偵が、普通の調査活動をし、普通の探偵に甘んじているのだ。

 関口がやたらと饒舌だったり、戦時中の闇が事件の背景にあったり、あの有名な実際にあった事件をモチーフにしていたり、というように読みどころはそれなりにあるのだが、あまりにも妖怪色が薄すぎて、シリーズとしてのアイデンティティが見出せない。

 複雑に絡んだ連続毒殺事件の構図は確かに見事だが、この長さにするほどのネタではない。終盤に近づくほどハイペースで犠牲者が増えていく展開には苦笑した。ここまで引っ張って、首謀者の動機がこれとは。シリーズとして新鮮な動機ではある。

 結末を読んで、これはこれで悪くはないのかなあ…とちょっと思い直したが、3年ぶりの待望の新刊がこれじゃ寂しい。京極堂シリーズは、普通の探偵小説であってはならないのである。次作のタイトルが載っていたが、正直このシリーズも限界が近いのを感じた。

 唯一興味深いと思ったのは、京極堂による書評論である。京極堂は関口を諭す。曰く、読書に上手いも下手もない。評論とは、作品の絶対的価値を定めるような代物ではない。だから、ここに書き連ねたのは所詮は僕の戯言に過ぎない。



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