京極夏彦 27


幽談


2008/07/30

 随分とシンプル、というかそっけない装丁。装丁はともかく、内容も実にそっけない。京極作品の中でも、ここまで評価に困る作品もないだろう。

 『幽談』と言い張っているが、要するに怪談の短編集である。同じくメディアファクトリーの怪談専門誌「幽」から生まれた、綾辻行人さんの『深泥丘奇談』は、全体を通した企みがあり、それなりに堪能できた作品集だったが、本作収録の各編に繋がりは一切ない。それでいて、一編だけを読んでも奇妙だなあ以上の印象が残らない。

 「こわい」という感覚は多分に主観的なので、本作にこわさを感じた読者もいるだろう。個人的にはまったくこわくないが、「こわさ」だけを求めて手に取ったわけではない。一ファンとして求めたのは、京極夏彦ならではの味。本作のどこに「味」があるのか。

 個人の足元が揺らぐ不安を描いた作品が比較的多いか。「ともだち」「成人」「知らないこと」などがそうである。私の出自は? 私は誰? そもそも私は存在しているのか? 特に、「知らないこと」における一気に突き落とされる感覚はなかなかのものだ。

 「下の人」のようにジョークっぽい作品あり、「逃げよう」のように不条理な作品あり。傾向があるようなないような。いい味が出ている作品もあるにはあるが、正直どこかで聞いたような話ばかり。『深泥丘奇談』には綾辻味を感じたが、本作に京極味は感じられない。

 最後の「こわいもの」が、一応全編を通じたテーマなのかなあ。勝手に自問自答した末の結末がこれですか。読者をなめるにも程がある。全8編中、最後の3編は書き下ろしとなっているが、メディアファクトリーには単行本刊行を焦る理由でもあるのか。理由はどうあれ、このシリーズは終わりかな。終わりにするのが賢明だろう。

 怪談に合理的解釈を求めるのはナンセンスだとはわかっているが、おなじみの台詞「この世には不思議なことなど何もないのだよ」とは対極にある作品集である。初めて刊行された、割り切れない京極作品。僕に残されたのは戸惑いだけだった。



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