京極夏彦 35

豆腐小僧双六道中おやすみ

本朝妖怪盛衰録

2011/04/11

 とある書店で本作を購入したところ、特殊な「豆腐サイズ」なだけに、専用のブックカバーが用意されていた。前作『豆腐小僧双六道中ふりだし』を購入したときはどうだったっけ。通常の四六判用のブックカバーを、店員さんが苦労して合わせていたような。

 妖怪とは概念であり、その主体は知覚する人間にある。妖怪自身が主体的に動くことはない。そして、主体である人間がどう知覚するかによって、姿形も変わる。前作でしつこいくらい聞かされたルールを、本作でもやはりしつこいくらい聞かされるのだが…。

 知覚する人間がいないのになぜか消えないルール破りの主人公、豆腐小僧。そんな豆腐小僧を懇々と諭す滑稽達磨。ん? 滑稽達磨も消えない? ところが、中盤に至ると、エンターテイメントとしては前代未聞な展開に…。

 前作のストーリーをあまり覚えていないが、話は繋がっているらしい。前作では存在感がなかった人間たちだが(妖怪が主人公なのだから当たり前といえば当たり前だが)、今回はキャラの立った濃い人間たちが多数揃っている。水戸黄門に出てくる悪代官や悪徳商人を思い浮かべるといい。そんな連中が知覚する妖怪も、当然濃い奴らばかり。

 基本的にやっていることは前作と同じなわけで、妖怪も人間も大幅増員した結果、読みにくさも大幅増である。妖怪の台詞か人間の台詞かだけでなく、妖怪の台詞でも誰の台詞か、もうぐちゃぐちゃ。前作は最後まで面白いと思いながら読めたけれど、本作を読み通すのはちとしんどかった。なるべく一気に読まないと混乱するだろう。

 先に述べた前代未聞の展開の都合上、うんちくの比重も前作より高い。僕は軽妙な語り口にごまかされたまま読み流したが、読み応えという点では京極堂シリーズに匹敵するし、熱心なファンをも唸らせるだろう。そして思うだろう。京極堂シリーズの続編は?

 ところで、これって豆腐小僧の修行の旅なんだよねえ。修行になっているのかどうか、甚だ心許ない。というより、豆腐小僧の修行のゴールって何なのだろう??? この結末、一応答えが示されたと思っていいのだろうか。それってつまり主体は…。



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