舞城王太郎 04 | ||
熊の場所 |
いきなり唐突だが…「純文学」を「純文学」たらしめるものって何だろう?
第15回三島由紀夫賞の選評によると、受賞作品を推していない選考委員が一人だけいる。推していないどころか全候補作品中最低との評価を下しているではないか。逆に、彼が推している作品に対する他の選考委員の評価は芳しくない。
その選考委員の名は福田和也。そして、彼が最も推している作品「熊の場所」の作者は舞城王太郎。そう、昨年『煙か土か食い物』で賛否両論のデビューを果たした、あの舞城王太郎だ。帯に推薦文を寄せていたのは他ならぬ福田和也氏であった。
本作は舞城さんの初の短編集である。表題作である「熊の場所」は、デビュー後第一作の短編として講談社の文芸誌「群像」に掲載された。
興味津々で読んでみたが、これなら『煙か土か食い物』ほど拒絶反応を示す人はいないと思う。舞城作品だけに多少のえげつない描写は避けて通れないが、既刊作品ほど陰湿な印象はなく、不思議と読後感はからっとしている。こういう話をさらりと読ませる力量は素直に凄いと思う。しかし、なぜ「メフィスト」ではなく「群像」なのか?
「純文学」という言葉にお堅いイメージを抱いているから違和感を感じるのだろう、きっと。そもそも「ミステリー」以上に曖昧な言葉である。結局は読者の印象に左右されるし、誰もが納得する厳密な定義なんてできないんじゃないだろうか。
エンターテイメントとして読むもよし。こんなもの純文学じゃないと憤るのも自由だ。最初から「群像」に掲載する予定で「熊の場所」が書かれたのかはわからないが、舞城さんご自身は、ミステリーだの純文学だのという枠組を意に介してはいないだろうから。敢えて分類するなら「舞城文学」とでも言うしかない。
ちなみに、「群像」12月号に掲載予定の舞城さんの最新短編のタイトルは、「鼻クソご飯」だそうである…。突っ走ってもらいましょう。