森 雅裕 20


自由なれど孤独に


2006/02/06

 『推理小説常習犯』によれば、本作は「ワーグナーを描いた原稿なら採用してやる」という注文を受けて書かれたが、その内容はワグネリアン(ワーグナーの信奉者のこと)である担当編集部の部長へのあてつけではないかと言われたらしい。

 実際、作中に描かれたワーグナーの人物像はまるっきり変人である。ワーグナーに反ユダヤ主義者という負の一面があるのは事実とはいえ…。ところが、僕は逆にここまでこき下ろされるワーグナーの音楽に俄然興味を惹かれ、珍しくクラシックのCDを買ってみる気になった。このCDは序曲・前奏曲を収録した入門編に過ぎないが、素人の僕が聴いても、ワーグナーの音楽については認めなければならないと思うのである。

 1864年のウィーン。後にワーグナー派と激しく対立することになるヨハネス・ブラームスは、宮廷歌劇場で『トリスタンとイゾルデ』を上演準備中のワーグナーに出会う。ユダヤ系のロスチャイルド家の御曹司から、ワーグナーの過去の証である地図帳をえさに罠にはめることを持ちかけられるヨハネス。しかし、逆にヨハネスに殺人の嫌疑がかけられ…。

 ワーグナーのアクの強さと比較して、主人公のヨハネスは至って控え目。権力者に取り入ろうなんて野心もない。波風立てないことを最優先してしまう。皮肉らしきことも口にするがあまりにも弱々しい。そもそもワーグナーと対決させるのは無理があるよなあ。

 ヨハネスの押しの弱さを補うのが、近衛騎兵連隊所属の令嬢、クリスタ・フォン・アムロート。『ベルサイユのばら』のオスカルを彷彿とさせる美貌の騎士だが、腕も立つし弁も立つ。しかし…悪口をぶちまけた(ご本人談)にも関わらず、へこたれないんだなこれが。

 ヨーロッパの覇権争いにあって、ヨハネスもワーグナーも駒でしかなかったわけだが、真相を知ったところでどうこうする気もないヨハネス。ひたすらに音楽の道を究めるのだ。そしてワーグナーはしたたかに生きていく。高校時代世界史を選択していればなあ。

 実はブラームスのCDも買おうとしたのだが、「交響曲第1番ハ短調」だの「ピアノ三重奏曲第2番ハ長調」だのさっぱりピンとこなくて…。ワーグナーとは対照的に、歌劇は一切書かなかったというが、素人には曲名がついている方が取っ付きやすいんですけど。



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