乃南アサ 24


鬼哭


2000/10/23

 『殺意』で、わけもわからぬまま真垣に刺された的場直弘。おびただしい鮮血にまみれた的場を、静かに見下ろす真垣。刺されてから死に至るまでのわずか三分間に、的場は何を思うのか?

 人は死の瞬間、これまでの生涯が走馬灯のように脳裡を駆け巡る。そんな話をどこかで聞いた記憶はある。もちろん、僕には経験がないので何とも言えないが、死後の世界を見たと言われるよりは信憑性はあるだろう。

 『殺意』における真垣がただただ不気味ならば、『鬼哭』における的場はひたすらに哀れである。読者は終始、的場の愚痴の相手をさせられることになる。出世コースから脱落して窓際に追いやられ、妻と娘からは疎んじられ…。絵に描いたような日本のサラリーマンである。俺の人生は、一体何だったのか?

 『殺意』ではあまり触れていなかった的場と真垣の関係が、本作では詳しく語られる。的場は、真垣の中学生時代の家庭教師だった。二人が共に東京で就職したことから、今まで付き合いは続いた。悪い言い方をすれば、要するに腐れ縁だろう。

 的場は、ひ弱な中学生の真垣を厳しく指導した。その後も人生の師であると思い込んでいた。対照的な家庭環境で育った二人だけに、的場が何とか優位を保とうともがく姿が、みっともなくも痛々しい。真垣が的場を必要としていたのではない。的場が真垣にすがっていたのだ。死を前にして、その事実に打ちひしがれる的場。

 的場は確かに酒癖が悪く、しばしば真垣を口汚く罵った。いつまでも先輩風を吹かせようとした。しかし、それらが積み重なった結果真垣に殺害されたのかというと、それは違うだろう。旧知の仲かどうかなど問題ではない。その場にいたから、的場は刺された。あんまりじゃないですか、乃南さん…。



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