貫井徳郎 23


夜想


2007/06/06

 デビュー作『慟哭』から14年。貫井徳郎が新興宗教というテーマに再び挑む。

 新興宗教が成立する第一の条件は、教祖に圧倒的カリスマ性があること。現実の例を見れば明らか。メディアを賑わせた彼らは、傑物には違いない。第二の条件は、優秀な参謀がいること。ただし、熱心な信者とは限らない。単に利用したいだけかもしれない。

 最初にお断りしておく。『慟哭』は新興宗教というテーマよりも、結末のカタストロフィという一点で「衝撃作」と語られることが多い。一方、本作は新興宗教の内幕に深く踏み込み、より核心に迫った力作である。しかし、結末のカタストロフィに期待してはならない。

 僕はかなりの宗教アレルギーである。もっとも、本作を手に取る読者のほとんどはそうだろう。熱心な新興宗教の信者なら、本作など読まずに教祖の著書を読むはずだからである。一方でこう考える。本人が救われていると感じる限り、お布施をいくら払おうが信仰を妨げるつもりはない。自分の周りで布教しないことが条件だが。

 そんな僕から見て、《コフリット》は新興宗教以外の何者でもない。妻子を事故で失い、抜け殻のように生きてきた雪籐。彼は遙という女性に出会い、強烈な使命感に燃える。雪籐の信念が揺るぎないだけに、懸命になればなるほど《コフリット》が胡散臭く映る。

 だが、そう感じるのは宗教アレルギーなのだから当然で、拒絶反応を起こさせるほど本作の描写がリアルであり、優れていることの裏返しでもある。それなのに、ページをめくる手は止まらないのだ。これが遙の吸引力なのか。

 教祖は信者が存在して初めて教祖となる。本作の構図は極めて単純だ。だが、組織が大きくなるにつれ、様々な歪みや対立が生じる。人間の集まりなのだ、意に沿わぬ動きに疑心暗鬼にもなる。そんな中でも、当初の理念を、信仰を貫くことができるのか。

 貫井さんが宗教を、信仰を否定しているわけではないことは、読み終えればわかる。人間誰しも救いを求める。ミステリーというより、小説として読んでほしい一作だ。



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