奥田英朗 01


ウランバーナの森


2002/02/24

 ビートルズ解散から5年が経過した1975年。ジョン・レノンは、オノ・ヨーコとの間に愛息ショーンが誕生したのを機に、専業主夫となって音楽活動を停止した。1980年に活動を再開するまで、一家は軽井沢で夏を過ごしている。

 ジョン・レノンに関する伝記の類は星の数ほど刊行されたが、空白の5年間の記述はほとんどない。隠遁生活を送っていたのだから無理もないが、ならばフィクションで彼の伝記の空白部分を埋めてやれ、と奥田英朗さんは思い立ったそうである。

 本作は、雑誌連載コラムの単行本化という実績を持つ奥田さんの小説デビュー作品である。後に『最悪』や『邪魔』で話題をさらう奥田さんが、こんな作品を書いていたことに驚かされる。ビートルズファンには堪えられない一作だが、ビートルズに何の思い入れもない人が読んでも訴えるものがないかもしれない。

 物語はフィクションであり、登場人物は、実在(あるいはかつて実在した人物)とは、一切関係ありません。おいおい、嘘つくなって。ジョンはジョン以外の何者でもない。ケイコとはヨーコだろう。誰がモデルかばればれだってば。ファンならピンとくるであろう、巧みにアレンジされた有名なエピソードの数々。

 ビートルズの栄光の軌跡とは裏腹に、ジョン・レノンが悩み多き人であったことは伝記からうかがえる。代表曲の一つ"Help!"は、文字通りの救いを求める歌だった。それ故に、ジョンの伝記は読んでいて楽しいものでは決してない。天才を理解するのは、所詮余人には叶わない。もちろん、本作の「ジョン」も悩むが、作風はユーモアに溢れている。従来の伝記に欠けていたもの、それはきっとこれだ。

 ジョン・レノンの復帰シングル"(Just Like) Starting Over"は、1980年12月27日付の米ビルボード誌でNo.1に到達した。皮肉にも、同年12月8日に凶弾に倒れた後のことであった。1975年にこの曲は書けなかっただろう、とジョンは語っている。軽井沢の夏には、再起へと向わせる何かが、きっとあったに違いない。



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