瀬名秀明 09


第九の日


2006/06/30

 ケンイチを生み出したロボット工学者の尾形祐輔は、小説家の顔も持っていた。彼は、ケンイチと進化心理学者の一ノ瀬玲奈が遭遇した事件の数々を、小説として発表していた。『デカルトの密室』もその一つだ。そんな祐輔に、ある男は指摘する。

 あなたはしばしば小説の構造で読者に訴えかけようとする。ケンイチの心のあり方を、小説の構造そのものとしてデザインしようとする。その行為が読者の感情移入を阻む要因であることは、あなた自身充分に承知しているはずです。

 また、あなたにとって本当の読者はどこにいますか、という問いに対して祐輔はこう答える。ひっそりと隠れた読者が、何かを思いながら読んでくれているのだろう。一部の書評に影響を受けて、自分の書いているものを変えることはできない。彼らを置き去りにしてしまうことになるから。それは作家瀬名秀明の自問自答であるように思える。

 瀬名さんのサイトに目を通すと、『デカルトの密室』に対する反応が芳しくなかったことはショックだったらしい。自棄的な言い方も目に付き、一読者として心配になってくる。僕自身、ひたすら禅問答のような『デカルトの密室』にはかなり戸惑った。

 「メンツェルのチェスプレイヤー」のみ『デカルトの密室』より先の事件だが、本作は実質的に続編と考えていい作品集である。前作よりもずっとアプローチしやすい。ロボットたちが「心」を突き詰めた結果、どういう行為に走ったか。本作が予見するロボット社会は、戦慄すべきものだった。ロボット社会は破滅へ向かうしかないのか。

 ロボットは自由意志を持てるのか。信仰を持つことができるのか。それはどうすれば実証されるのか。一方、人間は変身願望に抗えるのか。「人」を超えることを望むのか。あくまで素直に「心」を育もうとするケンイチの存在だけが、救いであるように思える。人間の苦悩より、ロボットの苦悩が訴えかける。そう、これは感情移入に他ならない。

 瀬名さんご本人によると、『デカルトの密室』への反応から、本作では路線変更を図ったという。いくぶんわかりやすくなっているのも当然である。とはいえ、ひっそり隠れた読者を置き去りにはしないという矜持も感じられる。自身に投げかけた問いに、瀬名さんは答えを出していない。僕は本当の読者かはわからないが、ひっそりと隠れた読者でありたい。



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