世界一男らしい拳銃といえば九四式。その一度見たら忘れられない出来そこないの粘土細工のような、それでいてなぜかどこかちょっと美しいルックス、トータルの部品数は少ないのにフィールドストリップしたらそれこそ粉々になって絶対なにか部品無くしそうなぞんざいな分割、ハンマーのローラーをはじめとした素敵でいい加減で危険で愉快なメカ、アメリカ海兵隊だったら絶対に合格させないであろう、薄っぺらでやわそうな構造はまさに日本の美!素敵すぎです!考えただけで夜も寝られません。

どこかで発火式モデルガン出してくれないかなと思い焦がれて十数年、永遠にどこもだしてくれそうにないので自分で作ることにしました。飛行機フルスクラッチするよりは楽。

材料はポリカーボのパイプ、ABSのパイプ、ABS板、真鍮板、軟鉄板、ハンダ、プラリペア、ジュラコンの棒、ABSの棒、真鍮の棒、ステンレスの棒、軟鉄の棒、市販のスプリング数種にステンレスのバネ線などです。

モデルガンをフルスクラッチするときに一番重要なことは、市販のモデルガンカートに使えるものがあるかどうかだと思います。今回はハドソンの十四年式用CPカートがで回っていたことがありがたかったです。あんまりできのいいカートではありませんが、九四式のピーキーなバレルにはボトルネックの物しか使えないので出てるだけありがたい。これのプラグをタナカのパラカートのものに変えて使います。

構想は03年、そのまま2年ほったらかして05年の9月に作業を始めてほぼ毎日いじくって12月に完成、わ〜い!・・・でもよく見ると・・・ううん、にてるんだかにてないんだか・・・

ホールドオープンすると、いつもとはまるでちがった精悍な印象になります。これもこの銃の魅力。

フレームとかのメイン部分は「小銃 拳銃 機関銃入門」(佐山二郎/光人社文庫)の210ページの図面を296だか297パーセントに拡大コピーしたものを型紙にして、1ミリと2ミリのABS板に写して、おおまかに切り抜いて積層して作りました。この鉄砲、4ミリという数字がけっこう好きなようです。

バレルはABSパイプの組み合わせ。東急ハンズで「ブラックパイプ」って書かれてるやつ。タグに「ABS」ってあるのでABSなのでしょう。ノコギリで切ったときの匂いもABS板と同じだし。

安全対策に、バレル上下を切り開いて、ステンレスの金具から作ったインサートをほぼ全面にプラリペアで埋め込んでいます。

撃針はジュラコン(POM樹脂)製。実物が折れそうなピーキーな構造なので、ちょっとアレンジして折れにくい形に変えたつもり・・・でも折れるかも。

マガジンはぼくの板金加工能力から0.5ミリの軟鉄板製なのでベコベコ・・・

グリップを下からとった資料は少なくて困りましたがたぶんこんな感じ。

昭和15年6月製のモデルにしてみました。シリアル「12205」は、完成させた2005年の12月を組み替えたもの。期間的にありえる番号を選んだつもり。この、バレル下のフレームがスライドと同じ広さをもち、スライドカバー横のスライドレールが、ロッキングブロックとの勘合補強部分とつながったルックスを持つタイプの九四式は、昭和15年の3〜5月にかけて現れたようで、基本的に昭和20年までこのままのようです。一番ポピュラーなタイプですが、ノモンハンにはこの前のタイプじゃないと間違いということになりそうです。

グリップのローレットは、実物はもっと小さいみたい。でもぼくの腕と根気ではこれが限界。最初はエポキシパテにローラーで刻もうと思ったのですが失敗。会社の同僚に「ノコギリと三角ヤスリがいいんじゃない?」とアドバイスを受けて、そのとおりやったらこんな感じになりました。ありがとう。

作ってみたら弾が入らなかったというコクサイブローニング1910改良時の失敗にこりて、最初にマガジンから作りました。でもなぜかちょっと長すぎたので、後でぶった切るハメに・・・0.5ミリの軟鉄板なのでベコベコです。給弾用ラッチのスライドするミゾを切るのをムリヤリハサミでやったらそれはもうむごいことに・・・

マガジンボトムには、実物ではプレスされた膨らみがあるのですが、0.8ミリ厚の軟鉄板では再現はうまくいきませんで・・・このマガジンボトムはマガジンを引っ張りだす指かけの役割を持っているので、恐ろしく幅広です。グリップと同じ幅です。でも作例ではちょっと狭くなっちゃった・・・

ハドソンの14年式のカートはオリジナルに忠実にテーパーがかかっていて、一見グッドなのですが、カートが十四年式の薬室内を前後する発火方式に対応するために、リム前の隙間がでかく(8ミリナンブよりもむしろ357SIGに近いです。)、シングルカラム直線マガジンに4発以上入れたときに、装填される弾のリムが、次弾のこの隙間に噛みついてお辞儀するという、ありがたくない癖を持っています。クリアするためにはブリーチのアゴをできるだけ低く、マガジンリップに来た弾の位置をできるだけ高く設定して、ブリーチのアゴが、できるだけカート底面の低い位置に引っかかるようにし、フレームのフィーディングランプをできるだけ緩やかに設定し、リップがカートをできるだけ長い間くわえ続けて、カートの水平姿勢ができるだけ維持できるようにするといいみたい。ファロアーはできるだけ頭を持ち上げるように。っていうか、ファロアーの写真はついに発見できず・・・一部推定です。

カートのリム前の凹みとカート側面の角を一発づつ削って丸めるという手もありますが、ちょっとやりたくない・・・

左から

357SIGダミー、

ハドソンの8ミリ

8ミリナンブダミー。

357SIGのカートって、リロードしたら南部に使えないのかしら・・・

スライドカバーはポリカーボネートパイプとABS板をプラリペアで固めて作りました。下の写真では塗装前なのでポリカーボ部分が透けてます。作業中の記念撮影。バレルは2種類のABSパイプとABSブロック材の組み合わせ。リコイルスプリングカフスは0.5ミリの軟鉄板を丸めてハンダつけして作ったら、バレルの薬室より太くなっちゃったので薬室回りに0.5ミリの軟鉄板を接着して帳じりを合わせました。すぐ錆びるだろうな・・

実物のスライドカバーは非常に薄そうです。板金で作って後から焼き入れしたほうが削りだすより速そうです。ほんとはどうやって作ってたのかな?

ポリカーボパイプは自緊してるようでタテに切ると丸まってしまうので苦労しました。あぶってムリヤリ広げた。

さて、このモデルガンは発火ブローバックモデルとして作りました。しかし、実物はトリガーとハンマーのディスコネクションが、弾の発射反動による、銃身/ロッキングブロック/ブリーチグループの後退によって、銃身下部の突起を使っておこなわれるわけで、弾の飛ばないモデルガンは、火薬のエネルギーはフレームとブリーチで相殺させてしまう閉鎖系なので銃身は下がれません。外国のピストルのようにスライド/ボルトの移動でディスコネクションしてくれないので、ワルサーとかブローニングとかSIGとかグロックとかの外国銃のモデルガンのような、うそんこショートリコイルではハンマーがコック状態にならないのです。うむう、南部博士もびっくり!前方へのエネルギーをこらえるデトネーターを直接フレームから生やして、バレルはただのカートリッジスリーブと化してしまえばいいのですが、この方法はリコイルスプリングカフスを切り開かねばならず、フィールドストリッピング時の実感を損ねてしまいそう。

そこで、ぼくはロッキングブロックに着目しました。

実物のロッキングブロックは通常、自由に上下移動することができず、銃身が下がると、スライドとかみ合ったままいっしょに真後ろへ下がり、フレームの落とし穴に落っこちてロックが解けるわけですが、フレームのロッキングブロックが落ちないように邪魔している段差を付けないでおいて、ふだんから自由に上下動できるようにしておいて、スライドとのかみ合いに傾斜をつけておけば、スライドが下がると、そのまま下に動こうとするはずです。その、スライドと銃身が火薬の爆発で引き離されるエネルギーを、うそんこロッキングブロックを下に搾り出すことで90度下に取り出し、それを、フレームに軸を持ったベルクランクで受けて、また後ろ向きに90度変換してあげると、バレル/スライドは前後に広がりながらもフレームから見ればひとつの閉鎖系として後へ運動するはず。

紫で示した部分が実物にはない追加部品のベルクランクです。取りあえず手動では機能してます。

また、フルスクラッチしてみて、実物の欠陥とされる、スライドが開いていても引き金引くとハンマーが落ちてしまう不完全なディスコネクションは、たぶん、原設計に忠実に、非常に少ない公差で製造されたなら起きえないはずだということがわかりました(銃身が下がった状態で引き金を引くと、引き金内を上下するハンマーバーディスコネクターバーが強制的に銃身下部の突起の斜面に当たって押し下げられて、シアからディスコネクトされるようになっているみたい。ぼくの作ったモデルはそうなっちゃいました。)。が、これはあくまで「ハズ」で、現存する銃では落ちてしまうということなので、やはり「当時の日本の工業レベルで実行できる製造ということを考えた設計」という視点から見れば欠陥でしょう。当初の低コスト軽量というコンセプトからすれば、設計には知能を絞りに絞って手をかけて、完成した部品は簡単単純作りやすく、しかも使いやすく安全という行き方をするべきであったので、この銃から伺われる、設計は安直だけど加工が多くむつかしく、取り柄は少ない部品だけという行き方は、設計者が無能といわれてもしかたない。

戦前の日本人は一般に「省力」といわれると「手抜き」しか連想せず、実際戦時の日本の省力型製品の行き方は、設計過程と材料を手抜きするだけで「安物買いの銭失い」的なものが多く、「いかに生産から運用までを含めた、トータルなコストを下げることができるか、現場の人間を最低限の教育で平均以上に稼働させられるか」という、省力ということがもつ本来のテーマを追及して智慧を絞った形跡がない。省力型こそ設計者の腕と智慧の見せ所なのに、手間ヒマをかけてじっくりやるのだけが名人職人の仕事という意識からくるらしい「手を抜け?凝るのがオレの生き甲斐なのに?じゃあ、もうこんなのオレの仕事じゃない」という投げやりな心理なのでしょうか。それとも利の低い「安物」としての見下した認識でしょうか。

下はモデルガンの断面。左右を張りあわせる前の2枚です。ロッキングブロック下の緑色のものはスポンジで、これはベルクランクを思いつく前の試行錯誤の記録でもあります。カートに蹴られたスライドが、カート燃焼終了後も慣性でうしろへの運動を続け、スポンジに押し上げられたロッキングブロックとの摩擦を使ってバレルを後に引っ張るという・・・そんなしくみで確実にはディスコネクトしないよねきっと。冷汗です。

ハンマーや引き金は真鍮板の積層をハンダ付け。この銃の最大のウリであるハンマーのローラーも再現しましたよ。ライブですよ。

フレーム後にフタする前にハンマー様を記念撮影。この銃のハンマー、45度くらいしか運動しないの。せめて60度くらいうごけばね。

小型拳銃と一般的に解説されるこの九四式ですが、その大きさはコンバットコマンダーやトカレフTT33とあんまり変わらず、この点や、コスト無視で削りまくられてるフレームとか、ペラッペラのスライドカバーとか見てると「小型」を目指したのではなくて、「軽量」を目指したのかなという気がします。弾6発しか入らないのも含めて。

我が帝国陸軍は当時世界一歩く軍隊で、装備はたとえ200グラムでも軽いほうがうれしいのです。将校さんとか別に軍刀とか持たなきゃいけないしね。こんな銃作らないでブローニングをコピーしたほうがという意見を聞いたことがありますが、たぶん当時の日本工業界では、ブローニングをちゃんと作動させ得るような、細くて小さくて強力なストライカースプリングは作れなかったと思う(たとえば十四年式用でさえ満足に作れていないのでバネの能力不足をストライカーの移動距離で解決してますね)ので、そういう点では九四式は日本の間尺にあった(・・・)設計だったのかも。詰めがえらい甘いけど。

ブローニング1910と同じ性能でこの無駄な大きさは、やっぱり破滅型の男らしい!大スキ!

中田商店で買ったホルスターに入れてみました。マガジンはそのうちもう一本作る予定。

搾杖も作ってみました。先っぽは4ミリのドライバーになってるようですが、このレプリカは軟鉄なのでネジ回せませんトホホ・・・。ところで、この搾杖、ホルスターのどこにしまうのかしら・・・

参考資料
本:「小銃・拳銃・機関銃入門」(佐山二郎/光人社NF文庫)

「月刊GUN:81/10、84/5、84/6、87/11、94/3」

「Japanese Military Cartridge Handguns 1893-1945」(Harry L. Derby III & James D. Brown /A SCHIFFER HISTORY BOOK)

webサイト:「25番」(http://taka25ban.sakura.ne.jp/)  

「旧日本陸海軍個人装備ギャラリー」(http://rain.prohosting.com/~shunpart/) 

その他「type 94 japanese handgun」で検索して出てくるサイト

オレが考えた欠陥解消カンペキ94式スーパー 第一回テスト発火ムービー(1.1MB)
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