第二次大戦中のアメリカの爆撃機の特徴はなんでしょう。ぼくは、その爆弾倉にあると思います。

アメリカの爆撃機の爆弾倉は、機内の床下(主翼の桁より下)にしかそれのない日本やイギリス機と違い、どの機も胴体の天井から下面まで貫通する大容量の空間を確保しています。では逆に、なぜ日英の爆撃機は主翼下面のラインより下にしか爆弾倉を設けなかったのでしょう?これは、爆弾倉がその空力バランス上、機体の重心付近に位置しなければいけないのに、胴体のその部分には主翼の桁が右から左へと抜けているためです。プラモデルのように、右翼と左翼ががらんどうの胴体で泣き別れになっているわけではないのです。

通常、このての飛行機の主翼桁は前桁と後桁の二本桁構造をとりますが、日英の機体はこの桁の間に燃料タンクを設け、その上を乗員の前後の連絡通路にとっています。前後で連絡ができたほうがつごうがいいですから。が、アメリカ人はそんなぜいたくな通路など設けずに、桁と桁の間は空っぽの爆弾倉を貫通させ、爆弾倉の中央に胴体縦フレームを兼ねた平均台のような吹きさらしの足場を設けて済ませているのです。そして、この思い切ったレイアウトにとどめを刺すのがハシゴみたいな射出式爆弾架です。ここに農家の軒から下がる沢庵みたいに爆弾をセットすることで、立体的に爆弾を積むことができたのです。

日本には簡単な懸釣式の爆弾架しかなかったので、アメリカ機みたいな立体的な爆弾レイアウトなど、思いもよらなかったようです。結局、この爆弾架と、小さな爆弾倉にこだわる限り日本機の爆弾搭載量はアメリカに勝てなかったのです。イギリス機は爆弾倉を、うまく爆弾が落ちなかったときに重心バランスが崩れる危険を覚悟で前後に長くとって、大容量の爆弾倉を手に入れました。超大型爆弾のときには爆弾倉とびらをあきらめました。日本の設計には、このての思いきりが余りなかったみたいです。防弾板をなくすとか、後ろ向きには思い切ってたのにね。ドイツでは爆弾倉を上下貫通にしている例は多かったのですが、さらに大きな爆弾を積むために爆弾倉ををあきらめて、機外装備にしてしまうことを選んだみたいです。ユンカース88とか、ハインケル111などは爆弾倉は燃料タンクに化けてしまいました。とくにユンカース88の後部爆弾倉は重量バランス的に投弾後が危険そうです。

こうして考えるだけでも、プラモ作りが楽しくなるぼくなのでした。

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