なぜに無視される長谷川一郎証言

昔、雑誌の「航空ファン」には、戦時中から航空モデラーだった長谷川一郎さんという方のカラー見開きの旧軍機側面図エッセイがほぼ毎号連載されていました。

色々な機体を見たり聞いたりした情報がエッセイにさりげなく書いてあるので、日本機の機内塗装に興味のあったぼくは、毎号むさぼるように読んだものです。

90年代の半ばころまで、ぼくが当時西側ジェット機べったりだった航空ファンを愉しみにする理由といえば、この連載があったからだといってもいいくらいだったのです。

残念なことに、氏は亡くなられてしまい、エッセイも一冊にまとまることなく忘れ去られることになりました。さらに残念なのは、氏の死を待っていたかのように戦後育ち研究家の反論キャンペーンが始まったことです。九六戦のニス塗り否定に始まり、二式複戦の機内色から陸軍のドロップタンクまで、すべてを否定するキャンペーンが始まりました。別に長谷川証言を絶対視せよという気はありませんが、二式複戦の機内の色などは、どう見ても黄土色にはみえないようです。これは工場が三式戦とは違っていたことを合わせて考えるとなっとくがいきます。

零戦練がオレンジ色だということを否定されたことについては、生前に控えめに「灰色の戦練を見たことはない」と反論されていましたが、なんとはなしに、メディア上で圧殺されてゆきましたが、これは最近スケビなどでの気持ちのよい反論があったので、すくわれつつあります。

陸軍のドロップタンクがオレンジだというのも、「黄緑」だという取り説の発見で、全面否定されそうになりましたが、これは内地に限っては回収目的で目立つミカン色に塗ったという証言が出てきています。ちなみに、否定的意見の根拠の証言をされた元陸軍パイロットの方はニューギニアで戦われたので、外征した陸軍機のタンクのみしか見ておられないと思われ、つまり、外征軍用のタンクは目立たない色だったのでしょう。オレンジも黄緑も時期と戦域によってはうそではないことになります。

なんか、だらだらと長くなりましたが、ぼくがここで言いたかったのは、少数でも証言は証言であり、すべてがそうであったわけではなくとも、そういう例もあったのではないかという推理もしてみるべきなのではということなのです。

ちなみに、いまもっともホットな零戦のアメ色については、製造工場、ロット、製造時期、屋内(空母格納庫など)と天日、天候、作戦地域の太陽光線の強さなどで、かなりバラツキがある(空自の迷彩のバフ色なども、照明環境でべつの色に見えるようです。)と思われるので、灰色系なら何で塗っても正解なのでは?と考えます。

ただし、個人的には最右翼の説の濃い緑褐色で塗ると、「オエッ」となるので、絶対に使わないでしょう。明るめのグレイまたはスカイで塗ることにします。

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