フジミの九八直協は、ぼくが高校生の時に出たと記憶しています。なんでこんなの出したかな?と当時思ってましたが、今思うと大感謝です。
アジア歴史資料センターに取説があって、(今マックでは見れません。アップルがサファリの仕様を変えたからだそうな。アップルのくそったれ!しんじゃえ!)「ARAWASI」から資料本が出たし、ネットにはタイに現存するキ-55の写真が結構あるし、何よりもクリアバックスが出てるので、やろうと思えばできるなーと思い立ったのが2011年の12月の終わりで、年末から取り掛かったけどやっぱりわからないことは多くて、途中別のキットに移り気したりしたので完成は2012年5月になってしまいました。すげえ!半年近くかけた! 中国のどこかの戦線で飛んでた機体。 キャノピ可動、3つのカメラ窓可動、方向舵可動、機銃可動、後部座席可動、脚サス可動です。 上のは全部開けたところ。 こんどは全部閉めたとこです。 この頃の三菱の九七司偵とか九七式二号艦攻とかキャノピの後端部が似通ってます。この飛行機は三菱に司偵の情報をもらったそうですが、キャノピ後端の機銃の処理とかは九七式二号艦攻っぽいです。 ピトー管とトリッキーな形の排気管は自作です。固定の第三風防は、胴体側面とツライチの第四風防を内側に入れる関係で胴体外側にはみ出して取り付けられます。したがって第二風防と第一風防はさらに胴体からはみ出しています。これもこの飛行機のトリッキーな部分です。 真上から見たよ。デカール貼ってる時にようやく気が付きましたが、このキットの補助翼の作動槓桿部の位置が左右で違うのはこれで正しいのかな? 取説を見ると最初の50機分はスロット付きで、以後捻り翼としたそうです。ので捻じっといた。 飛行時に脚がだらんてなるのを再現しました。硬いので手動です・・・ キットのエンジン取付指示は、シリンダーが二本Vの字に上に来るように、機関銃のパイプを遮るように指示されてるので間違いです。一番上のシリンダーは一本直立です。エンジン自体は特徴をよく捉えています。 この飛行機の排気管は左右4本づつと6番シリンダのぶん一本というへんな分け方ですが、平等を重んじたのでしょうか。 第一風防上の赤い突起は取説では「警灯」と呼ばれています。直教の取説では色の情報はありませんが、99高練の取説では「赤色」のように読めます。 垂直カメラ窓を可動にして遊べるようにしました。ナイフの先とかで開け閉めします。ベンチュリー管が付いているようなので自作。このベンチュリー管は練習機だとふたつ付きます。 エンジンから出てる黒いパイプは、一番前のちいさいのがオイルろ過器の排出口、次のが6番シリンダーの排気管、カウリングうしろから飛び出てるのはキャブレターインテークの末端にある「空気予熱室」から出てますがなんでしょうね。この飛行機は満州でソ連と戦うために作られてるので耐寒装備があるのはさすがです。また、キャブレターインテークに、外からは見えませんが防塵フィルターがついています。これはアメリカの飛行機にもありますな。 胴体後部のふたつの丸は照明弾投下筒のふた。 機関銃は「試製短銃身旋回機銃2型」というのを自作してみました。なんかヴィッカーズKガンみたいになっちまいました。レール上を動きます。 スライド式の側面カメラ窓はガラスはないと思います。 付け足し:胴体の風防の後端の立ち上がり部分は、初期型ではフジミのキットのように第五風防のレール上でスパっと鋭角に組み合わさっただけの処理でしたが、どうもそれが強度上の不連続面になったのか、もしくはすきま風が寒かったからか、上の写真のようになだらかな丸みを持った外板を継ぎ足されるようになりました。 この機関銃は、11年式軽機を横倒しにして7ミリ7に拡大した八九式旋回機銃の左側をもってきてドラム弾倉式に変えたんだそうな。ラインメタルの旋回機銃がうまく作れなかったみたいなので結構広範に見かけますな。試製なのに。 空薬莢バッグはうまくできたんだけど旋回の邪魔になるので泣く泣くカット。 機銃収納状態。 さて、ここから機内作りました自慢です。 フジミのキットは、機内に関してはほぼいい加減で、操縦席の計器盤だけまっとうです。 ので、概述の資料とにらめっこして何とか当て推量しました。 右舷の89式固定機銃も薬莢シュートとともに作りましたよ。見えないけど。 薬莢シュートの真横に、防火壁からつきだした四本のアームに外枠を固定された弾倉(弾薬ベルトの箱)が付くのですが、今回はパス。 胴体内はタイの機体からすると厚塗りの青竹ですかね。初期は灰がかった濃紺だったかもです。 今回はメタリックグレイにクリアブルーを重ねましたが、後にガンメタルにクリアブルーのほうがらしいかなと思ったので変えました。 胴体右の操縦席と観測席の間のものは通信機の入る棚ですが、これをつくったとき、通信機の左に来る観測席用計器盤は、通信機とツライチなのかと思ってそうしたのですが、胴体左の落下傘におもいっきり重なってしまうし、なにより垂直カメラが取り付けられなくなるので、どうも計器盤はもっと前に(奥に)ずれて付くようです。 操縦席床板は視界を得るために主翼桁よりも持ち上げてあるようです。 垂直カメラ窓はスライドして開いてから写真撮影するようです。この窓のみ可動です。 アルミ缶とプラ板でなんとか動くようにしてみた。 低い位置にある観測席床板。観測席は観測者の作業のじゃまにならないよう前後にスライドします。その前のアルミ色の多重な輪っかが垂直撮影用のカメラのカルダン架。 いちばんうしろの枠はカメラ置きだそうです。 操縦手座席はプラ板から自作。この時代の陸軍機の座席は高低の調整ができないみたい。この飛行機では後席は座席を回すことで高さ調整ができますが。(昔の電車でそういうのあったな) あと、陸軍機って肩バンドないんですね。海軍では阿川弘之の小説の「雲の墓標」を読むと艦爆にはあって艦攻には無いとか書いてありますが、不時着すると頭打って死ぬから嫌だとか書いてありますね。 でもってようやく床板完成!ここまで来たのがなんと4月の終わり頃っすよ・・・手が遅すぎ・・・ せっかくだからもう一枚記念撮影。 胴体左右もようやく接着。このあとで例の無線機と計器盤のツライチじゃないことに気がついたので、このあとで無線機はもぎ取って作りなおして再接着しました。 操縦席後ろには第三風防の枠としてロールバーが付きます。んで、この時ようやく気がついたのですが、上の写真の赤でマークした部分は実機にはありません。カットしましょう。カットしました。ここには頭突き防止の皮パッドが巻かれるようです。なんだかフレームと位置が合わねえなと思ったんだよな。 操縦席後ろの白いとこは筆記用の乳白セルロイド版です。 計器盤を無線機より奥に直したあとの写真。これなら落下傘は簡単に取り出せるしカメラの邪魔にもなりません。 胴体後部のジャッキポイントはパイプが入ってますので再現。下の青い棒は照明弾発射筒ですが、つけたけど外から見えないね。 方向舵つけてようやく機体が飛行機の形に! 主脚は上部カバーをアルミ缶でつくって、下部をキットのを削って、両者を真鍮パイプ指してつなぎ、抜けないようにテグス接着でつないでます。 尾輪は胴体を張り合わせる前にやはりテグスで・・拡大するとキタネエな・・・ 肉眼だと見えないので気にならないっす。 やった完成だ!ぶううううう〜〜〜〜〜!!!!ん 30年近くぶりに作ったですよ。 おまけ↓ 翼を前後逆にすると99軍偵みたいでかっこいい!
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