9. 心を溶かす

  こころとからだ
  本当のぼくはどっち?
  歌っているのはどっちのぼく?
 

 
 メブチ公の秘書は、昼食の時間がおわったので、主人を迎えに寝室の前へきました。しかし、寝室を警護する兵は、かれがおそれていたとおりの言葉をつたえたのです。
 「殿は予定を変更されるそうです。日没までお休みになられるということです」
 「殿…やはり…耳の長い娘の虜に…はああ…情けない…じいは…じいは…そう、ここはメブチ領のため、殿のため、一死をもってご諌言申し上げるのがじいの勤め、思えば今日このじいのあるも全て 殿と、先の殿あってのこと。この皺首のなにが惜しかろう!」
 秘書-じいは、メブチ領のために命を捨てる決心を一瞬のうちにしました。こういう覚悟は一瞬で決めて、一瞬で死なないと、あとでとても苦しいことになるので。
 しかし、寝室番の衛兵にはそんな覚悟はありませんし、なにより主人であるメブチ公の跡継ぎ作りを守るのが役目なので、寝室に乱入しようとしたじいはあっというまに衛兵にとりおさえられてしまいました。
 「は、はなせえ!いまをなんと心得るか!メブチ領危急の時なるぞ!殿が一時間休まれるということは、わが領に五万ぺーの損害が発生するということなのじゃ!貴様らの手当ても減るんじゃぞ!」
 「秘書殿ォ!自分たちは、殿が憩いの時を過ごすのを誰にも邪魔させないことに誇りをもっておりまぁす!たとえ秘書殿であろうとぉ!やはり看過できないのでありまぁす!」
 衛兵は女の子とはいっても、選び抜かれたよりぬきのエリートで、身体つきもなかなかいいのです。完全な訓練を受けた強い兵士たちです。秘書の老人がどうにかできる相手ではないことが、計算で生きてきた彼にはすぐにわかりました。
 「わかった、わかった、放してくれい!殿には夜も働いていただこう!」
 振り払うと、臣下としては、不遜ともとれる捨てぜりふを残し、そのまま城の屋上へ向かいました。
 「古来、希代の名君と称されし貴人が一介の妖婦に惑わされ国を誤りし例は数限りなし!しかしわが殿に限ってはこのじいめがそんなことにはさせぬ!なんとしてでも、殿をお諌め申し上げねば、先代の恩寵に報いることができぬわ!」
 死を決した彼の頭には、ただ、いまのメブチ公を堕落からたちなおらせることだけがありました。まじめな彼の頭には、息抜きにお休みなんてことは露ほどもなかったのです。
 そこへ、ロープを一抱えも肩に巻きつけた、一人の兵士が通りがかりました。ぼくたちは、この人をどこかで見たような…
 「おい、そこの兵!その縄をちょと貸してくれんか?ちょいと野暮用でなあ、要るんじゃ!へへ」
 通りがかった兵士が持っていたロープを調達してしまいました。ところが、兵士にロープを渡されてみると、その重いこと!ふらふらとよろけると、あおのけにばったり!
 「うぇえ!早くこの縄をのけてくれい!息も…で…きんわ!ぐうう…」
 ロープは、ぼくたちの世界でいうと、長さが五十メーターはあったので、その重さも並ではなかったのです。しかし、このロープを持っていた兵士は軽々とじいの上からこのロープの束を持ち上げてしまいました。
 「じいさん、このロープ、なんに使うんだ}イ?コトとしだいによっちゃ、オレ様が運んでってやってもイインだゼ」
 なんという無礼な口の聞き方をする兵士だろう!じいはおどろきましたが、兵士の襟のにハンマーの刺しゅうがしてあるのを見て納得しました。兵士が工兵だったからです。どこの国でも、弾の雨降る中を真っ先に武器なしでハンマーやショベルだけで駆けだしてゆく工兵になるのはきっぷも度胸もある荒くれどもと決まっていましたから。やることをやれば、多少の荒っぽい口の聞き方は心意気としてオーライの兵科でしたから。
 「殿が、殿が寝室で、昼間っから女におぼれておるんじゃ!これぞ国難の時じゃ!おまえも栄えあるメブチ工兵なら、わしに手伝って、この危急を救うべく、屋上までこい!」
 「なんやら、面白そうジャン。わかったゼじいさん!オレ様が助太刀するとしようか!屋上までついってってやらア!」
 こうして二人は城の屋上へ。
 

 「さてと、どうやってここを抜けだそうかな…」
 パーチクは残飯を集めた桶をかかえて豚小屋へむかい、桶の重さのせいでよたよた歩きながら思案をしています。ありあわせの材木ででっち上げたみたいな豚小屋は城壁の南側にあり、遠くからも豚どもがぶうぶう鳴いているのがきこえてきます。
 「豚君は、ぼくのかわり、してくれるだろうか…」
 パーチクが豚小屋の入り口を開けると、のんきな豚たちがぶうぶういいながらニコニコちかよってきました。パーチクは残飯の桶を彼らの中にあけてやりました。
 喜んだ豚どもががつがつぶうぶう残飯を平らげる様子を見守りながら、パーチクは、自分に一番似た豚を選ぶことに夢中です。豚どもは、そんなことにはおかまいなく、ぶうぶうご機嫌で残飯をがっついています。
 豚という生き物は、みんなにばかにされ、安物の肉のお手本みたいにあつかわれますが、のんきで、しかもくせのないおいしい肉をぼくたち人間に与えてくれる偉大で大切な生き物なんです。チャンスがあったら、観察してみてください。のんきにぶうぶう言ってる姿にきっとかわいいと思ってしまうはずだし、肉はとってもおいしいし、丸焼きになったあとでもにこにこしていて、本当に罪のない生き物なんだから。
 パーチクはようやく一匹ののんきな豚を選ぶと、彼の頭に手をかけ、豚の目を見つめながら呪文をとなえはじめました。


 「ぶたよぶた、おまえを豚から解き放ち、新たな器を用意せん。
 わが姿を与え、わが知恵を与えん!
 豚の姿をいまは捨て、わが想いに応えよ、豚」
 
 かなりみじかい呪文でしたが、ネーコのときと違って、豚の体重がパーチクとほとんど変わらなかったのと、今回は一時的にパーチクが操り人形として使うつもりだったのでこれでじゅうぶんなのです。
 はたして、パーチクの両手にはさまれた豚の輪郭が一瞬ゆらいだかと思うと、もう次の瞬間には、はいはいする格好の、裸のにこにこ顔のパーチクになっていたのです。
 「豚君、きみはここでそうやってはいはいしているだけでいいからね」
 「ぶうぶう」
 パーチクはぶたパーチクの頭をなでてから立ち上がって、お城の方を向くと、低く、鋭い気合をかけました。
 みなさんは、催眠術についてしってますよね?パーチクはいまお城に向かって強力な催眠の気合いをかけたのです。「ぼくはこれからだれにも見えない!」という気合いを。
 同時に、パーチクは自分にも「ぼくはこれからだれにも見えない!」という催眠をかけました。催眠術は相手と自分の両方にかけることで初めて完ぺきなものになるのです。
 

 長い石のらせん階段をぐるぐる回って昇ります。ぐるぐるぐるぐる、もう、どちらを向いているかもどのくらい昇ったのかもすっかりわからなくなったころ、階段は急に終わり、広い石の広間に出ます。ここがお城の最上階。半円形の広間の向こうに、メブチ家の紋章である「渦巻く腐った魚」を彫った巨大な扉が見えます。
 「アレが屋上への扉かイ。ナカナカ物々しいネェ」
 声には出さなかったものの、お城の屋上へ出る扉が、あまりにものものしく、かつ頑丈そうで、しかもその前に衛兵司令部の詰め所まであることに、ヒリヒはとっても驚きました。
 「ナンダナンダ、城門にいたノより兵隊の数が多いゼ!こりゃア、なんだか、面白いモンが隠れてそうだゼ。へへ」
 いい獲物の予感に思わずニヤリとすると、横を歩くじいが話しかけてきます。
 「こりゃ工兵、おまえは屋上は初めてか?メブチの縦坑を見るのは初めてか?」
 じいはメブチ領最大の秘密を他人に自慢したくなったようです。
 「メブチの縦坑」なんてはじめて聞く名前でしたが、そこは盗賊、ちゃんと調子を合わせます。
 「ああ、ここに来たなあ初めてサ。ところでじいさん、オレもメブチの縦坑、見れるのかイ?イヤァ、一度見てみたかったんだよナ!」
 腐った魚の扉を開けると、目の前にいつもより明るいような気さえする青空が広がりました。お城の屋上は、がらんとしたただの広い野天の石床です。ぽつんと一つ、馬が通れるほどの大きさの地味な穴が開いていました。周りには少し間を置いて、赤いレンガがはめこんであります。赤い点線の円を描くように。
 「なんだなんだ!?意外に地味だナ!オレァまた、金でできた釣瓶でもあるかと思ってたのにヨウ!」
 「釣瓶などいらんのだ。メブチの縦坑は。縦坑の歌の巫女が歌うことで、黒小人を働かせ、地の底の財宝を吸い上げるのだからな」
 「歌の巫女ってノ、会ったことあるのかイ?」
 ヒリヒはこの、初めて聞く「歌の巫女」という人物の、もっとくわしい情報を引きだそうと思ったのでした。
 「その昔、カルメンになる前にな。なってからは会ったことがないのはわしも一緒じゃ。カルメンはこの縦坑の中に住んでおるのじゃからな。歌の巫女カルメンは、代々このメブチ領に、…おっとと、これは秘密じゃった!ただ、もうそろそろいまのカルメンは寿命が尽きるようじゃから、近いうちに新しいカルメン候補が縦坑に投げ込まれることじゃろ」
 「投げ込むダケで跡継ぎになれるのか?」
 「素材によるな。だめな娘はだめで、死骸になって戻される。縦坑の真上に満月ののぼる晩、当りの娘が投げこまれれば、そのまま次の代のカルメンとして縦坑の中で歌を歌うことになるんじゃ。三人に二人の割で当りの娘が出るから、めったに死骸が出ることはない。魔術師の話だと、その娘の身体に占める怠惰の割合が重要だとか、オオ、ついたぞ、」
 とりとめもなく話すうち、二人は屋上のへり、さっきヒリヒとデ・ロタールが城の外から見当をつけたあの壁の張りだしを見下ろせる場所についたのでした。
 「よし、工兵、おまえのロープの出番じゃ!わしは、下の、あの張り出しまで降りたいんじゃ!」
 「オオ、じいさん、歳に似合わずおてんばするじゃネエか!おもしれエ!オレさまも一肌脱いでやるぜ!」
 思ったより簡単に寝室にたどり着けそうなので、ヒリヒは心の中でニヤリとしました。


 「感じる!」
 城の中、それも地下の一室で、なにかのあかりに照らされた机に向かい、なにかの本を読んでいた男が、ぽつりとつぶやきました。まだ昼間だというのにわざわざ暗い地下室で読書をしているのは、別にこの男がひねくれているからというわけではなく、男の読んでいるその書物が陽の光に弱いということのためです。
 男は「闇の書」を閉じるとイスから立ちあがり、天井を、つまりは頭の上のお城を見上げました。パーチクが普段着ていたような服を着て、白いヒゲ。後ろになでつけた白くて長い髪はそのころの魔法使いの一般的な姿です。 
 そう、彼は、どこのお城にも必ず一人はやとわれていると言われる、対魔法官です。仕事はお城に対する魔法攻撃の予防です。さっきパーチクがお城に対してかけたような催眠魔法をいち早く見破って対抗するのです。だって、催眠魔法をかけられているときに攻め込まれたり忍び込まれたりしたら、処置なしですからね。
 「感じるぞ!しかも超強力!おい、相棒!起きろ!だれかがこの城に魔法をかけたぞ!」
 暗い部屋のすみの寝台の影で、なにやらごそごそ動く気配がしたとおもったら、なんと、出てきたのは小さなカラス。床の上を眠そうに目をしばたかせて、ぺたぺたと歩きながら、
 「ああ、だれかすごいのをかけたな。見えなくなるやつだな」
 人の言葉でしゃべりました。
 「こうしちゃあおれんぞ!すぐにきゃっつがどこに潜り込んだか突き止めて、そうさな、これだけの使い手なら、生け捕りにして、黒小人に知識の書き出しを頼みたいな!」
 カラスは男の頭の上にぴょんと飛び上がり、
 「そりゃあいい考えだ!さあいけ!」
 男に命令しました。べつにこの男がカラスの子分というわけではないのですが…
 


 階段を、粗末な服のままとことこ昇ってゆきました。ちょっと駆け足で。足の重りがわずらわしかったけど。すれ違うだれもがパーチクには目もくれません。いま、パーチクは空気のような存在なのです。
 「あとはこのお城の対魔法官がどのくらいできる人かで決まると思うけど…まあ、このぼくの魔法はそう簡単には破れないね」
 けっこう自信満々です。これは、自分にも催眠魔法がかかっているせいもあるのです。
 「さあついた。この扉だね」
 迷いもせずにメブチ公の寝室の前まで来てしまいました。ハーコとつながっているので、気配をたどれば簡単なのです。扉の前の衛兵は気合いを入れたままで立っています。
 「ここが大事なんだ」
 パーチクは衛兵に短く気合いをかけました。

 開いてもいない扉が閉まったような気がして、衛兵はちらりと扉を見ましたが、扉はもちろん閉まったまま。衛兵は今までどおり気をつけの姿勢を続けました。
 寝室の中の様子は、もちろんさっきからハーコの目を通して見てるので、扉を開けて中を見た瞬間に、ハーコの位置とパーチクの位置と、一度に二方向から同じものを見ることになったので、パーチクは目まいがして、あわててハーコとのつながりを切りました。
 「あ、パーチク!ハーコここここ!」
 パーチクを見て、ハーコが喜びの声をあげました。
 「しい〜っ。静かにして、ハーコ。お話はひそひそ声で」
 パーチクはハーコのそばへ行き、頭をなでてあげてから、ハーコの首の鎖を取り上げました。
 「これはがんじょうだねえ。カギがないとだめかな」
 「パーチク、このクサリはずしたいか?ハーコそんなの簡単」
 クサリをくわえると…
 がりがりがり。ぱん。
 「わあっ、硬い歯だなあ!割っちゃった」 「ハーコ木も食べれる。でもにがいのやだからほんとにお腹減ったときと歯がくすぐったいときだけ」
 「へえ〜っ、欠けもしてないや」
 パーチクはあーんと開けたハーコの口の中の歯を親指で押してみながら感心しています。
 「じゃあこの足の重りもとってくれない?」
 がりがり、ぶちっ。
 「ネーコとアリエールのも」
 がりがりがり。ぱん。ぱん。
 「これで自由の第一歩だ」
寝室の、その他のみんなはあいかわらず眠っています。
 「みんなの目、覚まさないか?」
 「うん、どうしよう。目を覚ますときは全員覚めちゃうんだよな。でも殿様と兵隊さんには眠ったままでいてほしいし・・」
 「くすくす、殿様とセラ、いま縛っちゃえばいいよ」
 「お、頭いいね!」
 

  「ううう、細いけど、やっぱり大人だよ…重い…」
 パーチクはやっとの思いでテーブルからメブチ公をおろすと、おんぶしてハーコの寝台へ引きずってゆき、寝台の上へそのままうつぶせに倒れ込み、背中からのしかかってきている格好になったメブチ公の身体の下からはいだしました。
 「いっちょあがり。今度は兵隊さんだ」
 デ・ロタールの寝台の中をのぞきました。
 「うわあ、二人ともなんてカッコだ!」
 デ・ロタールの両足の間に顔を入れて眠っているセラを、またまたやっとのおもいで引きずり出しておんぶするのが大変!
 「ううう、女だけど、やっぱり兵隊さんだよ…重い…」
 けれどなんとか、メブチ公の横に並べることができました。ハーコは見ていてなんだかうれしくなって、羽をぱたぱたさせています。
 「さあ、しばっちゃおう!」


 夢を見ていて、それがまた、なにかとってもおもしろい話の途中だったのですが、ほっぺをピタピタたたかれたので、ネーコは目を覚ましました。
 「ううん、だれ?…あ、パーチク!」
 「しいっ」
 また会えたうれしさに思わず大きな声を出したネーコに、パーチクはあわてて「しいっ」のしぐさをしました。
 「静かに。また離されちゃうと、困るでしょ?」
 ネーコは返事のかわりにパーチクの頭を思いっきり胸に抱きしめました。「むぎゅう」ちょっと硬いけど、それでもパーチクの顔をぴったりふさぐには十分な感触の胸にびっくりしてパーチクはもがきました。
 「くぐひいひょメーホ!」
 パーチクがやっとのことで顔を離すと、こんどはほっぺに自分のほっぺをこすりつけました。
 「…泣いてるの?」
 「だって…」
 ネーコのほっぺがぬれていました。じつはとっても心細かったんです。そのことに気がついちゃったんです。猫の心細さに女の子の繊細さが加わったためかもしれません。
 「もう、はなれちゃいや…」
 パーチクはネーコの肩に手をまわすと、しっかりとだきよせました。こんなに人にすかれたのは、何年ぶりのことだろう…うれしいな…この気持ち、大切にしなきゃ…


 「離れないよ、フェ‥いや、ネーコ…」
 ネーコの耳がわずかにぴくっとしましたが、すぐにそれを打ち消すように一層すりつける力を強くすると、小さな声で、「…うん…ほんとだよ…」


 「わたし、このカッコで出るの!?」 
 デ・ロタールが、信じられない!といったちょっと恐怖のまじった引きつった表情でパーチクにたずねたのは、まあ、ふつうの恥を知る、おとなの女性にはムリもないことでしょう。さっきメブチ公と言い争って少し気持ちが傷ついているせいもあります。裸で眠っているところを起こされただけではなく、大切な自分の身体が全部透けて見える寝間着一丁でお城の中をあるけなんて。しかも、お伽用だと一目でわかる寝間着です。裸を見られて、服を着たあともこんな姿で、パーチクに見られているのだって、なんとなくしゃくにさわるくらいなのに。
 「でもね、アリエール、身につけてるものはなるたけ少ないほうが、ぼくの催眠魔法は効きやすいんですよ。それに、この間水浴びしたときは平気で全部見せてたじゃないですか」
 デ・ロタールはまっかになりました。
 「あ、あれは、新しい膨大な知識が入ってうきうきしてたのと、水のにおいがあんまり素敵だったからと、だいいち、あの時見てたのはあんたみたいな子供とよぼよぼのおじいさんだけだったでしょ!森の中でハダカで水浴びるのと城下町をハダカで歩き回るのじゃ、ハダカの意味がちがうのッ!」
 パーチクは彼女のために考えました。なにかいい方法は?
 「…ああ、そうだ!その兵隊さんの服を借りよう!」
 「んぶ〜!」
 縛られてさるぐつわを噛まされていたセラが、抗議の声をあげました。
 
 「アリエール、なんでも似合うんですねえ」
 「あたり前よ。わたしが本気で愛したら、だれでもイチコロなのよ!」
 さっきのメブチ公とのやり取りがまだ頭に残っていたのか、よくわからないことを口走りながら、それでもきりりとした衛兵の服をきめたデ・ロタールはやっぱりかっこいいのでした。セラはあらためて眠らされ、さっきまでデ・ロタールの着ていた寝間着を着せられてころがっています。
 「んがぐぐぐ!」
 メブチ公がさるぐつわの下から抗議しました。
 「すいません殿様、ぼくたちここにずっといるわけにはいかないんです。それに、もうこんなにきれいな人をお持ちじゃないですか。さあ、この人の夢を見て」
 パーチクは抗議にこうこたえてから、メブチ公を魔法で眠らせました。それから、デ・ロタールの寝間着を着せられて眠っているセラに目をやって、「おもたい兵隊さんも、この格好だと女らしくてきれいだな…」
 ネーコのツメがパーチクのおしりにぐさっ。
 「だめ!セラはおとのさまのなの!」
 「いてて、そ、そうだね!もちろんそうさ!」
 パーチクはあわててネーコを安心させます。
 「パーチクのえっち」
 ハーコがからかい気味にパーチクに追い討ちをかけました。パーチクは苦笑いしながらネーコの手をとりました。 
「さあ、お城の外にでなきゃ…」
 
 殿様が午後を寝室で過ごされると聞いた衛兵は、気合いを入れたまま立ち続けています。殿様がそばにいると思うと、励みがでるというものです。この娘も殿様の夜とぎをしたことがあるものですから。
 気合いは入っていたものの、あいかわらずパーチクの催眠魔法は生きていましたから、ネーコが扉を開けて出てきたときに、その後ろにパーチクがいるのが目に入りませんでした。
 「おや、おまえ、クサリはどうしたのだ…」
 いいながら緊急用の呼子に手をやりかけたときには、パーチクの催眠魔法が決まってしまって、石のかべによりかかるようにくずおれてしまいました。
 「パーチクは、ほんとに女の人寝かせるのがうまいのね!」
 今日のデ・ロタールの言葉にはどこまでもトゲがあります。パーチクはそれにとりあわず、まわりを見回しました。
 「なにか妙な気配がする。アリエールは感じませんか?」
 「そういえば、、なにやらさっきから鳥っぽい感じがするわね…」
 「鳥と、もう一人、たぶんこのお城の対魔法官だと思います」
 「とりって、ハーコのなかまか?ハーピーか?」
 ハーコが少し心配そうにききました。
 「ううん、ちょっと違う。カラスだ。二百歳とか、とっても年取ったカラスは人間以上の魔法使いになることがある。そういうカラスは人間を指図して働かせたりしても、ふつうの人間よりできたりするんだ。そういうカラスと契約してるのさ、きっとこのお城は」
 デ・ロタールが相づちをうちます。
 「わたしも一回だけそういう鳥と戦ったことあるけど、かなり手強かったわ」
 「カラスこわいこわい。ハーコ食べられちゃう。パーチク守る守る!」
 「ハーコ、あんたカラスより大きいのにたべられちゃうわけ?」
 デ・ロタールが、ちょっとこっけいそうにたずねました。
 「アリエール、ハーコはほんとは、小鳥くらいの大きさしかないんですよ!カラスにかかったらひと呑みなんです!」
 パーチクがハーコをかばいます。
 「そうそう、ハーコとってもよわい!だれかがまもらないとそこらじゅうに死!パーチクしんじてる!」
 ハーコはパーチクにますますぴっちりくっつきました。ネーコはなぜかすごくムカッとしました。
 「パーチク、わたしも剣ほしい。カラスと戦うの」
 ムカッとした気持ちをおしころすように調子の狂った声でおねだりしてみました。ハーコみたいに大切にしてほしかったのです。
 「この兵隊さんの剣を借りればいいよ、でも、むやみにだれでも斬っちゃだめだよ。ほんとに危ないと思ったときだけにするんだ」
 ぐうぐう寝ている衛兵の腰から飾りのついた剣を外して、ネーコに渡しながらパーチクが注意しました。
 ネーコは剣を抜いてみました。「初心者の剣」にくらべると、少し長くて、柄から刃先までがまっすぐ。きれいな刃です。軽く素振りをしてみました。ブンッと、大きな音がしました。パーチクたちの服や髪が太刀風になびきました。
 「いい剣なのかよくわからない。なんか斬ってみたいな」
 ネーコは物騒なことをつぶやきました。でも、たしかに、新しい道具を手に入れれば、ためしてみたくなるものです。
 「ううん、ごめん、いま斬っていいものがないんだ。ぶっつけ本番になっちゃうけど、そうならないようにぼくが守るさ」
 パーチクは、ネーコの独り言にもまじめにこたえました。ネーコはパーチクが自分にまじめに答えてくれることにうれしくなって、さっきのあせりはどこへやら、心がとってもあたたかくなったので、剣を鞘におさめると、パーチクをいきなりギュッと強く抱きしめました。今日は抱きしめられっぱなしのパーチクです。
 「うわっ、く、くるしい…どうしたの?ネーコ!い、息ができないよ…」
 「…いいの!わたしの気持ちがそうなの…よくわからない.けど…こうしたいの!」
 デ・ロタールは、この光景になぜかムカッとしました。なぜだかわからなかったけれど、それもますますムカムカする心を増幅してしまったのです。
 「…今日のわたし…なんでこんなにイライラするのかしら…」
 デ・ロタールは、そう思いましたが、このイライラが簡単に止められるものではないということもなんとなく感じたのでした。



 するするするてん
 用意したロープを半分くらい使って、殿様の寝室の窓の張り出しに取りつきました。
 「ちょいと跳ねるゼ。しっかりつかまってくれナ、じいさんヨオ」
 ヒリヒはロープにつかまりながら背中におんぶしたじいに注意しました。
 垂直の壁面を蹴って、ぴょんと跳ねるのと、ロープを握った指を緩めてするするっと滑り落ちるタイミングはさすがに盗賊。なんの危なげもなくバルコニーに飛びこびました。
 「ヒュ〜ッ!みなさん!ごきげんよ…アレ!?」
 「なんとしたことじゃ!」
 ヒリヒとじいはもぬけの殻の寝室にいたのですが、ネーコも殿もいません。
 「との!」
 じいは寝台に駆け寄りました。カーテンをめくりあげると、そこには殿とセラが仲良く並んで縛られたまま転がされて眠っていたのです。
 「はああ、なんたる!なあんたる!…耳が長い小娘などにうつつをぬかしたりするから…とほほ…」
 それ以上は言葉が出ません。ひざから力が抜けてしまい、すわりこんでしまいました。
 「じいさん、あわてるなよな!あんたのとのさまァ、寝てるだけみたいだぜ!ホラ、きもちよさそうじゃん!」
 じいを落ち着かせながら、ヒリヒは油断なく周りの雰囲気をうかがいました。
 「だれかが先を越しちゃったみたいだ。耳の長いノでも鳥の仕業でもナさそうだ…ネエちゃんがウラをかいたのかナ?…ヒョッとしたら、アノよくわかんない小僧の仕業かもしれねえナ…」こう考えると、じいに話しかけました。
 「じいさんヨオ、あんた、ココで殿さまの介抱をしてやんナ!オレはその不届き者を追っかけることにするゼ!」
 そのまま寝室から出てゆきました。
 「頼もしや!まだまだメブチ領は安泰じゃ!」
 ヒリヒのたくましい後ろ姿を見送りながら、じいはたのもしげにうなずくと、殿様の介抱にとりかかりました。
 
 「近いぞ、近いぞ!相棒!ゆだんするな!」
 お城の対魔法官、魔導師の肩で古ガラスが首をしゃくりながらささやきました。
 「ああ、近いな。しかも三人くらいいるぞ!」
 魔導師も少し緊張しながら答えました。
 魔法を使える敵が三人!どう考えてもこれは油断のならない戦いです。原則にしたがって計算すると、こちらが相手の一人を半殺しにしている間に全滅させられてしまうのです!うまい作戦をたてないと…
 「ここは、思い込ますか!」
 「そうだな、じわじわやればうまくいくな、きづかれないようにな…」
 魔導師はじわじわと呪文をかけました。


 「ねえ、」
 デ・ロタールが後ろから声をかけました。
 「いくら大きな城でも、いいかげん外に出られてもいいころじゃない?」
 「そう思うでしょ?」
 パーチクはふりかえりもせずに答えました。相手がなにかの催眠魔法をかけてきたことには気付いていたので、そっちに集中していて、上の空みたいな返事です。
 「さっきからだれかがじわっと魔法をかけてるんですよ。迷図の魔法を…」
 「めいずのまほう?」
 ネーコが棒読みのように聞きなれない言葉を繰り返しました。
 「道を歩いてる人を惑わせて、知らないうちにおんなじ所をぐるぐる回るように仕向けて目を回させる魔法よ」
 パーチクにかわってデ・ロタールが説明しました。
 「ア、だからさっきからおんなじとこ、行ったり来たりしてるんだ!遊んでるのかと思った!」
 ネーコは空気のにおいで道を見分けるので、人間にかける催眠魔法ではだまされません。さっきからパーチクがおんなじ所を行ったり来たりしているのをちょっと不思議に思っていたのです。な〜んだ、迷ってたのか!
 「パーチク、道、まよったか?」
 ハーコも強力な帰巣本能を持っているので、さっきからの一行のさまよいぶりに疑問をもっていたようです。
 「うん、見つからないように出ようと思うからよけい…ア!」
 炎の玉がパーチクの顔の真ん前で爆発しました。ネーコはびっくりして身体がこわばってしまいました。
 「くっ!」
 デ・ロタールは身体をかがめて、辺りを見回します。
 「や〜ん!パーチク!」
 ハーコは石床の上にひっくり返ったパーチクの顔の上にふせました。
 どこからともなく声が聞こえてきます。あの対魔法官である魔導師の声のようです。
 「城を犯せし者共!わが迷図に紛れたる者共よ!汝ら、いま、わが花園に捉えられたり。益なきあがきをやめ、わが門にひざまづくべし!」
 降伏を要求してきました。デ・ロタールたちにはまだその姿が見えません。目の前には延々と続く石造りの回廊…
 「…アリエール…」
 パーチクのささやく声。デ・ロタールもささやき返しました。「だいじょうぶ?」
 「危ないとこでしたよ。目をやられるところだった。ひっくりかえってかわしましたけど」
 「どうする?ネーコがうごけなくなってるわ」
 「彼らとお話しして時間をかせいで。その間になんとかするから」
  デ・ロタールは息を吸い込んでから、ぺろっとくちびるをなめると、見えない敵、魔導師に向かって話しかけました。
 「花園の主よ、迷いの主催者よ!無辜の旅人を惑わすはなにゆえぞ?毒グモをまねるはなにゆえぞ!」
 毒グモのまね、といわれて、魔導師は思わずニヤリとしてしまいました。なぜならかれは、仲間内では「毒グモのエンリケ」で通っていましたから。
 ところで、かれはどこに潜んでいるんだと思います?びっくりしちゃいけません。毒グモのエンリケはお城の回廊のまんまんなか、パーチクたちの真後ろにいたんです!じわっと催眠魔法をかけて、真後ろからパーチクたちを迷わせていたというわけです。パーチクたちが術にかかっていなかったなら、ふりむくだけでかれの姿が見えたことでしょう。パーチクを火炎で攻撃したのは相棒のカラスのルーイスです。かれは今年で百三十八歳。でも全身やわらかくて真っ黒な羽毛で被われているので人間の百三十八歳のようには一目では年をとっているのがわからないんです。
 「相棒、うまく迷路を作ったじゃないか!女魔法使いはかなりおびえてるし、耳の長い魔法剣士はマヒしてるし、歳のわからない子供はわしが仕留めた。ハーピーなんか、喰うのは久しぶりだ!カカカ」
 やっぱりハーコは食べられちゃうんでしょうか?


 ひっくり返ったパーチクは、お城の石の天井を見ながら、心を溶かし始めています。心を溶かすとは、冥府のジャワルから教わった対催眠魔法で、彼ら術者にいわせると、(ぼくたちには理解できない感覚なので、こんな表現になってしまうことをお許しください。)心が身体から流れ出して、自分のからだが、身体の領域が何十倍にも広がってしまうのだそうです。そうなると、自分のもとの肉体までがその広がった架空の身体の中に置いてあるただの物としてしか考えられなくなり、危害がくわえられそうになっても他人事みたいに気にならなくなってしまうかわりに、自分のからだを中心としたかなりの広さの空間の状態を、極めて正確に感じとることができるのだそうです。
 「….」
 パーチクの目から光が消え、口も半分開いたまま、かなり間抜けな表情になってしまっています。
 「だいじょうぶなの?この人…星と話すときみたいな顔して…でも、こんなときに、まさかね…」
 デ・ロタールはかなり行く末が心配になってきましたが、パーチクの力をまだ少しは信じていたので迷路の主、エンリケとの会話を続けました。
 「迷路の主、毒グモのエンリケよ!…」
 え!?なんで彼女はエンリケの名前を知っているのでしょう!?でも自然に口からこの名前が出てしまったのです。エンリケもこれにはぎょっとしました。
 「この女、どこでワシの名を!?逆催眠なのか!?…落着かなくては!でも、どこで…」
 心がかなり揺らいでしまいました。
 「ち、エンリケめ、小僧が心を溶かしたのがわからんのか…ヒゲなんぞ生やしておるワリにまだまだ青いな!」
 古ガラスのルーイスは相棒のふがいなさに舌打ちをしてみたものの、他人の面倒をみることもできなかったので、自分にできる精いっぱいのことをするために隠れ場所から飛び立ちました。
 あやしいのは小僧だ!ならば真っ先に小僧を黒焦げにしてやるさ!一番よくわからない匂いがするからな!
 彼が考えることができたのはそこまででした。そのとき、なにかがかれの首筋をなでたので、かれの長くて黒いくちばしのついた黒い頭が、ちょっとだけ赤いしずくをひきつれてデ・ロタールの足元にころがりおち、頭のない黒い羽毛の塊が、親指だけが別になっている布靴、あの工兵の靴をはいた足元にくるりと落ちました。
 「ア〜びっくりしたゼ!くそガラス!いきなり飛び出しやがっテ!」
 ヒリヒが一行に追いついたのです。

10. 自信